ホント?この言葉のル―ツ

言葉のルーツをあれこれを集めてみました。昔の業界用語とも言える職人気質から生まれた言葉や普段の会話の中で普通に使っている言葉で意味がうまく答えられない言葉を紹介して行きます。

  • 周期 週刊
  • 最新号 2008/08/08
  • 発行部数 64
  • マガジンID 0000267934
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2008/06/27

ホント?この言葉のル―ツ・・

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              ホント?この言葉のル―ツ・・  創刊号
 
                        
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みなさん〜〜はじめまして!

荒井と申します。

言葉のルーツをあれこれを集めてみました。
昔の業界用語とも言える職人気質から生まれた言葉や
普段の会話の中で普通に使っている言葉で
意味がうまく答えられない言葉を紹介して行きます。

言葉って毎日使っているものだけど、結構いい加減に使ってたりする
ものだって言うことが判ります。

いろんな疑問がありませんか?
いまさら聞けないですよね・・誰にも・・

何を表した言葉か、意味や語源が分かると、
「なぁ〜んだ」と思うもの、「そうなんだぁ〜」と感動するものをご紹介します。




◆しゃもじ◆

 今のように化学的合成素材のなかった古代社会では、自然の恵みを大いに
 利用していました。
 たとえば瓢箪(ひょうたん)ですが、単に水筒として使っただけでなく
 横に輪切りにして柄をつけて水を汲むひしゃくを作ったりしました。
 「ひしゃく」は当時の瓢箪の呼び名であるひさごからきています。
 それがさらに「しゃくし(杓子)」に変わりました。
 話は変わりますが、室町時代に宮中の女官の間で女房詞(にょうぼうことば)
 というものがうまれました。
 雨をおしめり、しょうゆをむらさきという上品な言葉のことです。
 その一種で文字詞というのがあります。
 頭の一音節をとってその下に「もじ」という言葉をつけるものです。
 たとえば、髪をかもじというふうに。
 「しゃくし」を語源として、頭の一音節「しゃ」に「もじ」をつけたのが
 「しゃもじ」というわけです。
 昔から「しゃもじ」は女性の権利のシンボルとされ、主婦たちのトレード
 マークとして、現代に引き継がれてきましたが言葉自体も「女房たちの
 作り出したものだったのです。
 
◆あぶれる◆

 バブルがはじけてから「仕事にあぶれる」人が多くなりました。
 これは仕事にありつけずぶらぶらしている状態を言いますが、これは
 「あふれる」と関係があるのです。
 容器などに水を入れた際、いっぱいになってあふれることをかつては
 「あぶれる」と言っていました。
 それで仕事の数が少なく、人が余ってしまうことも「あぶれる」と言って
 いたのです。
 現代ではそれが意味によって使い分けられるようになったわけです。
 余談ですが、ならず者を「あぶれ者」と呼んだこともありました。
 これは社会の秩序からはずれた(あふれた)者と言う意味になるわけです。

◆「屈指」の秀才。◆


「くっし」って、指をどうしたの、突き指でもしたの?

親が子どもにかける期待というのは、つい大きくなりがちで、
学校の成績についても必要以上にきつく叱ることが少なくない。

だが、振返って、その親たちが子ども時代に「屈指」の秀才だったかというと、
疑わしいのではないか ?


「屈指」は、字のとおり、指を折り数えること。
転じて、数えあげるほど価値があることをいう。

庇理屈を言えば、折る指は十本だから、
「屈指」にはいるのは最初から十人まで、ということになる。
「お父さんは「屈指」の秀才と言われてた」と子どもに自慢する父親も、
往々にして、その真相は、足の指まで動員して・・・
中には他人の指まで総動員での「屈指」であったりするのかも。(笑)


◆肩書き◆

「名刺で仕事をするな」という言葉がある。日本のビジネス社会は、
役付きかどうかで、仕事の中身も仕事のやりやすさも違うようです。

役職名のことを「肩書き」というが、この言葉、そもそもは名前の右上の横、
「肩」に当たるところに職名、官位、居所などを書き添えたことからきている。

だからといって、最近の名刺のように名前の上にあるものを「頭書き」、
真横を「腹書き」とはいわないが、実力以上の「肩書き」に、
胃痛を起こしたり頭を抱えている人はいる。
逆に肩書きだけ立派で空威張りの中味なしもたまに居る。

