2010/02/03
瀕死大学と徳川幕府 あなたはどう生きるか
瀕死大学と徳川幕府 しかし、自らはエレガントに生き延びよ。 今日は、柏野健三です。今年、最初のメルマガをお届けします。 この時期は、4月から他大学への栄転が決まり、その準備に追われてい る方も多いと思います。小生のメルマガの読者は、御本人からの申し出 によりますと、大学スタッフのうち、30代の新進気鋭の方が多いよう です。その中には直接お目にかかり、お話しする機会がある方もふくま れていますが、彼らや彼女らの共通点は、前向きにエレガントに生活を 楽しみしがら、研究を進められていることにつきます。豊富な業績を残 していますので、後は機会を待つのみです。ここ数年間で、彼らは三段 跳びでいうと二段は跳んでいます。残るはジャンプのみとなっているようです が、ここからが正念場といえるかもしれません。私と雅交のある30代 前半から後半の研究者には、特徴点をさらにあげるとすれば、グーグル でその氏名を検索すれば、30代前半の研究者で500件以上、後半では 1000件に近付いていますら、世の中においても徐々にその実績が評価 され、知名度が上がっていることがわかります。誠に喜ばしいことです。 先日、高校時代の旧友と語る機会がありましたが、その中で晩節まで 世の光となるべく生きたいとの話が出ました。研究者であれば、よい仕 事を残すの一言につきるでしょうか。 今後、益々瀕死大学のなかには、いよいよ解体が近づく大学もでてく るものと思います。解体にあたって、そこに勤務するスタッフは、準 備をしておかねばならないでしょう。どのような準備をするか。将来 性のある大学へ転出するのが一番良い方法ですが、若いスタッフなら ともかく、中途半端な業績しか残すことなく、今日にいたっているス タッフには、もはや逃げ道はないかもしれません。今から140年以 上前、徳川幕府は崩壊し、800万石と言われた領地は、70万石に減 らされ、家臣団の生活苦は、著名な社会政策の研究者O氏によって 語られているとおりです。そのため、静岡茶の生産が勝海舟によって 奨励されたともいわれています。生活苦から、明治新政府に反旗を翻 すことなく、徳川家臣団は明治期を過ごしています。大学崩壊 後、学生を送り出し、そして今度は、スタッフをどう処遇するか。ど う処遇するかといっても、経営陣は、もはや何の権力もないわけです か ら、その時に備えて、自らの対処能力を高めて行くほかはないでしょ う。 幕末の徳川幕府にあって興味ある二つの生き方があります。一つは、 勝海舟の生き方であり、一つは小栗上野介の生き方である。勝は、幕臣 といえども、三河以来の直参旗本の家系に属してはいない。一方、小栗 は、三河以来の直参旗本の家系に属する。この違いは、やはり大きいの ではないか。平常期であれば、とても勝は、維新後正二位、伯爵までは 栄達しなかったであろう。どうも、私のみるところ、群れに長く属して いない者は、たとえその群れに属していても、状況が変われば、簡単に 群れから離れることができるようである。アタッチメントの度合いが低 いといわねばならない。したがって、勝は、幕府の存続という視点から、 時代状況を見ることをしない。幕府では、欧米列強に太刀打ちできない ことを見抜いているのである。幕府の上に日本という国が据えられてい るのである。一方、小栗はあくまでも幕府というものから離れることが できない。幕府に有能な人材が不足していることを考えれば、わかりそ うなものであるが、この事実を彼は、十分理解できていなかったのでは なかろうか。官軍との徹底抗戦を最後の将軍、慶喜に進言したのも彼だ といわれる。しかし、慶喜は、小栗の進言を無視している。しかし、小栗はあ くまでも慶喜あっての幕府と考える。慶喜無視の行動、具体的には、 慶喜を強制的に隔離し、幕府の実権を握ることはできない。 これが、三河以来の譜代の臣が取る態度なのであろう。しかし、薩摩の 西郷や大久保はどうであろうか。主君やその父君の期待通りに動かず、 ついに島津から77万石を取り上げてしまうのである。身分というもの は、どうも人間の意識を規定し、行動を規定するするもののようである。 ある意味では、西郷や大久保の行動は、久光からみれば、不忠、暴 走であるかもしれない。勝と西郷や大久保には共通点がある。時代を創 るのは、名門といわれる家系に属する者たちではない。 小栗は、幕府や慶喜を無視することができなかった。ここに彼の悲劇 がある。近代日本の工業化の基礎を構築したとされる小栗も意識の点で は、守旧派であったと私は見ている。彼は、江戸からはなれて権田村(現 高崎市)に隠遁するが、意識の中では、幕府を捨てることはできなかっ たであろう。やがて、官軍により斬首されている。勝とは大きな違いで ある。どちらの生き方が望ましいのかを、ここで判断しようというので はありません。 無能な上司にはいくら尽くしても、無に帰しますから、その点だけは 注意して付き合うことです。常に、グローバル・スタンダードで思考す ることです。誰が、何と言おうとも、整合性のないことには決して加担 してはなりません。滅亡が待つのみですから。中には、無駄なことを平 気で部下にやらせる上司もいますら、「かくありたい」の気持ちで自ら を維持し、不当な命令には決して服従しないことです。誰が瀕死大学に したのか。瀕死大学にした張本人の命令などいくら聞いても、心身を 消耗させるだけです。それよりも、研究の続行と学生教育に全力を尽くす べきです。事務局スタッフは、LSEの元学長ダーレンドル(Ralf Dahrendorf)著のLSE(1995)に目を通して、解体後の大学をどう再建する か、再建不能であれば、他大学へ転出するにあたっての「手土産」とし て大学の管理運営についての基本的心構え程度は、備えておくべきでは ないでしょうか。 