2009/09/27
賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験
■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】 第209号 2009/9/27発行 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 1演者と作家 高校生の頃、作曲をする人は何故ギターか鍵盤で作曲するのか すごく不思議だった。 ビートルズのポール・マッカートニー、 セックス・ピストルズのグレン・マットロック、 おニャン子クラブの後藤利次、 当時の私にとって優れた作曲家は皆ベーシストで、 ギターや鍵盤で作曲された良い曲なんてないように思えた。 どの楽器で作曲したかは、曲を聞くと大体分かる。 ピアノだとチョーキングやカッティングが出来ないので バラードになりがちだし、フォークギターで作曲するとフォークになる。 人が作曲に使わない楽器で作曲した方が、 オリジナリティの高い曲になるのに、 何故みんな同じ楽器ばかり使うのだろう。 ずっとそう思っていた。 作曲者が曲を作るとき、一番最初は 自分ひとりの弾き語りでデモテープを作らなければいけない。 百人のオーケストラを雇って、彼らを使ってオーケストラで作曲するのは 一人頭、一日一万円のギャラを払う計算であったとしても 一日百万円、新人で無名の作曲家がいきなりできる物ではない。 一人で弾き語りをするとき、吹奏楽器を使うのは不可能だ。 トランペットやサックスで伴奏を吹きながら、 同時に歌うのは無理だと思える。 歌詞のあるボーカル曲でなければヒットチャートにのぼらない前提だと 歌いながら同時に一人で伴奏も付けれる楽器が良い。 打楽器という可能性も考えにくい。 音程のない打楽器では、歌に合わせた伴奏をするにも、 コード進行や音階などが表現できない。 語りの息継ぎ時に拍子木を叩く講談みたいになってしまう。 アゴと肩の間に楽器をはさんで固定するバイオリンも 歌いながら演奏するのは困難だ。 口を空けて歌えばアゴが浮き、楽器の固定が出来なくなる。 極端なことを言えば、打楽器でも、木琴や鉄琴のように音階のある楽器で 弾き語りは可能だし、アフリカや南米の音楽は、 タイコの叩き語りが主流だし、バイオリンもわきの下で固定して 弾き語りをする曲芸もあるが、 一般論として、弾き語りは鍵盤かギターになる。 最初の作曲をする地点では、みんなシンガーソングライターで シンガー(演者)とソングライター(作家)を一人で行なう。 彼の人気が出てきて、一緒にバンドをやろうよという仲間が出てくると 演者をやるのか作家をやるのか考えることになる。 誰かを歌手に仕立てて、 自分はバックバンドとして演奏・曲提供をするのか、 自分の弾き語りのバックに演奏者を付けるのか。 私にとって、フォークソングとは漫談で、ロックバンドとは漫才だった。 MCで笑いを取るのが売りのフォーク歌手と 楽器片手の演芸漫談家を並べた時に、どちらがミュージシャンで、 どちらがお笑い芸人なのか、区別が付かない。 さだまさし、はなわ、ギター侍、所ジョージ、武田鉄也、 フォークミュージシャンとお笑いに境界線がない。 ロックミュージシャンと漫才も同じで 破天荒な横山やすしと生真面目な西川きよしという構図は ロックバンドの中にも存在する。 破天荒なジョニー・ロットンと生真面目なグレン・マットロック、 シニカルなジョン・レノンと明るく陽気なポール・マッカートニー、 不良のキース・リチャードと優等生のミック・ジャガー。 昔の録音スタジオは、スタジオごとにレコーディングエンジニアと ドラマー・ベーシストが付いていて、録音スタジオを借りると それらのスタッフも付いてきたという。 つまり、一人でギターの弾き語りをすれば、3ピースバンド ボーカル&ギターの二人漫才なら4人編成バンドになる。 ボーカルがギターの弾き語りをするパターンの二人組だと もう一人はベースを担当する。 漫才でも台本を書く作家とその演者の二人組で構成される。 オードリー、トータルテンボス、サンドウィッチマン、ラーメンズ、 それぞれの漫才コンビの顔を思い浮かべて欲しい。 顔にインパクトがあり、顔がすぐに浮かぶ演者と 顔にインパクトがなく、顔がまったく浮かばない作家(裏方)の 組み合わせで、漫才コンビが作られている。 メディアに出て人の注目を浴びるのが仕事のフロントマンと 人目を避けてネタを考える裏方という分業がそこにある。 フロントマンはアフロヘアだったり、長髪カーリーヘアだったり、 マッチョだったり、ヤクザっぽかったりと派手な外見で人目を引き、 非日常を演出する。 その相方は、地味で極めて常識的な外見をすることで 日常の側に観客を引き戻す。 