瀕死の大学 現役教授が語る偽らざる実態  RSSを登録する

日本の地方大学が世界水準に達するためには何が必要であるかを考えるため、ベヴァリッジの大学経営論から見た大学論について柏野健三がお伝えします。この大学論は、日本で学ぼうとする若き人々のためのものです。

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2009/11/07

大学人よ、強き磁石になれ(後編)

瀕死の大学 

★	 大学人よ、強き磁石になれ。

★	 魅力ある大学人は瀕死大学を救う。

★	「怠惰なスタッフ」を放逐せよ。

★	大学人は、アッパー・クラスの子弟も教育できなければならない。

★	男の成長を促進するのはエレガントな美人である。

今日は、柏野健三です。入学試験が開始されている大学もあると聞きます。

それにして、ホームページ上に志願者の情報が掲載されるにあたって鈍感な

大学もあるようです。瀕死大学では4日間も遅れて最新情報というものが掲

載されると聞いています。情報とは最新の注意で、最速に送らねば意味があ

りません。このことを忘れる大学スタッフが瀕死大学にはびこっているので

しょうか。心したいものです。

 最近、瀕死大学の経営者資格についても考えています。本論に入る前に、

小生の愛読している塩野七生の『ローマ人の物語』の一節をご紹介したいと

思います。

 イタリアの普通高校で使われている、歴史の教科書のなかでユリウス・カ

エサルについての記述がある。指導者としてすべての条件を備えている男で

ある。

「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐

久力。自己制御の能力。持続する意志。

カエサルだけが、このすべてを持っていた」(ユリウス・カエサル ルビコ

ン以前[上] 8)

「人は、仕事ができるだけでは、できる、と認めはしても、心酔まではしない。

言動が常に明快であるところが、信頼心をよび起こすのである。

スラッラの強みには、悪評に強いことも加わる。つまり、

世間の評判を気にしない男であったのだ。」(同書, 72-3) 

なぜ、私がエアラインのファースト・クラスのキャビン・クルーや5つ星ホ

テルのレセプショニストにこだわるのか。その理由は明快である。大学スタ

ッフもサービス業に従事しているのであるから、どのような客(親と保護者)

