2009/02/28
信長包囲網の崩壊
○○○●天地人、大河ドラマ&徳川将軍家系図&江戸時代文化●○○○第66話 ☆信長包囲網の崩壊☆ 本号から「miniまぐ」からも携帯に向け配信を開始しました。 携帯版も宜しくお願いいたします。 天正6年3月、謙信が突然、厠で倒れます。 丁度播磨一国を切り取ったはずの信長が別所氏に背かれ、丹波の波多野氏 も織田家に離反し、さらには荒木村重も・・・と云う時期です。 このように信長が危機に陥ると、その都度、天は信長に味方します。 古くは桶狭間(田楽狭間)の戦い。 折からの雨で、織田軍は10倍の兵力を誇る今川義元の本陣に近寄る 事ができました。信長軍は2000とはいえ精鋭部隊。 それに対し、今川本陣は荷駄を担ぐ連中も多かったでしょうから、 本陣だけの兵力は大したことはない。そこを急襲されたのでは ひとたまりもありません。 二度目は武田信玄の西上。 信長は浅井の小谷城を取り囲んでいたところを朝倉勢が小谷城の援軍 として現れたため、対峙したまま動くに動けない睨み合い状況でした。 そこへ信玄の出陣。 家康からの援軍要請に対しても佐久間信盛を主将に3000の兵しか出せず 三方が原の戦いでは徳川・織田連合は完敗してしまいます。 やむなく信長は虎御前山に兵の一部を残して岐阜に撤退します。 ここで朝倉軍が信長軍を追討ちすれば、挟み撃ちにあう信長は滅んだろうと 云われていますが、朝倉軍は「疲れたから」と云う理由で越前に撤退して しまいます。 突然の戦線離脱に怒り狂う信玄は朝倉義景に再度出兵を促しますが、義景は 越前に籠ったまま。 信長が体勢を立て直しつつある中、機を逸した信玄は長篠城に兵を止めます。 出陣前から信玄は体調が良くなかったようで、出陣も予定よりひと月遅らせて のものでした。 喀血した信玄は朝倉義景が動きそうもないことを悟ると甲斐に引き上げること にしますが、4月12日、陣中で病死してしまいます。 2年後の天正3年、長篠の合戦で敗れた武田軍にはかつての勢いは戻らず、 朝倉、浅井は信玄が亡くなった直後の夏、再び小谷城を囲んだ信長に 滅ぼされており、京に近く居て信長と対等に闘えるのは謙信を残すのみ となっていました。 謙信が倒れたことによりとうとう信長包囲網も瓦解して、織田軍が天下統一 へと力強く歩み始めるのです。 ★企業の発展に合わせて、同じ住所で小規模から中規模まで★ <a href=http://small-office.jp/realestate.html><b>オフィスを借りるなら株式会社 矢(ちかい)</b></a> 会議室は人の集まるのに便利なところで 丸ノ内線大手町徒歩4分。東京駅・上野駅も15分以内。しかも小綺麗! <a href=http://kasikaigisitu.com><b>◆会議室をシンプルにすれば格安価格◆</b></a> ----------------------------------------------------------------- ★天地人、大河ドラマ&徳川将軍家系図&江戸時代文化★ 発行者:大嵜健史 ご意見、ご感想はこちらまでお願いします。 oosaki@small-office.jp ブログはこちらです。http://tokugawake.livedoor.biz/ このメルマガの記事はブログの内容とほぼ同じものです -----------------------------------------------------------------



