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私が日々の愚痴を垂れ流すメールマガジン

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2008/08/20

英語圏文化とラテン語圏文化

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不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】
 第188号       2008/8/20発行
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0ごいあさつ
メールマガジンの紹介文を
「私が日々の愚痴を垂れ流すメールマガジン」
に変えました。
申し訳ありませんが、本当に私的な愚痴を垂れ流すので、
ご容赦下さい。

このメールマガジンは第一期は同人誌の制作販売体験リポートで
第二期はポエトリーリーディングの体験リポートでした。
で、第三期の現在、方向性が定まってません。
哲学や文芸批評の基本的な歴史や用語を踏まえたいという辺りから
その辺の学習レポートにしようとしたのですが、
実際かなり破綻しています。

一つはロマン主義や自然主義といった用語を、
時代区分としての用法と、文学の一要素としての用法とを
ごちゃ混ぜにして使用した結果、失敗したというのが一つ。

個々の用語の公の意味を知りたいという欲望からスタートし
私にとっての用語の意味は手に入ったのですが
それをどのような場合にも適用できる公の意味として提示するには
様々な手続きや検証が必要で、
私にその手続きを取るだけの意欲がない。
また、文学において、制度的に定められた公の意味よりも
私的な用法の方が重要であることが多いこと。
参照 http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/184gou.txt

私個人の精神状態を維持するのに、愚痴を垂れ流すメディアが
必要であることなどから、しばらく迷走してみたいと思います。

1古代−中世−近代−現代
上記のような、ごく普通の単語でも、厳密な意味を問いだすと
訳が分からなくなる。
日本史において近代は明治維新以降を意味する。
西洋史において近代はイタリアのルネッサンスから始まる。
イタリアルネッサンスの起きた14世紀は日本史において
鎌倉時代後期から室町時代にあたる。
ルネッサンスの三大発明、羅針盤・火薬・活版印刷術は
中国で発明されてヨーロッパに伝来した物で
これらは元寇でも使用されている。

大航海時代を生み出した三大発明は、元の時代に既に中国で
大航海時代を生み出していたことになる。
ペリー来航以前に、既に鎌倉時代に大航海時代(=近代)は
日本にもたらされており、そこから明治期まで、
ゆっくりと近代が進行したとか言い出すと、では日本史において
中世はどこを指すのかが分からなくなる。

「近代文学」や「現代文学」という語を使う時の
近代や現代の厳密な定義が、実はよく分からない。
ヘーゲルの精神現象学やヒットラーの我が闘争の
後半に書いてあるようなベタな歴史認識では
古代は黒人の部族社会で、中世は黄色人種の封建社会で
近代は白人の個人主義社会だとなる。

古代−中世−近代という歴史概念はヨーロッパで生まれた概念で、
「今までは教会権力や王侯貴族に民衆が虐げられた暗い時代=中世だった。
これからは、個人の自由が最大限認められる素晴らしい時代=近代が
始まるのだ!」というスローガンやアジテーションに近い概念で
実際に中世が暗く、近代が素晴らしかったかというと、非常にあやしい。

近代の定義を仮に一神教の教会権力からの脱却とするなら
日本史に一神教の教会権力が存在した時代が見当たらない。

ヨーロッパにおいて近代は宗教改革があり、
教会権力からの脱却があったが、日本史において近代の明治維新時に、
天皇制(=神道)という宗教の復活があり、
むしろ中世よりも宗教権力の力は強化されている。

古代−中世−近代という歴史認識は
非常にキリスト教的、旧約聖書的な概念で
古代は原始共産体という理想的な社会で
中世は暗く封建的で、
これから始まる近代は明るく素晴らしい未来なのだ!
というのは、過去において神の作った楽園に暮らしていた人類が
神にそむいて禁断の果実を口にしたために、楽園を追われたが
いつかは神との契約によって約束の地にたどりつけるはずだという
聖書の概念とパラレルにつながっていて、
その概念を日本史や日本文学に結びつけるのは
正しいのか?という疑問がある。

