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教養や雑学は暗記より理解が大事。教材は児童書や漫画が最適です。「何となく知っているつもりだけど説明できない」から「なるほど!と理解し、つい語りたくなる」へ。温故知新をテーマに日本史や古典が中心。教育関係者、生涯学習、趣味の教養にもおすすめです。

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2009/10/31

【温故知新】「徳川家康の11人の息子たち」-1

+++++++++++++++++++2009/10/31+++

     ■■■温故知新の教養と雑学■■■
     「徳川家康の11人の息子たち」-1

++++++++++++++++++++++vol.33++

江戸幕府を開いた徳川家康。
その家康の子供には11人の男子と5人の女子がいました。

そのうち、学校で習ったり大学受験で覚えたりするべき名前は、
以下の4人くらいでしょう。

江戸幕府の2代目の将軍となった「徳川秀忠」と、
いわゆる「御三家」の祖となった「義直」「頼宣」「頼房」です。


この4人が家康の長男~四男というわけではありません。

例えば、将軍職を継いだ秀忠は、長男ではなくて三男なんですね。

御三家の義直、頼宣、頼房は、それぞれ九男、十男、十一男です。


では、長男と次男、四男~八男はどうなったのか?


ということで、今後何回かにわたって、11人の男子の生涯を見ていきたい
と思います。


まず、家康と11人の男子の生没年、享年(≠満年齢)を確認しておきます。

家康:1543~1616、75

長男:1559~1579、21
次男:1574~1607、34
三男:1579~1632、54 =秀忠→2代将軍
四男:1580~1607、28
五男:1583~1603、21
六男:1592~1683、92
七男:1594~1599、 6
八男:1595~1600、 6
九男:1601~1650、51 =義直→尾張徳川家(61万9500石)
十男:1602~1671、70 =頼宣→紀伊徳川家(55万5000石)
十一男:1603~61、59 =頼房→水戸徳川家(35万石)


没年齢だけを見ると、2代将軍を秀忠が継ぎ、九男~十一男が御三家の祖
となって正解だったような気がします。

六男は別として、それ以外の男子はいずれも若くして亡くなっています。

江戸幕府が開かれて間もない時期に、跡継ぎを残さず若くしてこの世を
去るのは、何かと不安を残すもの。


面白いのは、兄弟で性格がそれぞれ異なること。
律儀者、忠義者、武勇に優れる者、気性の荒い者など、さまざまです。


次回より、長男から順番に見ていきたいと思います。

気長に(笑)お待ち下さい。


【補足】
※他に家康の隠し子が男子では2人いたとか。
・松平民部(まつだいらみんぶ):1582~1616、35
 四男と五男の間

・小笠原権之丞(おがさわらごんのじょう):1589?~1615、27 
 六男と七男の間


※御三家の3藩は尾張、紀伊、水戸ですが、これは6代将軍家宣の頃に定着した
 ことであり、当初は違いました。
 すなわち、徳川将軍家(徳川宗家)、尾張徳川家、紀伊徳川家が御三家でした。
(宗家の代わりに駿河徳川家を入れて御三家という場合もあるとか…)
 いずれにせよ、水戸藩が入っていなかったことは、石高が水戸藩が他の2つに
 比べて小さいことからもわかります。



つづく

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「温故知新の教養と雑学」

 ●発行者 京 洋代

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