瀕死の大学 現役教授が語る偽らざる実態  RSSを登録する

日本の地方大学が世界水準に達するためには何が必要であるかを考えるため、ベヴァリッジの大学経営論から見た大学論について柏野健三がお伝えします。この大学論は、日本で学ぼうとする若き人々のためのものです。

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2009/10/03

瀕死大学のスタッフよ、あきらめてはならない

瀕死大学 大学スタッフは30代に何をすべきか。

今日は、柏野健三です。最近、自らの所属する大学に不安を持つ若手教

職員の皆さまからメールをいただくようになりました。瀕死大学と世間

で揶揄される大学にあって必死で再建しようという心意気を持つ人たち

からの頼りには、迫力があります。その迫力に押されて、現在小生のホ

ームページ上にロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミック

ス(LSE)を世界の大学に育て上げた学長ウィリアム・ベヴァリッジの『ロ

ンドン・スクール・オブ・エコノミックス その諸問題 1919-1937』を

シリーズで掲載することにし、すでに2回目を配信しました。興味ある

かはぜひご覧ください。大学は、いくら優れた研究者を集めても、経営

者が愚鈍であれば、彼らを離散させ、他大学の力をつけさせるのみです。

人の処遇の仕方を知らない大学は、その反動をまともに受けやがて、没

落は必至です。しかし、人的資源への投資を忘れ、無駄な出費を続ける

瀕死大学があると聞きます。皆様の大学でも起きているかもしれません。

しかしながら、経営管理は、若手教職員の権限外の問題ですので、歯ぎ

しりしても、ひたすら手腕発揮の機会到来を待つしかありません。運悪

く、倒産したとき、どうすればよいのか。そのことも考えておく必要が

あります。倒産した場合、卒業生から経営管理の責任を問う声があがる

かもしれません。経営責任を問う訴訟に踏み切るかもしれません。瀕死

大学の将来には、様々な問題があるようです。


 大学は瀕死状態にあっても、理事長の手足となって働く事務局スタッ

フは、幕臣小栗上野介のごとく、最後には家臣を見捨て、自分は生き延

びた徳川慶喜に似た理事者のために、命を削らねばならない日々が待ち

構えているように思われます。正常な判断力を失った理事者の指令は、

大抵の場合目先のことしか頭にありませんから、遠からず経営が行き詰

まり、最後は経営の場から逃げてしまうかもしれません。しかし、それ

でもなお、事務局スタッフは瀕死大学にとどまる以上、怒りを抑えて勤

務するしかないのが、現実ではないでしょうか。正常な判断の下に経営

していれば、つまり、ウィリアム・ベヴァリッジの如く大学を発展させ

ていれば、そこに働く事務局スタッフは彼の部下として誇りをもって仕

事をすることができるでしょう。しかし、どうも瀕死大学にあっては、

先行き不安ですから、活力が徐々に失われていくようです。それでもな

お、大学の再建のために所属部下を叱咤激励し、大学における教学面の

整備を推進している若手スタッフがいる大学もあります。


 彼らは、大学はいかにあるべきか。大学の本質的役割は何か。そのた

めに自分たちは何をすべきかを知っているようです。しかし、現状では

如何ともしがたい。歯ぎしりする思いで日々精励していることでしょう。

母校勤務であれば、なおさら母校の廃校など想像さえしたくないでしょ

う。しかし、私は彼らに言いたい。「大学が統廃合になったとき、必ず働

く場が与えられる。そのときこそ、蓄積した大学経営の知識を活かすと

きがくると」。私の知る限りにおいて、我が国にあって三流大学から一流

大学に発展したという大学は聞いたことがない。つまり、瀕死大学は、

発足時から三流大学なのである。三流大学でもよかったのである。護送

船団方式で文部科学省の指示に従って経営しておれば、安泰であったの

である。しかし、規制緩和は大学の解体を促進する口実であることを深

く理解していたスタッフは少ないであろう。規制が緩和されれば、誰で

も教授になれる。そんな思いで大学の学科創設に走った三流大学こそ、

今大きなため息をついているのである。自然の理に反する行為は、必ず

反逆される。国民をばかにし、学生をばかにした大学が今、厳しくその

存在意義を問われているのである。今後、事務局スタッフにあって少し

でも解体を遅らせる要因は、大学らしい大学、研究のできる教員を集め

る努力の一端を担うことである。研究を進めれば、語彙力も豊富となり、

話の筋も理解でき、状況分析や、人文科学にあっては人情の機微を分析

することも可能となる。そのような大学人らしい教員と協力することで

ある。三流大学に著書をもつ教員は不要だという論議もある。しかし、

よく考えてみよ。瀕死大学の教員の場合、その半数さえも単著さえない。

はては、最新の海外事情を紹介しようものなら、これは業績ではないと

声を大にして著書をもたない教員が気勢を上げる瀕死大学もある。事務

局スタッフに望まれることは、大学関係者による著書刊行のための基盤

整備(補助金を含む)とその宣伝活動を推進することである。図書館には、

関係者の著書を大学の予算で購入し、特別コーナーを設置し、関係者に

閲覧させるなどの措置が望まれる。私の知る大学では、おそらくすでに