古代−中世−近代という概念は、
今は辛いけど、過去には楽しいこともあったし、
未来にもきっと良いことがあるよという、
単なるはげましでしかないんじゃないか。
キルケゴールがヘーゲルに対して行った批判も
そのあたりじゃん。
昔は良かったと言っている老人と未来を夢見る若者しかいない状況に
今を大事にしろって言ってるわけじゃん。

2ロマン主義
ヨーロッパの概念を日本語で考えていてもしょうがないと思って
英語で書かれた英語圏の百科辞典でロマン主義を引いたら
ロマン主義にあたる英語がロマンリバイバルとか書いてあって
対義語が自然主義でなく、
モダニズムであった地点でやる気無くした(笑。
ちなみにwikiだと、ロマン主義の対義語はルネッサンス。

抽象的な概念を押さえるのではなく、個々の作品をあたれと言われて
ロマン主義の作家をあたろうと思ったが、百科辞典に書いてある作家が
ことごとく詩人で、詩というのは
アクセント=リズムやイントネーション=メロディのある
歌=音楽だから、まず音源をあたれと言われて、
なに、俺が音源を聞いただけで、音階やリズムを耳コピーして語れるような
人間だと思ってるの?
しかもその詩人がフランスやドイツやロシアだったりするわけじゃん。
なに、俺が活字を読んだだけで、それらの言語の
イントネーションやアクセントを語れるような人間だと思ってるの?
それともなに、俺が譜面を取り寄せて、音源や詩集と照らし合わせる
音大の先生みたいなことするような奴だと思ってる?
勘弁して下さい。

辞書的にはロマン主義の語源は、
古代ローマ帝国の公用語ローマン語です。
ローマン語で書かれた文学の復興運動がロマン主義です。
ある意味、古代ギリシャの文芸を復興させるルネッサンスと似ています。
でまあ、国文学科で日本近現代文学専攻の
松平耕一さんから私が頂いた批判は
日本のロマン主義を踏まえてないという批判で
日本のロマン主義というと具体的にどの作家になるのか聞いたら
日本浪漫派と言われた。
第二次大戦前夜に日本を戦争に導いたとして
悪名高いあの日本浪漫派ですよ。
日本の近代化(モダニズム)に対抗して、古きよき日本を論じ、
西洋文化を排斥しようとしたとされる日本ロマン派と
古代ローマとの間に、どんな関係があるんだ。
時代区分としてのロマン主義は、ヨーロッパだとフランス革命前後
日本でいうと江戸時代で、井原西鶴辺りが活躍した時代で
第二次大戦からかなり離れる。
そもそも西洋の概念であるロマン主義と、西洋文化排斥の日本浪漫派じゃ
正反対じゃないか。
だからといって松平さんの言ってることが
間違っているとも言えない訳です。
個々の用語を文脈から離して、単一の定義でしばるのが
不可能だと感じた瞬間です。

3文学のハイカルチャー(高級文化)
純文学とは何か?
http://d.hatena.ne.jp/kidana/20071213
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=616435730&owner_id=54076

と言った時に、純文学=文学のハイカルチャーと
とらえる人がいて、日本や世界に文学のハイカルチャーは
存在するのかという問いがある。

大衆文学=ポップカルチャーに対する
高級文学=ハイカルチャーが、
日本や海外に存在するのか?

