瀕死の大学 現役教授が語る偽らざる実態  RSSを登録する

日本の地方大学が世界水準に達するためには何が必要であるかを考えるため、ベヴァリッジの大学経営論から見た大学論について柏野健三がお伝えします。この大学論は、日本で学ぼうとする若き人々のためのものです。

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2009/08/29

細川ガラシャ夫人のような高い志の妻を持とう!

瀕死大学の教職員よ。

【細川ガラシャ夫人のような高い志を持つ妻を持とう。】

明日は、リスボンに向けて出発する日である。今回の旅は、帰還できる

であろうか。そう思うと、かつて、小

生にメールを送っていただいた読者の皆様、今回は特に独身の男性諸氏

にターゲットを絞って発信しておきたい。これまでのご愛読、誠にあり

がとうございました。少しは、役に立ったでしょうか。小生は、1978年

4月に大学の教員生活を開始しました。大学の教員生活30年を超えまし

た。国立大学を除いて公立大学と私立大学に勤務してきました。親や兄

弟からも、三流大学の出身者といって蔑視の対象とされてきましたが、

何とか家

族を維持してきました。スティグマを背負わされた一人の男が、どのよ

うにして世間を渡り歩いてきたか。これは、意地と迫力で支えた30年と

いえる

かもしれません。私の読者には、大学の底辺から身を起こして30代前半

で准教授に昇格した人もいます。大学を出ることなく、社会人の入試で

通信制大学院に進学し、2年間で修士の学位を得た人です。彼は、その苦

闘の歴史を多くは語りませんが、想像するに昇格までのその日々は、周

囲に気を遣いながら、休日返上で論文執筆に明け暮れていたと思います。

適応能力のある真のインテリと言えます。やはり、家庭教育というので

しょうか。会えば、気迫を感ぜずにはおかない好青年であったと思いま

す。

さて、瀕死大学に、就職しますと研究条件や教育条件が、国公立に比

べて格段に低いところがあります。小生のこれまで勤務した大学のす

べてが瀕死大学となっているわけではありませんが、多くは、ワンマ

ン経営からくる奢りによって、経営トップが知らず知らずのうちに裸

の王様にさせられているからかもしれません。人間は、落ち目になる

と、疑い深くなり側近の言うことにも耳を傾けなくなる傾向がありま

す。あなた方も、側近の一人であれば、遠ざかるに限ります。落日の

経営者に惚れこんでいるなら別ですが、望みなき経営者からは何の成

長材料も期待できません。もらうのは、暴言とストレスのみです。会

議で喚き散らすのも瀕死大学の経営トップの実態であるかもしれませ

ん。しかし、今はひたすら耐えるのみです。それとも、独立した研究

者として生活してゆくかです。二つに一つしかありません。瀕死大学

に勤務している教職員は、一部例外として、大学の世界ではほとんど

無視されている大学の出身者ではないでしょうか。関係学会においても日陰の身かもしれません。

師匠が一流でなければ、所詮は弟子は、スターチにあたって大きなハンディを

背負うことになります。しかし、一

旦チャ

ンスを掴んだ以上、大学は大学ですから、忍耐して研究業績を上げれ

ばよいのです。業績を上げ研究者としての市民権を獲得する。残され

た道はこれしかありません。私は、短大に助手として採用されたとき、

推薦者の恩人から、「常に希望を持って論文を書くことだ。そのための

大義をもたなければならない。いつかは、太陽を受けることができる」

と教えられました。誠に長い坂を晩年まで登ってゆかざるを

えないのです。山本周五郎の小説に「長い坂」という下級武士の生涯

を扱った作品があります。一読に値する作品です。坂を登ることを避

ける者は、依然として水平状態で晩年は失意のうちに世を去ることに

なります。三流大学の出身者は、常に一流大学出身のエリートからは

蔑視され続けて行くことになりますが、蔑視を少しでも低めるには、

業

績をあげるしか他に方法はありません。


 しかし、瀕死大学に勤務しているからといって、自分の将来も瀕死で

あると即断するのは危険です。大学の将来はともかく、大学の教職員に

なった以上、明日の日本を築く若人を教育しているとの自覚や教育倫理

をもってほしいものです。大学勤務を単なる「生活の糧」を得るだけの

手段とはしてほしくないのです。若い教職員の間で、想像を絶する打算

と利害だけの人間関係が目立ちます。私の周辺にもそのような人を多数

みかけます。多くの人に頼みこんで、やっと地位を得た人たちが、地位

を得るや豹変し、社会的倫理に脊を向け、社会的害毒を垂れ流して平気

でいるもの困ったものです。機械的な笑みを浮かべる仮面の下には教育

倫理や職業倫理を

無視した我慾が渦巻いているように思われます。小説家の三浦綾子に言

