ブライダルのプロカメラマンが見た結婚の真相  RSSを登録する

ブライダルのプロカメラマンになって12年。1000組を超える挙式や披露宴を撮影してきた経験から、「結婚」というものの真相を明らかにする。

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2008/07/30

デパートで、高級車を売る

結婚披露宴の主賓のスピーチは、新郎新婦の関係者以外の人にとっても非常に役立つお話がよくあります。
主賓とは、来賓の中で最も主要な人物です。新郎側の主賓と新婦側の主賓が一人づついるのが一般的です。

新郎新婦との関係は、会社の上司だったり学生時代の先生だったりと様々です。
共通して言えることは、新郎新婦にとって大切な人であり恩人でもあるということです。

そんな人ですから、結婚披露宴の中心的なスピーチであり、披露宴開始直後に行なわれることが多いのです。
まだ、会場内の空気は緊張ぎみですから、来賓全員が真剣に聞いています。

主賓は、社会的にもそれなりに成功した人が多いですから、話にも説得力があります。
そんなに長いスピーチではありませんから、講演とまではいきませんが、「プチ講演」レベルの人はいます。

中には、政治家もいましたし、学者もいましたし、高級官僚もいましたし、大企業の取締役もいました。
彼らは身内に話す感覚でスピーチしますから、本音の話が多く、実に面白いものです。

その一方で、場違いなスピーチをする主賓もいるものです。
自分の自慢話だったり、来賓にはとても理解できない専門用語を多用した話だったり。

披露宴の内容が盛りだくさんでギリギリのスケジュールの時に、20分以上も話し続けた主賓もいました。
主賓だけに、誰も文句が言えないのです。
披露宴を仕切るキャプテンは、冷や汗をかいていたそうです。
主賓のスピーチを途中で止めさせたりしたら、間違いなくクレームがつきますからね。
司会者にも、そんな勇気はありません。
新郎新婦にも、恩人に向かって、そんなことはできません。
まさに、裸の王様状態です。

話が面白いとか、役立つとか、人生のためになるような内容なら多少長くても来賓は有り難がって聞いています。

ところが、その反対の場合、非常に困った空気が披露宴会場内を包みます。
それでも、その主賓は、空気が読めないのです。
つまり、今流行りのKYです。

私の12年間の経験からすると、KY率の高い人種は、学校の先生です。
特に、一流大学の教授にひどい人が多いようです。
偏差値の高い人だけを相手にしてきたからか、凡人の気持ちが分からないのかもしれません。

もちろん、先生も人間ですから、いろんな人がいます。
学者バカにならないように、一般人と積極的に交流している先生もいます。
そんな先生は、一般人に分かるような表現をしようと努力しています。
けっして、難解な専門用語を、一般人に対して平気で使ったりはしません。

その逆に、学界という狭い世界の中で認められることしか考えない学者もいます。
学者の発言としての正確さを優先し、曖昧な表現をさけるのです。
だから、一般人には、理解しずらいのです。
一般人からすれば、漠然とでも、理解できればいいのです。
しかし、そんな人の心や空気が、彼らは読めないのです。

前回、「哲学者は、思考の技術者です」と書きました。
しかし、それは大学のKYな哲学研究者のことではありません。

哲学に人生の悩みの解決法を求め、哲学書を読もうとした人は多いでしょう。
私も、その一人です。
しかし、語彙の難しさや言い回しの分かり難さから、理解できずに途中で投げ出しました。
きっと、読者の中にも、そんな経験のある人がいると思います。

これは、決して、私たちが悪いのではないのです。
自分の業績ばかりを優先させる大学の哲学研究者に責任があるのです。
哲学書といわれるものは、ほとんどがそんな学者によって書かれた学術書です。
だから、難解で一般人には役立たない哲学書に出会う確率が高いのです。

しかし、前回も紹介した『生きた哲学の課外授業』(鷲田小彌太著/ヌース出版発行)は、そんな哲学書ではありません。
著者のホームページの「読書日日」を見れば分かりますが、この先生は毎週のようにススキノで飲んだくれています。
つまり、一般人と交流することの方が多い人だということです。

いかに、この本が一般人のために書かれたかが分かるように、本文の一部を紹介します。

 ある女が、横のボックスに座って、「死にたい」という。
 「一緒に死んでやろうか」とつぶやいたところ、ぶすっとした顔で席を立った。
 こういうスタイルで考えたい、それが私の第一の願いだ。
 もちろん、コンビニには小物が品数多くあるのがいい。
 「教養」とは雑学である。
 私は、哲学は雑学にしくはない、とかなり執拗に言い続けてきたため、クイズ王など に繋がる変なオッサンと思われがちである。
 それが少しも嫌なことではないのは、私が目指すのが、立花隆のような大仰な雑学、 デパートで高級車を売るような真似ではないからだ。
 
結婚披露宴の主賓にも、デパートで高級車を売るようなスピーチをする人がいます。
つまり、場違いなスピーチなのです。
そんな席で、厳密さは必要ないですし、求められてもいないのです。
つまり、しゃべっている本人は立派なことを言っているつもりですが、披露宴会場の来賓にとっては、何の意味もなく、かえって迷惑なのです。
そのことに気づいていない人に「偉い人」が多いのも、実に困ったものだと思います。


『生きた哲学の課外授業』は著者または出版社のホームぺージでご覧になれます。
著 者	http://www8.ocn.ne.jp/~washida/
出版社	http://www.nu-su.com
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