文学にハイカルチャーなど存在しないという側の言い分は
ハイカルチャーとはヨーロッパにおける貴族や上流階級の文化であり
フランス革命以後、貴族よりも民衆の方が上位になり
文化的にも、大衆文学=ロマン主義文学こそハイカルチャーだと
呼ばれるようになった。
大衆や民衆に支持される文化こそが貴族趣味な文化よりも
上位(ハイ)なのだ。という理屈です。
白石昇さんなどはおそらくそういう立場でしょう。

私は純文学という語が、文学におけるハイカルチャーを指す語だとは
思っていないのですが、ここでは便宜的に、
ハイカルチャーを指す語だとして話を進めます。
文芸雑誌「ファウスト」のキャッチコピーの一つに
日本で一番売れている文芸誌
http://machi.monokatari.jp/tayori/item_3669.html
というのがあるが、これもいわゆる純文雑誌の中で
一番売れているのであって、大衆文芸誌を入れると一番ではない。
つまり、ファウストは純文雑誌だとファウストの編集部は認識している。
という話がある。

私が大学生だった頃(1990年代)の純文学雑誌は
http://d.hatena.ne.jp/kidana/20080425
40代から50代の大人が主人公で、
葬式と定年退職と職場の統廃合について書かれた
古めかしいイメージだった。
アニメ絵のカラーイラストがついて、
中学生高校生が主人公で
ファンタジーや伝奇や推理小説が載ったファウストは
私のイメージではライトノベルになりますが
これを純文学と呼ぶ時、イメージされる純文学は
キャッシー・アッカーの「血みどろ贓物ハイスクール」とか
ウイリアム・バロウズの「裸のランチ」とか
サンリオSF文庫とか、その辺りだと思います。

そういう意味でゼロアカ道場第三関門の自著要約を見ると
http://shop.kodansha.jp/bc/kodansha-box/zeroaka/kanmon_03.html
藤田さんが一番ファウスト編集部の求める物と
合っているのだろうなという感じはします。

文学におけるハイカルチャーを指す語として
私がイメージするのは「近代文学」や「現代文学」で
そのとき、当然、近代とは何か、現代とは何かという話は出てきます。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/169gou.txt
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=864262457&owner_id=54076
現代というのは第一次大戦後のヨーロッパ(狭義ではフランス)を
指す語だと書いたら、きゃさりんさん(渡邊利道さん)から
第一次大戦後を指すならフランスよりもむしろイギリスだろと
反論されて、色々考えたのですが、
私はやっぱりフランスを指すと思う。
そしてこのフランスとイギリスの差、
ラテン語圏と英語圏の差はかなり大きいと思う。

4ラテン語圏の文化
近代とは、活版印刷術で大量印刷された世界地図と
羅針盤と鉄砲(火薬)を持って
海に乗り出した大航海時代を意味する。
漫画で言えば、ドラゴンボールやワンピースのような世界で
映画でいうとスターウォーズ、小説だったら
ガリバー旅行記や東方見聞録で映画のジャンルだと
アドベンチャーと呼ばれる。
ラテン語圏のスペイン・ポルトガルは
その時代に略奪貿易をしていて、そこでの罪の意識が
現代において反省されている。

それに対してイギリスは加工貿易をしている。
加工貿易は現代でも行われていて、一部では
途上国の未就学児を低賃金で働かせて学習機会を奪っている
という批判もあるが、基本、略奪貿易ほどの違法性はなく、
現代において罪の意識があるとは言いがたい。

漫画のワンピースのように海に出ることをポジティブにとらえた
近代から、先住民に銃を突きつけて金品を略奪したことに対する
罪の意識が生まれて、近代=大航海時代を否定する
現代という新時代が生まれたラテン語圏と
近代から現在まで一貫して加工貿易をしている英語圏では
近代と現代との間の断絶の度合いが違う。

別の言い方をすると、南北アメリカ大陸やアフリカ大陸といった
フロンティア(未開の地)を開拓してきた近代が
フロンティア=植民地の奪い合いから近代国家同士の戦争がおこり
ヨーロッパ(コンチネンタル)を戦場とした第一次大戦が起きて
本土が戦渦に巻き込まれたラテン語圏と、
ヨーロッパ大陸から海一つ隔てていたために
本土の被害をほぼ受けなかった英語圏(英国・米国)の差は
大きいわけです。