わせれば、瀕死大学における教職員の志の低さを見てどのよう言うでし

ょうか。彼女は「あさっての風」のなかで、「わたしたちは、肉体を養う

糧については多くの知恵を用いる。いろいろの心くばりもする。しかし、

心の糧を得るために、いったいどれだけの努力をしているのだろうか。

人間が人間であるということは、たんに二本足で立っているということ

ではない。キルケゴールは、人間とは何かという問いに対して、精神で

あるといっている。」闘病生活13年を精神の糧とした三浦ならではの至

言である。「少なくとも、人間たる者は、医者になるとか、政治家になる

とかいう目標よりも、どんな生き方の医者になりたいか、どんな生き方

の政治家になりたいかを問題にすべきではないだろうか。」(三浦綾子「孤

独のとなり」)とも言っています。

 かつて、私は妻に言われたことがあります。「金儲けが好きな大学教師

は、大学教師

をやめて、商売でもしたらよいのだ。」この妻の一言は、小生の精神

性を高めることに役立っている。妻の一言は大きい。大学の教師たる者

は、金とは無縁でな

ければならないのである。金は、時によっては志を低くする。金は正当

な方法で、しかも本道を進むことによって得てほしいと思います。


 志のない経営者が、自転車操業のように学部の改組を繰り返している

のを見ると、いよいよ日本のアカデミズムの最後を見るようです。文部

科学

省の規制緩和がもたらしたものは、大学の解体であることが予測されま

す。先日、著名なD.H.ロレンスの研究者とお話しする機会がありました。

る。文部科学省の規制緩和の狙いは、深いところにあると、その先生は

話しておられました。自立とは、すべてが資本主義のエートスに基づい

て処理せよということです。規制を強化すれば、逆に大学の体質は強化

され、海外からの大学設立ラッシュはおきないでしよう。


 なんのために大学が必要か。ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・

エコノックスの創設理念をみれば、明確に述べられている大学もある。

学生が来れば、何でも良いという発想は、日本を滅ぼします。

 さて、独身の男性教職員には、仕事が順調になれば、語り合う妻を得

ることをお勧めします。私は、三流大学の出身であるからか、父親が「跡

取り」として漫然と候補者を探している間は、50数回の見合もむなしく、

すべて向こうから一方的に拒絶されています。これは、何か、私自身に

欠陥があるように思われますが、仲介者によると、やはり私の学歴が悪

すぎると率直に教えていただきました。このとき、世間は、レッテルで

判断するということを屈辱感とともに知ったことになります。結婚につ

いてはあくせくしないことです。家族に「無能者」と蔑視されているも

のが、どうして他人様に認められましょうか。大事な娘を能力のない男

に渡すでしょうか。どうも、そのあたりを私の家族は認識できなかった

ようです。自分の子供は日本一の立派な息子だと誇らしげにいうことの

できない親が、嫁探しなど本来無茶な話ですが、私は26歳まで、とにか

く親の顔を立てるために、見合を繰り返しました。今から考えれば愚か

なことであり、相手に対して失礼の極みであったと思います。しかし、

ひょっとしたら、数多くこなせば、語り合う相手にめぐりあえるかもし

れないと思ったものです。妻は、求めるものではなく、向こうからくる

もののようです。

それまでは、自己の練達に努めるほかありません。

見合いを通して、結婚の条件は学歴と勤務先・地位・職業であること

を知りました。

二つとも、小生は自分の家族から見ても劣悪であったわけです。私は、

とに

かく、待つことにしました。父の死後、うるさく結婚の話をするもの

もなく、平和な日々が続き、研究に専念できました。これは、助手の

ころの話です。結婚は、くじのようなもので、できる者もあれば、で

きない者もあると考えていました。また。結婚によって多大なエネル

ギーを消費せざるをえないのでないかとの不安もありました。何しろ、

業績をあげなければ、翌年、解雇されるおそれもあったことから、結

婚どころではなかったのです。しかし、講師に昇格してから、全く偶

然ですが、一人の女性が私の目の前に現れました。それが、30年連れ

添っ

た今の妻です。途中、波風もありましたが、カードを選んだ以上、最

後までカードを離すことなく、現在にいたっています。一旦自分の意

志で選んだカードは、死ぬまで持ち続けるというのが私の信条です。

カードが逃げてしまえば、仕方ありませんが、それまでは死守すべき

ではないでしょうか。しかし、逃げられないように気を配ることも大

事です。

私の妻は、21歳で私と結婚して以来、他人の飯を食ったことがありま

