2009/01/11
第33号 遠くを謀る者 ~二宮尊徳
昔はどこの小学校の校庭に二宮金次郎がありましたが、最近はどうでしょう。 人々の会話に二宮尊徳が上ることなども、滅多にない気がします。 私の私淑している森信三先生(教育家・哲学者)の著作で、「二宮尊徳を読みなさい」と盛んに書かれてあり、最近気になっていました。 たまたま喫茶店の新聞記事に、二宮尊徳の言葉があって、ためしに読んでみると、 視界が広がる感覚がありました。 コーヒーを飲みながら、すらすらと書き取ったメモが下の文書です。 遠くを謀る者は富み 近くを謀る者は貧す それ遠きを謀る者は百年のために杉苗を植う。 まして春まきて秋実る物においておや。 故に富有なり。 近くを謀る者は 春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず 唯眼前の利に迷うてまかずして取り 植えずして刈り取る事のみ眼につく。 故に貧窮す。 ー二宮尊徳 長期的な視野にたって、将来の収穫のために毎日種まきする。 これは農業だけでなく、商売、投資、勉強。仕事、そして人生全てに通ずる道かもしれません。 「遠くを謀る者は富み、近くを謀る者は貧す」 目先の利益に踊らされないためには、自分の行動を行うこと自体に価値を置くことで、「近くを謀る」危険を回避できます。 また損得判断をしたとき、あえて損をする方を選ぶことでもいい。 損して得取れとはよく言ったものですが、人間の頭で考える目先の得など、程度のしれたものです。 私にとって、「遠くを謀る」とはなんだろう? ふと考えました。 仏教では、何百万もの欲を持て、ということばあるそう。 金がほしい、うまいものを食いたい、美人な彼氏彼女がほしい・・・ こんな自分のための小さな欲望をありったけ挙げても、せいぜい30〜40個程度で打ち止めになります。 何百万個も、俗っぽいちいさな欲望など思いつくことのほうが苦しいのです。 小さな欲を集めていくと、結局他者の欲望、世界全体の欲望まで広がらざるを得ません。 そして小さな欲望を全て包含するような、大欲を持つことが、実は世のためにもなる。 遠くを謀るとは、大欲を持つことと似ているかもしれない。 目の前の損得を離れ、大欲や志を判断基準とする。 「私は遠くを謀っているだろうか?」 常々自問したい言葉です。



