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クラシック作曲家、音楽家に関する豆知識やその生涯を紹介します。クラシック初心者さん向けです。

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2009/02/09

恋多き天才 フランツ・リスト

こんにちは^^


うぬ〜寒いですね。(またそれか)


色々悩んだんですが、これから5回、リスト特集にしようと思います。


ブログ
『クラシックにようこそ^^』もよろしくお願いします。
http://ameblo.jp/ongakuclassic/

  2月9日号
■今日のメニュー■
恋多き天才・リストの人生
編集後記


□恋多き天才・リストの人生□


ピアノの魔術師、フランツ・リスト。


彼は1811年にオーストリア帝国領内のハンガリー王国に生まれました。


ハンガリー生まれですがゲルマン系の血を引いており、ドイツ人のヴァイオリニストなどが親戚にいるのが特徴です。


リストは幼少時からとんでもない音楽の才能を持っていました。


父親がある程度資産を持っており、リストに十分な音楽環境を提供することができたのも大きいと思います。


その後、リスト11歳のときに音楽の都、ウィーンに移住。


ピアノ教師のカール・ツェルニ−(ピアノの練習曲を多数作曲)や室内楽で名を馳せていたアントニオ・サリエリに師事します。


さらにときは経ち、リストはパリ音楽院に入学することを希望します。


パリ音楽院はその当時最高の音楽教育を行なっており、ラヴェルやビゼー、サン=サーンスなどを輩出したことでも知られる学校です。


ですがリストは国籍がオーストリアだったために入学を拒否されます。


その後、様々なピアノ教師に指示しながら作曲を学んでいったリスト。


僅か15歳にして父親を亡くしたためにピアノ教師を始め、家計を支える立場となりました。


この頃からリストには矛盾が共存します。


子どものように笑うかと思えば急に大人びた態度を見せてみたりと一口では理解できない性格の持ち主となるのです。


大人になったリストはピアニストとして活躍しながら甘いマスクで数々の女性と恋に落ちました。


恋の話はまた来週しますね。


1848年にはワイマールの宮廷楽長を務め、その後をワイマールで過ごすことになります。


ですが僅か13年後の1861年にはローマに移住、作風はキリスト教の世界を描くようになりました。


精神的に大人の部分と子どもの部分の両方を持ち合わせていたリスト。


晩年には慢性気管支炎などの身体的な病気だけではなくうつ病にも悩まされています。


天才は孤独ですね。


1886年、ピアノの魔術師は心筋梗塞で亡くなります。


今日は簡単にリストの人生を追ってみました。


次回は、リストの恋のお話をしたいと思います。



□編集後記□


いつでもメール待ってます^^


聞きたいことがあれば遠慮なくなんでも聞いてください〜!!


もうすぐ春が来ますね。


今年の春もやりたいことがいっぱいです☆


それでは^^ノシ


こまつ


puu02240403@yahoo.co.jp
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