しかし、はじめて「肩書き」を持ったときは、
責任の重さがズシリと双肩にかかってくるようでしたね。


◆出張◆
 
 かつて「24時間働けますか」というCMがありましたが、現代のビジネス
 マンは過酷な状況にあるといえるでしょう。
 海外に出張するときも、戦場に赴くような気持ちで出発している人も
 なかにはいらっしゃることでしょう。
 これは少し大げさかもしれませんが、出張に対して戦いに出向くという
 考え方があるのは語源からいえば根拠のあることです。
 昔は出張と書いて「でばる」とか「でばり」と読んでいました。
 これは武士が戦うために他の地域に赴くという意味でした。
 「近世紀聞」という本にも「土方歳三を一大隊の将として二股口へ出張
 さすれば・・・」という文章があります。
 昔の出張は命がけだったのです。
 それが近代になって、仕事でよそに出かける意味になったわけです。

◆火蓋(ひぶた)を切る◆

 スポーツ番組などで、「熱戦の火蓋が切られました」という言葉がよく
 使われます。
 「火蓋を切る」とか「火蓋が切られた」などは、ほぼ例外なく戦争や
 スポーツなどの戦いの幕開けの表現として常套句となっています。
 この語源は日本に最初に入ってきた鉄砲としての種子島銃にあります。
 当時の銃は火縄銃で銃身についている縄に火をつけ、それを火皿に盛った
 起爆薬(口薬)に点火し、弾を発射する仕掛けになっています。
 この銃の銃身には蓋があってその蓋を開けてから点火するようになって
 いるわけです。
 その蓋を「火蓋」といったのです。
 「火蓋」を操作して初めて発射可能になるわけで、そこから戦闘開始を
 あらわす言葉となったわけです。

◆へっぴり腰◆


江戸の巷で「百日の説法屁ひとつ」という言葉が言われたとか。
ありがたい説法をする人も「オナラ」をしたとたんに信用されなくなる。

だから、物事は最後まで気をゆるめるなという戒めの言葉ですね。

オナラひとつで、
その人の人格や能力の評価が変わるというのも少々疑わしいことだが、
それはともかく、オナラをするときの格好は、あまりいいものではない。

                 ひ
「へっぴり」とは、文字どおり「庇を放る」ときの腰つきを言ったものだ。
あえてそのスタイルを言えば、
「お尻を後ろに突き出した、不安定な腰つき」ということでしょうか。
説法はしないまでも、やはり人前では見せないほうがいいですよね。

いつも、『毅然』としていたいものです。



◆大八車◆

 数十年前まではごくふつうに見られた大八車。
 物を運ぶのに使われていましたが今では映画やテレビの中でしか見られなく
 なりました。
 関東大震災のとき、本所被服工廠に避難してきた人たちの荷物に引火して
 大惨事になりましたが、このとき家財道具を大八車に積んでいた人が
 多かったのです。
 大八車は江戸時代に登場したのですが、当初は「代八車」と書いていました。
 八人力と同じくらい役に立つ運搬車という意味です。
 しかし、明治になってこれが車台の長さの意味になりました。
 車台が八尺のものを「大八車」と呼んだのです。
 なので、七尺のものは「大七車」と呼ばれましたが、こちらはあまり
 一般的にならず、大きさの違いにかかわらず大八車と呼んでいたようです。
 
◆脚本◆

 芝居や映画の場面や人物の動き、セリフなどを書いたものを「台本」とか
 「脚本」と呼びます。
 映画ではシナリオというのが普通ですが、これは英語で台本のことです。
 台本は『もとになる本』ということで一見して意味がわかりますが、なぜ
 脚の本が台本と同じ意味で使われるのでしょうか。
 これは芝居で本をもとに俳優に脚(足)で演出させるという意味でつくられた
 といわれています。
 明治時代になってから生まれた比較的新しい言葉なのです。


