2009/01/10
「熱海 その2」
ホテルを出たのは午前9時ごろでしょうか。 車の中ではそれぞれに勝手な話をしています。 私の隣に座ったAが話しかけてきます。 「目的地まで何分かかるの?」 「10分ぐらいだろう」 「なんてとこだっけ?」 「起雲閣」 「どんな字を書くの?」 「起きる雲の閣だよ」 私たちはゴルフをやった次の日は必ず1箇所か2箇所、 観光施設に寄っていきます。 起雲閣に着きました。駐車場が裏にあるので、 薬医門を裏側から見て玄関に入っていきます。 薬医門は鎌倉末期から室町初期に武家、公家、 医師の門として使われた瓦葺の四脚門のことです。 起雲閣の現在の所有者は熱海市。 熱海市が所有する前は、所有者が転々としました。 チラシにはこう書かれています。 1919(大正8年)別荘として築かれ、非公開の岩崎別邸、 今はなき住友別荘と並び、熱海の三大別荘と賞賛された 名邸が基となる起雲閣。 起雲閣は公開された文化財なのです。 順路に従って見て行きます。 最初行ったのが麒麟(きりん)という名の部屋です。 熱海市が所有する前は旅館でした。 旅館時代も麒麟の間と呼ばれていたんでしょうか。 この部屋は部屋というより独立した住宅を廊下でつないだものです。 和風住宅です。大正8年に竣工とのこと。 最初の所有者は内田信也。 海運王といわれた実業家でもあり、政治家でもありました。 数えると、彼は39歳のときにこの別荘を建てたことになります。 1914年に三井船舶を退社し、第一次世界大戦後、 安値で船をチャーターしておいて資産を増やした人です。 独立して5年で別荘が建てられれば成功者です。 1924年に衆議院議員となり鉄道大臣を歴任したそうです。 部屋の壁は群青色。 私もこの色が好きです。明るくて晴れ晴れしてきます。 熱海市が所有する前の所有者である旅館経営者は北陸出身。 それでこの色に納得しました。 北陸では壁にこの色と赤みがかった色をよく使うのです。 私たちは床の間の前で記念撮影をしました。 次に行ったのが玉姫・玉渓(たまひめ・ぎょっけい)。 根津嘉一郎によって昭和7年に造られた洋館です。 玉姫には暖炉があります。天井は折上格天井(ごうてんじょう)。 普通は格天井であっても長押(なげし)があり、柱で支える のですが、この格天井は違います。 割束(わりつか)という人字形のものと双斗(そうと)いう両手で 持ち上げる形のもので長押を支えていたのです。 これは社寺仏閣建築で用いられるものです。格天井をこうした構造で 支えている建築物をいままで観たことはありません。 これだけ見てもいかに贅(ぜい)を凝らしてあるかお分かりいただけるでしょう。 南側にはサンルームがあります。ステンドガラスの天井、 タイル張りの床です。昭和7年には例がなかった建築物 ではないかと思います。 玉渓の方は急勾配で切妻といった中世英国風のチューダー様式で 造られています。しかし日本建築のような雰囲気もあります。 廊下伝いに行くと展示室がありました。二間続きの和室です。 旅館時代には宿泊できる部屋として利用されていたものです。 端にはガラスケースの展示スペースがありました。 この旅館に宿泊した作家の写真が飾られています。 また、熱海ゆかりの作家もいます。 尾崎紅葉、太宰治、三島由紀夫、山本有三、志賀直哉、 谷崎潤一郎など。 広縁に藤製のソファーがあります。そのソファーに皆で掛けました。 「いい旅館だね」 Cがしみじみといいます。 「ほんと、いい旅館だ」 Aがうなずきました。 「いや、おれはこの部屋が一番いいと思ったよ」 丹精に手入れがゆきとどいた庭を眺めながら私がいったのです。 「俺もそう思うよ。和室にイスがあるというのが一番落ち着けるね」 すかさずBが同調しました。 私たちはそこでとりとめのない話を暫くしました。 いくぶん昨日の疲れも残っています。 次の間は金剛という部屋です。 やはり根津嘉一郎が建設した洋館です。 根津嘉一郎という人は洋館が好きだったのでしょうか。 彼がここで建設した建物はすべて洋館です。 金剛は今までの彼が建設した建物に勝るとも劣らない建物です。 迎賓館のように使われたのでしょうか。 螺鈿(らでん)の家具やベットもあります。 根津嘉一郎は1860年生まれで山梨県山梨市の出身。 根津家は雑穀商や質屋を営む豪商であったといいます。 明治20年代に東京に進出し、若尾逸平や雨宮敬次郎らと 甲州財閥を結成。 甲州財閥に田中角栄の刎頚(ふんけい)の友といわれた 小佐野賢治も加わりたかったけれども断られたという話もあります。 1905年(明治28年)、東武鉄道の社長に就任。 再建が成功したことから資本関係を持った鉄道会社が 24社にも及び鉄道王とも呼ばれたのです。 鉄道はそのころはまだ日本の黎明期。単に人や物を輸送する ということに終始しました。その後、住宅地やデパートの 建設などの不動産開発。また劇場や映画館を造り 人を呼び込んだのです 自分の町をつないでいくという意識の中で巨利を得ていきました。 根津美術館は港区南青山の彼の私邸跡にあります。 彼の収集した美術品を展示しています。 昔の成功者はいやみなほど金の使い振りが よかったかもしれません。 いまの時代はこれほどの人がいるという話はあまり聴きません。 オーナー社長が多かったことや自由闊達な時代背景、 税制ももっと緩やかであったかもしれません。 起雲閣の敷地は3000坪。街中でこれだけの敷地を確保していた 旅館は大きい方でしょう。庭園を中心に建物を 円状に配置してあります。 私たちは建物を一通り見学した後、庭を散策しました。 芝生を植え、庭木、池、石を配した回遊式の日本庭園です。 中には20トンもの大きな石もあります。重機もなかった時代、 どのように運搬したのでしょうか。石造りの装飾用の空井戸、 洒落た建仁寺垣もあります。洋館、和風住宅が配されたこの庭を 眺めていると、私たちも満ち足りた気持ちにもなります。これが旅行の 効能かもしれません。 この2日間は友人とゴルフをし、おいしものを食べ、酒を飲み、 温泉に入り、ご来光を拝み、勉強もしました。1月ぐらいはにこやかに 過ごせそうです。



