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日本の地方大学が世界水準に達するためには何が必要であるかを考えるため、ベヴァリッジの大学経営論から見た大学論について柏野健三がお伝えします。この大学論は、日本で学ぼうとする若き人々のためのものです。

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2009/08/25

どのような研究者が伸びるか

瀕死大学 現役教授が語る偽らざる実態

どのような研究者が伸びるか。
【ポイント】
a.	学問上の直接の上司と頻繁に連絡を取ること。推薦権を持つ。

b.	著作物の定期購読者を数名獲得すること。執筆意欲がたかまる。

c.	品性を磨くこと。

今日は、柏野健三です。来週から10日間、リスボンへ出かけることにな

りました。ルフト・ハンザ航空を利用してフランクフルト経由でリスボ

ンに入ることにしております。飛行機事故も考えられますので、遺構に

でもなればとメルマガを発信することにしました。昨日も、私が真っ向

から受けとめなければならない2人の研究者とお話ができました。2人と

も30代で、これからの発展が大いに期待できる人材です。このような研

究者とお会いするたび、創作活動への意欲は高まるばかりです。人生の

愉しみといえるでしょうか。

 さて、今回は瀕死大学の中で、伸びる研究者、自滅する研究者につい

て小生の経験を踏まえてお話したいと思います。一般的にエリート大学、

大学院を卒業・終了した研究者は、瀕死大学に就職することはまずない

と思われますから、このメルマガの読者には適していません。

 過日、某私立短期大学の専攻科(受講生7名)の講義に出かけてきました。

その際、某公立大学の講師(経済学)とお目にかかる機会がありました。昼

食をともにしながら、雑談しておりましたところ、やはり准教授昇格へ

の望みをもっておられました。業績をお伺いしたところ、学術論文は30

代後半にして既に15本公表されているとのことで、小生の判断するとこ

ろ、

准教授レベルではないかと思われました。経済学者らしく、理路整然と

話され、論理に弱い小生は終始圧倒されてお話をお伺いしておりました。

公立大学における講義担当科目は、彼女の所属する大学では、学部にお

いては1~2科目で、瀕死大学の持ちコマに比べると雲泥の差があるもの

と感心しました。小生もかつて、公立大学に勤務しておりましたので、

研究時間の確保は十分にできたことを思い出します。

 彼女は、昇格するためには、専門科目の教授を第一として学部教授に

人格的にも認められることをよく熟知していたように思います。講義の

休み時間の間には、上司格の関係科目教授と連絡を取り、自分が今何を

しているかを同教授に知らせているようでした。この姿を見て、この女

性研究者は近いうちに、准教授に昇格できるのではないかと思ったもの

です。海外出張では直接、海外の参加者と意見交換もされているという

ことで、目は海外に向けられていました。

つまり、「伸びる研究者」なのです。伸びる研究者とは、研究業績のみで

なく、人格的な面が備わっていることも重要です。教授会で昇格の原案

が作成される場合もあれば、上位下達方式で、理事長の独断で昇格が決

定される大学もあるでしょうが、肝心なことは、組織に属する限り、上

位者が決定権を持っているという事実です。

  しかし、瀕死大学の若い研究者は、どうしてもこのことが理解でき

ていないようです。評価は、自分でするものではありません。特に、瀕

死大学に在籍する若手教員は、自分こそ第一と思いがちなところがあり

ます。これこそ、まさに自滅の第一要件です。某公立大学の講師は、こ

の点では学生、院生時代から優れた教授について研究を進めると同時に、

人間的にも成長してきたのだと感心してしまいました。どのような指導

教授や先輩教授にめぐり合えるか、これは、まさに「くじ」を引くよう

なものです。類は類をもって集まるといいますが、不思議なことに、品

性

劣悪な教授の下には、やはり品性劣悪な院生が集まるようです。これは、

瀕死大学の若手教員を見れば瞬時にして理解可能です。また、生きる上

で、原理や倫理のない教員の下には、やはり同じような院生が集まると

聞いております。これも、瀕死大学の若手教員に多いようです。見方を

変えると、それだからこそ、行き場がなくて瀕死大学に勤務せざるをえ

ないのかもしれません。しかし、大学の研究者として生活をするという

決意があれば、自らを変えることが可能です。飛躍が可能です。瀕死大

学の教員も、国公立大学の研究者として転出していった例があります。

やはり、油断なく研究生活を彼らが送ったからでしょう。地方の三流私

大を卒業後、国公立の大学へ移った研究者の研究姿勢を見ますと、歴史

と原理を追究していることに気付かされます。流行のトピックスのみを

課題とする研究者は、伸び悩んでいるようです。つまり、人間社会を成

り立たせている根本原理が理解されてないのですから、自らの学説など

立てることはできないのです。

 さらに、同席した某講師は、文学にも深い関心を寄せられ、専門科目

ではなく、人間的幅を持たれていることに気付かされました。特に、社

会福祉研究を進める研究者には、聖書や大日経には目を通してほしいも

のです。また、文学作品の中には優れた人間心理を描写しているものも

多々あります。某講師は、品性においても優れた方で、その点において

も、昇格のための有利な条件を備えられていると思ったものです。人間

の最終的判断基準は何と言っても品性ですから、この品性を磨くことに

