2009/04/11
江戸の酒
○○○●天地人、大河ドラマ&徳川将軍家系図&江戸時代文化●○○○第72話 ☆江戸の酒☆ 日本酒は古い歴史を持っていますが、消費量が増えたのは室町時代から の事のようです。 恐らく酒造りは米を大量に消費するため、一般庶民にまでは 回らなかったのでしょう。 米の生産が安定して来てから徐々に生産量が増えていったものと 思われます。 慶長5年(1600年)鴻池善右衛門が清酒を大量生産する技術 (三段仕込み)を開発すると一般大衆にも普及していきました。 (鴻池家はその後酒造業から両替商に転換し、鴻池財閥となり 三和銀行へと引き継がれていきます) しかし酒の消費が増えると米が大量消費され米の価格が上がるように なったため、幕府は酒造株制度を導入し、酒造りを免許制としました それまでは誰でも酒を造ることができたのですが、これによって その年の米の生産高に比例して、各酒蔵が酒のために消費できる石高の 上限を定めました。 また、それ以前は一年中作られていた酒も(新酒、間酒、寒前酒、 寒酒、春酒の年5回)も酒造りの統制を目的として寒酒の製造法を 改良した寒造り以外は禁止となりました。 これによって今でも酒は寒造りが基本となっているのです。 季節によってそれぞれ作り方が違うため、他の製法は受け継がれなく なってしまい四季醸造の復活は昭和になってからです。 徳川時代には鎌倉河岸の豊島屋のように江戸でも酒を造る業者は いましたが主流は摂泉十二郷と言われるところで作られた酒。 水によってだいぶ味が変わるようです。 これらは江戸では下り酒と言われていました。 中でも伊丹や池田の酒が珍重されました。 江戸での消費量が余りにも多いので、生産量制限もあって、伊丹酒や 池田酒は地元では殆ど呑まれなかったようです。 その後、灘の宮水が評判となり、伊丹や池田に代わり灘が摂泉十二郷の 中心地となっていきます。 安全・安心なセカンドアドレス。週刊AERAでも紹介されました <a href=http://rentalpost.jp/><b>◆私設私書箱なら東京神田のフェニックスコート◆</b></a> ★企業の発展に合わせて、同じ住所で小規模から中規模まで★ <a href=http://small-office.jp/realestate.html><b>オフィスを借りるなら株式会社 矢(ちかい)</b></a> 会議室は人の集まるのに便利なところで 丸ノ内線大手町徒歩4分。東京駅・上野駅も15分以内。しかも小綺麗! <a href=http://kasikaigisitu.com><b>◆会議室をシンプルにすれば格安価格◆</b></a> ----------------------------------------------------------------- ★天地人、大河ドラマ&徳川将軍家系図&江戸時代文化★ 発行者:大嵜健史 ご意見、ご感想はこちらまでお願いします。 oosaki@small-office.jp お手軽な携帯配信版:『メルモ』(携帯版は23:00以降の配信は翌朝) 配信登録・中止はこちら http://merumo.ne.jp/search/doSearch.do 「徳川」と入力すると登録画面が出てまいります。 ブログはこちらです。http://tokugawake.livedoor.biz/ このメルマガの記事はブログの内容とほぼ同じものです -----------------------------------------------------------------


