幕末って?篤姫の時代の人々

現代日本の原型を作った、幕末・明治の維新前後のすばらしい人々の、エピソ−ドで綴っていきます。ただし私たちと同じ人間です。失敗談や面白おかしいエピソードなども多く残されています。そんな英雄の素顔をちょっと覗いてみたいと思います。

  • 周期 週刊
  • 最新号 2008/08/08
  • 発行部数 73
  • マガジンID 0000268219
  • 個別ページ
最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
あなたの一票を待っています!まぐまぐ大賞2008
2008/07/02

幕末って?篤姫の時代の人々 創刊号

この記事を取り寄せる

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

        幕末って?篤姫の時代の人々 創刊号

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


現代日本の原型を作った、幕末・明治の維新前後のすばらしい人々の、
命をかけた壮絶な戦いの跡をエピソ−ドで綴っていきます。厳しい競
争社会に立ち向かうあなたへのエ−ルです

お伝えできるのは人物のほんの一部になりますが、彼らの残した
エピソ−ドから、その人柄などを想像して頂ければと思います。

幕末は、後世に名を残す英雄が多く輩出されました。
ただし私たちと同じ人間です。
失敗談や面白おかしいエピソードなども多く残されています。
そんな英雄の素顔をちょっと覗いてみたいと思います。


■勝海舟     

 勝海舟といえば、坂本龍馬が師と仰ぎ、文久3年からの2年ほどは
海舟のために日本を奔走したくらいでした。そんな海舟は、安政2
(1855)年に幕府に登用されてから、文久2(1862)年には軍艦操練所頭取、
軍艦奉行並にと、とんとん拍子で昇格。翌元治元年には軍艦奉行を命ぜられ、
実力で海軍のトップまで上り詰めた人物です。
神戸海軍操練所は、海舟が設立したことは言うまでもありませんが、
大坂湾の至る所に設けられた砲台の設計(異説あり)、工事の指導も海舟が
行ったと言われています。
また、海舟は危機を乗越える政治的手腕も併せ持っていました。
代表的なものに、長州再征で幕府側が劣勢となった後の再征中止の調停、
戊辰戦争時の江戸城無血開城のための西郷隆盛との交渉が挙げられます。

こんな数ある功績を残した海舟でも、弱点がありました。
安政2年に長崎に日本で初めて設立された海軍伝習所に、
海舟は第一期生として入門しました。それも将来は艦長要員を約束された
エリート伝習生でした。しかし安政4年発足の第二期生にも海舟の名が
残ることになってしまったのです。つまり・・・留年したようです。
海軍における航海術を習得するには単に経験だけではなく、数学、物理学
などの学問が重んじられました。航海をするには代数・幾何学・三角関数・
力学などが必要でした。また船を動かす蒸気機関にも数学、物理学が必要と
されているのです。海舟は、思想を理論的に構築する能力は長けていたの
ですが、科学的理論には興味がなかったのか、または得意ではなかったのか、
いまひとつの成績だったようです。

 それでも海舟は、人の上に立つ能力を買われて実際の航海でトップとして
乗船したことがありました。
これが、万延元(1860)年に日本人の操縦で初めて太平洋を渡った「咸臨丸」
での航海です。海舟は咸臨丸艦長に抜擢されて、航海を指揮する立場を勤め
ることになったのです。しかしその結果がお粗末でした。
もともとの体調不良もあったようですが、船酔いがひどく、ほとんど艦長室
から外に出ることが出来なかったようです。航海中の太平洋のど真中で
「俺は帰るから、小船を出せ。」と言い出すこともあったようです。
咸臨丸に同船していた福沢諭吉は、これの海舟の悪態に接したことが
きっかけになったかどうかはわかりませんが、「痩せ我慢の説」として
海舟を生涯批判する立場をとったのでした。
海舟は、船を操舵したり、メンテナンスをしたりする技術者には向いて
いなかったようですね。

