Dr.ピーブルズ
ほ:
今、わたしの手元に、『生命の目覚めるとき』(原題は、『TO DANCE WITH ANGELS』)という本があるのだけれど、今、この時期は、まさに、"魂の目覚 め"が促されている時期だと思うの。
ホワットンから紹介してもらったおかげで、わたしは、今回、はじめて、ドクターピーブルズという存在に出会って、久々に、感激しているの。
これまで、本棚の奥にひっそりしまわれていたのだけれど、いつだったか、本棚の入れ替えをしている時に、まだ1度も、読んだことのない本があると 思って、手前の方に出しておいたら、ホワットンが、ふっと手にして、読み始めていたでしょう。
わたしは、最初、パラパラッっと手にしてみた時、この本が、チャネリングについて書かれているとは、思わずに、そのままにしていたのだけれど。
ちょうど、よいタイミングに、この本が、わたしたちの目の前に浮上してきた感じもするのよ。
というのも、かつて地球で生きていたことのある存在が、向こうの領域に旅立ってから、ヴェールの彼方から通信をしてきているという点においては、こ れまでのスピリチュアリズムと同じような感じもするのだけれど、ドクターピーブルズも語っていたように、この本って、オールドの時代からニューエイジへ の橋渡しのような視点を持っているでしょう。
様々なる霊界の領域を超えたところからの通信って、なかなかおもしろかったわ。
ホ:
Dr.ピーブルズについては、ボクの*メルマガで、先月、取り上げたテーマなんだよね。
Dr.ピーブルズは、生前に、スピリチュアリズムを探求していた人で、著述家であり、講演者であり、医師だった。
死後、むこうの世界から、ボクたちに、メッセージを送ってきているんだ。
とっても含蓄の深いテーマをいろいろと扱っており、なかなか興味深かった。
まあ、ボクのメルマガは、オールドからニューエイジへの橋渡しでもあるので、ちょうど、Dr.ピーブルズの扱っているテーマと、ボクのテーマは、同じで もあったんだ。
ほ:
Dr.ピーブルズは、様々なる霊界の信念体系の領域をはるかに超えたところから通信してきているのが、なかなか魅力的でもあるわよね。
まさに、新しい時代の霊界通信という感じでもあって。
『生命の目覚めるとき』の本の中から、ほんの少し、ご紹介すると
(質問)「ところで、地球上の世界と霊界、つまり、スピリットの世界の分離は本当に存在するのですか? それとも、それは単に想像上の分離でなので しょうか?」
(Dr.ピーブルズ)「いい質問だ。想像上の分離で、実在のものではない。あなた方は認識、体験という物理的現象において、広大な多様性を知覚的に 認識している。しかし、違いを理解するよりも類似性を理解する方がずっと価値があるのだ。それゆえに、実際には霊界などというものは存在しない。す べては1つの宇宙、1つの世界で、その中に異なった領域があるだけだ。あなたがいるこの物質界に霊界が混ざり合って存在しているのだ。」『生命の目 覚めるとき』太陽出版 p55〜56
Dr.ピーブルズは、かつて地球上で2つの領域に橋がかけられていた時代があったということや、これから未来に向けて、再び、地球上と霊界に橋が かけられるであろうとも語っているのだけれど、まさに今、わたしたちの地球は、少しずつ、2つの領域での交流が盛んになるということでもあるのよね。
これらは、いわゆる様々なるニューエイジ的なチャネリングメッセージでもしばしば言及されてもいるわけだけれど、今後、ますます、多くの機会に、す でに地上を去った人々からの通信が頻繁になされるということでもあって。
こちらから、ヴェールの彼方の領域については、まったく???なのに、向こうからこちらは丸見えというアンバランスな状態は(笑)、そろそろ終焉に近 づきはじめているというのは、なかなかエキサイティングなことでもあるわよね。
ホ:
「物質界に霊界が混ざり合って存在している」なんて、ちょっと面白い表現だよね。
同一空間内に異次元が混在しているようでもあり、また、意識の程度の違いによって、まだら状に分布しているようでもあり、また、ボクたちの内面の中 へ奥深く入って行くと、どこまでも進んで行けて、ついには、ソースに到達しているようでもあり、本当に興味がつきないよ!
分離からの目覚め・大いなる源(ソース)意識
ほ:
ニューエイジの時代とは、わたしたち1人1人が、自己の意識、魂の意識に目覚める時代でもあって、それはまた、大いなるものからの分離という錯覚 からの目覚めでもあるのよね。
多くの人々の心の奥深〜くには、何でも可能で、イメージしたことが瞬時に実現するというスピリットの領域から、地上に生まれたとたんに、あまりにも 密度の重たい地球というこの領域に、あたかも突き落とされてしまったかのような悲しみを感じることがあるのではないかしら?