近代と断絶した現代という概念は、
ラテン系の国から出て来ていると言って過言ではない。
日本の近代はアメリカのペリー来航から始まって
日英同盟で第一次大戦を戦い、
実質的には米軍であるGHQの支配下に日本が置かれ、
と英語圏の影響が大きいわけですが、
米語圏の影響下にある国で盛んなスポーツを野球、
ラテン語圏の影響下にある国で盛んなスポーツをサッカーだとした時に、
多く見積もっても十カ国ほどしか行われておらず、
次回オリンピックから正式種目でなくなる野球と
約一六〇ヶ国で開催されているサッカーでは
国際的にはサッカーの方がより広く浸透しているのではないか。
アフリカの半分は旧フランス領で、
南米のほとんどはスペイン語・ポルトガル語圏だとしたときに
実はラテン系の文化エリアは多くの日本人が思っているより
広いのではないか。

文学のハイカルチャーを指す語として
近代文学や現代文学という語を使った時に、
前提となる社会は英米ではなく、ラテン系の国になります。

5アメリカニズム
ラテン系文化と対比をなすアメリカニズムが
どのようなものかについて書いてみます。
笙野頼子がネオリベと呼ぶ物、売上げ文学論や何かは
ある種のアメリカニズムで、
広く取ると東浩紀のいうリバタリアンなども入ります。
平たく言えば、自由主義市場で売れない物は
文化として生き残っていくことが不可能だという状況だったり
考え方だったりします。
今の日本の現状というのは正にそういう物で、
国の財政赤字が膨らむ中、
文化予算(大学の日本文化研究予算など)が大幅に削られ、
日本文学研究者や民俗学者の学内ポストなどはなくなり
理系や法学などの実学に予算やポストが回されるという現実があります。

いま日本で小説家になりたいと思えば、
専業職業小説家として売れる小説を書いて本を出す以外の道が
ほぼない状態です。
創作活動一本で食っていくのが困難なのはある種の常識だと思います。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/diary20.htm
では、創作活動をしながら、生活費は別で稼ぐという事が
どの程度可能なのか。
公務員は法律でアルバイトを禁止されている以上、
原稿料や印税の発生する創作活動をするのは違法になります。
会社員も多くの会社においてアルバイトを禁じており、
特に表現活動は社内の情報漏洩にもつながる物として
非常に忌み嫌われます。
社会人で、創作活動をしながら生活費と稼ぐ手段としては
自分で店舗を持って自営業をやるか、
正社員でなくアルバイトの身分を維持するかぐらいしか
選択肢がない。
例外的に銀行員というのが何故か創作活動OKの場合が多いのですが
創作活動を続けて行ける職業というとかなり選択肢が狭まります。

通常の会社員の場合、朝礼が午前8時半ぐらい
仕事が9時ぐらいから始まって
午後8時から午前0時ぐらいに仕事が終わるとして、
平均午後10時あがりだとしましょう。
通勤に片道2時間掛かるとして、朝6時半に家を出て
午前0時に帰宅するとして、出勤前の朝食とシャワーで一時間、
帰宅後の夕食とシャワーで一時間取ると、
睡眠時間が四時間しか取れません。
朝9時から夜10時までという勤務時間は
日本の会社員としてそれほど長時間労働という
イメージではありませんが実質このスケージュールでは
会社員と平行して創作活動を続ける時間を取ることは困難です。
銀行員で内勤の場合、受付が午後3時で閉まり、
午後5時か6時で帰れるので、
これだとギリギリ創作活動もできます。
それ以外で、比較的時間の自由がきく正社員というと
大学教授ぐらいでしょうか。

