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2008/05/27

パニック障害を乗り越えてバラ色人生♪

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★未知なものへの恐怖★

その頃、何が怖かったのかと言えば、「血」に対する恐怖感はかなりありました。
あとは、未知に対するもの、特に「宇宙」のこと 。
空を見上げると宇宙は広がり、星はとても遠くにあると教わり、
その先はどうなっているのだろう 暗闇はどこまで続くのだろう、
そんなことを考えると、恐怖で一杯でした。
それでも幼い子どもの私には、目の前に友達がいたり、楽しいことがあるときは、
その「恐怖に埋没するほどの恐怖」ではありませんでした。

その頃の私は、「今自分が病気でなければ良い」というものでした。
今の不安感が続くものではなかったのでした。 
今、大丈夫 と言われれば安心という類のものだったのです。

そんなことを繰り返しながらも、中学、高校と成長していきました。
中学生になった私は、幼少から習っていたクラシックピアノを止めてまでも、
バスケットボールクラブに入部し打ち込む日々をおくりました。
ドンくさい 私は、シュートもかっこよくきまらず、
全体があまりよく見渡せず、当然スターティングメンバーではなく、
試合にも数分しか出してもらえないようなくらいの力量でした。
それでも、コーチの言うことはまじめに聞き、メンバーは大切にし、
スポーツ精神にのっとった生活をまじめにこなし、
(炭酸水は飲まない、電車の中では座らない、体育館に入るときに挨拶をしてから入る・・・
この程度の中学生らしいものです)
熱が出ても練習を休むこともなく、きびきびとした生活をしてました。

思い返せば、その頃の私はパニックをあまり起した覚えはありません。
やはり、運動や体を動かすことは 「パニック」 をおさえるのでしょうか。

それとは別に、中学の頃から、毎晩のように金縛りにあうようになりました。
しばらく何年もの間、金縛りにあっている時は、完全に自分が目を覚ましているのに、
体が動かなくて苦しい状態だと思っていました。
完璧に部屋の様子が見えていたからです。
ところが、ある日の金縛り状態の時、ベッドにある目覚まし時計の時間が
食い違っていることに気づきました。
金縛り状態の時に見た時間と、完璧に苦しみから逃れて
目が覚めた状態の時間に かなりの時間の差があったのです。
それには、自分でも驚きました。
今まで、はっきりと目をあけて 見えていたと思っていたのは、
実は、夢の中の出来事だったのだ・・と知ったとき、
何故あんなにも苦しいのか 不思議でなりませんでした。
夢というよりも、いわゆる「幻覚」を見ている状態なのだと気づきました。
この金縛りは、大人になるまで毎晩のように続き、
大人になってからは 徐々に減りはしたものの、
寝不足の時や、精神的に疲れたり、頭を使いすぎたときなどには、
今でも決まって金縛りにあうのです。

眠りに落ちて、数分してからその状態は起こるようです。

まず、目を覚まします。
覚ましたのに、呼吸が止ったかのように体も動かなく、息苦しくなるのです。
ぐっと押さえつけられてるような感覚です。
お化けがいるような怖さは あまり感じたことはありません。
ただ、怖い、苦しいという感じ。
そして、一生懸命その金縛りを振りほどこうと、体や首を揺らそうとします。
早く体を動かしたい、早く解きたい。
う〜〜う〜〜〜。
そして、一定の時間が経過すると、金縛りがほどける。
覚醒したわたしは、ハーハーと荒い呼吸をしています。 
そして、動悸。
やはり、呼吸が止っているのでしょうか。
やっと、目が覚めた〜、そう思っているのに、また眠りに落ちてしまいます。
そしてまた 同じような 金縛り状態。
まただ〜、何で眠ってしまうんだろう。
そう思いながらも、疲れすぎているせいか、
その状態を三度くらい繰り返してしまうのです。
そして、やっと本格的に眠りにつけるという毎日でした。
大人になってからは、一度の金縛りのあと、怖くてテレビをつけたりすると、
一度だけで終わるようになりましたが・・。

