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「銀行を変えたい!」と願う人、「銀行はどうなるの?」と考えたい人を応援するメルマガ。米国Anat Bird氏のメルマガ翻訳版(本人承諾に基づく)を紹介しつつ、銀行ビジネスについてのやぶにらみ的観察・感想を綴る。

  • 発行周期 隔週刊
  • 最新号 2009/12/31
  • 部数 128部
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2009/12/31

第36回:銀行の情報システム(その1)

こんにちは。「銀行ビジネス鳥の眼/虫の眼」第36回のメルマガです。

今年最後のメルマガとなりました。

今回は、バードさんのニューズレターではなく、私のコメントです。

私のコメントはいつも業務側の話が中心なのですが、今回は少し話題を変えて、
銀行の情報システムについて書いてみようと思います。

現在、情報システムは多くの銀行にとって負担となっています。特に地方銀行では
そうです。福岡~広島銀行の提携や、NTTデータが運用する地銀共同センター、
八十二銀行を中心とするじゅうだん会など、システムコスト、企画・開発・維持要員
などの一行での負担の軽減を指向する銀行が、システムの共同化へと動いてきて
います。

銀行は1980年代まで(地方銀行を含めると90年代前半まで)かけて、3回の
いわゆる「オンライン化」を進めてきました。現在の銀行が「装置産業」、
あるいはコンピュータ依存度の高い産業と言われているのは、このオンライン化が
大きな背景となっています。

オンライン化は、現在の日本の銀行業のかたちの基礎となったと同時に、多くの
問題点の源ともなっています。日本の銀行のコンピュータ化がどのような経緯を
辿ってきたのか、そしてそれがどのような影響を生み出しているのかについて
理解するために、私なりの考察も交えて、少し歴史を辿ってみましょう。

話が長くなりそうなので、今回は、まず第1次オンラインと第2次オンラインに
ついて書くことにします。第3次以降は次の機会に譲りたいと思います。

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091216

「銀行のオンライン化とは何だったのか」(その1)


●第1次オンライン(1965年~)

日本の銀行のコンピュータ化は、実はコンピュータメーカー(ベンダー)ではなく、
銀行員の手で始められました。第一次オンラインと呼ばれるコンピュータ化は、
1960年代後半に始まります。この時期の日本は、1964年に東京オリンピックが、
1970年に大阪万博という大きな国際的イベントがあり、国を挙げて高度経済
成長の真っ只中にありました。テレビや電話が自動車が普及し、製造業が栄え、
都市部への人口集中が進みました。ちょうど、最近の中国経済のような感じ
だったと言ってもよいでしょう。

こうした中での銀行の役割は、急増する都市のサラリーマンの給与所得を預金
として集め、成長のための資金を渇望する産業界に融資として供給することでした。
大蔵省の規制により新規参入はなく、預金~融資の利ざやも実質的に固定
されていたため、業界の全てのプレーヤーが、経済の拡大に伴う理規模の拡大の
恩恵をエンジョイした時代です。

今となっては信じられないようなことですが、当時の銀行の事務は全て「手」で
行われていました。通帳は手書き、銀行の元帳も手書き。そして計算はソロバン
です。それで、顧客の残高を合わせ、支店の勘定を合わせ、銀行全体の勘定を
計算していました。字が上手で、ソロバンが速くて正確な人が求められました。

増え続けるサラリーマンは、銀行に口座をつくり、もらった給料(現金支給がふつう
でした)を預け、生活費を引き出し、余ったお金を定期預金で預けます。店頭には
預金の入出金取引の人が押し寄せ、銀行の店頭事務はパンクしそうになって
いきました。

「店頭の預金事務を何とか効率化しなければならない」

これが、第1次オンラインの最大の動機であったと言われます。

時を同じくする1964年、米国のIBMは、「System/360」という画期的な
コンピュータを開発しました。第2次世界大戦時に弾道計算を目的に発明された
コンピュータは、その後民生利用に展開され、新しい市場で数多くの米国企業が
激しく競争していました(その中にはGEもいました)。その中に登場したIBMの
System/360の革命的な点は、ハードウェアとプログラムを分離したことでした。
それまで、ハードウェアとプログラムは一体であったのが、これによってプログラムが
移植可能になったのです。言い換えれば、複数のコンピュータに同じ仕事を
させたり、1台のコンピュータに違うプログラムを実行させたりすることが可能に
なりました。IBMはこの新技術に社運を賭したと言われますが、賭けは成功し、
IBMはコンピュータ業界で他を圧倒する巨人に成長します。

日本の銀行が事務処理の問題解決のためにコンピュータに目をつけたのは、
非常に早い時期だったと言えるでしょう。まだ米国のコンピュータ会社の日本支社や
日本法人さえ十分に機能し始めていない頃だったと思います。当時は銀行員が
直接米国のコンピュータ会社を訪れ、教育を受けて帰国し、自らプログラムを
書きました。繰り返しますが、第1次オンラインは、主に銀行員自らの手によって
行われたのです。

