映画批評0065「ザ・マジックアワー」
■□映画批評と物語構成論0065□■
『ザ・マジックアワー』
The Magic Hour (08)
◇ ◇
架空の街「守加護(すかご)」を舞台に、佐藤浩市演じる売れない役者が、
騙されて、映画の撮影だと思い込んだまま本物のギャングと対決する……。
三谷幸喜監督お得意の「かんちがい」「なりすまし」系のコメディである
この映画、メインとなる舞台「守加護」が「架空の街」であるように、ここ
に登場する「ギャング」という存在も──ヤクザでもなければマフィアでも
ない──現実の日本の状況から考えれば「ギャング」という言葉の時点です
でに充分「架空」です。
●「架空の街」守加護を牛耳る「架空の集団」ギャング
この映画は「架空」を根拠にして物語が定義されているのです!!
オープニングにおいて、現実の日本とも異なる、古き良きハリウッド映画
のような「守加護」の街の外観をまず示し、そこに住まう妻夫木聡のコメディ
演技からスタートすることで、今回のこの「ギャング」の「非リアル度」を
提示する。
●非リアルなギャングがいる街「守加護」
ギャング < 守加護
ゆえにこの映画でいちばん重要なのは「街の雰囲気」であり、膨大な予算
を費やしたという巨大なセットがこれに大いに貢献し、そもそも「スカゴ」
という言葉自体が日本の街ではないアメリカの「シカゴ」を思わせ、しかし
これが「シ」でなくて「ス」なのはこれはテレなのか、あるいは巧妙に「シ
=死」を避けたのか──妻夫木聡は密会現場からあっさりと逃げおおせ、そ
れを追う寺島進も、至近距離から発砲はするけどヒットはしない。
この「非リアル度」こそが「守加護」なのでしょう。
この街の雰囲気によって我々観客は「誰かが撃たれて大怪我をしたり、死
んだりするような映画ではないのだな」と、すんなりと物語世界に入り込め
るようになっています。
ここまでは問題ありません。
ただ残念なのは、映画全体の構成です。
惜しむらくは、映画のタイトルである「マジックアワー」(=映画用語で
陽が沈んだあとの僅かな時間だけの奇跡的な美しさの夕焼け空のこと)を序
盤と中盤で2度も登場させてしまっているがために、映画のクライマックス
がなんと夜!
奇跡は起きるけども、空は暗い。
これは非常に残念です。
逆にラストを朝焼けにして、敵を退散させたと同時に陽が昇りはじめ、こ
の朝焼けに彼らの明るい未来を匂わせる方法もあったのではないかと。
そしてもう1点。
本来であれば妻夫木聡は綾瀬はるかの想いに気づいて全員が丸く収まるべ
きなのに、そうはならない。
●伊吹吾郎は隠れた才能に気付いてカメラマンに転身
●西田敏行は改心
●深津絵里は佐藤浩市を追って映画界へ
●妻夫木聡は綾瀬はるかの想いに(やっと)気づく
&本物の映画を作ってみたくなる
伏線を回収するならばきっとこうなるなずなのに、ラスト5分で西田敏行
がアドリブで大暴走をしてしまったせいなのか(あきらかにアドリブで、あ
きらかに物語が破綻していく)、あるいは三谷幸喜監督が佐藤浩市の才能に
惚れ込んでしまって「ほかが見えなくなってしまった」のか*。
いずれにせよ三谷幸喜監督が「佐藤浩市」という新しい相棒を見つけて喜
んでいる──その出逢いの幸せが感じられる映画であるのはまちがいありま
せん。
*意図して丸く収めなかったのだとしたら、
●守加護の人間は結局だれも街を出ていかない
(→架空の街の住人は架空の世界に留まりつづける)
●守加護の人間は結局だれも映画界を目指さない
(→プロとアマの差は決定的に大きい)
(→プロの世界をナメてもらっては困る!?)
この映画、面白げな見た目に反して、意外に残酷です。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
次回は番外編……
Short Shorts Film Festival & Asia 2008の
「ストップ! 温暖化」部門全13作品を題材にして
【映画とエコ】について考察します。
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