日常と非日常の往復が、笑いになり漫才になる。 サンドウィッチマンのライブDVDの特典映像で、 単独ライブ前日の模様が入っているが、これを観て少し引いた。 M-1グランプリで優勝する前の2007年のライブだから 貧乏でまだ売れていない頃のはずだが、 サンドウィッチマンの地味な方が、 ライブの設営手伝いに来た後輩達に指示を出し、檄を飛ばす。 ステージ上ではさえないサラリーマン風の姿で ヤクザ風の格好をした相方に脅されてびくびくしている人間が 舞台裏では、頭に手ぬぐいを巻き、大工の棟梁のごとき風体で ガンガン指示を出し、ピリピリした空気を漂わせる。 席の隅っこでニコニコしながら笑って座っている相方とは大違いで 近寄りがたいオーラが出ている。 舞台裏を仕切る作家・演出家・スタッフサイドの人間と ステージを仕切る演者との関係はそんなもんだと思う。 やすしきよしでも、やすしさんが酒に酔ったままステージに上がって ろれつが回らないまま漫才をすると 舞台裏ではきよしさんがやすしさんを怒鳴りつけていた とかあるらしいので、そんなもんだと思う。 最初、一人二人から始まった楽団の売上げが上がって、 人をいっぱい雇えるようになると、 百人のオーケストラになるかも知れないし、 劇団四季や宝塚のような大所帯の劇団になるかも知れないが 最初は作も出演も一人のところからスタートする物だと思う。 一見文学と無関係な話をしているように見えるかも知れないが 三島由紀夫は自分の劇団を持っていたし、 古井由吉や吉本隆明は編集者兼作家として自分の同人誌を持っていた。 イギリスの国民作家、チャールズ・ディケンズは自作朗読講演を行い 二千人規模の会場を満員にしている。 「ディケンズ朗読短篇選集」 http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9981069639 マーク・トゥエインやカフカだって自作朗読をやっていた。 作家をやりたい演者をやりたいといったときのスタートラインは そういうところにあるのだと思う。 2プロとアマ プロとアマチュアだとアマチュアの方が技術力は上だ。 これが私の昔からの実感で、いまもそう思う。 例えば、プロボクシングのチャンピオンと アマチュアボクシングの金メダリストだと 技術だけで言えば、アマチュアの方が上だと思う。 一つは、競技人口がアマチュアの方が圧倒的に多い。 ルールもプロとアマでは違って、 KO重視のプロとクリンヒットの手数重視のアマチュアだと アマはパンチ力ではなく、フォームの美しさやスピードが評価され 寸止めのスパーリングに近い。プロはより暴力的で ケガや後遺症などの危険性はプロの方が高まる。 ドゥワップのアマチュアコンクールで世界大会優勝したグループの歌を 聴いたことがあるが、プロのそれよりも圧倒的に上手い印象だった。 ロックで言うと、イギリスのスコットランドやアイルランド辺りの アマチュアバンドコンテストで優勝しているバンドは アメリカのL.A.で活動しているプロのバンドより上手いと思う。 もっと具体的で分かりやすく言うと、 アメリカは1980年前後からケーブルテレビが主流で 100チャンネル、200チャンネルの多チャンネル24時間放送だった。 これは、多民族国家で英語しか分からない米国人以外に、 スペイン語しか分からない南米出身者や、 中国語しか分からない華僑など、多言語化していたため、 フランス語オンリーのチャンネル、 イタリア語オンリーのチャンネルなど、 多チャンネル必要だったという事情がある。 仮に百チャンネルあったとして、平均占有率は1%になる。 二百チャンネルなら、その半分。 ついていないテレビも含めれば、平均視聴率は1%以下になる。 80年地点で既にアメリカではテレビの影響力が、 日本でいうラジオの地位まで落ちていて、 全国区で有名になろうと思えば、テレビではなく 映画に出なくてはいけない環境であった。 (MTVの視聴率は平均3%~5%と非常に高かったのだが 日本で高い視聴率の番組が15%~20%あったことを考えれば、 低い影響力しかなかったともいえる) アメリカのラッパー、LLクールJやアイスTなどそうだが、 俳優として映画で主役を張って、その映画の主題歌を歌って、 歌が売れるというスタイルで、 日本で言うと、TV普及前の映画スター、石原裕次郎や美空ひばりが 映画の主演兼主題歌歌手であるのに近い。 歌手になるためには俳優業で頂点を取って、 主演映画を何作か撮らないといけないという環境にある人が 音楽大学の声楽科を受けて受かるかというと受からないと思う。 音大の声楽科を出て プロの歌手になっていないアマチュアは大勢いるわけで、 年に何百人も新入生や卒業生がいる音大で、 ポップミュージシャン、もしくはクラッシック奏者になる人は一握りで 多くは高校の音楽の先生とかになっていると思う。 