神田、日本橋は江戸古町。江戸の史跡と文化、現代の街並とグルメM  RSSを登録する

江戸幕府300年の歴史とその周囲の親藩、譜代、島津家など外様の各大名など大徳川氏の家系図をまじえ、大奥から側室、埋蔵金までそして江戸町文化や浮世絵について語っていきます。NHK大河ドラマ「天地人」「篤姫」関連も充実してより一層ドラマが面白く見られます。

最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2009/02/07

七尾城の戦い、その1

 天正元年(1573年)越前の朝倉義景を滅ぼした織田信長は越前をその勢力範囲

 に収めます。

 兼続が岐阜の信長を訪れたのはその翌年天正2年5月です。

 信長から越前の統治を任されていたのは前波吉継、朝倉景鏡のいずれも元朝倉氏

 の家臣または一族です。

 しかし当主朝倉義景を失った越前の治安は安定せず、越前の内紛に乗じて、

 石山本願寺が派遣した下間頼照によって次々と一向一揆が起き、前波吉継、

 朝倉景鏡は討ちとられてしまい、越前は実質的に石山本願寺の領土となって

 しまいました。これが兼続訪問の直前の2月のことです。

 ドラマの中で信長が「僧侶の仮面を被った暴徒」と言ったのはこの事件を指して

 います。

 信長と石山本願寺とは既に1570年から戦を始めており、本願寺は武田や毛利、

 足利義昭らと図って信長包囲網を敷いています。

 そこで信長は謙信と手を握らざるを得なくなったのです。

 翌天正3年、長篠の合戦で武田勝頼を破ると、勢いに乗った信長は

 越前総攻撃を開始します。

 あっという間に下間頼照ら1万2000人の一向宗徒を処刑しました。


 これを快く思わないのが上杉謙信。

 もともと一向衆を討伐するために信長と手を結んだわけではありません。

 謙信の目的は武田・北条に対する牽制です。

 武田の脅威が薄れた今、信長の侵攻を感じ取った謙信は畠山氏が守護を務める

 越中、能登へと攻勢を掛けます。

(今の石川県は昔は能登の国と加賀の国に分かれていました。越中は富山県)

 越中はすでに畠山氏が力を失い守護代の神保氏、椎名氏が覇権を争って

 いましたがこれを瞬く間に制圧し、畠山氏がまだ勢力を維持する能登の

 七尾城へと迫ります。

 これが七尾城の戦いです。


 謙信が越中・能登へと軍を進めた背景は畠山氏が信長と結んでいたこと。

 そして謙信の手許には畠山氏から人質にとっていた畠山義則がいて、

 これを畠山氏の当主として擁立し、越中・能登を織田の勢力から守ることに

 あったのです。

 (続く)


 今「おやじ、頼む死んでくれ」という本が評判のようです。

 購入してみたところ結構興味深い本でした。

 内容は酒乱の父親を持った女性の半生をつづった作品です。

 子供時代を苦労して生きたばかりか(一時は暴走族もやっています)

 結婚後も難病の長女、川崎病の長男を含めて3人の子どもを養いながらも

 相変わらず酒乱の父親に金をせびられます。

 その後、離婚して女手ひとつで貧困と戦いながら、りっぱに子育てをし

 今では周囲の人々の子育ての相談相手となって活躍しているそうです。

 人の運命というものを感じさせてくれます。

 こんな壮絶な人生もあるんだなと思い、彼女の明るく前向きな生き方を知ると

 今の人生に悩んでいる人々にとって生きる勇気を与えてくれると思い、

 紹介させていただきました。



 ★企業の発展に合わせて、同じ住所で小規模から中規模まで★
   <a href=http://small-office.jp/realestate.html><b>オフィスを借りるなら株式会社 矢(ちかい)</b></a>
最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る