せん。これは、我が柏野家の家訓でもあります。自分の妻が他人の飯

を食うことは、そのスポンサーの奴隷となることでもあります。我が

家に賃

金奴隷は私一人でよいのです。これが我が家の家訓でした。できるこ

となら、

自営業が望ましいのですが、大学を設立する財力をもたない者は、所

詮どこかに所属していなければ生きていけないようです。妻が私を夫

として選んだ理由はよくわかりません。私が妻を選んだ理由、これも

明確な理由はありません。ひた向きであったとか、容貌に魅かれたと

いう点も確かにあったと思います。エロスの力は恐ろしいものかもし

れません。しかし、エロスのみで妻が選ばれるわけでもないでしょう。

そこには、彼女の育った家庭教育や躾といものが、出てきます。彼女

の母方の曽祖母は、岡山池田藩32万石の上級武士で石高は、2,000石

を超え、出城の城代を務めていたといいますから、大層な家系の持ち

主でもあります。たしかに、近所ではその子孫は「先生」と尊称され

ていたようです。小生の母方は江戸幕府の直参とはいえ、塩飽水軍石

高20石の

旗本にしかすぎませんから、家系からいってほとんど釣り合いの

とれていない結婚でもあったわけです。よく、彼女の両親も許したも

のだと感心しています。特に、彼女の母は大層私を見込んでくれまし

た。それだからこそ、彼女の両親を早く喜ばせるた

めに、無理をしたため、遂に病の床に臥せることになったわけです。

私は子供のそばに常にいる母を考え、妻には在宅してもらうことにし

ました。また、妻のご両親も、可愛いわが子が外で働くなど思いもか

けぬことであったと思います。私の母も専業主婦であり、叔母もすべ

て専業主婦でしたので、家風からいって、妻が他人の飯を食うなどと

いうことはかんがえられなかったのです。もし、職場で妻の身に災難

がふりかかった場合、どうするか。これは、重要な問題です。私は長

い大学勤務の中で、危機に晒された数名の既婚女性教職員のことを知

って

いますが、夫の力ではどうにもならず、他の人々が救済したのを覚え

ています。夫や恋人には何もできないのです。何と不甲斐な輩かと軽

蔑したくなりました。専業主婦の家庭の子供は、自立が遅く、DV化し

やすいとの論を聞いたことがありますが、人間が自立するためには、

先ず親を超える必要があります。多少の騒ぎは自立への助走ですから、

見守っていればよいのではないでしょうか。

 もし、男性の教師であれば、専業主婦を目指す女性と結ばれてほしい。

これは、女性の就労に反対しているという意味ではありません。幾度か

の家庭

の危機も、母親が常に家庭にいるという事実によって、我が家は救われ

てきました。危機にある子供に対しては、誰かが付き添っていなければ

ならないのである。私は、どのようなプライベートな生活を送っている

かもわからぬ精神科医やカウンセラーなどよりも、落ち着いた母親がど

れだけ子供の安定に役立つか、計り知れないと思っています。薬物によ

っ

て人間の心を変えることなど、私の子供であれば認めない。カウンセリ

ングも、当のカウンセラーの私的生活態度を十分観察してからでないと

任せる気にはならない。かつて、知人の大学教授から、人権問題もから

み、現状では十分調

査することもできず、女性のカウンセラーを採用したが、いずれの大学

においてもシングル・マザーであったとのことである。父親は、他に妻

帯しており、子供たちは、未婚の子となっている。この子供たちは、経

済的に恵まれているから問題はないと、当の女性カウンセラーたちは考

えているのであろう。「恋愛は自由であり、出産も自由である」と。これ

は、不倫の正当化ではないのか。このような姿勢で生きる大学の女性が

最近多いような気がしてならない。つまり、大事なの彼との関係維持で、

その子供は付属物でしかないのである。もし、彼が正妻と離婚すれば、

その後釜として妻の座をえようとしているのであろうか。彼女たちの心

のなかに、子供たちの心の闇を見つける能力が備わっ

ているのであろうか。これははなはだ疑問である。大学院を修了して専

門家として勤務していながら、何かが欠落しているのではないだろうか。

自分たちは、心の専門家であるから、自分たちの言うことが絶対的に正

しいと思い込んでいるのではないか。私には、どうもそう思えて仕方が

ない。

「思い上がっているよ。子供は母親につくものだ、頭から決めてかかっ

ているじゃないか。それが思い上がりというんだよ。子供にはな、父親

と母親が必要なんだ。車の車輪なんだ。その必要な父親を子供から取り

上げるつもりなのか、お前は」

「・・・・・・・・・・・」

「子供が一番大事にしている玩具を、いきなり踏みつける親がいるか、

なぎさ。父親は玩具とは比較にならない存在なんだよ、子供にとって」(三

浦綾子、「青い棘」)