瀕死大学の解体が進行する中にあって、瀕死大学に勤務するスタッフ は、どのような生き方をすれば、大学人としてのエレガントな生き方を 全うできるのでしょうか。 学生に対しては、常にグローバル・スタンダードな視点で講義するの はもちろんですが、大学は瀕死状態であっても、自らは、常にエレガンスを磨 くことを忘れるべきではないでしょう。昨年、NPO法人の副理事長(30代後半) と面談したことがありました。彼女は、大学に知人も多く、大学勤務を周囲から嘱望 されていました。教壇に立つには十分な業績と博識を備えており、著作も多数刊行 していますが、大学に勤務しようという気持ちはさらさらありません。その理由 は、彼女によれば、特に女性スタッフのエレガンスの欠如が許せないとの ことです。聖書の箴言にもあります。「鉄は鉄をもって研磨する。 人はその友によって研磨される」(27:17) これは、女性のみに当てはまることではないのかもしれない。 私も、彼女と面談する度に襟を正すことにしている。かつて瀕死大学の女性 教育スタッフのドアの閉め方を目にしたことがある。ド アの閉め方一つにも、ずうずうしさが如実に示されている。先ず、後ろ 向きに勢いよくドアを占めていた。大抵、そのような女 性スタッフは、研究業績が多少あるとしても、大抵の場合、 長い間、非常勤講師の生活を余儀なくされている。エレガントで ないからである。そし て、やっとのことで、ゴマをすり通して、やっとのことで40歳前に常 勤スタッフとなっている場合が多い。やはり、見る人は見るのであろう。 面談すれば、直ぐにだらしなさと横柄さが見破られる。有力関係者に頼 み込んでやっと採用される場合が多い。この有力関係者もエレガンスとは程遠い顔と風体 の持ち主である。似た者同士の助け合いというところであろうか。 しかし、徳川幕府の最後ではな いが、このような教員を採用した大学は、必ず瀕死化する。いくら、優 秀でエレガンスに溢れる教員を採用したとしても、直ぐに逃げられるか ら、人材は絶えず払底する。また、女としての意識が残っていれば大変 である。若いスタッフには、退職の勧奨までしていると聞く。若い優秀 なスタッフが彼女の言うことを真に受け、他の大学へ去るケースがいく つかあると聞く。具体的に言えば、「あなたは有力教授に嫌悪されてい るから、昇進は無理なので、早く他大学へ転出したほうがよい」とか「い つ汚名を着せられて追い出されるかわからない。A教授は既に画策して いるようだ」との偽りの情報を若い講師に浴びせかけるとのことである。 このような誤った情報を信じるスタッフにも問題はあるが、 シェィクスピアの『オセロ』 ではないが、心に不安があると、滅亡への道を徐々に走り始め、遂に消 えてゆくことになる場合が多い。このような女性教授を抱えると、先ず 瀕死大学は危機を深化させる。大学を潰すためにやってきたような女性 教授が瀕死大学には徘徊していると聞く。 さて、このようなグレイスではない女性教授がいたとしても、このよ うな女性教授を軽くあしらい、業績を上げ、静かに研究と教育に従事し ていれば、必ず道が開けるというのも専門職の分野である。出身大学に こだわることはない。とにかく、業績を上げることである。しかし、こ の業績であるが、分散してはいけない。最近、若手研究者の研究内容は、 どうも深みがない感じがする。さらっとしているのである。それゆえ、知 的好奇心が全く湧いてこない研究が多い。このような研究は、若い頃な ら赦してもくれようが、年長ともなればそうはいくまい。70歳に近い 知人の経済学者(ハイエクの研究で名高い)が私に語ったところによる と、生き残った研究者には必ず、研究者モデルがあるということである。 例えば、社会福祉の分野でいえば、コベット、カーライル、トーニィ、 タウンゼント、ティトマス、T.H.マーシャル、W.ベヴァリッジ、ウェブ 夫妻等が上げられる。これらの研究者のうちのいずれかでもよいから、 その生涯と思想・政策に迫ることによって、自らの生き方の指針とする ことができるのとのことである。だが、このような研究手法は、直ぐには世人の 注目するところとはならない。時間がかかるのである。国家試験用のテ キストでも執筆していたほうが、若いころは著名になることができるで あろう。少しの収入にもなる。しかし、品位は金銭では買えない。 聖書の箴言にある通りである。 おかげて、社会福祉分野分野は、研究者によるテキストのオン・ パレードといっても過言ではない。 私の敬愛するエレガンスに満ちた音楽教育の研究者は、時代の一時的現象に 惑わされていない。常に、自己の専門領域を深化させようとしているの みである。有名になろうという気もあるようには見受けられない。しか し、30代半ばにして、読み応えのある単著を刊行している。既にロン ドン大学教授で音楽研究者として世界的に著名な研究者と交流があり、 頻繁に海外の大学を訪問し、着々と成果を上げている。そのためか、上 に述べたように、ウェブ上で知られつつある。研究者として、教育者と しての基本的姿勢を堅持されている点は、尊敬に値する。現在、彼女の 属している大学は、決して高いランクに位置する大学ではない。しかし、 業績を上げ、優れた教育実践を進める彼女には大学首脳陣も注目しつつ あるようである。この大学は、彼女のような研究者をそろえれば、 世界ランキングに登場する大学となることができるであろう。 ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスは、日本の東大を超える 評価を得ているが、今から100年前は無名の大学に等しかったのである。 瀕死大学に勤務しようとも、精進を忘れぬことである。



