瀕死の大学 現役教授が語る偽らざる実態  RSSを登録する

日本の地方大学が世界水準に達するためには何が必要であるかを考えるため、ベヴァリッジの大学経営論から見た大学論について柏野健三がお伝えします。この大学論は、日本で学ぼうとする若き人々のためのものです。

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2009/11/28

瀕死大学の学生は何が必要か

瀕死大学  瀕死大学の学生には何が必要か。

今日は、柏野健三です。読者の皆様もこの時期は、入試業務に追われて

研究時間が困難となっているのではないでしょうか。特に、瀕死大学の

特徴として、入試回数が多いことがあげられるからです。少しでも多く

の受験機会を設け、少しでも多くの新入生を迎え入れないことには、

経営が成り立たないからでしょう。

 さて、今回は、ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノックス

(LSE)の実例をもとに、学生が何を求めているのか。また、彼らに対して大

学当局は何をすることができるのか。また、何をすべきなのかについてお話

したいと思います。

 最近、はやりのFDというのがあります。その一環として、学生による授

業評価がほとんどの大学で実施されていると聞いています。このFDで高い

評価を受けている教員の特徴として、各大学の学生が授業やその担当教員に

何を期待しているのかをよく理解しているということがあげられます。反対

に低い評価を受けている教員の特徴としておかしな自尊心が高すぎ、学生の

特徴がよく理解されていないことがあげられます。偏差値が60以上の高い

大学の場合、きちんとした授業を展開しておれば、高い評価を受けていると

いわれますが、反対に40未満の大学にあっては、ゲーム感覚の授業でなけ

れば、到底かれらの支持はえられないようです。すべての学生が、学ぶこと

に不熱心というわけではありませんが、授業中の携帯電話等、街中のカフェ

と何ら変わりがないところもあるようです。これらの学生を注意すれば、た

ちまちFD授業評価では最低のランクに位置づけられるとも聞いています。

学生の恨みをかうからでしょう。そのため、瀕死大学にあって学生の授業評

価を高めるためには、先ず、学生を指導しないことだと言い切った友人がい

ました。とにかく、やるべきことはやって、あとは放っておくのが一番だと

のことでした。やるべき事とは、授業の要点を受講生に筆記させ、それをチ

ェックすれば十分だということのようです。教えたがる教員には、何と惨酷

な話のようですが、一方的に喋りまくり、学生が聞かなければ「脅す」ので

は、学生はその教員を嫌うばかりでしょう。面白くないから聞かないのです

から、話す必要はないのです。授業の形態には様々な工夫が必要だと彼らは

話していました。瀕死大学の学生には、学問追求の興味はほとんどなく、興

味があるのは異性と就職の二つのみだという友人教師もいます。授業にでて

くるのは、恋人を得るためであって、授業に出るのが目的ではないのですか

ら、このあたりのことを担当教師はしっかりと理解しておく必要があるかも

しれません。女子大が共学化すれば、学内恋愛は花盛りとなりますが、品位

は下がる一方だという教師もいます。本能的行動は、努力なくしてできます

が、学習となるとかなり努力と忍耐が必要とされます。高尚な恋愛は、長い

年月と忍耐を要しますが、今日恋人となり、明日は別れて別の恋人や愛人を

作れば、忍耐も努力も必要としません。

 ただ、ここで教師として考えねばならぬことは、吉田松陰ではありません

が、彼が野山の獄舎に幽閉されとき、獄舎に繋がれた囚人でさえも、彼の講

義には心酔したといわれます。吉

田松陰の松下村塾に思いをはせることも必要であるかもしれません。すべて

瀕死大学の学生に原因があるのか、それとも瀕死大学の教員の体質に問題が

あるのか、考えてみたいところです。

 一般的に学生の評価が高い教員の特徴として、若い教員の場合、男性の場

合、先ず身長が高く、ハンサムで、育ちの良さを感じさせる者が多いようで

す。つまり、彼らは、苛立つことなく、忍耐強く、自分勝手ではないという