地球上における多くの人々の心の痛みって、まさに、地球が重たい密度を持ち、あまりにも物資的な視点にのみ極化していることへのアンバランスで もあるのではないかもと感じることがあるの。
わたしたちが、大いなる源(ソース)とつながっていると気づくことこそが、様々なる心の不調和を超えるためのヒントになるように思うのだけれど。
ホ:
小さな自我の立場から見れば、大いなるソースは、外部にあるように感じられるだろう。
自我という小さな一点から出発して外を眺めれば、すべてのものの外面しか観察できないわけで、なにかしら、はがゆいじれったい接近法なんだよね 。
外側をぐるりとまわっても、家の中へは入れないようなもので、ほんの表面的知識しか得られないわけだよね。
外にあるものは、自分の力では、動かすことも、どうすることもできないという諦めの気持ちになってしまいやすいこともあるかもしれない。
だからこそ、運命は自己の努力によっては変えられないという思いも生じやすいのだろう。
ほ:
これまでの時代は、多くの場合、困難さをかかえた人々に対して、哀れみの感覚で接することが多かったのでは、ないかとも思うの。
それに対して、新しい時代のアプローチでは、すべての現実には、何らかの意味があるのだから、その何かに気づくことこそが重要であるという考え 方があって。
"犠牲者になってしまう"というあり方から卒業するための様々なるものの見方や感じ方、考え方のヒントを与えようとしてくれているのが、ニューエイジ 的な発想のようにも思うの。
幼い頃、わたしは、身近な人の中に、しばしばネガティブな状態に陥って、どうどうめぐりになってしまっているケースに遭遇するたびごとに、こんなこ とを感じていたの。
家族の中で、誰かがあまりにもネガティブになってしまっているからといって、その周囲の人々までもが、一緒に、そのネガティビティーの嵐に巻き込 まれてしまうのは、あまりにも悲しいことだな〜って。
しばしば、セッションをしていると、母親などが、子どもたちに、強烈なるネガティブな思いを投影するというケースに出会うことが多々あるのだけれど、 わたしは、幼い頃から、誰かの犠牲になってしまうことって、やっぱりおかしいと、いつもそんな風に感じていたの。
人間の体験をしている最中には、時には奈落の底にまで落ち込むことがあることもあるだろうし、時には怒ったり爆発したり、感情をあらわにすることも あるとは思うのだけれど、ある程度、それらを体験しおえたら、今度は、ちょっと冷静になって、謙虚に反省をしてみたり、また、世界で唯一の悲劇のヒロイ ンという哀れな犠牲者という配役から、自らを救出することが大切なこともあるでしょう?
周囲の何かや、周囲の誰かにも問題は、あるかもしれないとしても、ではまったく本人に問題がないとは言えないわけで、大いなる気づきのためには 、思考を拡大させてみることも大切で。
これまでの地球では、あまりにも当然のごとくに、正しいか間違っているかとか、善か悪かのような2極性的なものの見方があったでしょう。
心のアンバランスをかかえてしまっている多くの方々のケースに遭遇すると、最初は、周囲の誰かや何かという仮想敵のようなものを想定して怒って いたりもするのだけれど、ある時点で、自分には、勝ち目がないとわかりはじめると、今度は、急にエネルギーがトーンダウンして、いかに自分は、力がな い状態であるかを憂いはじめたりすることもあって。
まさにそれは、自らのパワーを明け渡してしまって、弱者という立場にしがみついてしまったりすることでもあるわけで。
人生には、様々なる失敗や、問題や、難問が山積みでもあるわけだけれど、壁にぶつかった際に、困難さ、心のアンバランスさのすべての原因を自 分以外の何かや誰かに転嫁してしまおうとそう決めたその瞬間から、圧倒的な無価値感へと落ち入りはじめてしまうケースが思いのほか多いようにも思う の。
自分自身の人生の様々な道のりにおいて、責任を持つということは、ある意味では、とっても大変なことでもあるけれども、21世紀の新しい時代を心 からの喜びと共に生きるためには、やっぱり犠牲者の役割に埋没してしまっては、せっかくのチャンスをみすみす逃してしまうことにもなってしまうのでは ないかしら?