もう少し、変な例を出すと、料理の世界で、世界一の外食企業、 マクドナルドでハンバーガーを焼いているプロの料理人と 家庭で家族に料理を作っているアマチュアの料理人だと 技術的にはアマチュアの方が料理上手いんではないか、 家で料理を作っている方が調理技術が身に付くのではないかと思う。 プロとアマチュアの違いは技術の差ではなく、 リスクを負う覚悟があるかないかの差だ。 アマチュアボクシングの場合、 学校や少年院や刑務所で教育目的で行なわれたり ダイエット目的でボクシングジムに通ったりする。 プロボクシングは興行目的なので、 チケットの販売、スポンサー探しも仕事だし、 観客が喜ぶような暴力的で面白い試合をしようとすれば ガードを下げてノーガードで打ち合ったり、 2・3発もらう覚悟で相手の懐に飛び込んだりしなくてはいけない。 怪我をするリスクは当然アマチュアより多い。 ミュージシャンやお笑い芸人の場合、プロでの第一歩は、 キャバレーやストリップ劇場でのステージになる。 酒に酔ったガラの悪いお客さん、店に雇われているガラの悪い用心棒、 客席の酔っ払いからの野次、チケットノルマ、 そういう環境に身を置く覚悟があるかどうかが プロとアマチュアの差になる。 劇場から出て、全国区で有名になろうとした時、 フロントマンに要求されるのは、人目を引き、噂になることだ。 新人を売り出すとき、商品であるCDやDVDや映画やライブの広告、 「すごく良い商品です買って下さい」だけでは、 人目を引けないし、噂にもならない。 派手で奇抜な外見の演者が出て来て、彼のパーソナリティが注目され、 噂になるよう、広告しなくてはならない。 ショービジネス、映画や芸能ワイドショーの中で 演じられるパーソナリティの型は3つある。 ・ 英雄/優等生/スター ・ 悪者/不良/ダークヒーロー ・ 落伍者/落第生/コメディアン ドラえもんを仮に英雄だとするなら、ジャイアンが不良で、 のび太が落第生だ。 社会規範を演じる優等生がいて、規範から外れるが 本音ではみんながやりたいと思っている悪いことをやってみせ 共感を呼びあこがれの対象となる不良がいて、 何をやってもダメな、劣等感の部分で共感を呼ぶ落第生がいる。 このとき、新人は悪者か落伍者として売り出され、 のちに地位を確立すれば英雄のポジションに移っていくことになる。 「あの人良い人なんだよ」というのは口コミで広がらないから あいつは嫌な奴だ、ダメな奴だという広告を打って売り出すことになる。 批判の対象に上がることが有名になる第一歩なのだが、 アマチュアの表現者はそれに耐えられる精神的強さがない。 ライブハウスのマネージャーchoriさんが ライブハウスのバンドに対して、こうすれば売れるというアドバイス的な コラムを書く企画を出してますが http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1281057678&owner_id=311311 はっきり言ってライブハウスはカラオケボックスだから。 自己承認されたいアマチュアがお金を払って表現する場で、 本気で売れようと思っているバンドはキャバレーとかで 週に6日ペースで毎日8時間客前で演奏とかしてるから。 そういう過酷な状況が嫌だから、ライブハウスに来ている訳で ライブハウスのマネージャーの仕事は、お客さんをヨイショして 機嫌よくお金払って演奏してもらうことじゃないでしょうか。 文学フリマの特別企画「本当はこの文章系同人がすごい(仮称)」にしても http://d.hatena.ne.jp/ibuse/20090827 仲良しグループがお互いを褒めあうだけでしょ。 企画意図が「いちゃいちゃしようぜ」だもんなぁ。 世間的に見て、キモヲタがお互いに「先生の作品は素晴らしいですよ」と 言い合ってるだけにしかならないだろ。 俺も含めて批判の対象になるような空間に出て行きたがらないところが 問題だよなぁ。 ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□ 【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】 登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm 登録と解除は上のページで。 関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。 http://www.tcup3.com/356/kidana.html ■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□■■■■□