にも対応できなければならないからである。彼らや彼女の客筋を見ると、社

用族を除いて、自分の金でファースト・クラスに乗り、自分の金で5つ星ホ

テルに宿泊する「うるさい客」(実際は、穏やかだが、クルーやレセブショ

ニストに対する評価は手厳しい)を相手にしているからである。

 セレブの子弟は、幼少の頃から、茶の湯・絵画、音楽、観劇(能・歌舞伎・

狂言・オペラ等)に親しみ、自ら演じることもできる。大学人には、個別に

保護者との会席の機会もある。言ってみれば、大学人は、上流階級の子弟を

教育する機会もあることから、彼らの要望に十分応えるためには、自分の専

門領域について最高度の知見が

要求されるのと同時に、最高の文化人でもなければならないである。知識は、

本を読めば身に付くが、文化は、文化の

中に入り込まない限り、身につくことはない。


 そこで、特に男性スタッフに伝えたい。文化に精通したエレガントな女性

にで

きる限り接するよう努めることである。成功した男の傍らには、常にそのよ

うな女性が控えていたことは、歴史的にも証明されている。ベヴァリッジの

そばには、ダン・ガートナー夫人、ジェシイ・メア等がいたではないか。彼

は、彼女から社交におけるノウ・ハウを学んでいる。

そのためには、自費でできるかぎ

り、エレガントな女性が働く場を訪れ、彼女らを身近で見ることである。接

遇は、いかにすれば

相手を喜ばせることができるのか。その時の彼女の表情は、どのようなもの

か。一瞬のうちに読み取って欲しいものである。これらに精通することは、

保護者を先ず、安心させるであろう。保護者会で、重要なことは、出席した

保護者に[来てよかった]という満足感を与えて返すことである。ランチをい

くらふるまっても失望して帰らせたのでは何にもならない。したがって、怠

惰な教員を、絶対にそのような場に出させてはならないのである。顔は、雄

弁に物語るからである。大学のパンフレットを見ると、よくもこんなに悪辣

な顔をした教員の写真が掲載されているものかと驚くことがある。それだけ

で、大学の瀕死化は促進されるであろう。眼を見ると、いかにも戦闘的で、

人の幸福を羨む険しい眼に接することがある。このような女性に教育を受け

させたいと思う親は皆無であろう。

 憤りから、少し話が逸れたが、とにかく独身の男性教員には、しっかり金

を使ってもらいたい。かつて、戦前、野村証券の元会長S氏は、入社早々一

流

料亭に通ったそうである。もちろん、給与は安い。そこで、彼は月給の全額

を女将に預け、金がなくなれば通うのをやめ、また月給が入れば料亭通いを

したとの話を聞いたことがある。そのとき、女将は、「あなたは部長にな

れる」といったそうである。この時の部長とは今でいえば、代表権のある会

長と理解してよい。一族で固められている会社にあっては、部長が開放さ

れている最高の役職であったからである。

 私は、23歳のとき、小さな非営利団体の予算・経理を担当し、給与は雀

の涙ほ

どであったと記憶している。そのとき、叔父からよく言われたことは、

「世に出ることを考えると、遊ぶなら高級な所で遊ぶに限る。場末の飲み

屋に行ってはな

らない。同僚とも行ってはならない。一人で行くのがよい。美女に金をか

けることも大事なことだ。女は、大事にすれば裏切らない。しかし、おろ

そかにすると必ず、いつかは裏切る。女にたいしてケチくさくあってはな

らない。遊びは修行と考えることだ。自分は、女によ

く助けてもらった。知恵をかりたものだ。しかし、男は、危ない。年上の

女で、茶の湯の師匠でもいれば、弟子入りして鍛えてもらうことだ。舞踊

でもよい。とくにかく、匂うような女のもとに金をかけて出入りすること

だ。そこには必ず、能力ある男が現れる。彼らの素行を観察することだ。

世の中を動かす男の実態がわかる。」

以前にも書いたが、環境は人を作るものである。直観力や胆力は、どうも

女よってつくられるものらしい。そこで、とりわけ男性スタッフには若い

ころ、大いに高級な場で遊んでほしいものである。

男にとって大事なことは、世界最高のエレガントな女性の相手が務まるこ

とである。

できることである。おじが私に言いたかったのは、そのことではなかった

のかと思う。

というわけで、30代にしてエール・フランス航空の評判を聞き、搭乗し

てみることにした。予想通り、

エール・フランス航空のパリ線のビジネス・クラスのキャビン・クルーは、

これまでにあった最高のキャビン・クルーであった。大学のスタッフとして

採用すれば、申し分のない女性であった。まず、雰囲気が違う。顔と挙止が

美しいのが印

象的であった。

大学のスタッフに、エレガンスは不要という人たちもいる。このような人た

ちが多数を占める大学が瀕死状態となるのである。大学スタッフは、若き学

生たちに魅力ある存在でなければならない。かつて、英国の一流教

授の講演旅行のお供をして日本各地を回ったことがある。小さなパーティで

教授を囲んだ宴席で、彼に自己紹介をする数名の若き女性たちが、頬を赤ら

めているのに気付いたことがある。彼の雰囲気に圧倒されての結果であろう。

