考える村 明るい貧乏人のすすめ!  RSSを登録する

私は定年後の生きがいを求めて、いろんなことにチャレンジしています。そのチャレンジは失敗続きです。しかし、チャレンジ精神は衰えることなく益々意気軒昂になっていくばかりです。これからも明るい貧乏人を目指して私の挑戦を紹介していきます。

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2009/07/10

【わが青春の長瀬!】

大学の一年頃から四年まで、ボクは大阪府布施市
(現在東大阪市)長瀬に下宿していた。


卒業して40数年超えた。
ボクは車の中の、ラジオで加藤登紀子の
「時には 昔の話を」がかかったいた。

♪ 「お金は無くても なんとか生きていた

  貧しさが明日を運んだ 小さな下宿に

  いく人も押しかけ 朝まで騒いで眠った

  嵐のように毎日が 燃えていた」♪



この歌声を聞くと、無性に長瀬の下宿を訪ねて見たくなった。
下宿屋のおばちゃんに電話したら、85歳、ご健在であった。


当時の下宿人、8人に連絡したら、全員、佐賀・静岡・奈良
高松・姫路から下宿のおばちゃんの家に駆けつけた。
40年ぶり懐かしい顔、すぐ20歳当時の青春下宿人になった。


ボクたちの下宿は、大学の校門前にあり、歩いて十歩も
すると大学に行けた。


しかし大学には行かなかった。
反対方向の喫茶店かパチンコ、土方のアルバイトや
安保反対運動に出かけた。


下宿代は千五百円・部屋は四畳半・裸電球・共同トイレ
洗濯場は、無論洗濯機などはなく、ギザギザのついた洗濯板が
一枚置いてあるだけであった。


金が無く、食べるものがない時は、田舎から米を送って
きたやつの部屋に行き、キャベツ一個に塩をかけて皆で食べた。


ある時蛙を唐揚げにしたら旨いという奴がいて、皆で田んぼに
蛙を取りに行き、唐揚げにして食べた。



下宿人の集いは、長瀬の居酒屋で、おばちゃんの娘さんも
京都から駆けつけ、話に華が咲き、あのころ下宿で酒を
酌み交わし歌った一節太郎の「浪曲子守り唄」を皆で歌った。


♪逃げた女房にゃ未練はないが♪
何回も肩を組み繰り返し歌った。青春がよみがえり皆涙がこぼれた。


おばちゃんが元気な内に、また再会を約束して別れた。



   (考える村 村長 玉井 恭介)





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  ●発行者     考える村 村長 玉井 恭介
 ●Webサイト   http://ameblo.jp/kangaerumura/
  ●お問合せ    info@aidenet.co.jp
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