飛翔(起業)〜挫折(倒産・破産)〜そして、その後 RSSを登録する

   

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2008/04/27

起業独立・倒産・再起(夢)の途中(七転八倒)の今

人生、何が起こるかわからない。誰もが『自分は大丈夫、石橋を叩いて渡っている。』と、思っています。
私もそうでした。まさか自分の身に降りかかるとは、...。また、再起がこんなに大変だとは。
もがけど、あがけど蟻地獄。
『将来何に成りたい?』、『社長!』。
幼い頃からの夢【起業】を成し得、その先の夢に向かい驀進し・先が見えず苦しみ・ギブアップの倒産・新しい夢【再起業】に向かい足掻く今。
起業して、順調に進んでいた時期、厳しくなった時期、耐え切れず倒産した時期、再起業をと悪戦苦闘する今。


『蟻地獄の今』を語るには、かなり前から語らないとと思いますのでさかのぼります。
いずれ、今に近づく事でしょう。(すみません。)


【若気の至り】
今の時代には有り得ない事ですが、私の二十代後半は、『記憶の無い時代』でした。
『記憶』とは、当時流行った歌・世の中の流れ等です。
今、テレビでその頃の歌が流れたり、世相が流れたりすると「あの年代のものだな。」とすぐにわかります。
それは、全く記憶に無いからです。

その『記憶の無い時代』に入る迄の過程を書いていきます。

二十代前半までは、バイトをしながら本当に遊びました。
授業にも行かず、バイトばかりの毎日でした。大学の友人達とはほとんど顔を合わせる事も無く、アルバイト仲間と遊びまわっていました。
おかげで学校の友人達は先に卒業して居なくなり、私は在籍ギリギリの8年かかって卒業しました。8年間居たのは、二人だけでした。
そのもう一人は、卒業出来ずに退学という形になりました。
そいつもほとんど学校に来て居なかったらしいです。「らしい。」と言うのは、私も行ってないからわからない。

8年の内、後半の4年間は、出席日数が厳しい外国語と体育です。本来普通の人は、1・2年で終わっているはずの3科目12単位でした。
年間3回休むとそれだけで、例え試験の点数を100点取ろうがアウトなんて,私には考えられませんでした。
しかも、こちらから教授の選択が出来ず、本当に厳格な教授方でした。お世話になりました。
その他の教科は試験重視でしたので、問題有りませんでした。この12単位のおかげで、2人分の学費がかかりました。
学費は8年間、勿論全て自分で払いました。その前に2浪していたので、親は「勝手にしろ」と匙を投げておりました。
合計10年なんて、呆れるでしょう!

大学1年目は、新聞配達。これも、きつかった。学生の本文が何か忘れてしまうぐらいでした。
当時は『学生の仕事では無い!何をする事がメインなのかわからなくなってくる!』と、ずっと思い続けておりました。
当時と今は随分待遇も違う事でしょうね。新聞休刊日も、今の3分の1ぐらいしか無かったと思います。それ以外に休みは無かった。正月も、しかり。
今は確か『代配?』と言って、休みの配達人の変わりに配ってくれる人がローテションで動いてくれるのでしょうか?
週一ぐらいの休みは有るでしょうね。当時はそんな事、有り得なかった。

今はわかりませんが、当時の新聞奨学生制度は入学金を立替えてくれるので、取り敢えずやって見ようと始めました。
当初、慣れない事も有り、毎朝3時半起き、7時前に最後の家に届け終わる時間でないとガンガン苦情電話の嵐でした。
前任者が、まじめで早い時間に毎日終わらせて居ると余計電話は増えます。
でも、これがお客様に対して当たり前の事で有ることは、言うまでも有りません。
おまけに、配る種類の多かった事。
同じ新聞を配るだけなら、『順路帳』で家の名前を暗記すれば、あとは投函場所を覚えて鼻歌混じりに入れて行けば良い。
が、それに加え新聞の種類を覚え、オマケに三日に一度・週一の新聞や週刊誌、スポーツ紙、朝刊だけしか取らない家、いついつまで休みの家等。
皆さん、わがままし放題・やりたい放題(言葉は悪いけど、愛嬌で笑って許して下さい。)でした。