 私は、父親との関係が薄い。父はほとんど不在であった。何か月も家

を留守にしていた。父と継続的に暮らすようになったのは、私が中学2

年の頃からであった。これは、私の人格形成にマイナスの要因となって

いるように思われる。

 さて、男性教職員にとってどのよう妻がふさわしいか。一言でいえば、

志のある女である。そして、選んだカードを最後まで離さない女である。

「可愛い女」であれば、なおさらである、これは容貌のみではない。人

間考えていることは顔に出る。いつも意図的にニコニコしている女は、

いつか馬脚を現す。私は、そのような女をよく見てきた。節操のない女

が多く、男であれば、誰彼となく笑顔を作っている誠に唾棄すべき女で

ある。この手の女は、半年もすれば、大抵本音を表す。義理や約束など

という人間社会の一種の規範など、どこふく風である。世話になった人

がどうなろうがお構いなしである。しかも、男との関係は、ずるずると

続いてゆく。継続して約束を維持できるかどうかは、半年もすればわか

るであろう。自分さえよければよいという自分の論理をふりかざす女は

避けるに越したことはない。このような女は、人生の目的が日々へつら

いを受け、食べることにつきるようである。近づかぬことである。


志のある女を見つけることは容易ではない。瀕死大学勤務、三流私大

卒業では、妻を見つけることは不可能に近いと思われるかもしれない。

しかし、瀕死大学勤務であり、三流私大卒業者ほど、逆に言えば、

人間的魅力と生命力に重点をおいた女性に会えるかもしれません。つ

まり、余計な心配をする必要がないのです。この女は学歴に釣られて

近づいてきたとか、一流大学勤務の条件に釣れられてきたとかの心配

が全くないからです。小生の場合も、そのような危ぐは一切ありませ

んでした。何しろ、評価の低い短大勤務、給与は公務員よりもさらに

低

い、しかも親と同居、三流私大の出身、ところが妻の実家はすべて国

立大学の出身者、しかも広大な土地所有者の娘、土地の顔役、しかも

年齢も若い。

こうなると、私に備わった男としての特徴以外何もないという条件で

したので、

心は晴れやかでした。この女に楽をさせたいと思ったのは当然でしょ

う。

もし、相手が見つからなければ独身を通すべきである。志の低い女は、

やがて夫を世の中に埋もれさせる。いや、家名断絶の危機に夫を追い

こむかもしれない。徳川家康の築山殿、豊臣秀吉の淀君、これらは悪

の典型とされている。一方、細川ガラシャ夫人、山之内一豊の妻、こ

れらは妻の鑑であろう。外見からすると、若い間は、女の区別ができ

ない。しかし、賢い女は、若くとも外的条件を無視して男を見極めて

いる。しかし、男が女を見る目ほど怪しげなものはない。ほとんどが

外れている。笑顔を振りまいている女が良いとは限らない。中には、

機械のように、終始笑みを絶やさず、時には意味ありげに、あちこち

とほとんど同時に誰かれとなく、すべての人に同じ笑顔を振りむけて

いる女もいる。一般的にこういう女はビジネス上の笑顔を振りむけて

いる思えばよい。心から笑顔を振りむけているのでは決してない。む

しろ心の中では「この馬鹿者が」と見下しているかもしれないのだ。

そういう女は、半年もすれば馬脚をあらわす。もし、常に笑顔を絶や

さない女を

妻に持ちたいと思えば、用心して待つことである。一方、志の高い女

は、忍耐強く、常につつましやかである。自信があるから、相手の顔

色を窺う必要がない。常に毅然としている。この毅然とした女を妻と

すべくアプローチしなければならない。社会的に成功している人たち

の妻は、すべてとはいわないが、真に人間的優しに満ち、落ち着いて

おり、高い志をもって夫を助けている。男はこうあらねばならないと

いうものを持っているのである。外見に惑わされてはならない。夫に

愛人ができれば、そして愛人が自分以上に夫を永続的に愛することが

できる女と判断すれば、むしろ、自分は身を引くという女がいる。妻

の鑑であろう。

執筆活動に専念する条件を整備する妻が、大学人にとって最良の妻で

あろう。すべての面において完璧である必要はないが、研究活動を邪

魔しない女であってほしいものである。

 大学人として何をしたいのか。瀕死大学に所属することは抜きに

して、研究をどのように進めるか。これは決めておかねばならない。30

代の過ごし方は、40代を規定するが、30代に連れ添った妻は、さらに大

きな影響を与える。明日、リスボンに旅立つにあたって、メルマガの友

人であり、大学人であり、しかも独身である読者に残しておきたい。
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