■坂本竜馬 1   1835年〜1867年

土佐藩出身の志士で、海援隊を設立して海外雄飛を図り、
「船中八策」を起草し、新国家の指針を示しましたが、
明治維新直前、京都で暗殺されました。

その日八つ半(午前3時)ごろ、京都伏見の寺田屋では、
養女格の女中、お龍が風呂に入っていました。表がなにやら騒がしく、
女中が誰かと言い争っているような声が聞こえて来ます。

さては・・・と思う間もなく、お龍は風呂場を飛び出し裏梯子から
二階に駆け上がりました。
湯文字をつけるまもなく、素っ裸のままでした。
「気をつけて!来ました」
その声に竜馬はとっさに羽織を脱ぎ行灯にかぶせました。
そのときにはもう、表の階段をしのび足で上がる捕吏の気配が
迫っていました

竜馬は同席の長州藩士の三吉慎蔵とお龍を行灯(あんどん)の影に隠し、
灯りを階段のほうに向けました。その上で、先頭の捕吏が持つ
ガントウめがけて、持っている短筒を一発発射しました。
短筒はかねて竜馬の身の危険を案じた長州の高杉晋作から、
護身のためにと渡されていたものでした。

敵方は二十人ばかり、手に手に槍を持ちながら「上意」「上意」と
言い募ります。三吉が槍を振り回して敵のなかに踊りこみました。
「拙者は薩藩の者だ。無礼は許さぬぞ」と竜馬は叫んだが、
相手は聞く耳を持ちません。

二、三発撃つうちに、敵の大刀が竜馬の指を切りました。
竜馬は三吉の肩に短筒を置き、隊長らしい男を撃ち倒しました。
敵が思わずひるむ隙に、三吉ともども隣家を蹴破って脱出しました。

その後、竜馬は諸国を旅するときには、いつもお龍を伴ったといいます。





■ 榎本武揚の蝦夷地臨時政権

戊辰戦争が東北に飛び火して激しい戦闘が繰り返されていたころ、品川沖に
停泊していた旧幕府海軍の軍艦、開陽、回天、蠕龍、干代田、長鯨、神速、
美賀保、威臨の8隻が錨を上げました。

艦隊を率いるのは、幕府海軍副総裁だった榎本武揚です。榎本は官軍の江戸
侵入から彰義隊の上野戦争までを品川沖で傍観しながら、新政府の徳川家に
対する処分決定を待っていました。彰義隊が壊滅し、徳川家は減封された
とはいえ存続が決定、さらに東北の雄藩・会津が降伏間近というニュースを
聞くに及んで、榎本はようやく腰を上げ、慶応4年(1868)8月19日に品川から
北へ向かったのです。
榎本が目指したのは蝦夷地(北海道)でした。

榎本軍は3500という大所帯でした。この中には彰義隊の残党や、幕府に軍事
顧問として招かれていたフランス軍人なども含まれており、途中、東北戦争
に一部参戦した者もあれば、会津などで敗れて新たに榎本軍に参加した者も
ありました。新選組の土方歳三や、関東各地でゲリラ戦を展開していた
旧幕府歩兵奉行の大烏圭介らも榎本軍に合流しています。

榎本の目的は、蝦夷に新政府とは別の共和国を建設するという点にありました。
この共和国に駿河へ減封された旧幕臣を収容して、開拓事業を行なうとともに、
南下政策を押し進めるロシアヘの備えとするという構想だったようです。

当時としては画期的な構想ではありましたが、国内の完全統一を目指していた
新政府が、このような計画を承認するはずもありませんでした。

明治元年(1868年)10月20日、函館の北に位置する鷲の木に上陸した榎本軍は
25日に箱館・五稜郭を占拠。11月5日には松前城を落として北海道を掌握します。
榎本はさっそく共和国建設に着手。政権の人事は「札入れ」と呼ばれる仕官
以上の選挙によって決定され、榎本が総裁、荒井郁之助が海軍奉行、大烏圭介
が陸軍奉行に選出されました。国際法にも通じていた榎本は諸外国へも
メッセージを送り、列強もこの共和国を事実上の政権と認めはしましたが、
局外中立の立場を取ります。