特徴をもっています。そして表情には卑しさがありません。女性の場合、特

に語学の教員の場合、先ずビューティ・コンテストで優勝できそうなグロー

バルな雰囲気を持った教員の評価がトップを占めるとのことです。某大学で

学生評価の高い英語教員の場合、国際経験も豊富で、若い世代の話題にも敏

感で、デレビ・ドラマのヒロインを演じるにも事欠かない美人だということ

でした。彼女は、学生から旅行に誘われるとのことですから、学生の熱の上

げ方も相当なものかもしれません。魅力的な抑揚のある喋りかたは、学生に

受けが良いと聞いています。もちろん、授業の中身もアメリカ流でメリハリ

があり、学生に人気がよいのも無理からぬところです。語学教師と講義教師

とは違うという指摘もありますが、「華」がなければ学生に魅力がないこと

も事実です。


 さて、話がFDに移ってしいましたが、LSEに戻すことにしましょう。学

長であったベヴァリッジ(1919-1937)の回顧録によると、学生のニードは、

教師と学生との個人的触れ合いであった。一人の学生と他の学生の触れ合い

の実現をどうするか、これは大学当局に課せられた課題でもある。ベヴァリ

ッジによれば、学生自治会やクラブ活動がこの場面を提供するとのことであ

る。これについては、ほとんどの大学で実施されていることであろう。

 問題は、教師との触れ合いである。アドバイザー制度が最も有効であるが、

教員の中にはこれを嫌う傾向をもっている者もいる。確かに、瀕死大学のみ

ならず、最近の学生は反社会的事件を引き起こす傾向をもつものいる。大麻

汚染などがその典型であろう。教師はできるかぎり、学生との個人的接触を

避けたがる傾向がある。LSEの場合、学問的に教師と学生が接触する場面

が用意されたが、瀕死大学の場合、はたして読書会やコンサートに学生が集

まるかどうかの懸念をもつ大学人も多い。確かに、教科書さえ満足に読めな

いのであるから、彼らの懸念も理解できないことはない。しかし、学生は発

展途上にあると考えなければならないであろう。そのように考えることが、

瀕死大学の大学人にとって自らの使命であることを自覚しなければならな

い。

 食堂や学生談話室の整備にもベヴァリッジ学長は力を入れている。瀕死大

学には、学生談話室がないところも多い。食堂は、エレガンスに欠け、メニ

ューの種類ははほとんどないといったところである。これで、優秀な学生を

集めるということは無理な話である。どこに金をかけるかであるが、瀕死大

学ほどずれが目立つといわれている。LSEでは近隣の市民を集めるために

コンサートを開催したという。これも卓見であろう。この実施の促進者は、

学長ウィリアム・ベヴァリッジの妻となるジェシィ・メアその人であった。

私が常日頃主張している文化人を周りにもつことの重要性の見本でもある。

ベヴァリッジは、まさにメア夫人(当時は人妻)を事務局幹部に据えることに

よって自らの立場を確かなものとしてゆくのである。しかし、皮肉なことに、

このメア夫人の「張り切り過ぎ」がベヴァリッジの命とりとなる。


 しかし、それでも私は読者に言いたい。カエサルがキケロに送った書簡の

中に心に響く一節がある。「何ものにもましてわたしが自分自身に課してい

るのは、自らの考えに忠実に生きることである。」(塩野七生、『ローマ人の

物語 ユリウス・カエサル ルビコン以後 (上) 11』この思いがなければ、

改革など不可能であろう。知識と知力は別物である。大学人には知識人は多

い。しかし、知力の持ち主はほとんどいない。唐突ではあるが、セクハラ行

為を繰り返して大学を追われるのは、知識人ではあるが、女性から見れば全

く魅力のない知力に欠ける大学人なのである。私の観察によれば、女性問題

を起こしそうでおこさないのは、まさに交遊の達人と呼ばれる人たちである。

寛容すぎて最後には暗殺されるが、カエサルなどはその代表というところで

あろうか。彼は、指導者としても、指導者としての3条件である。正統性、

権威、力量を備えており、さらに品性、知識、知力、決断力、行動力のいず

れをとりあげても優れている。しかも、私生活においてはエピキュリアンで

もある。とにかく、問題を起こす大学人の特徴は「ケチくさい」ということ