第1次オンラインでは、営業店に置かれた「端末」が本店(センター)のコンピュータ
と接続していて(そのために「オンライン」と呼ばれるのですが)、元帳と口座が全て
コンピュータに載せられ、営業店で預金の入出金を行うと、そのまま元帳まで
反映されるようになりました。通帳も印字され、手書き、手計算は劇的に減少します。

オンライン化は、本店勘定~支店勘定~個別口座という体系で行われたので、
支店番号の下に口座番号がつく形になりました。それが現在の預金口座番号
体系に引き継がれています。また勘定別のタテ割りになっていて、預金種別間の
振替処理を一連の処理としてコンピュータ上で行うことはできませんでした。
つまり、同一名義人の普通預金から出勤して当座預金に入金したり、普通預金
から出金して振込みを行うといった処理は、それぞれ個別に行う必要があったのです。
当然、そのために個別の伝票も必要でした。こうした課題点が、第2次オンラインに
つながっていきます。

●第2次オンライン(1975年~)

第2次オンラインの時期は、第1次オイルショックが発生した1973年のすぐ後に
なります。オイルショックでは、石油やガソリン価格の上昇だけでなく、深夜テレビ
番組の自粛、ネオンサインの早期消灯などを含め、景気への影響が目に見える
ものとなりました。日本の経済は素材産業から加工組立産業へと、主力牽引車が
交替していきます。高度成長の時期が終わり、日本中の全ての産業が右肩上がりに
成長していくわけではなくなりました。

銀行にとって、口座獲得競争はまだ続いていましたが、ひと通りの普及は終わり、
新規口座獲得に加え、既存口座の残高をどれだけ拡大するかが次の焦点と
なってきました。給与振込や公共料金の自動引落しなどの集中化による
「メイン化」の重要性がクローズアップされます。

ところが、自動引落しの際に口座残高が不足していると、引落しができません。
口座保有者に早急に連絡して入金を依頼した上で、個別の引落し処理が必要に
なります。これは日本独特の現象でした。なぜなら、欧米では普通預金ではなく、
当座預金が通常の口座であり、企業からの請求に対して消費者が小切手を
郵送して決済するという方法がとられていたからです。消費者は、支払できない
場合は小切手を切りません。また、たとえ残高不足が発生しても、銀行は
当座貸越として処理し、ペナルティの金利(または手数料)が課すという方法で
対応しました。

日本では個人預金口座は普通預金が中心で、そもそもマイナス残高は想定されて
いないために、残高不足への対応は事務量を増加させる大きな問題でした。
これを解決したのが「総合口座」の開発です。総合口座は、定期預金を担保に、
普通預金口座がマイナスになった場合に担保金額の9割まで自動的に貸越を
発生させるという商品です。銀行にとっては、定期預金が獲得できてベースとなる
預金残高が増え、自動引落しを集中させても残高不足が発生しにくくなるという
理想的な商品でした。

この商品が成立するためには、普通預金、定期預金、貸越の3つの勘定が
リアルタイムで連動しなければなりません。第2次オンラインはこの条件を
満たしていました。科目間の連動処理が可能になったのです。

また、すでに個別銀行でのCD(Cash Dispenser:現金自動引出機)は、
窓口での引出業務削減のために普及していましたが、銀行間のオンライン提携が
実現されたため、他行での引出も可能になります。

こうして、従来銀行が備えていた機能の利便性をより高める方向で第2次
オンラインが実現しました。第2次オンラインでは、科目間連動や外部との
接続などでシステムが複雑化し、開発負担が拡大しました。これに伴い、
銀行員を中心としたシステム開発は物理的に不可能になり、開発プロジェクトでは
コンピュータ・ベンダーが大きな役割を担いました。ベンダーはこの開発でノウハウを
蓄積し、以後、銀行とベンダーの関係は以前にも増して深まっていきます。

当然ながら、第2次オンラインの背景には、コンピュータの処理能力がそれを
実現できるレベルまで進歩していたことがあります。日本の銀行は、急速な
経済成長の中で、省力化のために積極的にコンピュータを活用してきました。
処理のリアルタイム性や、科目間連動などが求められる日本の銀行取引には、
より処理能力の高いコンピュータと、より複雑なプログラミングが要求されました。
こうして、日本の銀行システムは、より大規模で、より複雑で、個別開発を
必要とするものへと発展していきます。

ということで、第2次オンラインまでの状況について整理してみました。
かなり昔の話であり、私が銀行で仕事を始めるよりも前のことなので、読者の
皆さんにも馴染みの薄いことかもしれません。しかし、なぜ銀行のシステムが
現在のような姿になったのかを知るためには、その発展の経緯をなぞっておくことが
不可欠です。

次に私が原稿を書くときには、現在の銀行システムの形を決定づけた、
第3次オンラインとその後の展開についてご紹介します。お楽しみに。

今年1年、私のメルマガを読んでいただき、ありがとうございました。

では、また来年。

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