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クラシック作曲家、音楽家に関する豆知識やその生涯を紹介します。クラシック初心者さん向けです。

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2009/03/09

リストってどこの国の人?

こんにちは^^


友人の入っている学内オーケストラのコンサートに行ってきました。


やっぱりクラシックっていいですね^^


ブログ
『クラシック60%、音楽レビューが20%、私が20%』もよろしくお願いします。
http://ameblo.jp/ongakuclassic/

  3月9日号
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リストってどこの国の人?
編集後記


□リストって何人?□


恋多き天才、リスト。


数多くの恋をし、そして恋に破れる人生でした。


特に有名なのがマリー・ダグー伯爵夫人との恋愛でした。


マリー・ダグー伯爵夫人とリストはスイスへ逃避行して生活していました。


で、ところでリストって何人?と私は思いました。


リストは生まれはオーストリア帝国領内ハンガリー王国の出身です。


母はオーストリア人、父はオーストリア系ハンガリー人でした。


つまり半分はオーストリアの血、半分はハンガリーの血が入っているのです。


彼は自身をハンガリー人と認識していたようです。


ただし現代のハンガリーとは訳が違います。


一番の特徴が言語です。


現在リストが住んでいた場所はオーストリア共和国内です。


まして当時は多民族国家、母はオーストリア人です。


リストはハンガリーの言語であるハンガリー語を話せませんでした。


11歳まではハンガリーに住んでいたものの生涯のうちほとんどを占めるのがドイツ語を使う地域でした。


ではどうしてハンガリー人だと思ったのか。


その背景には父アーダムの影響があったといわれています。


アーダムはアイゼンシュタットというハンガリー語を話す地域で生涯の多くを過ごしました。


家の経済状況が悪くなかったころにはチェリストとしても活躍。


当時のハンガリーはハンガリー王国というひとつの国でした。


しかし神聖ローマ帝国の崩壊と共にハンガリー王国はオーストリア帝国領内の国となります。


少なからずアーダムはその状況を懸念していたのでしょう。


そしてリスト37歳の冬、ハンガリーで独立運動が起こります。


リストは当時ワイマールにいましたが革命に思うところがあったのでしょう。


自分のアイデンティティを主張するようにハンガリー狂詩曲第15番までを1853年までに作曲しています。


ハンガリー人でありながらハンガリー語が話せない。


この事実は生涯リストを苦しめたといわれています。


そんな中で言葉を越えた音楽作りを繰り返したリストは現在、ハンガリーの名誉ある音楽家として扱われています。


一時は急進的な愛国心と考えられていましたがリストの持っていたものは祖国愛であり国歌愛とはまた別のものだったと私は考えています。


□編集後記□

来週からはシューマン!!

ブログと連動しようかなと思います^^

こまつ


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