◆「一所懸命」と「一生懸命」◆


「懸命」と言うのは、命がけということですね。
一所、すなわち、一ヶ所の領地を守ろうと言うことなんですね。

昔は、自分の領地は飯のたね、一族の生活の全てが、
それによって支えられるということで、大きさ広さに係わらず、
その土地を自分たちのものにするについては、
先祖からの、文字どうり命がけの苦労があったことでしょう。

敵の領地を奪っての自分の領地である。戦場で敵の首をとり、その功労手柄で、
何石か何俵かになったわけです。
敵の首を取るどころか、槍で突き刺されたり、矢を受けたり、
馬に蹴り飛ばされたりして、命をはっての稼ぎです。
ですから、その一所を守るにも命をかけるのが当然なんですね。


我ら、名も無き庶民の先祖は、やはり命がけになるのだが、
如何せん、所領がない。ゆえに一所懸命とはいえません。
それでも、頑張らなくちゃ、頑張ろう、頑張れよ、頑張ります、と、
訳はわからずも、とにかく一生を懸命に生きてきたわけです。

「一所懸命」より「一生懸命」のほうが庶民的なんですね。


◆やっちゃ場◆
 
 「やっちゃ場」という言葉も現代では知らない人が多いかもしれません。
 青果物市場のことを古い俗称で「やっちゃ場」と呼んだのです。
 このやっちゃ場というのは、青果物をせり売りするときの掛け声からきて
 います。
 青物市場では「えー、やっちゃ、やっちゃ」という掛け声をかけて、景気を
 つけています。
 この掛け声がそのまま青物市場の呼び名になったわけです。
 この「やっちゃ」というのは、はやすときや、相手をほめそやしたり、
 驚いたときに使う掛け声です。

◆いんちき◆

 不正や詐欺まがいと思しき事柄をさして「いんちきだっ」といったりします。
 しかし、意味や用法はよく知られていても語源に関してはあまり知られて
 いないようです。
 「いんちき」は、もとは博徒やテキヤ(露天商)などの隠語でした。
 同じ意味を表す「いかさま」の「い」をとっています。
 その後の部分は、一説では排斥や軽蔑をあらわす接尾語である「ちき」を
 くっつけたというもの。
 もう一説では言葉遊びのひとつに、第一音節のあとに「んちき」という言葉を
 入れる遊びがあったそうです。
 たとえば、「とんま」から「とんちき」という具合に。
 その言葉遊びから「い」プラス「んちき」で「いんちき」となったという
 わけです。

◆へなちょこ◆


小学校の運動会では、競走を途中でやめてすぐすわり込んだり、
跳び箱ができずに泣き出したりする生徒がいるようだ。
戦後、小学生の体格はよくなったが、体力が落ちたとはよくいわれることだ。

こうした子どもたちが大人になると、
困難にぶつかってすぐ腰のくだける「へなちょこ」になるのではないかと、
いささか心配になる。

だからと言って、子どもの大好物のチョコレートが、
こうした子どもをつくったのではない。


上方語では、「人の態度が弱々しい」ことを「へなへな」、
      「態度が落ちつかない様子」を「ちょこちょこ」と言う。

「へなちょこ」はそこからきたらしい。


◆とどのつまり◆
 
 魚のブリは一生のうち何度か呼び名が変わります。
 ワカシとかイナダといった名前を経てブリになります。
 関西方面ではハマチ、メジロというようです。
 これと同じような魚がボラです。
 ボラはまずオボコと呼ばれ、次にイナとなります。
 2歳くらいになって、初めてボラと呼ばれるようになり
 ここでとりあえず一人前ということになります。
 そこからさらに2年ほどたって4歳魚になると、今度はトドと名前を変えます。
 あのアシカの仲間のトドとは、もちろん別物です。
 そして、ボラはトドと名前を変えてから産卵し、そこで一生を終えます。
 そこから「結局のところ」「最後には」「果ては」といった意味の
 「とどのつまり」という言葉が生まれたのです。

