帰去来亭からの便り  RSSを登録する

文芸、旅行、絵画、画家、歴史、できごと、生活などジャンルを問わずさまざなことが出てきます。読めば元気が出ます。感動があります。興味がわきます。癒されます。人生の深みを実感できます。勉強になります。著者の生きてきた中から紡ぎだす珠玉の物語です。

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2009/10/25

『真田幸村  1』

『歴女』という言葉をご存知でしょうか。
私もこの言葉は知らなかったんですが、歴史好きな女子という意味だそうです。

私の家から車で30分ぐらいのところに上田城があります。
その上田城で、4月の下旬に「上田真田まつり」が開かれました。
まつりは真田獅子の舞い、赤備えという赤い甲冑(かっちゅう)で身を包んだ
真田幸村率いる鉄砲隊の演武、太鼓の演奏、六文銭の旗を持ち鎧兜
(よろいかぶと)姿の騎馬及び徒歩(かち)の出陣風景、神輿(みこし)や
真田十勇士の登場等で彩られました。
県内外から大勢の観光客が来たこと、中でも歴女と呼ばれる歴史好きな
女性が訪れたことが地元紙で報じられました。
そこで初めて歴女という言葉を知ったのです。

歴女という言葉で表現されることを嫌がる女性もいるようです。
まあ、それもよいではありませんか。
十把ひとからげで呼ばれるのが嫌というのも、個性の表れですから。
ところで、歴女の好きな武将は
1位 真田幸村
2位 伊達政宗
3位 直江兼続
4位 石田三成
5位 上杉謙信
6位 織田信長
7位 武田信玄
8位 前田慶次
9位 豊臣秀吉
10位 徳川家康
とのことです。

真田幸村はなぜ、それほど人気があるんでしょう?お聴きしてみたいですね。
幸村が歴史上脚光を浴びて登場するのは大阪城に入城してから。
年齢は48歳。当時の感覚とすれば荘年というより老人という心境。
姉婿の石合十蔵に鮭を贈ってもらった幸村の礼状には、
「我々なども、去年よりにわかにとしより、殊(こと)のほか病者になり申し候、
歯なども抜け申し候、ひげなど黒きはあまりなく候。今一度、面上を遂げたく
存じ候」とあり、老人の自覚がありました。
大阪城入城に際しては、どこの浪人かと見まがうばかりだったと言います。
ゲームや最近観光地に登場する似顔絵、錦絵に登場する幸村と現実は違います。
人の魅力を考える時、真に惹かれるのはその人の教養、考え方、
生き方と言った部分です。
外見上のイケメンとか美女と言ったものは人間の本当の魅力ではありません。
自分磨きは外見的なことではなく中身です。

真田幸村は幸村の名で知られていますが、本名は信繁(のぶしげ)です。
生存中は自ら幸村を名のったことはありません。
幼名はお弁丸ないし源二郎。
元服するに当たり、武田信玄の弟である典厩(てんきゅう)信繁の名を
父である昌幸が譲り受けて名づけたのです。
典厩信繁は和歌に通じ、家訓も残しています。
武田家はもとより、他家においても称賛され、畏敬の念を集めたそうです。
1561(永禄4)年9月、第4次川中島の戦いで戦死。
享年39歳。長野市松代町の典厩寺で眠っています。

幸村の名は江戸時代の軍記物『難波(なにわ)戦記』に初めて出てきます。
その後は新井白石の『藩翰譜(はんかんふ)』、松代藩の史書でも幸村と扱われ、
一般的に使われるようになったのです。

今年から地元紙の信濃毎日新聞で「真田三代」という小説が始まりました。
主人公は真田幸隆、昌幸、幸村です。
作者は『直江兼続』の作者である火坂雅志氏です。
現在、ようやく昌幸が登場したところです。今後どう物語は展開していくでしょうか。
楽しみです。

昭和60年から61年にかけて『真田太平記』というドラマがNHKで放送されました。
原作は池波正太郎の小説『真田太平記』。しかし、原作のような忍者ドラマ
ではありません。
父である昌幸、その子である信之と幸村の生涯を描いたものです。
配役は昌幸が丹波哲郎、信之が渡瀬恒彦、幸村が草刈正雄、信之の正室である
小松殿に紺野美沙子。
主人公は昌幸や幸村のように、どちらかというとロマンを追求する生き方ではなく、
堅実で地味な生き方の信之です。それを支える小松殿と応援する義父の
本田忠勝。ごくたまに見せる鋭敏な政治手腕、父や兄弟を思う気持ちも
よく表現されています。
昌幸役の丹波哲郎の噛んで含めるような、落ち着いた説得力のある話し方、
これにはしびれましたね。役者の力量が役柄を超えていたような気がしました。

幸村の名を現在まで伝えるのは、何と言っても大阪の冬の陣、夏の陣での
活躍があったからです。
圧倒的に有利な徳川方を相手にして獅子奮迅の働きを見せたのです。
『難波戦記』では「真田は日本1のつわもの、古よりの物語にこれなき由、
惣別(そうべつ、だいたい)、これのみ申すことに候」と書かれています。
智将の名をほしいままにし、情義に篤く豊臣家に殉じた幸村、後世の
大衆の支持が得られるのは当然のことです。

幸村を英雄として伝える読み物は1672(寛文12)年に書かれた先述した
『難波戦記』です。
江戸時代中期には『真田三代記』が書かれ、幸村の部下として後の真田
十勇士の基となる人物が登場してきています。
明治末には立川文庫の『真田幸村』に真田十勇士が登場し、少年達の間で
人気を博したのです。
真田十勇士は海野六郎(うんのろくろう)、根津甚八(ねづじんぱち)、
穴山小助、由利鎌之助、三好清海入道(みよしせいかいにゅうどう)、
三好為三入道(みよしいせにゅうどう)、猿飛佐助(さるとびさすけ)、望月六郎、
筧十蔵(かけいじゅうぞう)、霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)の面々ですが、豪傑で
あったり、忍者であったりといった魅力的なキャラクターの人物たちです。
こうした物語が幸村を人気者として現代に伝えているのでしょう。
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