2009/02/28
鎌倉 その2鎌倉大仏
かまくらや御仏なれど釈迦無二(しゃかむに)は 美男におわす夏木立かな 与謝野晶子 長谷観音から歩いてわずかなところに、露座の大仏で名高い鎌倉 大仏があります。 与謝野晶子がこの大仏のことを短歌に詠んでいますが、釈迦無二 ではなく阿弥陀如来です。 少し下を向いた座像です。 後方から見ると猫背にも見えます。 少し丸顔で、瞑目して穏やかな表情、手の印は上品上生印 (じょうぼんじょうしょういん)のような気がします。 気がするというのは台座に登って確認したのではなく、離れて見て そう思ったのです。 上生印は心の安定を示す定印です。目をつむり何かをお考えになって おられるんでしょう。 整った表情を見ると確かに美男です。 仏像としてではなく人間として見た与謝野晶子。 彼女ならではの感覚です。 当日、わたしが行った時にはちょうど団体客がバスで着いたところで にぎわっていました。 若い人ではなくどちらかというとお年寄りが多かったですね。 鎌倉大仏の参拝券には次のように説明が書いてありました。 「鎌倉大仏の名で親しまれている高徳院の本尊、国宝銅像阿弥陀 如来座像は、1252(建長4)年から10年前後の歳月をかけて造立 されたとみられる。製作には、僧浄光(じょうこう)が勧進した浄財が 当てられたという。鋳工として丹治久友(たんじひさとも)、大野五郎右衛門 (おおのごろううえもん)の名を記す資料もあるが、原型作者も含め、 創建に関わる事情の多くは謎に包まれている。尊像を収めていた仏殿は、 1334(建武元)年と1369(応安2)年に大風で損壊したらしい。 15世紀以後、同仏殿が再建された形跡は認められない。」 大仏は、最初に作られたのは木造であつたと伝えられています。 1241(仁治2)年、大仏殿の上棟式が行われ、1243(寛元元)年に 大仏は完成しました。 その後、現在の金銅の阿弥陀如来像の造立に着手したのです。 吾妻鏡では大仏を釈迦像と書いていますが、多分、 阿弥陀如来像の誤りでしょう。 参拝券に書かれた浄光は浄土宗の僧です。 浄土宗というのは法然が、中国の浄土教の大成者である善導が撰述した 『観経琉(かんぎょうしょ)』によって専修念仏の教えを広めたものです。 観経琉には一心に弥陀(阿弥陀如来)の名前を常に唱えるのが、 極楽往生への道であると書かれています。 鎌倉大仏には、もともと大仏殿以外の建造物はなかったといわれています。 参拝券の説明では1334(建武元)年と1369(応安2)年に大風で損壊した らしいと書かれていますが、残された資料では1495(明応)年8月に洪水 があり、大仏殿が倒壊したとも書いてあります。 それ以後、再建されることはありませんでした。 江戸時代には周囲は田んぼであったとも言われています。 大仏様の胎内でばくちもしたと言い伝えもあります。 ところで鎌倉の大仏と奈良の大仏の違いはなんでしょう? おわかりになりますか。 「鎌倉の大仏は大仏殿がないが奈良の大仏は大仏殿がある」 ふむ、そのとおりですね。鎌倉の大仏は露座の大仏とも呼ばれていますから。 「造られた時代が違う」 確かに造られた時代も違います。 先述したように鎌倉の大仏は1252年から10年前後の歳月をかけて 造立されていますし、奈良の大仏は752(天平勝宝4)年に開眼供養 をしています。 その後、奈良の大仏は1180年の平重衡(たいらのしげひら)の南都焼き打ち により大仏殿と共に焼失、次に1567(永禄10)年、松永久秀の兵火により焼失。 平重衡(たいらのしげひら)の南都焼き打ちの東大寺再興は俊乗坊重源 (しゅんじょうぼうちょうげん)によって行われました。1185(文治元)年に開眼供養。 松永秀久の兵火による焼失後は、再興はすぐにはできませんでした。 