翌明治2年4月、新政術軍は青森に集結し、幕府が発注していた新鋭艦ストーン
ウォール号を使って榎本軍と海戦を行ないます。主力艦の開陽丸を当初の戦闘
で失っていた榎本の海軍は、奮戦むなしく制圧され、五稜郭も5月17日に落城。
降伏を拒否した土方歳三らは、敵陣に斬り込んで壮絶な死を遂げました。

約半年にわたって北海道に独立国として君臨した蝦夷地臨時政権は幻と消え、
烏羽.伏見の戦いから1年半続いた戊辰戦争は完全に終結。
新政府は本格的な国家建設へと向かい、榎本も後に外相や農商務相として政府
に迎えられることになるのです。



■坂本竜馬 2

慶応3年(1867年)4月23日、竜馬他34人の乗った
いろは丸(160トン)は、大量の武器や積み荷を積んで、瀬戸内海
ともの津沖を、大阪方面に向かって航行していました。

と突然、立ち込める濃霧の中に、巨大な船体が姿を現しました。
「危ない!」という暇もなく、相手はのしかかるように、いろは丸に
ぶつかり、いろは丸はたちまち沈み始めました。

「全員、向こうの船に乗り移れ」竜馬は叱咤激励し、
なすこともなくただうろうろする相手の乗組員を尻目に
舷側にしがみつき、よじ登りました。

「なにしちょる、早く助けんか」その声に相手もようやく我に帰り、
救助活動を始めました。

幸い、いろは丸の乗員は全員無事でしたが、船も積み荷も沈んで
しまっています。相手の船は紀州和歌山藩の御用船明光丸(8870トン)



明光丸は、いろは丸の乗員をともの津に上陸させると、急ぎの用がある
からといって、長崎に向け出航してしまいました。竜馬が言うには
「ただともの津に投げ上げて・・・」

明光丸の対応に怒った隊員は「切込みをかける」と息巻きます。
竜馬はそれを押し留めました。
ここから竜馬の御三家相手の闘争が始まります。

それより先、竜馬は明光丸から航海日誌や応接記録を
むしりとっていました。そして事件当時、霧の中の航行で当然
立っているはずの見張りが、明光丸にはいなかったことを指摘します。

欧米で用いられている「万国公法」を出版し、また航海法の存在を
アピ−ルする・・・などなど粘り強くて、それまでの日本になかった
新規な手法で和歌山藩を追い詰めました。

閉口した紀州藩は、ついに8万3千両の賠償金支払いに同意しました.



■伊藤博文による「日の丸演説」


吾等使節として(※1)当国に到着以来、至る処にて受けし慇懃(いんぎん)なる接
待、殊に今夕の特別なるもてなしに対し、深厚なる感銘の意を諸君並びに諸君を
通じてサンフランシスコ市民に表す。

惟う(おもう)に今夕は、日本に実施せられたる幾多の改良に就き、精確なる概要
を述べる好機会なるべし。蓋し我日本人以外には、我国内の状況に就き正確なる
知識を有する者稀れ(まれ)なればなり。

(※2)条約国との親交は維持せられ、我国民の理解に依り通商関係は増進せり。

本使節は、天皇陛下の特命に依り、彼我両国民の権利及び利益を保護するに努
むると同時に、将来に於いて内外国民の結合を一層親密ならしめんことを期する
ものなり。我等は互いに益々相知るに従い、双方の意思はいよいよ疎通するに至る
べしと確信す。