全力を傾ける必要があります。

 さて、研究者は論文執筆(創作活動)に一生を送らねばなりません。それ

ができないと判断すれば、即、大学をやめて、他の仕事をすることをお

勧めします。塩野七生が『男たちへ』というエッセイの中で創作活動の

カギの一つについて面白いことを書いています。「その私でも書くときは、

読者は頭になく、眼の前の担当編集者に向かって書く」とあります。「彼

を、でなければ彼女をうならせてみたいという思いだけで書く。なぜな

ら、それが上手くいけば、その向こうにいる不特定多数の読者にも自然

に通じる、と確信しているからである。」この塩野の執筆姿勢は、小生の

執筆姿勢に似ている。私は、編集者を持たない。しかし、特定の読者を

抱えている。私は、特定の1人か数人に向かって実は書き続けている。

それがなれば、到底ボランティアで書き続けることは難しい。だが、こ

れも「くじ」のようなものである。そのような読者を持つことができる

か否かが、実は瀕死大学における自己の盛衰を決定することにもなる。

 ではどのようにして、そのような読者を獲得するのか。小生は「くじ」

と言いましたが、美的に回想すると天恵であるかもしれません。ではど

のような場合に天恵があるのか。やはり、そのような読者にめぐり合え

るためには、準備期間というものが必要です。その時のために自らの品

性を磨き、教養を積み、包容力を持ち、原理的ではあるが柔軟な行動様

式を備えていることが必要です。小生にとって特定の読者とは恋人のよ

うなものです。このような人に自らの作品を読んでもらいたいと思えば、

勇気をもってコンタクトを取るべきです。塩野に言わせると「口にして

以後、真実がふくまれはじめてくるのだ。・・人間というものは、いかに

心のなかで思っていても、それを口にするかしないかで、以後の感情の

展開がちがってくるものである。」(塩野七生)つまり、塩野の話は、男女

間の話であるが、真実味を帯びている。「そして男は、二度目に同じ「言

葉」を口にするようになった時、最初の時のためらいを、必ず少しばか

り忘れているはずだ。そして、三度目、四度目。男は、いつのまにか、

彼自身も意識しないうちに、相手の女をほんとうに愛していることに気

がついて、誰よりもまず彼が驚くだろう。」(塩野七生)

 小生も口にすべきではないことを口にしても自らを追いこんでゆくと

ころがある。しかし、これは生きる上で大きな快感となり、創作活動は

高まってゆく。客観的形(言葉)にしなければ、相手は感じることもできず、

理解もできない。まして、小生のエッセイなど読む気もおこらないであ

ろう。「男は、絶対に、彼自身の頭脳を通過したことでないかぎり、彼自

身の心に定着させない」(塩野七生)のである。特定の読者がエレガントな

異性であれば、執筆者はさらに創作意欲を高めることは間違いない。精

神的なつながり、「同じ言語」を持つことは、人生の愉しみを一段と増す

であろう。磁石の強い男ほど、作品を量産できるのである。

 余談だが、特定の読者に情愛を感じれば、真っ向から相手を受けとめ

るのが礼儀である。私は、情愛を感じるようになってしまった相手には、

決然と立ち向かうことにしている。立ち向かう姿勢の基本は、相手が幸

福にならなくとも、不幸にはなってほしくないということである。した

従って、相手には面白くない話もある。特に、若い時代は、えてして自

分中心であるから、社会的倫理の観念からはほど遠いことがある。それ

でも、私は自らの姿勢を変えることはない。特定の場面における相手の

行動に対して、ノーは、あくまでもノーなのである。その時点では、嫌

われることもあるが、経験的にいえば、人間の本性に敏感な女は、さら

に信頼を寄せるものである。こうして、情愛は深化し、精神の高みが現

れることになる。「生身の人間同士の、つながりを深めるのが対話なので

ある。」(塩野七生)私は、情愛を感じる相手には、常に相手が望む状態に

自らを置いている。時間無制限というわけにはいかないが、相手が自分

の前か横にいる限り、常に真っ向から相手を受けとめている。この習性

ともいえるスタンスを続けてから30年以上になるが、この情愛を感じる

相手がいるかいないかが、発展か、没落かを分けるような気がしてなら

ない。少しでも、情愛を感じる相手に巡り合えれば、真っ向から相手を

受けとめてみてはどうであろうか。逃げてはならないのである。私は、

そのような読者を数名持っている。そのおかげで、執筆活動への意欲は

増すばかりである。

 先日、三浦綾子作品の愛読者と対談する機会があった。三浦綾子の小

説はいずれも格調が高い。そして、その作品には激しい情愛の持ち主が

登場する。思い続ける者には、絶え間ない切なさや、苦しさ、そして愉

しさというものがある。しかし、相手の女性(例えば、ガラシャ夫人、り

き)を中心として、男どもは生きてゆかざるをえない。これは、美しいも

のに出合い、出会ったが最後、その影を追い、それに従属し続けなけれ

ば生きてゆけない男の性(さが)であるかもしれない。すべての男がガラシ

ャ夫人やりきのような女性にめぐり合えることはできない。ただ、今回

三浦綾子作品の愛読者に一度でもめぐり合えたということでは、私は無

上

の愉しみに浸ることができたようである。その時の対談の相手はガラシ

ャ夫人を思わせる知的で、エレンガントで、口もとに微笑を絶やさない、

美しい女性であった。

 当然のこととして、私の創作活動は熱をおびている。

【参考文献: 塩野七生『男たちへ』文春文庫】

 


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