お墓のあれこれ 第55号 神道と仏教的なお墓
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ストーリーインストーン お墓のあれこれ
―― 第55号 神道と仏教的なお墓 ――
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○●○●○ わかるとちょっと得するお墓のあれこれ ○●○●○
お墓のことフォーカスしたことありますか?
神道と仏教的なお墓
日本に伝来した仏教がそれ以前のお墓に与えた影響は、富裕者の大がかりな墳墓造築を禁じた「薄葬令(はくそうれい)」(645年)が出されたことです。
このことによって、お墓が小規模化していきました。
それには火葬の風習が支配層に定着していったことも貢献しています。
しかし、平地の普通のお墓に対しての影響は、当初はあまりなかったようです。
つまり、死者を埋葬する「場」も、それを示す「標(しるし)」も、先史時代からの「複葬(ふくそう)」法が継続していました。
やがて、仏教が支配的な宗教として日本に定着すると、少しずつ「場」と「標(しるし)」が変化していきました。
「寺院」に「仏舎利塔」(釈尊のお墓)として木造や石造の塔(三重塔、五重塔.など)が建てられ、仏教的なお墓につながっていきました。
では、カミ信仰もまた仏教信仰に取って代わられていったのでしょうか。
奈良時代に入って体系化されたカミ信仰、つまり広い意味での神道は、支配層の祭祀(さいし)制度の中に「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」していきました。
「神道の感覚」に支えられた一般の人々のカミ信仰は、日本人特有の融通無碍(ゆうずうむげ)な宗教的心性となって、仏教習俗を生きてきた、と考えられます。
例えば、墓石を選ぶ宗教的心性なども、正体は先史時代から石や岩をご神体として崇拝してきた「神道の感覚」かも知れません。
先に紹介した論文「わが先史古代の複葬とその伝統」に、
「祖霊が樹あるいは森によるとする思想は、意外に古い時代からあったもののように思われる」
という書き出しで、こんな興味深い説を紹介しています。
(内容ここから)
部族の祖先、開拓祖先、なんらかのCulture heroは森に祀(まつ)られる例が多い。
神社系祭事として、葬事とは別系の伝統を伝えているように思われる。
複葬の伝統は中世以降は庶民仏教との関渉(かんしょう)の中に、仏事的においの強い葬事として伝統されているように思われる。
神祭には常緑の榊を、葬事には色のある花を用いるという用いわけの行なわれる例があるが、そこには2系の祭事の微妙な反映が見出されるように思われる。
しかしながら、複葬と樹や森による神祭とは人生行事の上で、無縁のものとして対立しているばかりのものではなかったと考えられる。
複葬の経過においても、結局は最終の年忌を終えると個性を失い[御先祖さん」となる。「御先祖さん」になると地神に吸収されてしまう例が目立つ。
(内容ここまで)
神道とお墓の関係についての論を進めるにあたって、この説は大変に参考になります。
つまり、[神道的なお墓」というものを想定するときに、例えば、天皇陵だけを参考にする訳にいかないからです。
江戸時代、神道に深い関心と信仰を寄せる神道家、儒者、国学者が現れ、神道の葬送に思いをめぐらせました。
「神道的なお墓」もまた彼らの心中で想像され、その案が書き残されました。
続けてそれらを紹介しますが、その文章の細部に宿っているのが「神道の感覚」で、上の説に見るように、そこに「2系の祭事の微妙な反映」があるのです。
皆様もまたそのことに注意して読んでいただければ幸いです。
編集後記
先日、宮城県と秋田県と岩手県の県境、栗駒にある、須川温泉に行ってきました。
年に2回、春と秋に行っていますが、何時もですが春の予約を取るときに、
「雪のため開通していない時は、お泊り出来ませんのでご了承下さい」と言われます。
でも、ここ何年かは、ゴールデンウイークに毎年宿泊できています。
ここの温泉はとても人気で、遠くからのお客様が多く、今回は京都からの方がいました。
絶賛していましたよ。
真っ白な温泉が好きで、温泉に入りながら夜空を眺め幸せを感じています。
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□ 発行責任者 杜の石屋 ストーリーインストーン 森川さとみ
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