◆内幕」を暴く◆


映画やテレビの時代劇の合戦風景等で、陣を張っている場面がよくあります。
時代考証にこだわって製作されたものは、幕のなかに更に幕を張っていますね。

文字どおり、これを「内幕」と言います。

ここが、大将や参謀が合戦の作戦なり、密議なりをこらす奥どころで、
だからこそ、味方にも隠す必要上、幕を二重にした訳です。


このように、たった幕一枚の内と外とで、世界が二つに分かれる。
「内幕」に隠されれば隠されるほど見たくなり、聞きたくなるのは人情の常で、
だからこそ週刊誌の「内幕」暴露ものはよく売れるのでしょうね。

 
◆野暮◆

 江戸時代には「いけてる男」といえば吉原など遊里に詳しい男のことを
 さしました。
 遊里にうとい男は、逆にしゃれっ気にも粋にも疎い「やぼな男」として
 みくだされたのです。
 「やぼ」は「野暮」と書きますが、その語源は「野に暮らす人」つまり
 「農夫」にあるという説があります。
 しかし、もうひとつの説のほうが、この言葉にふさわしい感じがします。
 雅楽に使う笙(しょう)という楽器は十七本の管を備えていますが 
 そのうち「也(や)」と「亡(ぼう)」といわれる二本だけは音が出ません。
 中国の古い時代の笙では音が出ましたが、後にはみせかけだけのものと
 なってしまったのです。
 つまり、時代遅れの古臭いものということで、その「也」と「亡」をとって
 「やぼう」といわれていたのが、江戸時代に「やぼ」と変化し「野暮」
 という字が当てられるようになったという説です。

◆べらんめえ◆
 
 「てやんでえ、べらぼうめ」という「べらんめえ」口調は江戸っ子の
 トレードマークのようなものといえるでしょう。
 時代劇の中ではよく耳にしますが、「べらんめえ、江戸っ子は
 気が短けえんだ」と啖呵をきったりしますね。
 ところが、この「べらんめえ」の語源は上方にあるのです。
 江戸時代の寛文年間(1661〜1672)の末ごろ、大阪に突拍子もない
 人物が見世物として登場したのです。
 全身真っ黒で、頭はとんがって目は真っ赤っか、人とも猿ともつかない
 容貌の持ち主で、そのうえ愚鈍なしぐさで見物人を笑わせ、非常に人気が
 ありました。
 このとても信じられないような人物の名前が「可坊(べらぼう)」という
 また一風変わった名前だったのです。
 この名前が江戸に伝わり「愚鈍なやつめ」と相手をののしる言葉として
 「べらぼうめ」になり、さらに変化して「べらんめえ」となって江戸っ子の
 口調を特徴付けるようになったのです。

◆お坊ちゃん◆

 「坊ちゃん」といえば夏目漱石の代表作を思い出す人が多いでしょう。
 この中のイメージだと「無鉄砲な男の子」ということになります。
 また「お坊ちゃん」といえば逆に「育ちのいい上品な御曹司」という
 イメージをもたれるかもしれません。
 しかし「坊ちゃん」の語源はこのような性格やイメージとはあまり関係
 ありません。
 本来の正しい言い方は「ぼっちゃま」で、その「ぼっちゃま」のもとを
 たどれば「ぼうさま(坊様)」です。
 「坊」はもちろん僧侶のことです。
 僧侶が頭を丸めていることと、男の子に対する敬称を兼ねて、「ぼうさま」
 と昔は呼んでいましたが、これでは本物の坊様と区別がつかないので
 「ぼっちゃま」「坊ちゃん」あるいは「ぼん」となったのです。
 つまり、「坊ちゃん」のいわれは丸刈りの坊主頭にあるわけです。
 
