2009/09/24
具体的に学ぶ仏教実践講座【2009/09/24 vol.74】
★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★ 「具体的に学ぶ仏教実践講座~現代社会の善行・悪行とは~」 (2009/09/24 vol.74) 現代、よく分からなくなってきた「善悪観」について、 一緒に頭悩ませましょう。。(っ´・∀・)っ ★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★ ☆小雨の運営ブログ『雑事妄言』 → http://zatuji.blog86.fc2.com/☆ <最初にちょっと一言> 幻覚にうなされるレベルの高熱におそわれました(´`) 体調管理と予防接種に心がけながら……生きていきます。。 今は、一応回復しています! ------------------------------------- < 雨にも耀く、星空を求めて > by 木曜担当 : 小雨 ------------------------------------- 本日は「利他-ただ独り歩め」 ------------------------------------- 致死率の高い感染症に10人がかかったとして、それを直す特効薬が1人分しかない。 このような場合に、どのように特効薬を配分する方法を決めたらいいのか、 何て言う倫理学的な問題があるわけです。 で、10人のプレイヤー外から誰に配分するかを決めるような上位の立場からの視点ではなく、 純粋にこの10人の中の一人が自分だったとして、どのような行動をとるのか、 その道徳的な観点…いや、心理的な観点というものをちょっと考えてみたいと思います。 この場合、よく人間は究極的に利己的であって、他の人間を殺してでも、 薬を手にしてしまうだろう…ということが常識としてあり得る考えだと思います。 しかし、この「道徳的社会」において、自分一人だけが不当な手段で薬を手に入れ、 生き残っていくというのは、相当な覚悟が必要です。 そう、「なんでお前が生き残ったんだ!」という批難を受けてでも、 何があっても生き残っていく強さが必要なのです。 正確には、おそらく利己一辺倒な人がなんだか嫌われるような社会に限らず、 自分が他の人を押しのけて生き残るということは、「本当にそれに値する価値があるのか?」 と問われずにはおれないでしょう。 ↑ 利己的な社会(や功利主義)だらこそ、問われる、とも言える。 さて。どうでしょうか。正直言って、 そのように自分の意義が常に問われてしまう生き方を選択しなければならないのならば、 利他精神で薬を誰かに譲ってしまった方が、楽だ…なんて思わないでしょうか。 ニーチェは、忍耐の利他精神を、自分を与えること → それは、自分を失うことだ、 と言っています。 他人のために自分を使う-他人のために自分を失う-ことは、自分の存在意義を問わない、 生の肯定が問われない、ある意味では防御壁として利用することも可能なわけです。 (生きる意味への問いを相手に丸投げできる) しかし、進んで自分を失うことは、進んでニヒリズムを肯定することでもあり、 やはりどこか空しい。 ただ、利他と言うことが必ずしも自分を失うことか、といえば、それは違う気がしますが。 何にせよ、利他というものは、ニヒリズムに転嫁された利他、という形態もありうるわけです。 。・★。・。・★。 編 集 後 記 。・★。・。・★。 これ以外にも、上記の問題は様々な思考実験があります。 倫理学でも、やはり根本的な問題を扱ったものは面白く、そして深刻ですね。 ┌──┐ │\/│ └──┘ written by...小雨 ---------------------------------------------------------------------- 具体的に学ぶ仏教実践講座~現代社会の善行悪行とは~ 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000280376.html ★生きる意味・善悪について知るきっかけはこちらから★ http://novel.fc2.com/novel.php?mode=tc&nid=29984 ----------------------------------------------------------------------