実際に行われたのは江戸時代に入ってからでした。 関係者の努力により1692(元禄5)年ようやく開眼供養が行われたのです。 大仏殿は遅れること18年、1709年に落慶法要が行われたのです。 この江戸期の大仏と大仏殿が現存のものです。 「大きさが違う」 そうですね。大きさが違います。 鎌倉の大仏は高さが11.36メートル、奈良の大仏は14.7メートル。 ですから奈良の大仏の方が大きいのです。 東大寺の大仏が現在は日本1の大きさですが、この大仏よりかつて 大きな大仏があったのをご存知ですか? 知りませんか? 京都の方広寺という寺にあったのです。 豊臣秀吉が創建した寺で、六条通りと七条通りの間にあり、 現在の豊国神社、京都国立文化博物館も寺域でした。 徳川家康が豊臣氏を滅ぼした大阪の役の前に、豊臣氏に寺の梵鐘に 刻んだ「国家安康」、「君臣豊楽」の銘に難癖をつけた寺として知られて います。 この梵鐘は鐘楼とともに現存しています。 もちろん、寺も小さくなりましたが現存しています。 この寺には奈良の大仏より大きい高さ18メートルの大仏があったのです。 この大仏は1596(慶長元)年の地震で倒壊しました。 その後、豊臣秀頼により再興されましたが、1798(寛政10)年落雷火災 により焼失してしまいます。 他に違いはありますか? え!他にはありませんか。 それがあるんですよ。決定的な違いが。 鎌倉の大仏は先述したように阿弥陀如来ですが、奈良の大仏は 盧舎那仏(るしゃなぶつ)です。 阿弥陀如来は西方十万億土にある極楽浄土の教主です。 西方十万億土にある極楽浄土とは死んでから行く世界です。 梵名がアミータであることから阿弥陀と音写したものと思われます。 阿弥陀如来のことを「なみあむだぶつ」とお念仏の代名詞にしているでしょう。 極楽浄土は黄金や七宝で作られた宮殿、池、樹木があります。 池には美しい蓮の花が咲き乱れ、いつも心地の良い音楽が流れています。 阿弥陀さまが法を説き、住んでいるものは痛みや苦しみ、悩みもなく、 安らかさと楽しさの世界です。 誰でも死んでから極楽浄土に行きたいと思います。 なみあむだぶつと唱えれば極楽に行ける浄土宗、不安定な世情、また、 末法思想の時代ですから鎌倉時代には阿弥陀如来の信仰が盛んでした。 盧舎那仏は「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」とも言います。 『華厳経(けごんきょう)』という経に出てくる仏様で、盧舎那仏の意味は 「光明遍照(こうみょうへんじょう、あまねくてらす)」という意味です。 仏教の世界観の中に須弥山(しゅみせん)という山があります。 この山は世界の中心にあり、頂上(有頂天)に仏様が住んでいるところが あります。 盧舎那仏はその中心にいます。 盧舎那仏は釈迦仏を人間世界に派遣して人々に教えを説き、それらの人々が 盧舎那仏のもとに集まった時に「甘露の門」は開くといわれます。 これを具現化したものが東大寺であり、全国に造られた国分寺なのです。 東大寺には盧舎那仏がおり、国分寺にはお釈迦さまが本尊として安置された のはこうした信仰に基づいたものでした。 人々は生きていく苦しさや不安にたえかねて、藁をもすがる思いで仏教を 信仰した時代がありました。 現代の日本人は世界一信仰心が薄い国民だと言われています。 かくいう私も無神論者です。 戦後民主主義や中流意識が信仰心を失わせたのではないかと思います。 仏教は元来、インド哲学から発しています。 哲学は人生観と世界観のことです。 釈迦以後の弟子たちの創造による話はともかく、本質的な部分はわたしたちに 生きていくための多くの示唆や勇気を与えてくれるのも事実です。


