起業独立・倒産・再起(夢)の途中(七転八倒)の今
人生、何が起こるかわからない。
誰もが『自分は大丈夫、石橋を叩いて渡っている。』と、思っています。
私もそうでした。
まさか自分の身に降りかかるとは、...。また、再起がこんなに大変だとは。
もがけど、あがけど蟻地獄。
『将来何に成りたい?』、『社長!』。
幼い頃からの夢【起業】を成し得、その先の夢に向かい驀進し・先が見えず苦しみ・ギブアップの倒産・新しい夢【再起業】に向かい足掻く今。
起業して、順調に進み夢も膨らんでいた時期、苦しくなり前が見えなくなった時期、耐え切れず倒産した時期、再起業をと悪戦苦闘する今。
その今を語る前に、それまでの過程をかなり前までたどります。
いずれ今に近づく事でしょう。
新聞奨学生を1年で辞め再出発は、先ず部屋の引越し。
辞めたから部屋には居られない。
次に生活の糧のバイト探し。
先ずバイトを選ぶ条件、『いつでも綺麗な女性と接して居られる事』。これが、第一条件でした。次が、勿論『時給』!!
アルバイトの情報誌の中から消去法で選択して、新規オープンで募集していた女性専用クラブのホスト(当時は、たぶん走りで他に類を見なかった。)と花屋でした。
ホストは凄い倍率でした。でも面接の結果、採用でした。
就労時間の自由を考えて、花屋に行きました。
その頃、バイトが楽しかった。
何故楽しいかと言うと、廻りに女性が沢山居た、ほとんど女性と言っても良いぐらいでした。
従業員もお客さんも、嬉しい事に、廻りは、ほとんど女性でした。薔薇色のアルバイト!!
初日の夕方、行き先もわからぬまま1つ上の先輩の運転する1トントラックに乗せられ出発。
どこかの店舗へ向かうと思って疑わない。
先輩に話を聞く内に、『何処かへ行って、勝手に売って来い。』らしい。
花の屋台のトラック版?当時は他ではやってない本当に走りだった。たくましい仕事だ。
その先輩と非常に気が合い、友人のように日夜仕事の時間は勿論一生懸命、それ以外でも一生懸命あれこれと悪知恵を働かせ、一緒に遊びまくる事になる。
(仕事中もナンパは忘れない。仕事が終わった後の約束や後日の約束を必ず怠らない。)
当然人気の多い、綺麗な娘が沢山集まって来そうな所へ夕方から行く。
薔薇とチューリップの区別もつかない・花に興味の無かった私が一生懸命に売った。
可愛い娘が通ると声を掛けて、花を売るというよりも自分を売った。
花はついでに売っているようだった。
遊び半分で楽しく売っていた事が良かったのか、気の合う先輩とのコンビは、いつもダントツの売上を上げて一番最後の深夜に帰る。
だから、何をしようと上から一切言われなかった。
他のバイト仲間も、このコンビにはお手上げで諦めていた。
歩合も自然に増え、学生とは思えない程もらっていた。
毎日が深夜なので、二人の通勤用に20万円か30万円ぐらいだろう、オンボロ車まで買ってもらってしまった。
帰りの電車の心配も無いので、売れなくなるまでやっていた。
当時、バイトの学生が車を持っていることは中々無かったので、辞めて他の仕事に移らない為の引き止め工作には最高である。
我々も、深夜から翌日の夕方までナンパした娘達とドライブにと行動範囲が広がり、さらに遊びも加速した。
試験以外は学校にも行かず、そんな事ばかりしていた。
夏などこんな事もあった。
いきなり思い付きで、『あさってから半月休みます。』と言って、北海道一周旅行。
目的は観光では無い。勿論、ナンパがメインの旅行。
二人で交代に運転して出掛けた。東北道もまだ全線開通してなくて、青森の途中から一般道の砂利道で、山を登ったり・降りたりと険しい道だった。
バイトの後、そのまま深夜に東京を離れ、青森に夕方着き、青函連絡船(当時はトンネルがまだ無かった)。
先ず、青函連絡船の中で、デッキに居た二人連れの娘をゲット。
そのまま函館の夜景をドライブ。
宿はキャンセルさせて他でチェックイン。
翌日、洞爺湖までドライブ。
『これからもう一人の実家で、しばらく厄介になる。』というので、帰りの日を約束して別れる。
