2009/03/21
朝ドラ「だんだん」 癌治療は進みました
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第106回 朝ドラ 「だんだん」
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3/22(日)は午前8時から全国高校自転車競技大会のロード部門が行われます
メディアドーム(北九州市競輪場)で室内で予選を勝ち抜いた選手が出ます
全国高校野球は開会式から全国放送されますし、全試合をNHKが放映します
サッカー、ラクビー、バレー、陸上などそれぞれ決勝戦は全国放送です
しかし、この自転車競技大会はそうした放映も新聞報道もありません
昨年、室内予選で落ちた高校生が「自転車レースはとてもマイナーです」
と言っていました。 そうですね、野球、サッカーはメジャー(大きい)です
そんな言葉を思い出しながら、私は自主警備員として道路の警備をします。
男子に1分遅れて女子が走り出します。 男子が100名くらい、女子が50名くらい
です。 50キロ前後走りますが、かなり大きな差が生じます。 3キロのコースを
10数回往復します。 北九州市若松区の新しい道路を使います。
ここでの全国大会はもう3年になります。 全国の高校から出てきますが、自転車
も、ユニフォームもカラフルです。 私の警備場所は上り坂の中途なので選手の
荒い呼吸が聞こえます。 自転車は高性能のものでチェーンの巻きつく音と
ギャーチェンジの音と人間の呼吸音が聞こえます。
さて「だんだん」はいよいよ来週が最終日です。 めぐみ、のぞみも結婚し
ハッピーエンドが間近となりました
しかし現実の社会は「悪いことはいつまでも続かない」と裏腹に「良いことも
いつまでも続かない」ことを意味します。 禍福はあざなえる縄の如しと言います
良いこと、悪いことの繰り返しでございます。
思えば、この半年間私にも多くのことがございました。 10月に米国の製鉄所向け
の機械設計をしていた私に、自動車産業の不振から、突然仕事をなくしました。
ひと月くらい、仕事がありませんでした。 今後も仕事の確保が出来ない状況だった
ので、ハローワークで仕事を探しました。 59歳の半ばの私には仕事はありません
パラリとめくった市営バスの運転手の募集、しかも早朝のパート部門がある。
「うそだろう」と思いました。 「これなら、自営の仕事がきても、できる」
と思い、自動車学校でバスの練習。(26歳の頃、大型ニ種を取得していました)
そして合格して、今はパート運転手として2ヶ月。 設計の仕事もボチボチ
この不況は、私に思いもかけない、お土産をくれました。
皆さんもあきらめないことです、何かないかと捜し求めていれば、あると思うのです
私も間もなく、60歳、今まで生きてきて、子どもが生まれたばかりの会社の倒産など
苦しいことがありました。 でも「なんとかしなくっちゃ」とかんばって仕事を
探しました、まだまだこれからも大変なことがあるかもしれません
3/20(金)春分の日
めぐみとのぞみという二つの命が皆をつないでくれた
石橋は忠に初枝の治療のことを話すが、忠は今日は祝いの席と話を打ち切る。
忠と真喜子を前に、産んでくれておおきにと言う花嫁姿ののぞみ。
二人は涙をこらえきれない。そんな中、松江と京都を結ぶ、温かい披露宴
が始まる。
めぐみとのぞみの出会いが皆をつないだような奇跡を、もう一度初枝に訪れ、
もっと生きて欲しいと願っていると、忠は言う。
ヘレン先生「それではこの方にご挨拶をいただきましょう、
田島忠さん、お願いします」
そば爺 「へい、親父、やれ」
一同拍手。
忠 「わしゃあ、口下手だけん、上手く言えんことが悔しいが、
今、ここ(胸を叩く)から皆さん一人ひとりに感謝の気持ちが
あふれちょります、もう20何年も前、わしゃあ自分のことで
精一杯で親の気持ちも何もかも振り捨てて松江を飛び出しました、
だども、わしの夢は無残な形で終わり、めぐみとのぞみは松江と
京都で育つことになってしまった、わしのおろかさが人を傷つけて
苦しめて、それでも宿った二つの命、めぐみとのぞみという命が
わしにチャンスをくれたもう2度と抱きしめることができんと
思っちょったのぞみは今花嫁としてわしの前におる
でもそれはここにおる一人ひとりが精一杯生きて来たからでない
かね 康太という精一杯を絵にかいたような男とのぞみは出会った
その康太はわしがかつて飛び出した、いち條さんのところで懸命に
働かせてもらっちょる 奇跡だがね、
康太、のぞみを幸せにしてやってごぜ」
康太 「はい」
忠 「めぐみとのぞみという命が
皆をつないでくれた そして、今一度わしは奇跡を願いたい、
わしという命を育んでくれた人のことだが 今のわしをこげな気持ち
にさせてくれたのはめぐみと石橋さんだが、 二人は本気で、命がけで、
お母ちゃんに生きて欲しいとぶつかってきた、お母ちゃん、もっと
もっと生きて欲しい」
3/21(土)「だんだん」
祝福の中で康太とのぞみの披露宴はお開きとなる。
舟歌の礼にと、かつてのSJのメンバーが「いのちの歌」
を初枝の前で歌う。涙しながら聞く初枝は新しい治療をやり、
諦めずに生き抜くと宣言する。そして半年後、初枝は徐々に
薬を減らせるまでに回復。そんな折、石橋はめぐみを故郷の
知夫里島へ誘う。
宍道湖の畔。
初枝 「何かね、こげな所に連れてきて」
石橋 「初枝さんが松江舟歌を歌ってくれたお礼です」
康太 「めぐみ、のぞみ」
めぐみ 「準備はええかね」
俊 「OKですよ」
康太 「それでは初枝ばあちゃん、
皆で作ったいのちの歌、聞いてごしなさい」
初枝が拍手。
忠、嘉子、健太郎も来ている。
初枝 「めぐみ、のぞみ、康太、俊、だんだん、
石橋さん」
石橋 「はい」
初枝 「やってみるがね、抗がん剤」
石橋 「ほんとですか」
めぐみ 「お祖母ちゃん」
初枝 「もう一遍、生きてみるがね、あんたらに勇気もらったけ、
どげに苦しいても、我慢できいがね、石橋さん、命預けたけん」
石橋 「わかりました」
宍道湖の夕日に初枝は諦めずに生きることを誓いました。
そして、半年が過ぎました。
2008年平成20年11月
中山 「よく頑張りましたね」
初枝 「はあ」
中山 「癌の陰がこんなに小さくなりました、
しかもこの数ヶ月この状態をキープしています、
今回の抗がん剤併用が初枝さんの組織にはきいたんですね、
これから徐々に薬を減らしていきましょう」
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福岡県北九州市若松区東二島
林 茂生
x1796shm@bronze.ocn.ne.jp
小さな環境対策を自作品で
http://www7.ocn.ne.jp/~futajima/
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