◆てんぷら◆
 
 てんぷらの語源は諸説あります。
 てんぷらが江戸の名物料理になったのは、幕末のころのことです。
 漢字での名付け親は、有名な戯作者の山東京伝(さんとうきょうでん)です。
 その弟・京山は、随筆「蜘蛛の糸巻き」の中で次のように述べています。
  ある日、大阪の利助という男が江戸へ駆け落ちしました。
  彼は江戸でつけ揚げの商売を始めようと思い、人の目を引くような名前を
  つけてほしいと京伝を訪ねました。
  京伝は「おまえはいわば、宿無しの天竺(てんじく)浪人。ふらりと江戸に
  来て売ろうというものだから、『てんぷら』というのはどうだろう?
  字は『天麩羅』がいい。天竺の天に、小麦粉のうすいもの(羅)をかける
  料理という意味の字をひっかけて。」と言ったそうです。
 ただ、漢字でどう書くかは別として、「てんぷら」という言葉は室町時代から
 あったので、京伝の命名による「天麩羅」が「てんぷら」の語源とはいえない
 のです。
 てんぷらの語源は、調理するという意味のポルトガル語「tempero」
 からきたという説と、宣教師が伝えた南蛮料理の一種で、彼らが
 「tempora(天上の日)」という祭りの日に食べる魚の揚げ物からきた
 という説があります。
 
◆手紙◆

 私たち日本人が普段使っている「手紙」という言葉を中国で使うと、
 誤解されるおそれがあります。
 それは、中国語では「手紙」はトイレットペーパーのことだからです。
 日本で言う「手紙」のことは「書簡」といいます。
 それではなぜレターのことを日本では「手紙」というようになったので
 しょうか。
 手元に置いて書く紙だから「手紙」という説もありますが定かでは
 ないようです。
 なかにはこんなおもしろい説もあります。
  あるところに大変けちな人がいました。
  その人が知人に手紙を出すことになったのですが、紙を使うのは
  もったいないので、木の葉に書きました。
  ところが、この木の葉の手紙をもらったほうもそれ以上のけちだった
  ので、木の葉に返事を書くのももったいないということで、使いの者の
  手に返事を書いてよこしたそうです。
 なんだか、童謡のヤギさんの手紙のような話ですが、紙の代わりに
 手を使ったので、手紙というようになったというわけです。
 これは、ほんとうの話かどうかはわかりませんが、昔は今と違って紙は
 貴重品だったので、けちな人でなくても、簡単な用件だったら使いの者の
 手に書いてすませたのかもしれません。

◆やじうま◆
 
 ちゃんとした話は苦手だけど、ヤジなら得意だなんていう人も結構
 いるのではないでしょうか。
 選挙運動などでは、運動員が野次馬を買って出て演説会場にもぐりこみ 
 対立候補をやじり倒すことも重要な仕事のようです。
 国会の演説などでも演説よりヤジ合戦のほうがよく聞こえたりします。
 「やじうま」というと元気な人というイメージがあります。
 本人もそう思っているのではないでしょうか。
 しかし語源からいえば「やじうま」というのはけっして『元気馬』では
 ないのです。
 「やじうま」の語源は「親父馬」です。
 牡馬は年を取るとまったく使い物にならなくなってしまいます。
 自主性を失い、若い馬の後ばかりついてまわっているのだそうです。
 その「親父馬(おやじんま)」が「やじうま」になったのです。
 また、そんなことから「尻馬」ということばもできました。
 「やじうま」というのはしょせん人の後からくっついていって自主性に
 欠けた発言を投げかけるだけというわけで、あまりほめられた話では
 ないのです。
 
◆オタマジャクシ◆

 かつて、リパブリック讃歌の替え歌がたくさん出たことがありました。
 そのなかに「オタマジャクシはカエルの子、ナマズの孫ではありません」
 という歌詞がありました。
 オタマジャクシでもウシガエルのように親が大きいと確かにナマズの孫を
 思わせるほど大きくてびっくりします。
 オタマジャクシという言葉には、ほかにわれわれが日常生活で味噌汁などを
 よそうときに使うものがあります。 
 このふたつにはじつは関連があるのです。
 オタマジャクシの語源のもとになったのは、滋賀県の多賀神社でお守りとして
 売られていた「お多賀じゃくし」なのです。
 安芸の宮島の厳島神社でしゃもじを売っているのと似ています。
 この「お多賀じゃくし」がなまって、オタマジャクシになったのですが
 それがカエルの子に形が似ているのでこちらもオタマジャクシとよばれる
 ようになったのです。
 そして、カエルの子のオタマジャクシと、音符の形が似ているので、音符の
 ほうもオタマジャクシと呼ばれるようになったということで、なんだか
 ややこしい話です。