これで、帰りの函館から東京までの長旅ドライブもキープ。(戻ってからも暫く会ったが、私が他に目を向けて飛び回って居たので、その内疎遠になった。)
その時期、北海道に来ている子達に声を掛けると、ほとんどが首都圏の人達で、『どこから来たの?』で会話が始まり、話が繋がった。
悪知恵が働き、『女の子をゲットするには、名所・旧跡に行くことだ。』と、即行動。
ターゲットは『ツアーのバス』。
ツアーで観光地に来ている娘に声を掛け今晩何処に泊まるかを聞いて、我々もそこに合流する。
彼女達の宿泊先に電話をして今日の宿を予約をする。(全く泊まる所も決めず、毎日が行き当たりばったりでした。)
そして、夜にチェックインして、その日の日替わりの彼女達と合流して宴。楽しみな寝る時間も4人で2部屋に成るから、問題は無い。
コンビをチェンジするだけ。女性も我々も、良い思い出が1つ増える。
先輩と好みを選ぶ時には、絶対に喧嘩にならない。
いつのまにか自然に分かれている。趣味が違うようだ。
変わった先輩だ。
毎日、そんな事をしているから、中々先に進まない。
時には次のスポットを目指し「今日は走る日」と決めて、500km〜600km走る。
そんな日は、疲れを取る為にサウナで一泊する。
喫茶室で休んでいると必ず隣の人達が『お兄ちゃん達、何処から来たんだい?』と声を掛けて来る。
話している内に、店員に「静かに」と注意されながらも、『飲めや食えや』とたらふく御馳走になる。
地元の方々は、皆、親切だし、人が良くて、陽気だ。
稚内では、取れたて魚を「寄って食べて行け。」などと、漁港の人の家でさしみや焼き魚・干物などを御馳走になった。
網走では、夜中に腹が減り外へ出たが、店はほとんど閉まっていた。
『腹が減って、御握りでも食べさせて下さい。』と、入ったスナックで、ママが丁度茹でていた毛蟹をたらふく御馳走になった。
『お金はいいよ!思い出として忘れないでね!』と、御握りのお金しか取らなかった。
当時は、こんな気さくな方々ばっかりだった。
ある時、いつもの様に観光地で声を掛けた娘達の温泉宿へ当日予約をして行った。
当時は、興味も無かったので知らなかったが有名な温泉宿で、今ではテレビで見ると、かなり大きく手広くやっている。
いつもの様に楽しい夜を過ごし、やがて朝になり、声を掛けた子達はツアーの続きが有るので、東京での再会を約束してそのまま部屋で別れた。
私達は眠いので自分の部屋に戻り寝ていると、女将さんがやってきた。
前日配膳をしてくれたのは、娘さんだったらしい。
楽しい人達だと聞いて、見に来たらしい。
『まだ寝てていいよ。今晩お祭りだから、せっかくだから見て行けば?』と、声を掛けてくれた。お言葉に甘え寝た。
夕方、娘さん達とお祭りに出掛け、夜は旅館の食事では無く、家族の食卓に招かれ御馳走になった。結局3泊して、娘さんに色んな所を案内してもらった。
帰ってからも娘さんから、暫くラブレターが届いていた。
多分、今は代が変わりあの娘さんが女将になり、大きく成功して幸せに暮らしていることでしょう。
そんな思い付きの旅行で一ヶ月弱過ごした事も有った。
今となっては考えられない様な、若気の至りで、本当に楽しかった。
あの先輩も、今は故郷に帰り、漁師になり、先祖代々の網元を継いでいるらしい。
先輩の奥さんは、私と先輩の仲を疎ましく思っていて、当時会っても私には口も聞かなかった、あの時、喧嘩別れたしたはずの彼女だそうです。
どうやら故郷に帰り、また遠距離恋愛を始めたらしい。
当時、お世話に成った方・ご迷惑を掛けた方、ありがとう御座いました・ごめんなさい。
楽しい20代前半も終わり、修行の『記憶喪失時代』に、次回は入ります。
私の過去の経験・今の経験から、起業を目指す方・現在がんばる方々に『何かを得て欲しい。』などとカッコ良い事は言いません。
言う余裕も・思う余裕も全く有りません。
日々、精神的な焦り・苦しみの連続です。
ともすると、現在は、今日の生活も危ぶむ毎日の繰り返しです。
『蟻地獄』とは良く言ったものです。
そんな時々の思いを綴ります。