2009/09/10
具体的に学ぶ仏教実践講座【2009/09/10 vol.71】
★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★ 「具体的に学ぶ仏教実践講座~現代社会の善行・悪行とは~」 (2009/09/10 vol.71) 現代、よく分からなくなってきた「善悪観」について、 一緒に頭悩ませましょう。。(っ´・∀・)っ ★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★ ☆小雨の運営ブログ『雑事妄言』 → http://zatuji.blog86.fc2.com/☆ <最初にちょっと一言> ホッと珈琲ではなくて、Hot Coffeeです。いや、ホッとしますが。。。 …そんなことはさておき、最近、モーニングの「ラキア」が面白い小雨です。 いや、内容についての感想を書こうと思ったのですが、大分ネタバレしてしまいそうなので、 一言だけ。最初の「十」は使徒殲滅かと思った…。。。 ------------------------------------- < 雨にも耀く、星空を求めて > by 木曜担当 : 小雨 ------------------------------------- 本日は「道徳の普遍化」 ------------------------------------- 道徳律に従うとは、普遍化できるような行動をする、と言うことになるかと思います。 つまり、自分のやった行いが、相手が行っても許せる、 …というものでなければ道徳的ではない、ということですね(←カントなどを参照)。 しかし、そもそも、普遍化、という相手に気遣う発想自体が、 道徳由来の愛を自明の理としているのであり、 道徳的世界解釈の外にいる人間(←実はこれが一般人)にとっては、 そもそも普遍化をなぜしなくてはならない、と思うのです。 それは、さておき、実は、ここで逆転が起こるのです。 自己の行動が普遍的になるように意志する、というのは、 本来、その行動の点検だけが要求されるはずです。 しかし、自己の行動を普遍化しようとすることは、必然的に、他者に対して道徳を共有する、 つまり自己の道徳を選ぶことを要求する運動へと広がっていくことを意味するのです。 つまり、普遍化できているかどうか、と言うことは、 自己の行動が他者にとっても正しかったどうかであり、 他者を自分が正しかったと説得する必要が出てくるのです。 これは、道徳的世界解釈の内にいる人間だからこそ、普遍化できないことに良心の呵責を覚え、 人への道徳的働きかけを行ってしまうのです。 まぁ、勿論、本当の意味で道徳的な人なら、自己の振る舞いを点検し尽くすだけでしょうが、 そこまで人は強くない、というのが私の人間観。 そういった道徳的運動は、自己の世界に他者を引き込もうとする力です。ここに引き込まれると、 道徳的という他者にも分かる程度の浅薄な自己像しか意味を持たなくなるのです。 社会的にはそれも必要でしょうが、社会とかにかかわらず、 いのち自体には端的な肯定性しかない、ということを見失ってしまうのでは、 と思うのです(←社会的なものしか価値がない、という立場もあり得ますので、要議論ですが)。 。・★。・。・★。 編 集 後 記 。・★。・。・★。 いのちの端的な肯定性というのは、西谷啓治の言葉を借りてきていますが、 その根拠というのは浄土真宗由来なのかと思います、と実感。 非社会的な絶対平等思想というのは、実際の差別を隠蔽する、という批難がありますが、 それは「社会的な」批難であり、そもそも社会を超えたところで議論する人間とは交わりません。 というか、交わる必要がないのです。 宗教性と社会性の矛盾対立こそが人間性なのだと思うのです。 (宗教性だけでも、社会性だけも人生の問題は解決できない) ┌──┐ │\/│ └──┘ written by...小雨 ---------------------------------------------------------------------- 具体的に学ぶ仏教実践講座~現代社会の善行悪行とは~ 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000280376.html ★生きる意味・善悪について知るきっかけはこちらから★ http://novel.fc2.com/novel.php?mode=tc&nid=29984 ----------------------------------------------------------------------