そこで私は悪知恵を働かせてしまいました。
『読者の皆さんは朝起きて、それぞれが習慣で動いて居る。』
『新聞が遅いのも、いつもそれが当たり前の習慣になり、その遅い当たり前になった決まった時間に必ず投函していれば、苦情は無くなるのでは?』
何度も、「おかしいな・遅いな」とポストと家を行き来させてしまうから、怒りに変わるのだろうと。
それなら、毎日遅い時間でも決まった時間に投函すれば習慣に成り、苦情も来ないだろう。』と、勝手に解釈をしていました。
今となってはとんでもない事だと思います。当時は、大変申し訳御座いませんでした。

他の皆は、販売所の2階に住込みでしたが、私は最初に見に行った時にあまりのだらしなさ・汚さに驚き、アパートを借りてもらう事をお願いしました。
そうしたら所長は、2階が一部屋空いているにも関わらず、すんなり借りてくれました。
勿論、風呂無し・共同トイレ・共同炊事場で、部屋に隙間風が入る様な部屋でしたが、販売所の2階に比べれば天国でした。
それと、どっぷりと浸かりたく無かったので、皆と一線を隔して置きたかったのも有りました。
おかげで、若い・兄貴みたいな大家さんから夜中に飲み屋に呼び出されてご馳走になったり、大家さんの会社で昼間、空き時間に留守番のバイトをやらせて頂いた。
また、一緒に連れて行かれ、太陽熱のソーラーの取り付けのバイトを真夏のカンカン照りの中、屋根に登って手伝った。
(暑さでボーッとしてただ居るだけで、何の役にも立ちませんでしたが。)、新聞配達以外の他にも目をやる事が出来ました。
雇う必要も無かったのに雇ってくれて、あの頃は気が着きませんでしたが応援してくれて、可愛がってくれていたのだと思い感謝しております。


〈ここから少し口調が変わります。〉
さてそういう事情が有り、それからというもの、起床の時間を5時にした。
5時半に販売所へ行き、それぞれの新聞の必要な部数を5分で用意して、自転車への積込みが5分。
これが、芸術!!
メインの一般紙二紙を前籠に、配り間違えの無い様に左右に分けて全部積込む。
当然、立った時の頭の高さよりも高くなり、前を真っ直ぐ見ようとしては、見えない。横から顔を出す。
また当然、重いからブレーキも利かない。まさに技術・テクニックです!
雨の日は、その上にガムテープで旨くつぎはぎしたビニールを被せる。
ここで一服して、6時。(一服している場合では無いのだが。)廻りには当然誰も居ない。
既に私が来た時には、皆出てしまって、いつも誰も居ない。
たまに居るのは、寝坊をして慌てている専門学校生のS君だけ。
そして走り出す。重いので、自転車は中々スピードに乗らない。早くスピードに乗せないと、人間の力だけでは支え切れない。
また、1cmの段差でも乗る角度を間違えると終わり。
倒したら、新聞も舗装路面に擦れてボロボロ。雨の日は、見事に全てビショビショ。即ユーターン。新しい新聞に積み直し。
自転車のハンドルを曲げてはダメ。身体を倒して舵を切る。急カーブ・急ブレーキは御法度。
販売所には、何が起こるかわからないので、かなり余分に新聞が届く。週一ぐらいで、その余った新聞をトラックで回収に来る。

あれこれ、あっちこっち、いろいろ届けて、7時40分最後の一軒。終了。
その間、走りっぱなしなので汗だく。
高校のマラソン大会で、他の部ながら、1200人中、ベスト6位に入ったぐらいなので当時は平気だった。部数から時間を計算したら、販売所で一番早かったろう。
今は、無理!!
当然、内には、『どうしても何時何分までに持って来い。』という家も有る。
そういう家は、大概、ハイヤーが迎えに来て、出発時間が毎日決まっている。その車内で読むようだ。
だから、代々引き継がれた配達の『順路』を、私だけ様にアレンジして配る。
こういう家の奥さんは、二極化している。物凄く丁寧で腰が低いか、物凄く大柄で人を人と思わない様なつっけんどんかどちらかだ。中間は居ないと思った。
後者の御主人は、大概優しい御主人である。当然、家も三匹の子豚の三匹目である。

