2009/03/14
火事と喧嘩は江戸の華、明暦の大火 その1
○○○●天地人、大河ドラマ&徳川将軍家系図&江戸時代文化●○○○第68話 ☆火事と喧嘩は江戸の華、明暦の大火 その1☆ 明暦の大火は別名「振袖火事」とも言われます。 明暦3年(1657年)1月18日、本郷丸山にあった本妙寺から出火したと 言うのが通説です。 火はたちまち燃え広がり(何しろ当時の日本の家屋は木と紙で出来て いますから)ようやく火が収まったと思ったら翌日の10:00には 小石川伝通院表門下、新鷹匠町の大番衆与力の宿所より出火。 更には夕刻16:00には麹町5丁目の在家より出火 と相次ぎ、ついには 江戸市中の6割がたを焼き尽くし、死者は3万〜10万人と言われて います。 江戸城の天守閣まで燃えてしまい、以来江戸城には天守閣は建ちません でした。 死者供養のため本所(今の両国駅のそば)に回向院が建てられました。 ちなみに江戸の相撲はこの回向院で行われた勧進相撲が起源です。 それで大相撲の国技館は両国にあるのです。 いまでも回向院の横の駐車場にはかつての土俵跡が残っています。 ねずみ小僧次郎吉の墓もあり、現在はペットの墓でも有名です。 振袖火事の謂われは、ある大店の娘が本妙寺の墓参りの帰りに寺小姓に 一目ぼれをし、その若衆が着ていた振袖(当時は未成年の男女が着る) と同じ柄の振袖を作った。 その娘は17歳で死んでしまい、当時の風習として愛用していた振袖 を棺桶に掛け葬儀が営まれました。 葬儀が終わると、寺の下人達に振袖が下げられ、彼らはそれを売って 暮らしていたというので、質屋を経由して次の娘の手に渡ります。 ところがその娘も翌年の同じ日に17歳で死亡。 さらに同じように手に入れた娘も同じく翌年の同じ日(1月18日)に 死亡します。 さすがにそこで噂となり、娘を失った3家が相談して本妙寺で その振袖を供養してもらうことにしました。 和尚が読経しつつ、その振袖を火にくべたところ、風で舞い上がり 本堂へ飛んでいき、燃え広がった と言われています。 ここで幾つか謎が生まれます。 江戸は火事の多い町として知られていました。 従って火事を出すとその責任者にはきついお咎めがあり、放火と なると一族揃って火あぶりの刑となります。 一方、火事で町が焼けると復興事業の特需で江戸の町は景気が良くなり ました。そう言ったこともあり放火も結構多かったようです。 放火の場合、民家に火をつけると町奉行、寺社だと寺社奉行の管轄と なって、寺社奉行の方が圧倒的に事件がお宮入り(洒落ではなく) になる確率が高く、放火犯は寺社を狙ったようです。 火を出した寺社は当然ながら取りつぶしです。 乾燥した日が続き、しかも風の強かったこの日に、本妙寺では わざわざ振袖を火中に投じるようなことをするでしょうか? 火事を出したら取りつぶしに合うと云うのに。 自慢できるのは住所だけではありません。 <a href=http://small-office.jp/><b>◆株式会社矢(ちかい)のレンタルオフィス◆</b></a> 会議室は人の集まるのに便利なところで 丸ノ内線大手町徒歩4分。東京駅・上野駅も15分以内。しかも小綺麗! <a href=http://kasikaigisitu.com><b>◆会議室をシンプルにすれば格安価格◆</b></a> 安全・安心なセカンドアドレス。週刊AERAでも紹介されました <a href=http://rentalpost.jp/><b>◆私設私書箱なら東京神田のフェニックスコート◆</b></a> ----------------------------------------------------------------- ★天地人、大河ドラマ&徳川将軍家系図&江戸時代文化★ 発行者:大嵜健史 ご意見、ご感想はこちらまでお願いします。 oosaki@small-office.jp 読み易いPC番はこちらです。 http://archive.mag2.com/0000269239/index.html お手軽な携帯配信版:『メルモ』(携帯版は23:00以降の配信は翌朝) 配信登録・中止はこちら http://merumo.ne.jp/search/doSearch.do 「徳川」と入力すると登録画面が出てまいります。 ブログはこちらです。http://tokugawake.livedoor.biz/ このメルマガの記事はブログの内容とほぼ同じものです -----------------------------------------------------------------



