帰去来亭からの便り  RSSを登録する

文芸、旅行、絵画、画家、歴史、できごと、生活などジャンルを問わずさまざなことが出てきます。読めば元気が出ます。感動があります。興味がわきます。癒されます。人生の深みを実感できます。勉強になります。著者の生きてきた中から紡ぎだす珠玉の物語です。

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2009/02/14

浅間山の噴火

 
2月2日午前1時51分、浅間山が小規模噴火をしました。
噴煙は火口上空2000メートルに達し、50センチを超える噴石が
火口北西1、2キロに飛んでいると気象庁は伝えています。
噴火直後は火口付近から赤い炎が上がり、黒々とした噴煙を
噴き上げているのが見えました。
私はドーンという噴火の音に目覚めたのですが、後日、軽井沢町の
知人に話を聞くと、軽井沢町では地響きがしたそうです。

昨年8月以来の噴火です。
火山学者によると、今回の噴火は、浅間山の「ゲップ」程度の
ものだそうです。
私の記憶では浅間山の噴火が頻発したのは昭和30年代、
40年代でした。
その当時の噴火は勢いがあり、噴煙を空高く吹き上げて
すさまじいものがありました。
軽井沢では窓ガラスの振動音がその都度鳴り響いたといわれます。

昭和50年、浅間山の登山規制の看板を同僚と持ち、浅間山に
登りました。
長野県側には登山道が小諸口、御代田口、軽井沢口があります。
小諸口は浅間山荘から登っていく登山道と車坂峠から入っていく
登山道の2ヵ所あります。
軽井沢口も、峰の茶屋から行く登山道と追分から登る登山道の
2カ所あります。

私たちが看板を持って登ったのは御代田口。
長野県側から登る登山道では一番の急傾斜です。
若かったんですね。
案外平気で看板を持ち「天狗の露地」まで行って、杭を打ち規制看板を
固定し下山しました。
いまだにその看板は私たちが固定した場所に建っています。

今回の噴火による噴煙は南東に流れ、地元軽井沢町、群馬県、
埼玉県、東京都、千葉県でも降灰を確認したそうです。
翌日、軽井沢町の子供たちはヘルメットをかぶり、マスクをして登校。
灰は1、2ミリほど降り、車が白くなり、プリンスホテルのスキー場
ではゲレンデに降った灰のため、文字通り雪が灰色になりました。
国道には清掃車が出動。
噴煙は必ず東南の方向に流れ、西南の方向に流れたことはありません。
風向きが大きく影響していると思いますが、気流の関係もあるのでしょうか。

監視カメラは長野県の御代田町(みよた)役場、軽井沢町役場、
佐久地方事務所に設置されています。
赤外線カメラを備えていますので、夜間でも鮮やかに浅間山の状況が
受像機に映し出されます。
また、浅間山の火口付近にもカメラが備えられ、群馬県の長野原町の
鬼押し出しにある浅間園でも火口の状況を把握できます。
浅間園では、登山が禁止されている浅間山の火口付近に人がいたり、
見ている前で浅間山の火口に人が飛び込んだという話がまことしやかに
伝えられています。

今回の気象庁の噴火予知では、1日午後1時に噴火予知レベルを
「2」から「3」に引き上げ、周辺自治体などに注意を喚起しました。
04年当時、傾斜計の観測地点は1か所でしたが、その後3か所に
増やし、地震計も3か所増やし9か所、その結果、今回の成果に
つながったのです。

浅間山の溶岩の流出は群馬県長野原町の「鬼押し出し」が有名です。
天明3年(1783年)の大噴火によって流出したのです。
このときは鬼押し出しだけでなく、群馬県嬬恋村の「鎌原(かんばら)」にも
溶岩が流出したのです。
鎌原村は現在では日本のポンペイと称され、当時100戸前後の戸数が
あったものと思われますが、生存者93名、死亡者477人、生存率は
わずか2割でした。
高台にある鎌原観音堂の堂内に逃げ込んで助かった人も多かったのです。
鎌原観音堂に逃げ込むためには最後の15段の階段を登りきれば助かり
ました。
このときのことを「天明の生死を分けた15段」と伝えています。

この「天明の浅間焼け」と称される大噴火は鎌原を土石雪崩となって襲い、
さらに下方の吾妻川から利根川になだれ込んで天明の泥流として
大災害を惹き起しました。
こうした災害だけでなく、浅間山の粉塵は地球全体を覆い、世界各地に
作物の不作や干ばつを惹き起しました。

この天明3年の大噴火の際は群馬県側だけに溶岩の流出や火砕流が
噴出したことから、長野県側の人間は火口が群馬県側に傾いているので
長野県側には溶岩や火砕流の災害は起こらないと考えています。
しかし、これは誤った考えです。
堆積物や地層を見るとそれが明らかになります。
浅間キャベツと称される火山弾、火砕流と見られる断層、軽石流と
見られる地層があるからです。

天仁元年(1108年)の大噴火は天明3年の噴火を上回るものでした。
過去2000年の間で最大の噴火であり、火山噴出物は天明3年の
2倍でした。
この時に長野県側に流出したのが「追分火砕流」です。
同時に群馬県嬬恋村にも流出しています。
追分火砕流は軽井沢町と御代田町を覆い尽くしたのです。

浅間山はもともと富士山型の山でした。
それが大規模な噴火によって山頂が吹き飛んだのです。
現在の浅間山は黒斑(くろふ)山、仏岩(ほとけいわ)、前掛山
(まえかけやま)の3つの火山の集合です。
浅間という名は火山を指すのです。

大自然の前では人間は微力でか弱い存在です。
せめて環境保護に思いを馳せ、母なる星、地球を大事にしていかなく
てはいけません。
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