確かに、同性がみても男としての色気がある。私のこれまでの経験では、日

本の大学教授には、色気がない。男としての魅力に欠けるのである。著書や

論文はあるのだが、男としては、どうも決め手がない。それは、な

ぜか。やはり、小さな野心しかもっていないからではないだろうか。
 
さて、エール・フランスの話に戻ろう。何しろ客が少なかったので、隣の席

に座っていただき、長時間話ができた。

彼女に立たせていたのでは申し訳ない気がして、隣の席が空いていたので、

すわっていただいたのである。

彼女は、存在するだけで、周囲を奮い立たせる匂うよな雰囲気をもっていた。

外国のキャビン・クルーにとって必要とされる条件について彼女は、パリで

の1人暮しは孤独である。この孤独に耐えることだと話していた。誘惑も多

いからであろう。これも大学の研究スタッフにはあてはまる。孤独に耐える

こと、これは成功の条件である。意志の弱い者は空(くう)を追う(『聖書』「箴

言」12:11)のである。そして、彼女らには、上流社会の一員としても、立派

に生活できる品性と作法が要求される。品性と作法は、訓練によってある程

度は身につけることができる。大学スタッフが扱う学生の出身家庭は、様々

である。上流階級出身の学生たちも含まれている。彼らや彼女に接するにあ

たって、特に困難が生じることがある。私の勤務大学には、セレブな家庭の

子が見られる。彼らの質問には興味ある質問がある。なにしろ、幼少のころ

から、彼らは、ジェットではエコノミー・クラスを利用したことがないので、

ヨーロッパ旅行に際して、どのエアラインが良いかという質問に対して、ビ

ジネス・クラス以上のクラスを経験した者でなければ答えようがないのであ

る。宿泊ホテルにしても同じことが言える。エコノミー・ホテルには宿泊し

たことがないのであるから、質問されたこちらとしても、5~4星のホテルで

小生が実際に宿泊した経験のあるホテルを紹介するしかない。先日、ミシュ

ランの京・大阪ガイドという本を入手したが、私の学生たちも、このミシュ

ランのガイド・ブックというものを目にしているらしい。学生たちのなかに

も、京都の京都ホテル・オークラやウェスティン、大阪のリッツ・カールト

ンのレストランで家族とともに、食事をしているとのことであった。大学人

にとって京都ホテル・オークラの「ピトレスク」やリッツ・カールトン大阪

の「ラ・ベ」で食事をすることは贅沢なことであろうか。贅沢であるかどう

かの視点で議論すべきことではなく、学生の教育という視点に立つと、大い

に奨励されるべきであろう。彼らとのコミュニケーションは順調に進み、や

がて、家族との交流を始めたという大学人もいる。学生は、ブランドにも興

味

を持つ。就職するにあたっても、これらのブランド品の知識があれば、

ブランド会社への就職希望者も増えるであろう。人生をいかに生きる

べきか、という問いかけにいきなり入っても白けるばかりである。日常生活

の中で、まず話のできるスタッフだという印象を学生に持たせる必要がある。

高級ホテルやレストラン、ブランド品の種類を聞かれて、贅沢は敵だなどと

いっていたのでは、学生との信頼関係は構築できない。贈り物につての知識

を授けることも教師の大事な仕事であると私は思っている。


 先日、学生5名を連れて、本格的フランス料理店に行ったことがある。ぎ

こちない学生もいれば、いつもと変わらぬ学生もいた。これは、多様な価値

観を受け入れるという点では、大学にとっては望ましいことではある。しか

し、卒業するまでは、食事の作法を学ぶことも大事なことであ

る。就職すれば、顧客は日本人のみではない。外国の顧客と食事を共にする

こともある。作法の違和感は、分裂につながる。

家庭によっては、家の備品を購入することには、金を使うが、本格

的レストランで金を使うことを極度に嫌うこともある。無理もない。食事は

残らないか

らである。豊かになったということが目に見えてわかるものではないからで

ある。

座敷香というものがある。高価な座敷香が一瞬のうちに消えてゆくからこそ、

そこに美しさがあり、潔さがあるのである。

 聖書に美人は、名誉をわがものとする(『聖書』「箴言」11:16)、という名

言がある。

知性と品性を備えたエレガントな美人といわれる大学スタッフが、

私の周りには数名いるが、

特に、彼女らは、茶の湯・音楽・美術品・花・食べ物に関する造詣が深い。

つまり、

幼少のころから、茶の湯・音楽、美術、エレガントな果物と食材、そしてエ

レガント

なレストンランでの食事などのセレブといわれる経験をしてきたからであ

ろう。舌は嘘をつかない、という。家庭の躾と養育の方針が、上流階級への

入り口を備えてきたといってよい。社会保

障制度の構築に大きな足跡を残したウィリアム・ベヴァリッジは、若き頃、

上流階級の未亡人ダン・ガードナーと交流し、上流階級の社交方法とエレガ

ンスを身につけていった。ベヴァリッジは、上流階級の出身ではない。しか

し、母であるアンネッテは、意識してウィリアムを上流階級の一員とすべく、

家庭の躾のなかで、上流社会のメンバーとの交際においても、恥ずかしくな

いマナーと品性を身につけさせるべく努力している。その甲斐もあってか、

