2009/01/31
岐阜城
○○○●天地人、大河ドラマ&徳川将軍家系図&江戸時代文化●○○○第63話 ☆岐阜城☆ 直江兼続が信長を訪ねて行く先は岐阜城です。 金華山の頂上に建つ山城です。 山城は守り易いという特長があるため、この時期は皆、山頂に城や 砦を築きました。 山の上と下では戦うにあたって山の上に陣した方が守り易いのです。 石を転がすだけでも相手を攻撃できますし、矢を放つにしても 飛ぶ勢いが違います。 一方、欠点は、平常時において、いちいち山登りをしなければ城に たどり着けないこと。水も食料も毎日、山の下まで取りに行かなくては なりません。 そういうことで、平常時はほとんど人は住んでいません。 信長も普段は麓で暮らしていたようです。 山のふもとで暮らし、いざ敵が攻めてきたという時に山を登って城に 籠るのです。 だんだん築城技術が進んでくると、城は山でなく平地に作れば良い じゃないか という風になってきます。石垣を積むことによって、 平地でも山と同じく敵を上から見ることが出来るようになったからです また、掘割をすることにより自然の谷と同じような効果を生むことも 出来るようになりました。 平地に城が出来るようになると、普段から兵を城内に入れても食料供給 に不便を感じなくなり、兵農分離が進んで戦をするだけで生活をする 人種が増えてきます。 これを積極的に推し進めたのが信長です。 信長は稲葉山城を岐阜城へと改名しました。 もともとこの地は井口(いのくち)と言うのが一般的な名称で、 一方僧侶の間では「岐阜陽」とも言われていたようです。 岐は枝城にわかれた木曽川を指し、阜は丘陵地帯、陽は川の北側を指す 言葉だそうです。当時の文化人である僧侶は漢字の意味にちなんで このように呼んでいたんですね。 そこへ天下統一を目論む信長がやってきて、岐は「中国の周の文王が 岐山より起こり天下を定む」と言う故事にちなみ、阜は孔子の生誕地 曲阜を意味し太平と学問が盛んになることを願って信長が正式名称と したそうです。改名したのが1567年です。 この年、1567年は家康も名字を徳川に改め、「源氏の血を引くから 征夷大将軍になれるんだぞ」という意思を示した年でもあり、 隣国とのいさかいに明け暮れた戦国大名から、天下統一への野望が はっきりと表現されてきた記念すべき年と言えるかも知れません。 兼続が信長を訪ねた3年後、本格的な平城として安土城が完成します。 会議室は人の集まるのに便利なところで 丸ノ内線大手町徒歩4分。東京駅・上野駅も15分以内。しかも小綺麗! <a href=http://kasikaigisitu.com><b>◆会議室をシンプルにすれば格安価格◆</b></a> ----------------------------------------------------------------- ★天地人、大河ドラマ&徳川将軍家系図&江戸時代文化★ 発行者:大嵜健史 ご意見、ご感想はこちらまでお願いします。 oosaki@small-office.jp 読み易いPC番はこちらです。 http://archive.mag2.com/0000269239/index.html お手軽な携帯配信版:『メルモ』(携帯版は23:00以降の配信は翌朝) 配信登録・中止はこちら http://merumo.ne.jp/search/doSearch.do 「徳川」と入力すると登録画面が出てまいります。 ブログはこちらです。http://tokugawake.livedoor.biz/ このメルマガの記事はブログの内容とほぼ同じものです -----------------------------------------------------------------