6ラテン語圏の文化
これがラテン系のイタリアやフランスだと労働条件が違う。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/175gou.txt
午後五時以降は、すべての労働者が何らかの文化活動をやっていて
地域の市民ホールで音楽を演奏したり、演劇を上演したりしている。
地域住民はその演奏や演劇を無料で観に行けるようになっている。
日本でも公民館に併設された市民ホールで
地元の高校のブラスバンド部の演奏会があって、
入場無料だったりしますが、ラテン語圏で文化や芸術と言った時
意味する物は、そういうものであって、
ヒットチャート一位の曲とか、
全米ランキング一位の映画とか今週最も売れた本ランキングとかは
文化や芸術じゃないわけです。
ラテン語圏だけではなくゲルマン語圏においても
ウィーンフィルオーケストラやベルリンフィルオーケストラは
市が地域住民へのサービスとして、
公費で行っている文化活動であって
ヒットチャートがどうこうという
民間の営利企業が行っている商業活動ではない。
ウィーンフィル辺りになると楽団の団員は、
職業音楽家として、それ専業で生活していると思いますが
ラテン語圏の文化において、すべての労働者は5時まで働き、
5時以降に文化活動をしているわけで、
地元の地域住民が、地元の地域住民のために
演奏や演劇をやって、活動の必要経費は市の予算から出て
舞台に上がる側もボランティア、見る側も入場無料。
文化や芸術とはそのような物だという前提の上に
ハイカルチャーが存在している。

日本でいうとお盆の夏祭りに、縁日が出て、
金魚すくいやヨーヨー釣りの店番をしている人も
地元の人達で、皆、普段は別の仕事を持っていて
その日、一日だけヨーヨー釣りの店員で
やぐらを組んで和太鼓を叩く人もプロのミュージシャンではなく、
地元のおじさんで、そこで盆踊りを踊る踊り子も
プロのダンサーではなく、地元の地域住民で、
みこしをかつぐ人も、みこしの上で踊る人も、
皆地元の人間で、それが文化であるというイメージに近い。
もし、この夏祭りの日に、
俺は仕事があるから祭りには行けないよ
という人達の集団がいたら、
地域の文化になじもうとしない奇妙な人たち
というレッテルが貼られるだろう。
日本人がイタリアで働きすぎて問題になるシチュエーションは
そういう状況に近い。

7専業職業作家
私なんかは作家専業で食っている職業作家の歴史
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/182gou.txt
について考えたりするのですが、
それ自体がある種ネオリベ的アメリカニズム的であって
食っていくための生業は午後5時までちゃんとやって
表現活動は公的機関から保護されながら、
生業とは別にやり続けるというのが
ラテン的でハイカルチャー的なのかも知れないと思う。

会社員をしていないミュージシャンや職業作家は
住宅ローンが組めないため、現金で家を買うか
借家暮らしをするかしかなくて、
新井素子の「結婚物語」「新婚物語」をみると
コバルト文庫で売れっ子作家だった新井素子が
自分名義では住宅ローンが組めずに会社員をしている夫名義で
住宅ローンを組むシーンが出てきたりします。
私の高校時代(バンドブーム全盛期)に最も支持された
ミュージシャンの一人がブルーハーツの甲本ヒロトだと思うのですが
彼が48歳ぐらいの頃、雑誌のインタビューで
いまだに妻と借家住まいだと言っていて
表現活動で食っている人は大変なんだなと思った事があります。

笙野頼子は芥川賞・三島賞・野間文芸賞と日本の主な文芸賞を
三つも取っている純文学作家ですが

現代思想2007年3月号Vol.35−4
特集:笙野頼子p67上段より
「所有する自己と言っても、自分は猫を守って
家のローンを払っていかなければいけないという
セコイ自己なんだけれども、」

と書いています。住宅ローンを組んでいるということは
作家以外に正社員として会社勤めをしているわけで
(可能性として、親から相続した土地か建物を担保に入れているか
夫か親戚の名義で住宅ローンを組んだ、なども考えられるが
ごく少ない可能性だと思われる)
ラテン的なハイカルチャー作家なのだと思いました。
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【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験メルマガ】
登録ページ http://www.pat.hi-ho.ne.jp/kidana/mmg.htm
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関連HP:掲示板に感想・御批判入れて下さい。
http://www.tcup3.com/356/kidana.html
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