であろう。これも塩野七生の『ローマ人の物語 危機と克服【上】21 p.40.』

からであるが、ローマの皇帝経験者の皇帝在任中に実施された、首都の平民

や属州勤務の軍団兵に対するボーナスの支給額が紹介されている。アウグス

トゥスの139,950,000デナリウス銀貨に対し、自殺したネロは20,000,000

デナリウス銀貨にしかすぎない。数か月で皇帝の座を追われた皇帝の例(ガ


ルバ、オトー、ヴィテリウス)を見ると、ボーナス支給は皆無である。人心

掌握のために何をすればよいかがわかるというものである。しかし、瀕死大

学にあっては、ケチることが瀕死を救うと考えられている。


さらに言えば、不思議なことに「ケチくさくない」男は、浮名を流しても、

セクハラ行為を訴えられたとは聞かない。つまり、彼は世人の知らぬとこ

ろで、特定の女性たちに永続的に、献身的に時間と金を注いでいるからで

ある。つまり、当の彼女たちにしてみれば、彼は永続的に便宜を供与し続

ける頼りになる男なのである。しかも、自分はその男から愛されているこ

とを自覚しているから、悪く言うことは先ずありえない。日々エレガント

な美人に囲まれていれば、セクハラ行為を繰り返すこともないであろう。

どこにいても、彼はエレガントな美人に囲まれているのであるから、エレ

ガントな女性にしか興味を示さない。したがって、どこにでもいそうな女

性には笑顔を向けても、心と身体は彼女らには注がれていない。ここが、

普通の男と違う点である。社交辞令として一瞬笑顔を向けても永続的に関

心を抱いているわけではないのである。相手かまわず触れたがるのは、ト

ップクラスの女性に相手にされない40代以降のようである。そして、セ

クハラ犯罪者として摘発されるのもこの世代が多い。これを最低限回避す

るためには、エレガントな女性と結婚することが先ず、第一である。しか

し、結婚格差という言葉が示すように、給与の低い瀕死大学のスタッフは、
結婚の条件が極めて悪い。経済合理性のみの結婚となると、不安だらけの

船出となる。結婚は就職にもまして、絶対に妥協してはならないのである。

自分の心に正直でなければ後悔する。私の見たところ、セクハラ行為を繰

り返す男たちの奥方は、先ず女としての魅力はゼロに近い。華やかさがな

く、活気もない。男に打ち込んでくる姿勢がないのである。夫にも問題が

あるが、互いに選択を誤った結果の夫のセクハラ行為かもしれない。持て

ない男は、馬齢を重ねるにつれて益々持てなくなる。「ケチの精神」が徹

底してくるからであろう。こういう男は、大学人としては不向きである。

男であれば、常に女性の話題となり、女であれば人目でも見たいという欲

求を男に持たれなければならない。瀕死大学には、魅力あるスタッフがほ

とんど皆無である。

忘れてならないのは、瀕死大学にも大手外資系化粧品会社の令嬢や大会社

の令嬢が時折、入学してくるという事実である。彼女らは、海外在住の経

験や、本国の重役家族との交流もあることから、京都の高級料亭にもしば

しば出入りしている。瀕死大学の食堂を見て、彼女らは何と思うであろう

か。彼女らこそ、まさにキャンペーン・ガールそのものなのである。

 先ず、食堂と談話室の整備をすすめなければならないというのも、このあ

たりに理由がある。


 これまでにもしばしば書いたが、とにかく若いうちから、妻を含め、エレ

ガントな女性には贈り物をする習慣をつけることである。ギフトは、段々と

高価な物になってゆくことから、大学運営にはその知識が役に立つ。贈るた

めには、知識が必要であり、外国製品であれば、その国の文化にも触れるこ

とができる。先日、大阪城公園の近くに位置するOホテルに妻と滞在した

折、ホテルのショップ内でイタリア直輸入の絵画的な傘であるPasottiに出

会い、直ぐに購入した。薄給の身ではあるが、イタリア文化理解のために相

応しい傘と思い、購入したものである。妻の心をつなぎとめるには少し安か

ったかもしれないが、日ごろの感謝を伝えるにはよいタイミングであったと

思う。愛人や恋人とのデートの途中、彼女が目に留めたものはすぐさまプレ

ゼントしたほうが良い。妻は、終生の愛人と考えたほうがよい。買うときは、