そして 高校生活。
私は家からそう遠くない女子高に入学しました。
中学の頃は、多少なりとも、人間関係での悩みはありましたが
大きないじめにあったということはありませんでした。
ただ、特別のいじめというものではなかったのですが・・
男子にからかわれているようなことを感じていたために、
女の子だけの女子高に通うことを夢見て入学を決めました。

私にとっての女子高は、ばら色のような学校生活でした。
憧れの制服に身をつつみ、電車に乗って、
お嬢様になったような気分で登校するのです。 
その頃の我が家は、トイレも汲み取りの貸家に住む貧乏生活。
本当だったら、都立高校に通えば 
経済的にも両親に楽をさせてあげられたのですが、 
どうしても、その学校に行きたいと両親にお願いして、
私立高校に入学させてもらいました。 
当然、我が家よりも裕福な家庭のお嬢様ばかりなので、
そんな環境に身をおくことが、私の何よりもの幸せでした。
今までの 暗い現実生活から解放されての新しい生活。
それなりの、人間関係はありましが、
それでも、大人になったような感覚に酔いしれるような毎日でした。
やっと、今までのしがらみやコンプレックスから私は解放されるんだ!
そんな思いでした。

★暗い家庭★

そんな一方で、家庭内はあまり良い環境ではありませんでした。
高校一年の頃、もともと父が母に対しての暴力があったことが高じて、
母は家を出ました。 
母は近くの一軒家を借りたのですが、私は自宅と母の家をいったりきたり。
生活はすさみました。
家の掃除は誰もしないため、荒れ果てて、トイレも黄ばんでました。
その頃 飼い始めた犬がまだ子どもだったために、
与えたぬいぐるみを庭で噛み千切っては遊び、
庭やその周辺に ぬいぐるみの綿が散乱していました。
父とはほとんど会話もなく、その当時父を好きにはなれませんでしたが、
それでも、父が可哀想にも感じていました。
そんな母の家出は約一ヶ月で終わりました。
母はお友達と一緒に、父のところに戻ってきました。
母は何も話さず、黙っていましたが
私の目には、母が友達に取り持ってもらっていることと、
父がいつもとは違う感じで優しく話を聞いている 
その雰囲気に喜んでいるように映っていました。
母のお友達は、父と母の仲をとりもつような話をしだしました。
結局、母はそのまま借りた家を元に戻し帰ってきたのです。
そのときの私は、
「よくわかんない。どうして、せっかく 家を出たのに 
幸せになってほしいと 願っていたのに
戻ってきちゃうんだろう・・」
そんな風に思いながらも反面助かったような 
ホッとした気持ちも正直ありました。

そんなことがあったためか、私は勉強する気持ちも失せて
投げやりな高校生活を送り始めていました。
別に両親に反抗という意味ではありません。
むしろ、両親のことはいつでも心配でしたし、気にかけていました。
ただ、本気で何かをやろうというそんな意欲に欠ける生活に 
浸っていってるような感じでした。
クラブ活動もするわけでもなく、
勉強をするわけでもなく、
学校へ真面目に通うわけでもなく、
遅刻や無断欠席が多くなっていきました。
試験勉強も殆どせずに、十点以下の成績をとっては、
周囲の友達を笑わせていました。 
また、授業中も 平気で 机にうつ伏せて 
まるで わざと寝るという格好。
ある種、かっこつけだったように思います。
授業が終わることを告げるチャイムがなると、周りの友達が
「休み時間だよ〜!」 と起こす。
そんな、笑いの中心の私でした。
学校へは登校拒否ということではく、
なんとなく行きたくない〜と思っては、
電車を別の方向に乗ってふらふらしてから帰宅したり、
自宅近辺の人気のないところを散策してみたり、
また、家も嫌いでした。

その頃の、私のパニック状態は、友達との会話の中で 
恐怖感が増すということが時々ありました。
宇宙の話をしているとき、死の話をしているとき。
怖いよ、怖いよ。・・・・・
顔面蒼白になるかような恐怖感を感じたことを覚えています。
また、指をカッターナイフでざっくり切ってしまった時の出血で、
恐怖と貧血に陥り、パニックを起こしたこともあります。
血を見れば「貧血」でした。
それでも、それまでの私は、「今病気」じゃなければ「不安」ではありませんでした。

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