瀕死の状態であると思うが、所属教員の著書が、図書館のもっとも隅に

追いやられ、鍵を開けなければ閲覧できないという大学もあった。その

大学のキャンパスの所属教員は50名を超えていねことから、半数は教授

として25冊以上の単著が、本来は置かれていなければならないはずであ

る。しかし、実態はそのようにはいっていない。


 さて、次に瀕死大学の教育スタッフは、瀕死状態の大学にあって何を

すべきであろうか。私に言わせれば、若手ほど黙して研究成果を上げる

ことをお勧めしたい。私の知る瀕死大学勤務の若手教員も黙々として成

果を上げている。今年度は、3本以上の学術論文を上梓できる予定のよう
である。私は、この若手教員とほとんど会話をすることはない。常に、

時間の確保を気にかけているようで、話しかけることさえためらわれる

ほどの忙しさである。私も若いころ、人を避けてウェブ夫妻の『地方行

政』シリーズのうち、救貧法関係の3冊を翻訳していた経緯がある。こ

のため、彼女の多忙さと熱意が身にしみてわかる。とにかく、妻との団

らんさえもカットして翻訳していたことを思い出す。それをしていなけ

れば、今の私はなかったであろう。不満の鬱積した教員となっていたに

違いない。晴れやかに生きている今はないであろう。研究者は、これで

よいのだと私は思っている。彼女には、雑用はしてほしくない。しかし、

有能であればあるほど、多くのスタッフは彼女に期待する。しかし、こ

れは悲劇を生むことになる。潰されてはならないのである。時間の確保

がなければ、いかに有能であっても大成することは難しい。先日、用件

があって、他のスタッフを交えて表敬のかたわら、依頼の件があって知

り合って1年半経過して、初めて彼女の研究室を訪れ

たことがある。部屋に入るなり、寺院かキリスト教会の礼拝堂に入った

厳かな雰囲気が伝わってきた。心地よい独特の雰囲気であった。壁には、

人の心をいやす絵が掲げられ、源氏物語を連想させるテーブル・クロス

の品の良さが私の心を

穏やかな気分にさせてくれたのを覚えている。教師はこれでなければな

らないと思ったものである。書棚は美しく整頓され、秩序を保った美的

配列がなされていた。学問への彼女の姿勢も、常に整理されているので

あろう。次々と生まれる作品は興味あるものばかりであるが、実名を公

表することは、迷惑もかかることであるから差し控えたい。身なりは常

に清楚で、場に応じた服装を常に心がけているようである。心がけてい

るようであると書いたのは、私のスケジュールと彼女のスケジュールが

合わず、ほとんど会う機会がないから、人づてに賞賛の声を聞くしかな

いからである。このような研究者とは、本来は毎日、一度顔を合わせ、

研究上の課題や疑問について率直な意見を交換したいものである。若手

とはいえ、老境に入った研究者にも研究面で大きな刺激を与えていると

聞く。つまり、彼女の論文に啓発されて、自らの研究領域を徐々に広げ、

さらに深化させている研究者もいると聞いている。彼女の研究が人の心

を打っている内容だからであろう。世には空疎な研究もある。あっても

なくても世の中の人々には何のためにもならないような研究もあるなか

で、実践に裏打ちされた論理的に整理された論文には確かに説得力があ

るからである。それゆえ、研究面での支援者も

多くあらわれている。老境に入り、彼らの研究を引き継ぐものがいない

ことから、彼らの所蔵する古典的文献を彼女に進呈する研究者もいると

聞く。大きく羽撃いてもらいたいからであろう。彼女に古典的文献を活

用してもらいたいとの願いは、研究者であれば、誰しも持つに違いない。

話しぶりや所作は、育ちのよさが感じられるが、象牙の塔に鎮座するの

みでなく、学外活動も盛んに実践しているとのことである。おそらく、

彼女の品の良さと美しさがファンを引きつけてやまないのであろう。彼

女の研究は、他者から見れば分散し、集中していないとの指摘もあるが、

やがて自らがなさねばならぬ課題は何かを、改めて自覚する日も近いと

思われる。無理もない。強烈な個性をもった師匠に出会わぬ限り、一貫

した強烈な研究テーマは持ちにくいものである。大成するかどうかは、

本人の素地によるが、彼女学的環境もさして悪いとは感じられず、あと

は本人の精進が将来を決定するのみである。私も、最初はそうであった。

あれこれと頭を打っている間に、貧困こそ、社会福祉研究の根っこの部

分であり、その原因と対策の歴史的研究こそ、社会福祉研究の精髄をな

すことに気付いたからである。その時の年齢は既に30代半ばであった。


 瀕死大学の若手教員も彼女のようにしていれば、たとえ大学が倒産し

ても生き残ることができるのでないだろうか。私が常に言うように、生

き残るためには、1)挙止に品性があること。2)自らの職業の本道が何か

を知っていること。つまり、研究業績を上げていること、3)バランス感

覚があること、4)学生を含め、他者に対し、慈愛に満ちていること、5)

ここ一番というところで勝負ができること、6)苦境にたっても、仲間を

みすてないこと、7)常に美しく端正であることを心がけていること、8)

吝嗇でないこと、つまり、金銭には淡泊であること、以上である。
 
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