2009/10/22
具体的に学ぶ仏教実践講座【2009/10/22 vol.82】
★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★ 「具体的に学ぶ仏教実践講座~現代社会の善行・悪行とは~」 (2009/10/22 vol.82) 現代、よく分からなくなってきた「善悪観」について、 一緒に頭悩ませましょう。。(っ´・∀・)っ ★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★ ☆小雨の運営ブログ『雑事妄言』 → http://zatuji.blog86.fc2.com/☆ <最初にちょっと一言> 最近、「かぶく者」にはまってしまった小雨です。 一巻から巻を進むことに絵の質(雰囲気?)と主人公の性格が深化している気がする小雨です。 歌舞伎も興味あるのですが、皆さんは見たことあるのでしょうかねぇ。 そんなことに思いを馳せながら、芸術の秋が深まる今日この頃。 ------------------------------------- < 雨にも耀く、星空を求めて > by 木曜担当 : 小雨 ------------------------------------- 本日は「知性の破壊性」 ------------------------------------- 他の動物と区別して、人間に与えられた厄介なものとして知性があるのだと思うのです。 そして、この知性が司る根源とは「破壊」であると考えるのです。 簡単な話です。新たな生成の無限の可能性を開拓するためには、生成に破壊をぶつけるしかないのです。 自然とは完璧な機能美であり、正確無比に定められた動きを-運命を-無駄なく刻んでいくのです。 しかし、その流れには決められた生成はあっても、新たな生成はない。ここを担うのが破壊者なわけです。 いや、正直言って、そんな衝動はいらないとも言えます。反自然的だともいます。 しかし、その衝動も、自然の意図から人間に与えられたものなのです。 ちょっとグノーシス的ですが、可能性と新たなる誕生を予期した知性の当然の姿なのです。 (利他的とさえ言える) だから、反道徳的な、インモラリストに憧れてしまうのはある意味当然で、 それは、希少性からの羨望ではなく、意味もなく現状を壊してみたい衝動なのかも知れません。 確かに余分かも知れません。いや余分です。 だから、その知性を抑えようとする本能の自覚もある。 それぞ道徳というものか。仏教の「知足」の倫理もここをついたものでしょう。 (知足とはむしろ自然本能的な部類に属する) …ただ、人間に与えられたこの知性を飼い殺しても勿体ない。気がする。 われわれは自然の意図通り、ただ知性という破壊に偏重するのでもなく、 本能という知足に偏重するのでもなく、その二つの人間性(二つあるから人間性)を往来しながら、 成長するべし…というのが弁証法と言うところなのですかねぇ。 ←私は、「成長」というより、ただ生きるべし、という感じですが。 つまり、直線的ではなく、円環的に自然に任せるのです。 。・★。・。・★。 編 集 後 記 。・★。・。・★。 本能とは無駄のない動きであり、「貪」というものとは違うと思います。 人間は、その本能が欠損し、いや、欠損しているからこそ知性という武器を手に入れた、 …のかなぁ、と思うのです。 それが幸か不幸かは、要検討でしょうが。 ┌──┐ │\/│ └──┘ written by...小雨 ---------------------------------------------------------------------- 具体的に学ぶ仏教実践講座~現代社会の善行悪行とは~ 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000280376.html ★生きる意味・善悪について知るきっかけはこちらから★ http://novel.fc2.com/novel.php?mode=tc&nid=29984 ----------------------------------------------------------------------