その時間で正確に毎日続けたおかげで、三週間目ぐらいからは苦情電話がピタット無くなった。それまでは、毎日何本も電話が有り、販売所の奥さんに怒られた。
でも、続けた。
苦情電話が無くなるとしばらくして、「変な電話が全く入らないのは、あなただけ。」と逆に褒められる様になった。

また、当然近くから配ってどんどん軽くして行くので、配り終わると最後は一番遠い場所に居る。
全力で時間短縮を狙うので、力尽きた状態で、毎日地の果てまで来たような気がしていたものだった。
時には、夜中まで付き合って身体が動かない日も有ったり、眠くて寝ながら配っていたのか何処へ配ったか全く覚えて無い時も有った。
でも、そんな時でも、本能か、誤配の電話は来ない。無意識に配って居るのだろうか、大目に見てくれて居たのかはわからない。

ヘトヘトになり、やっとの思いで戻ると8時。朝食(皆は、食べ終わる頃)。
毎日、毎日、朝は卵と納豆・御飯は食べ放題。それが毎日!毎日卵に納豆!
他の選択は無し!
でも、全力で動き、腹ペコ状態なので、どんぶりで毎日完食。

この卵と納豆の食べ方、毎日同じメニューなので皆のを見て居るとおもしろい。食べ方も人それぞれ毎日同じ。
住込みの学生は、地方の色んな所から来ている。全国から集まっていた。
卵と納豆をそれぞれ2杯に分けて食べる人。
納豆御飯で卵は別にそのまま飲む人。
御飯は白い物、汚してはいけないと言い張る人。
卵をミルクセーキの様になるまで泡立て、しょうゆを一滴、そんななら入れるなと言いたくなるような人。
納豆は豆だ、豆の味を楽しむと言い、しょうゆを入れずにそのまま食べる人。
納豆にマヨネーズをかける人。
普通に食べようよ!

食事が終わると、自由時間!?
何か変だ。
皆、そんな感覚で学校へ行きやしない。先ず、だいたい皆寝る。ひどい人は、夕刊の配達時間まで寝ている。まるで相撲部屋だ。
唯一毎日学校へ向かっていると思える人は、専門学校のS君だけだ。大学組みは、行かない。中には卒業を諦めている人も居た。
かく言う私も、毎日教習所へまっしぐらの時期が有った。
真面目だったので、一つも落とさずに、全て一発でクリアー、最短記録だそうで最後に表彰状と盾をもらった。
路上教習の際、『運転は、荒いのと旨いのは違う。君は必ず事故を起こす。』と言われたことがある。
ダッシュボードの上に教官の印鑑を立てられ、これを1時間倒さずにスムーズな運転が出来たら判を上げようと言われた。
そんな事を言っても、道路がデコボコなら・少しでも段差が有ったらと思ったが出来た。
顔も名前も覚えて居ないただ一時間だけの教官だったが、その言葉は、今でも肝に銘じている。
本能で荒っぽい運転をして居る時、ふとその言葉を思い出し、我に返る。
御蔭さまです。
たった1時間でも、顔も名前も覚えて無くても、印象に残る言葉は忘れないものだと思う。

夕刊の配達は、早い人が配送の来る3時頃から遅い人で4時半頃。
特別に授業の都合で毎週遅い曜日が有る。
予めうるさそうな(ごめんなさい。)お宅と夕刊を心待ちにして、外で待ってくれているお宅には、了解を取っておく。
「何曜日は授業の都合で遅くなり、何時ごろになりますのでお許し下さい」とお許しを頂いておく。
決して販売所でカバーしようとはしない。あくまでもその担当のみで処理することのようだった。
私は、時間が有っても、毎日決められた時間に配達をする様にしていた。
例え休講になっても同じ事。中には、早かったり遅かったりその日の気分で時間を適当に配達している人が居たが、そんな人に限り苦情電話が多い。

