2009/10/01
具体的に学ぶ仏教実践講座【2009/10/01 vol.76】
★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★ 「具体的に学ぶ仏教実践講座~現代社会の善行・悪行とは~」 (2009/10/01 vol.76) 現代、よく分からなくなってきた「善悪観」について、 一緒に頭悩ませましょう。。(っ´・∀・)っ ★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★ ☆小雨の運営ブログ『雑事妄言』 → http://zatuji.blog86.fc2.com/☆ <最初にちょっと一言> 読書の秋到来!ってなことで、ブログにもオススメ本を載せましたが、 皆さんは、どのような本がオススメでしょうか('_')?? 書評を見るのが好きな小雨です。 書評ブログでかなり丁寧に(分量多く)記事を載せているのは、 紀伊國屋書店のブログでしょうかねぇ。 ------------------------------------- < 雨にも耀く、星空を求めて > by 木曜担当 : 小雨 ------------------------------------- 本日は「無分別と矛盾」 ------------------------------------- “自分”というものはとてもあやふやなもの。仏教で言う無我とかその辺の話は取り敢えずおいておきます。 自分というのは、それと敵対する、すなわち違う思考や目的を持った他者との「境界」というのは、 驚くほど曖昧で、だからこそ、自分であり得る。 それは、自分というものが分かる、自分の考えを持っている、そして成長させていくことが出来る人というのは、 自分と敵対する他者の感覚と自由に行き来できる人なのではと思うのです。 そう、驚くほど自己とは違う人間と考えの境界線が曖昧になるほどに、 そこで、両者を俯瞰できる人間こそ自分というものがあるのです。 あくまで、“行き来”であり、他者から帰ってこられなくなってしまうのでは、そこには自己はないのです。 逆も然り。 自己の確証のためにはじまった他者捜しも、 やがて、自他の矛盾や混沌を受け入れながら(矛盾する自他を行き来しながら)、 どちらも自己の内に保存していくのです。 結局、端的な(かつ一人称的な)自己など存在せず、 自己とは対極に位置する他者との矛盾を包括できる“円”だけが確かな自分なのです。 (しかし、それを対象化、現してはいけない) だからこそ、ついつい敵に塩を送ってしまうのです。 本当の無分別-利他-とは、自他同一ではなく、自他矛盾を演じる「舞台」を壊さないことだと思うのです。 (自他を単一化することには意味を感じない)。 自分は「どちら」側の人間になっても、考えになっても、 それは「自分」にとってさしたる問題ではないのです。 (逆の選択肢は、捨てられずに、結局、自分とは矛盾しながら自分に存在しているから) 。・★。・。・★。 編 集 後 記 。・★。・。・★。 「敵に塩を送る」という利他の形と、 「汝の敵を愛せよ」という利他の形は根本的に何か違うのでは、などと思っているのですのが…。 ┌──┐ │\/│ └──┘ written by...小雨 ---------------------------------------------------------------------- 具体的に学ぶ仏教実践講座~現代社会の善行悪行とは~ 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000280376.html ★生きる意味・善悪について知るきっかけはこちらから★ http://novel.fc2.com/novel.php?mode=tc&nid=29984 ----------------------------------------------------------------------