我国民は、読むこと、聞くこと並びに外国に於いて視察することに依り、大抵の諸外
国に現存する政体、風俗、習慣に就き、一般的知識を獲得したり。今や外国の風習
は日本全国を通じて諒解せらる。今日我国の政府及び人民の最も熱烈なる希望は、
先進諸国の享有する文明の最高点に到達せんとするに在り。この目的に鑑み、我
等は陸海軍、学術教育の諸制度を採用したるが、外国貿易の発展に伴って知識は
自由に流入せり。我国に於ける改良は物質的文明に於いて迅速なりと雖も、国民の
精神的改良は一層遙かに大なるものあり。我国の最も賢明なる人々は、精密なる
調査の結果、この見解に於いて相一致す。(※3)数千年来専制政治の下に絶対
服従せし間、我人民は思想の自由を知らざりき。物質的改良に伴って、彼等は長
歳月の間彼等に許されざりし所の特権あることを諒解するようになれり。尤もこれに
伴う内変は一時の現象に過ぎざりき。我国の諸侯は自発的にその(※4)版籍を
奉還し、その任意的行為は新政府の容れる所となり、数百年来強固に成立せし
(※5)封建制度は、一箇の弾丸を放たず、一滴の血を流さずして、一年以内に撤廃
せられたり。かくの如き驚くべき成績は政府と人民との合同行為に依り成就せられ
たるが、今や相一致して進歩の平和的道程を前進しつつあり。中世紀に於ける
いずれの国か戦争なくして封建制度を打破せしぞ。

此等の事実は、日本に於ける精神的進歩が物質的改良を凌駕するものなることを
立証す。(※6)又我が女子を教育することに依り、我等は将来の時代に於いて今
より一層優秀なる知能の涵養(かんよう)をこいねがうものなり。この目的を以て、
我国の(※7)少女等は既に勉学のため貴国に来つつあり。

日本は、なお未だ創造的能力を誇る能わずと雖も、経験を師範とせる文明諸国の
歴史に鑑み、他の長を採り誤を避け、以て実際的良知を獲得せんと欲す。一年足らず
以前に、(※8)予は合衆国の財政制度を精細に調査したることありしが、その時
ワシントン滞在中貴国大蔵省高官より貴重なる援助を受けたり。而して(しか又は
しこうして)予の学び得たる各種の事項は、誠実に我政府に報告せしが、その献策は
大抵採用せられ、既に実行に移されたるもの少なからず。現に予の管轄下にある
工部省に於いても、進歩の大いに見るべきものあり。(※9)鉄道は帝国東西両
方面に敷設せられ、(※10)電線は我領土の数百マイル(一マイルは約1.6キ
ロ)に亘って拡張せられ、数箇月中に殆ど一千マイルに及ばんとす。(※11)燈台
は今や我国の沿岸に設置せられ、我造船所も亦活動しつつあり。此等の施設は
総て我文明を助成するものにして、我等は貴国及び他の諸外国に対し深く感銘する
次第なり。

使節としても個人としても、我等の最大の希望は、我国に有益にして、その物的及び
知的状態の永久的進歩に貢献すべき資料をもたらして帰国するに在り。我等はもと
より我人民の権利及び利益を保護するの義務を負うと同時に、我通商を増進すること
を期し、且つこれに伴う我生産の増加を図り、その一層大なる活動を助長すべき健全
なる基礎を作らんことを望むものなり。

太平洋上に今将(まさ)に展開せんとする新通商時代に参加し、大いに為す所あらん
とする大通商国民として、日本は貴国に対し、熱心なる協力を捧げんとす。貴国の
現代的発明及び累積知識の成果に依り、諸君は我祖先が数年を要せし事業を数日
にて成就し得るならん。貴重なる機会の集中せる現時に於いて、我等は寸陰をも
惜しまざるべからず。故に日本は急進を望むや切なり。

(※12)我国旗の中央に点ぜる赤き丸形は、最早(もはや)帝国を封ぜし封蝋(ふ
うろう)の如くに見ゆることなく、将来は事実上その本来の意匠たる、昇る朝日の
尊き徽章(きしょう)となり、世界に於ける文明諸国の間に伍して前方に且つ上方に
動かんとす。

「伊藤博文伝」抄録『開国』日本近代思想大系1・田中彰著 岩波書店


(※1)当国とはアメリカのこと。

(※2)当時の条約締結国はアメリカをはじめ、オランダ、ロシア、イギリス、フラ
ンス、ポルトガル、プロシア、スイス、ベルギー、イタリア、デンマーク(ここまで
の11ヶ国は旧幕府が締結)とスウェーデン=ノルウェー、スペイン、オーストリア
=ハンガリー、ハワイの合計15ヶ国である。