夕刊から戻ると折込チラシの作業がある。
これがまた、何十枚もまとめる手作業。
今は、器械でポンポンまとめてしまうでしょうが、貧しい販売所(悪く言うとケチ。大きなマンションを当時立てていた。)だった為、人海戦術でした。
当然、自分の担当の所だけそれぞれが自分でやる。
風を引いて熱が有ろうとも、何が有ろうとも。明日、大切な試験だろうが、全く関係ない。
どんなに急いでも軽く40分はかかる。チラシを床に並べ、ベタッとあぐらをかいて作業をするので、身体の硬い私には1番苦痛な作業だった。
普段5分とあぐらをかいて居られない。正座も膝が痛い。どうしようもない、1番嫌な作業だった。

夕刊の配達を終え、夕食。
これがまた凄い!
手作りは、味噌汁・御飯。おかずは、仕出し屋の箱入り冷めたおかず。
私は食道楽でも無いので何でも構わない方だが、1年間居て、1度も美味しいと思った事は無い。相当節約して発注しているおかずだと思っていた。
冬の折込が終わった冷えた身体で、おまけにあまり暖かく無い所での冷たい焼き魚など、氷を食べている様な感覚だった。でも、残すことはしなかった。
皆、夜中にお腹がすくので、我慢して全部食べていた。

もう一つ、これが1番時間を取られたかも知れない。
集金!
自分の担当範囲のお客様からは、当たり前の事だが、自分で行って集金をしてくる。
集金率が95%に成らないと、給料を(わずか5万円〜6万円だが。)くれない。
その為に皆、早起きなのに、夜中12時・1時に出て行く。
一般の家庭は、配達の帰りについでに回収できるが、それでは70%ぐらい。ここからが、難関!!曲者が沢山居る。
特に一人暮らしの若いサラリーマン。深夜でなければ居ない。中には、居留守を使う者も居る。
こういう人達だけが必ず残り、その人達の為に深夜だろうが何だろうが、何往復もする
羽目になる。
そんな人達は、書置きしようが・何しようが電話もくれずに、毎月決まって大切な時間を翻弄させられる。
月の内、20日以上を集金業務に引っ張られる。
中には、諦めて自腹を切ってわずかばかりの給料を貰おうとする人も居た。私は、意地になって全部回収し続けた。
95%に2ヶ月達せず、給料が2ヶ月分保留になっていても、取れないだろうと諦めたのか集金に行こうとしない人もいた。
そこまでアルバイトの学生にやらせるべきでは無いと思っていた。内の所長は社会保険労務士だった。何か変だ。

真冬の大雪の日の朝刊の配達で思い出に残るのは、いつもの様に山積みにしてスタート。
担当範囲に行き着く途中でタイヤがパンク。戻って他の自転車に積み替えてスタート。
今度は、大雪でタイヤが滑り自転車が倒れ、山積みの新聞が全てびしょ濡れ。又戻って、新しく積み直しスタート。
手がかじかんで思うように投函出来ない。気持ちも失せて終わったのは、昼前11時。
戻ると、所長・奥さんそろって家で待っていた。『心配しちゃったよ。』だってさ。
他の新聞販売所ではこんな時、それぞれ担当範囲での中継地点を作り、荷物を減らす為に中継地点まで新聞を運んでくれて、より効率良く配達出来る様にするものだ。
それが、家で『心配していた』だって。
『朝ごはん取って置いたよ、食べなさい。』って、当たり前だろ!!

『ここは、とても良い生活環境では無い』と常々思っていたが、1年間だけはやろうと最初に決めていたからやり切った。私には、悔い無し。開放感!
新たなスタートを切ることになる。
かといって、今頑張っている方々を否定している積りは有りません。今は、労働環境も変わり、大変は大変ですが日々頑張っていることでしょう。



私の過去の経験・今の経験から、起業を目指す方・現在がんばる方々に『何かを得て欲しい。』などとカッコ良い事は言いません。
言う余裕も・思う余裕も全く有りません。
日々、精神的な焦り・苦しみの連続です。ともすると、今日の生活も危ぶむ毎日の繰り返しです。『蟻地獄』とは良く言ったものです。
そんな時々の思いを綴ります。