せっかく地球のエネルギーが上昇し、様々なる気づきがこれまで以上に早まりつつある今では、しばし立ち止って、今、起きていることの本当の意味 、スピリチュアルな意味は、いったい何なの?とそう自らに、問いかけてみることが、とってもとっても大切なる時代に入り始めてもいるわよね。
ホ:
☆「You create your own reality.」(自分のリアリティーは、自分で創造する)☆という言葉があるけれど、これはとっても新しい発想法であって、この発想 法を本当に理解することが大切だと思う。
実際には、深いところまで、理解はできていないかもしれないよね。
ほ:
こうしたことって、頭で理解するのではなくて、実際に体験として、わかるという感覚かもしれないわね。
ある意味では、わたしたちのすべての日常生活の一こま一こまが、自らの創造だと言われると、時には、ちょっと参ったな〜って、思ってしまうことさえ あるかもしれないけれど‥‥
ホ:
本当は、クリエイションしないということなどはあり得ないんだ。
そして、宇宙さえもが、意識から創られているというのだから、これってすごいことでもあるよね。
宇宙は、意識で出来ており、物質的世界は、実は、一種の幻想のようなものなんだよね!
意識が変われば物質世界も変わる。
そういう仕組みになっているんだよね。
そのことを本当に納得できたら、新しい人間として生まれ変わったほどの大変化を体験できるだろう!
自分の外に広がる世界は、実は、この自分が作り出しているものなんだ。
ただし、ボクたち人間たちは、お互いにテレパシーによって、共通の思念を共有しているところもある。
その部分については、共通の世界を創り上げているわけだ。
そして、また、各人各様の視点から、別々の異なる世界を創り上げているんだよね。
そういう異なる世界が重なり合って、お互いにパラレルワールドになっているのではないだろうか?
ほ:
今の時代は、とってもエキサイティングな時代でもあるのだけれども、時には、すべての人々と同じリアリティーを共有することがむずかしいこともあっ て、ちょっとしたジレンマを感じることもあるようにも思うの。
古い価値観の時代から新しいあり方の時代へと世界中の人々の意識が変化変容しつつある今のような時代は、様々な人々の意識が重なり合うことも あれば、時には、それぞれがあまりも異なる意識の振動数を持っているために、リアリティーの共有ができないこともあったりして。
また、同じわたしたち自身であっても、日によって、また、時間や、疲れ具合や、気分によって、振動数が低調なこともあれば、まさに次元上昇中とい う醍醐味を満喫しているような高次の振動数を体験中のこともあるでしょう?
プレアデス流に眺めるならば、わたしたちが遭遇している大変革期のこの時代は、多くの人々が、意識のジェットコースターに乗っているようなものだ ということにもなるのだけれど、今、まさに、わたしたち自身、そして、地球全体の集合意識までもが、変化し、変容している最中なのよね。
お水が温められてお湯になるのが変化だとすると、変化の場合は、しばらくすると、またお湯が冷めて、お水の状態に戻ってしまうとすると、変容とは 、蛹が蝶になるように、まったく別のあり方へと、跳躍することでもあるわけよね。
忘却・覚醒
ホ:
ところで、大いなる源(ソース)を発見するには、どうしたらよいのだろうか?
ほ:
わたしたちは、夜、寝ている間の良質な睡眠をとっている間は、ソースとアクセス良好だとも言えるわよね。
また、心が研ぎ澄まされてピュアな状態の時も、ソースとつながりやすいと思うの。
お散歩や、何かに集中したり、没頭したり、三昧状態の時や、瞑想の最中も、ソースとアクセスしやす状態とも言えると思うわ。
右脳が開花していて、左脳のおしゃべりが休止モードであるということも重要なるポントかもしれないわよね。
できれば、ソースと時々、回線良好になるというのではなくて、やっぱり、いついかなる時にでも、ソースと常時接続状態を維持することができるところ に到達したいものだわね。
また別の見方からすれば、わたしたちは、大いなる源(ソース)から切り離されたことなどないとも言えるわけだから、そのことに目覚めることこそが、ソー スの意識と再びつながるということでもあるのよね。(笑)
様々なことを忘れてしまうという地球における忘却ゲームは、もう終わりにしたいな〜というのが正直なるところでもあるわ!!!
ホ:
ボクなんかは、忘却と覚醒を交互に楽しんでいるのかもしれない。
ある時は(プライベートな生活においては)、すっかりソースから切り離されて、小さなエゴの立場からわがままいっぱいを実行し、他人の迷惑などあまり 気にしなかったりする。
ある時は、ソースの意識が充満して、とっても大きな大らかな気持ちを満喫することもある。
これって、まさしくジェットコースターに乗ったようなスリルがあって、感情のアップダウンを馬鹿正直に味わっているわけだよね。
宇宙的視点から見ると、ソースを忘却してしまうのは、宇宙にとっては、積極的な冒険だったんだよね。
つまり、魂の成長のためには、忘却というまったく新しい状態を体験してみる必要があった。
白紙になって、試行錯誤するという冒険が必要だったのだろう。
そして、忘却の中で、新たな目覚めという体験を今、ボクたちは、やっているんだよね。
参照*Dr.ピーブルズ☆パースペクトラムな発想☆アーカイブ