◆「唯唯諾諾」は程々にしてね◆


「唯」とは、人から何か言われるとすぐに、「はい」と答える応答の言葉です。
「諾」も「はい」という返事ですが、
こちらは、チョト考えてから応ずることを言うそうです。
いずれにしても、どちらも相手の言うことを引き受けて承知することです。


毎回毎回、「はい」「はい」と言う事を聞いている人間で、
はたから見ていると、ぺこぺこと上役の言いなりになって、主体性がない、
無節操なごますり野郎のイエスマンと評価されかねない。

この熟語はまさに、このような、骨もなく主君におもねる様を形容している。
それどころか、原語は「韓非子」からで、主人がまだ何も命じないのに、
取り巻きは「はい、はい」と付き従っているのだと言う。


しかし、一方では、言われたことの半分も聞かないうちから、
「いや」とか「しかし」という輩もいますね。

でも、気骨があって立派な信念を持ってるのかというと、必ずしもさにあらず。
ただ、何にでも、一言反対しないと収まらないと言うだけのことも多い。
適切な「是々非々」で対応して欲しいものですね。

ただ、たいした意見もお持ちでないなら、
たまには「はい」と気持ちよく引き受けてもらいたい、
と思う上司のかたも少なくはないでしょうね

どうせ、やらなければならないことなら、気持ちよくやるとはかどりますよ。




◆有耶無耶◆


この言葉、発音も意味も不明瞭に「むにゃむにゃ」と誤魔化すのが、
「うやむや」かと思ってましたが、「むにゃむにゃ」はよく分らないが、
この「うやむや(有耶無耶)」は漢語なんですね。

「耶」は疑問・反語を表す語で、「有りや無きや」の意味。

「鬼なからんや・・・鬼あらんや」
(鬼と言うものはないとも言えないし、あるとも言えない)
要するに、はっきり言い切らないのです。何かにつけて、
「あるとも言えないし、ないとも言えないしなあ」とやっている。

いつまでも決着のつかないままで、そのまま終わってしまったのか、
まだ終わってないのか、そのへんもまたハッキリしていないのでです。
これが、うやむやの真骨頂である。

いまの国会議員などでは、頭のいいヤツは意識的に活用して、
様々な具合の悪いことをすべてうやむやにしてしまうようですね。

ただ、言葉言語はあくまでも明瞭に、意味はまったく無内容か
どうにでも取れるようにおっしゃいます。

「なお諸方面よりのご意見を伺いまして、さまざまの案件を
 すみやかにかつ慎重に検討いたしました上で、総合的に善処したい、と、
 かように存じておる次第でございます」

う〜ん、みごとにうやむやにしてますね。






◆おめがねにかなう◆

眼の良し悪しを言うとき、意味が2通りある。

「視力」と物を見分ける「眼力」だ。

視力が弱ければ、それを補うのが眼鏡だが、
ものを見分けるにもそれなりの眼鏡があるようだ。


「おめがねにかなう」は、目上の人に気に入られる、認められることだが、
ここでいう「めがね」がそれで、「眼力・鑑識眼」といった意味である。

もともと「めがね」は、目の「さしがね(尺度)」 からきており、
視力補強の眼鏡とは由来が異なる。

一度は「おめがねにかない」、目上の人が目をかけた人物でも、
期待したほどには活躍しないことがある。
これを「めがね違い」あるいは「めがねが狂った」といいます。

あなたは、だいじょうぶですか?がんばって〜♪


今回はここまでです。

最後までお読みいただき有難うございました。

次回をお楽しみにお待ちくださいね。

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                         荒井治和
                  araiharukazu@yahoo.co.jp

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