ウィリアムは、人生の晩年においてLordに列せられている。

 私は、ロンドン大学の恩師から、美的センスを磨くよう30代半ばから言

われてきた。人間は、理論のみによって生

きているのではない。大学人の文化と品性は、美的センスがあるかないかで、

そのレベルが決定される。高度な研究も必要とされるが、コンピュータと違

う点は、人間は美的センスを磨くことができるということである。私などは、

いつも感性に支配されている。学会の重鎮と引きあわされても迷惑なことが

おおい。私が会いたいのは、エレガントな人たちのみである。コンピュ

ータの傍らにいても、気分の高揚はなく、癒しもない。しかし、人を包み込

む雰囲気を醸し出すスタッフは、人を癒し、高揚させるところがある。大学

人の条件として私は「人を包み込む雰囲気」を上げることにしている。学会

で名のある著名人に私は魅力を感じたことが一度もない。話しかけようとい

う気持ちが起こったことは全くない。顔やマナーが好き

になれないのである。この顔というのも本人のもつ文化の象徴である。卑し

さは顔やマナーに表れている。本能的に、私にはそれがわかる。彼らに魅か

れないのは、私が揺籃のころから馴染んだ男や女がそこにいないからである。

「見識は優雅さを伴う」(『聖書』「箴言」13:15)というではないか。常に、

雰囲気や形の中に彼らの本性が現れている。

 特に、瀕死大学の独身男性に言いたい。女にとって男の価値とは、何であ

るか。それは、どの程度女を喜ばせる

ことができかるかに尽きるのではないか。この女を喜ばせる男を多数抱える

ことが、瀕死大学を救う基本的条件であるとあると私は考えている。全日空

のキャビン・クルーの話の落ちは、実はここにある。女を喜ばすことのでき

る男は、何も女に愛される男ではない。女を喜ばせても、愛されるという保

証はない。女を喜ばせる男とは、女の無理に付き合える男である。個人的に

親しく付き合うようになると、つまり、付き合えば、付き合うほど、遠慮勝

ちで、しとやかな女も無関係な者から見れば、無理をいうことが多くなる

と受け取られる。しかし、これこそ、女

が女であることを主張していると受け取らねばならない。これを可愛いと思

う男でなければ彼女らの相手は務まらない。彼女らのいかなる要望にも応え

る心構えが常にできていなければならないのである。人間関係の深化は、互

いに対する要求を増幅させる。それだからこそ、二人の文化的・知的

レベルも向上するのである。ギフトの交換はよい例である。高級ホテルの

コンシェルゼを思い出してほしい。彼女らから「あなたが命」などと言われ

る必要はない。

 私は、男の友人を選ぶ場合、どれだけ女を大切にし、心を彼女に絶えず向

け、彼女らに対する心づくしを忘れないでいるかを秤として男の友人を選ぶ。

高級レストランに誘うもよし、ブランド品を贈るもよし、絵画を贈るもよし、

楽器を贈るもよし、高級なフルーツや菓子類もよし、とにかく、相手が喜び

そうな品々を定期的に贈る男こそ、私の知人に相応しいと思っている。ケチ

な男ほど魅力のない男はいない。ケチな男は、男同士付き合うのに疲れるの

である。

 独身男性にとって、どのような女性が妻や恋人に望ましいか。

私の限られた経験からいえば、交流が長く続いている女性たちの家庭環境は

生き方に価値を置いている家庭の娘である。

とかくお金に対して淡泊である。淡泊というよりは価値を置いていない。彼

女らの価値は、生きる姿勢にあるからである。これも揺籃の頃から親の姿を

見て育っているからであろう。

価値観を共有できる存在である。

人が独りでいるのはよくない。そして、恋人とまではいかな

くとも、親しい女性の友人ができれば、感謝して彼女に対するギフトを忘れ

ないことである。「気前のよい人は自分も太り、他を潤す人は自分も潤う」

(『聖書』「箴言」11:25)といわれているではないか。この潤すは精神的にも

潤うと考えるべきであろう。彼女が貴重な時間を割いて会ってくれるとすれ

ば、感謝して捧げものを用意すべきである。しかし、ギフトの渡

し方は礼節をもっていなければならない。礼節を欠くギフトの渡し方は、本

人の品性の下劣さを物語ることになる。「贈り物

をすれば人の前途は開け、偉い人の前に彼を導く」(『聖書』「箴言」18:16

は、男女の間にあっても真実である。つまり、感謝の印としてギフトを贈る

行為は、儀礼を超えて物欲から解放され、自己を無にした献身を生む大きな

力となるからである。ギフトを贈

ること、それ自体に喜びを見出すことは何と美的な行為ではないか。しかし、

結果として、それは、彼の人間性を高めてゆくことになる。つまり、いつ消

え

てゆくかわからぬ相手にギフトを捧げるということは、その行為を繰り返す

ことによって、報酬などという経済的合理性がいかに人間を堕落させる観

念であるかを実感できるようになる。自分の持ち物を高貴な者に捧げる行為

こそ、大学人には必要なことである。これこそ精神の高みに登る手段である。


 

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