(※3)数千年は大げさな表現であるが、実質的には摂関政治以降か?あるいは
鎌倉以降かもしれない。

(※4)版籍奉還とは明治2年6月17日から25日にかけて、かつて版籍奉還を願
い出た(佐賀藩など)藩主に沙汰書が下され、版籍奉還は実現する。
藩主の呼び名も「知藩事」と改められるが、実体は封建領主としての「知藩事」
でなく、単なる一地方行政官としての「知藩事」となり、藩士も上士・下士の区別を
なくし、全ての藩士を士族とし、旧藩主との封建的主従関係が否定されることにな
る。
領地(管轄地)こそ従来と同じ「藩」であるものの、肝心の領有権を没収された藩主
の権威は一気に弱体化され、実質上の廃藩(封建制の崩壊)とも呼べる非常に重要
な革命であったと言ってよい。

(※5)これは明治4年7月14日の廃藩置県を指す。戊辰戦争のことではない。

(※6)国家主導による国民教育は明治5年、文部卿大木喬任のもとで「学制」と
して体系化されたが、実はこれより3年前の明治2年、佐賀藩にて藩政改革に
携わっていた江藤新平が、その政策「民政仕組書」において「村中の子供男女、
筆算(読み書き・そろばん)は是非致すべく仕組を立つべし」とあり、すでに明治
2年の段階で、江藤は男女共学の教育実施を思案していたことが窺える。
ちなみに江藤新平は明治4年の一時期、文部大輔(実質的な長官)として全国民
教育の実現に取り組んでいた。江藤の理想はそのまま後任の大木喬任へと
引き継がれたのである。(江藤と大木は同じ佐賀藩出身で、長年の盟友である)

(※7)これは開拓使派遣の5人の女子留学生を指す。年齢順から吉益亮(よします
りょう)と上田悌(うえだてい)、山川捨松、永井繁、津田梅(のち梅子)

(※8)明治3年11月、当時民部少輔だった伊藤博文は文中にもある通り、主に
財政制度を学んで、明治4年5月に帰朝した。

(※9)新政府の鉄道建設の建議は佐賀藩から起こった。(佐賀藩ではすでに安政
2年に精煉方中村奇輔、石黒寛次、田中儀右衛門の3人が蒸気車ひな形を製作、
完成させている。安政元年にペリーが徳川幕府に献上した鉄道のひな形に周囲の
人々が驚愕の目を向けてから、たった1年後のことである。)
慶応4年2月11日、佐賀藩の大木喬任は当時副総裁の三条実美に建白書を提出
し、東西両京間に鉄道を建設するべきである、と主張し、翌明治2年に東西両京間
を幹線とし、東京横浜間を支線として、まず東京横浜間の支線から工事することが
決定した。鉄道建設における監督官庁は民部・大蔵両省とされていたので、民部
大輔兼大蔵大輔の大隈重信が主宰した。

(※10)日本での電信事業は明治2年に横浜裁判所と東京築地運上所の間に電信
線が架設されたのが最初である。

(※11)日本で最初の燈台は観音崎燈台である。

(※12)それまでは「赤い封蝋」と呼ばれ、日本の鎖国と重ね合わせて捉えられて
いた。封蝋とは、密封のために使用する蝋状のものである。国際社会の仲間入り
を果たそうとしている日本としては、「日の丸」を「赤い封蝋」などという悪い印象
を打ち消すために「日の丸」を「昇る朝日」と説明したのは、この時が最初である
と言われている。

参考文献

『開国』日本近代思想大系1 田中彰著 岩波書店
「江藤新平」 毛利敏彦著 中公新書
「百官履歴」(一) 日本史籍協会編
「岩倉使節団」 田中彰著 講談社現代新書
「年譜考 大木喬任」 島内嘉市著 アピアランス工房
「鍋島直正公伝」第四篇 久米・中野編 侯爵鍋島家編纂所


今回はここまでです。

次回を楽しみにお待ちくださいね。

では・・


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

        幕末って?篤姫の時代の人々

        koizumikazuya@livedoor.com

        小泉和也

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

この記事を取り寄せる
最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
上へ戻る