間髪を入れてはならないのである。値段を気にかけるようでは、いつまでも

彼女の心を捕まえておくことはできないであろう。経済合理性は、精神の奥

底までつなぎとめるには完全に合理的とはいえない。愛人や恋人をつなぎと

めておくには、借金をしてでも買うべきである。経済合理性を超えたものが

二人の関係維持には要求されるのである。そして、デートの度に彼女のため

に買う品物があることを喜ぶべきである。男は、女の心をつなぎとめるため

には、最大限の努力をしなければならない。そういう大学人こそ、大学を発

展させるのも事実である。目配りが利くからである。LSEの学長を18年間

勤めたベヴァリッジは、ことのほか女性には親切であった。私の教え子の父

親もまた、自分の身の回りの女性たちにスカーフ等を贈ることを心がけてい

るとのことである。彼の奥方も寛容である。会長業の彼としては、部下や得

意先の女性の心をつなぎとめる手段として、努力しているのであろう。会長

の彼はギフトの選定によって、多くの生きた知識を吸収しているはずである。

夫の出世を望む妻は、夫が女性に贈り物をするにあたって寛容でなければな

らないのである。この行為に目くじらを立てるようでは。夫の将来は悲観的

と考えたほうがよい。

 余談だが、最近、某教育財団の理事である40代の女性と懇談したことが

ある。この女性は、40代の美人コンテストで優勝するほどの女性であるか

ら、気品に満ちた顔とスタイル、そして洗練されたマナーを備えている。彼

女は、国家組織のトップに位置する人たちとも頻繁に交流している。社会の

トップレベルに位置する男性諸君から見れば、垂涎の的となるのは当然であ

る。7年かけて、彼女を理事に招聘したという某理事長もなかなかの人物で

ある。トップに要求される資質の一つとして、忍耐と継続的意志がある。瀕

死大学の理事長にはこれらの資質が欠けている。彼の計画は、杜撰で、その

場かぎり経営姿勢であるから、難局に対処できるはずはないのである。

ところが、私の場合、ただ長い知己であるという理由だけで、彼女から社

会のトップレベルに位置する人たちが国家に対して何を期待しているの

かを伺うことができる。大学が、今後どのような方向性を持たなければな

らないかについて、ずいぶんと彼女から教えられることが多い。大学の女

性教員からは、残念ながら彼女から受ける卓見を受けたことがない。この

女性は、20代前半の頃から、欧州の文化芸術について私と情報交換をし

てきた経緯がある。ターナーの作品が展示されているテート・ギャラリー

についても、最初耳にしたのは彼女からであった。

 それゆえ、若い男性大学人に再三再四言いたい。一人でも多く、エレガン

トな女性に知り合いになることである。大学人に要求されているのは、エレ

ガンスそのものである。エレガンスなくして、大学人としての尊敬は得られ

ない。知識をいくら蓄積しても、エレガンスには勝てないのである。

 コンパニオンという職業をご存じだろうか。パーティ用の接客係りである。

しかし、このコンパニオンの中にも序列があって、会場で和服を着こなして

ただ立っているだけで一般のコンパニオンを遥かに凌ぐ報酬(大学教授を超

える時間報酬)をえる女性たちがいる。私の教え子のひとりは、22歳の頃、

このアルバイトにスカウトされ、簡単に生活費と学費を得ていた。客の相手

は一切せず。ただ入口に立っているだけの仕事である。育ちの良さと品のよ
さが醸し出す雰囲気が上流社会の懇親会にはぴったりとあっていたのであ

ろう。社会勉強のつもりでスカウトに応じたと話していた。さすがにプロは

プロである。彼女を一目見て、使えると判断したのであるから、素人には驚

きである。私にはいつも見慣れた女性たちが、普通の女性たちが、世間一般

からみれば、高い水

準に位置していることを知った一つの例である。このような女性たちが、教

壇に立てば、瀕死大学も救われると思うが、実態は、ほとんどそのような女

性たちはいない。希望のもてないところに能力あるものは寄り付かない。こ

の簡単な事実を瀕死大学の理事者は知らない。そして瀕死化は益々重症化す

る。


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