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2008/06/30

故事成語で見る中国語(30)杞憂

故事成語で見る中国史・第30回

日頃、何気なく使っていることわざや言い回しの多くは、
中国の歴史に出典を求める事ができます。
耳馴染んだ言葉がどのような時代背景で生まれたのか?
歴史書の原典をひもときながら詳しく解説します。
現代にも生きている言葉から、中国史を浮かび上がらせてみましょう。

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杞憂(きゆう)

(中国の杞の国の人が、天地が崩れて落ちるのを憂えたという故事に基づく)
将来のことについてあれこれと無用の心配をすること。
杞人の憂い。取り越し苦労。 (広辞苑)

用例: 「将来のことが心配で眠れないんだ」
    「君は仕事もできるし、職場での信望も厚いんだから、
     そんなのは杞憂に過ぎないよ」

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(出典)【列子・天瑞篇】 より

杞国有人憂天地崩墜、身亡所寄、廃寝食者。

(書き下し)
杞(き)の国に、人の天地(てんち)崩墜(ほうつい)し、
身(み)寄(よ)する所(ところ)亡(な)きを憂(うれ)えて、
寝食(しんしょく)を廃(はい)する者有り。

(語注)
○杞(き):周代の国。現在の河南省杞県。開封の南東。

(現代語訳)
杞(き)の国に、もし天が落ちてきて地が崩れたら、
身の置き所がなくなってしまうと心配して、
夜も眠れず、食事もできなくなってしまった者がいた。

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(解説)

戦国時代の鄭(てい)の人である列禦寇(れつぎょこう)は、
道家の思想家として、列子(れっし)の名で知られています。

春秋戦国時代の著名な人物の多くは、
司馬遷の『史記』等によって伝えられていますが、
列禦寇は列伝を立てられておらず、その事績を知ることができません。

列禦寇の著作とされる『列子』から、
その人となりは恬淡(てんたん)としており、乱世に巻き込まれることなく、
鄭の国に四十年間隠棲していたことが分かりますが、(※1)
実在の人物ではなかったとする意見もあり、
その実像は定かではありません。

『列子』という書の基本的な体裁は、
前漢の時代には整っていたと考えられます。(※2)
しかし、現在に伝わる『列子』に記されている内容のなかには、
戦国時代の思想ではなく、
漢から魏晋時代にかけての思想も幅広く含まれており、
成立の過程についても諸説紛々(ふんぷん)としています。

事ほど左様に、模糊(もこ)たるベールに包まれてはおりますが、
『列子』は同じく道家の必読の書である『荘子』と並び、
寓言(ぐうげん)に富んだ書として知られています。

そのなかの一節に、周の時代、
杞(き:現在の河南省杞県)という国の説話が記されています。

杞は小国ではありますが、古い家系の格式ある国でした。
というのも、周の武王が殷(いん)を滅ぼしたときに、
かつての夏(か)王朝の聖王・禹(う)の子孫である東楼公(とうろうこう)を
君主として封(ほう)じ、禹の祭事を継承させた
という来歴を持っていたのです。(※3)

その由緒ある杞の国で、ある者が、
「もし天が落ちてきて地が崩れてしまったら、身の置き所がなくなってしまうだろう」 
と憂えて不安になり、夜も眠れず、食事も満足にとれなくなってしまいました。

その人があまりに心配するのを見た別の人が出向いてゆき、言い聞かせました。
「天は「気」が積み重なってできたもので、至る所に存在しているものだ。
人が体を曲げたり伸ばしたり、呼吸をしたりするのは、
一日中、天のなかで行っているようなものなのだから、
どうしてその天が落ちてくるなどと心配する必要があろうか」

不安がっていた者は、それでも心配がおさまらず、立て続けに質問し、
諭す者もまた、一つずつ言い聞かせてゆきます。曰く、

「太陽や月や星が落ちてくることはないだろうか?」
「太陽も月も星も「気」の中の輝きを放っているものに過ぎないのだから、
もし落ちてきても、あたって怪我をするようなものではない」
「では大地が崩れてしまったら、どうしたらよいだろうか?」
「大地は土の塊にすぎず、至る所に満ちあふれている。
歩いたり踏みつけたりしているのは、
一日中、大地の上でやっていることなのだから、
どうして心配する必要などあるだろうか」

かくて、不安がっていた者は大いに安心し、諭した者も喜んだといいます。
杞の国の人が天が落ちてくるのでは憂えて心配した、というこの説話から、
後世、無用の心配をすることを「杞憂(きゆう)」、
あるいは「杞人の憂い」「杞人天を憂う」などと言うようになりました。

現代人の科学についての知識や論理(ロジック)から考えれば、
諭す者の論拠も矛盾に満ちておりますが、
実は『列子』でもこの問答のあとに、話はさらに続いてゆきます。

この話を聞いた長廬子(ちょうろし)という人物は、
虹や雲や霧、春夏秋冬の季節は「気」の積み重なったものであり、
山や川や海は「塊」が積み重なったものであると延べ、
「天地が崩れるのではないかと心配するのは取り越し苦労ではあるが、
崩れないとも断言することも正しいことではない。
もし天地が崩れる時に遭遇してしまったら、どうして憂えずにいられようか」
と言いました。

そしてさらに続けて、列子はこう述べます。
「天地が崩壊するというのも、崩壊しないというのも間違っている。
生きている間は死後のことは分からないし、
死んでしまったら生きている者のことは分からない。
考えても分からぬことで悩むのは無駄なことだ」

当時としての科学的な議論から、修養のあり方へと
問題がすり替わっているようではありますが、
疑問と回答が入れ子構造のように
知識の枠組みを広げてゆく構成は興味深いものです。

天が崩落せず、地が陥没しない理由については、
恵施(けいし)と黄繚(こうりょう)という人物が問答を交わしたことが
『荘子』にも見えており、人々の議論の対象であったことが伺われます。(※4)

どの時代に生きる人も、多かれ少なかれ
それぞれの時代の常識に束縛され、その枠内で生きるしかありません。
自分の生きる時代のパラダイム(その時代に共通の思考の枠組み)が
どのようなものであるのかを自覚し、
その有効性と限界をふまえた思考をすることは難しいことです。

時代の常識から落伍して嘲笑される者もいれば、
常識を超越してしまい不幸になった者も数多くいたことでしょう。

考えても分からないことをなお考えて進もうとするのか、
それとも泰然たる気持ちでありのままを受け入れるのか。
真理への志向と平穏な処世のせめぎ合いについて、
杞憂の故事は、存外深い問いを投げかけているのかも知れません。

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(※1)『列子』天瑞篇、『荘子』列禦寇篇等、参照。
(※2)『漢書』芸文志、参照。
(※3)『文献通考』巻二六二・封建考三、『左氏伝』襄二十九年等、参照。
(※4)『荘子』天下篇、参照。
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発行者だより φ(.. )

宇宙の果てはどうなっているの? ということに、
多くの人々が思いを巡らせてみたことがあると思います。
昔の人は、巨大な亀や柱が世界を支えている、と想像しました。
現在の私たちがそれを微笑ましく語るように、後世、
「21世紀の人は、宇宙の仕組みを知らなかったんだってね」
と笑われる時代が来ることでしょう。

それにしても、私たちの暮らす世界は
三次元空間だと教わったものですが、
最近の研究では、十次元をも越す次元が想定されているとか。
興味はありますが、もう私にはどうしたらよいものやら。

それでは、また☆(2008.6.30)

次回予告 「青天の霹靂(せいてんのへきれき)」

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