戦後のお酒事情
戦後のお酒事情
昭和二十年八月、大日本帝国は連合国に無条件降伏し滅亡、
僅か九十年足らずで消滅しました。
我々は一縷の望みもない暗黒の世界に転落しました。
その後 朝鮮戦争勃発により、日本が連合国の兵站基地として利用されるようになり
復興への道が見えるようになります。
しかし食料事情は極端に悪く統制経済による配給だけでは、餓死しかねないので、
いろいろな非合法な手段で食料確保に明け暮れた時代でした。
従って主食がそんな状態ですから、酒などに回す余裕などあろう筈ががありません。
濁酒、焼酎などあれば貴重品で、専ら合成酒です。
日本薬局方にはエタノール(エチルアルコール)のほかに消毒用アルコールの規定が
あり、メタノール(メチルメチルアルコール)を一定量配合することになっています。
飲まないための処方です。価格も安く設定されています。
ご想像のようにこれが爆弾と呼ばれる合成酒の材料です。
メタノールは量が過ぎると失明します。
無機化学の教授で、これにより亡くなったt方を知っています。
なんでそんなと思われるでしょうが、お酒にはそんな深い魅力があるのです。
昭和二十三年 社会に出た私は、大阪にある企業に就職しました。
入社祝いを北野新地の料亭でやってくれました。
勿論、料亭は表向き営業はしていません。目立たないように中に入りました。
机の上には湯飲み茶碗と簡単なつまみが用意されてあり、
やがてヤカンにはいった酒が運ばれてきました。
これらは皆 客が持ち込んだという設定です。
これ以来昭和二十六年東京から仙台に転勤するまで
本格的日本酒にはお目にかかれませんでした。
最初の勤務地は東京で日本橋に店がありましたので、
省線(JRのこと)の最寄り駅は神田です。
焼け跡に葦簀張りの露店が並び、いかがわしい物や、
金さえ出せばなんでも手に入るらしい闇市と呼ばれる非合法地帯がありました。
得体のしれない動物の肉が大きな鉄鍋の底で煮られ、
残酷にも食欲をかきたたせていました。
酒は鉄道のガード下にハモニカの穴のように小さく区切られた場所に
暖簾をかけた飲み屋がそれぞれの常連に、苦労して集めた飲み物を提供していました。
暫くして日本酒らしきものがあると、それは金魚酒に化けます。
水で割るので金魚を入れても悠々中で泳いでいるという悲しいような、
それでも酒に出会えたという明るくなれそうなジョークでした。
その頃、上野駅の真向かいにあった朝鮮部落に行くと
今のマッコリに似た濁酒がジョッキで飲めることがありました。
共同便所に行くと、朝鮮語のポスターばかりが張ってあって異様な雰囲気でした
昭和二十六年、東京を離れましたが、まだまだ戦後でしたが、
そろそろ明日の風も吹きだす気配になりますので本稿はここまでといたします。