2009/10/15
具体的に学ぶ仏教実践講座【2009/10/15 vol.80】
★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★ 「具体的に学ぶ仏教実践講座~現代社会の善行・悪行とは~」 (2009/10/15 vol.80) 現代、よく分からなくなってきた「善悪観」について、 一緒に頭悩ませましょう。。(っ´・∀・)っ ★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★ ☆小雨の運営ブログ『雑事妄言』 → http://zatuji.blog86.fc2.com/☆ <最初にちょっと一言> 最近、体調が悪い小雨です。。。ふが。 季節の変わり目、皆さんもどうぞ体調だけはお気をつけて下さい。 インフルエンザの脅威はまだ続きそうですね…。。。 ------------------------------------- < 雨にも耀く、星空を求めて > by 木曜担当 : 小雨 ------------------------------------- 本日は「不可解」 ------------------------------------- 相手の考え・行動が理解できない、そんな不満を良く聞くし、良く漏らすと思います。 私達は、相手のやっている行動が不快なのではなくて、どちらかというと、 相手のやっている行動が自分の規範にあっていない、理解を超えているから不快だ、 というのが本音ではないかと思うのです。 何が人をそのような行動にさせているのか…これが少しでも分かれば、我慢できるものを……。。という気持ち。 で、私が思うのはですねぇ、相手の考え、自分とは違う考えが存在する理由は、 それが存在していることが以外にないと思うのです。 いや、逆に言えば、存在してしまっているのならば、それだけで十全な理由なのです。それしかない。 それがたとえ、非合理的だとしてもです。 いや、世の中に非合理的なものなどない、というか、非合理的なものしかない、 …とも言えるのですが…その辺はおいておいて。 だから、相手への反論も、相手への理解も、 さして興味がなくなる…というのが新たな問題として出てきそうですが(現に私に。。)。 ただ、相手に積極的な解釈を施さないことが、相手の存在を殺してしまわない、 (←解釈を施すこと自体が、自分を安心させるために、自分の世界に引き込む行為の一端であるから) はなむけであると思います。 で、相手の存在を解釈しないことが、相手が意味もなく存在することになり、 そこに、存在するだけで、十全な意味を見出す、、これが慈悲であると思うのです。 解釈しないだけではなく、存在していることただそれに意味を見出す積極的な行為に、 慈悲という名称が与えられるのです。 そして、自己への慈悲として、自分の考えが理解されることを拒否する。 世の中に不可解なことは多いですが、不快なことはない、と言いたいものです。 。・★。・。・★。 編 集 後 記 。・★。・。・★。 理性を裏切るパラドックス、自己矛盾を超えたものに備わるのが「笑い」。 なのだと思うのです。 ┌──┐ │\/│ └──┘ written by...小雨 ---------------------------------------------------------------------- 具体的に学ぶ仏教実践講座~現代社会の善行悪行とは~ 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000280376.html ★生きる意味・善悪について知るきっかけはこちらから★ http://novel.fc2.com/novel.php?mode=tc&nid=29984 ----------------------------------------------------------------------


