2008/12/30
宝 船 その3
東大寺戒壇堂の毘沙門天は唐代の甲冑に身をかため、右の掌に宝塔を持ち、 左手には宝棒(仏敵を討ちすえるこん棒)を持っています。 邪鬼を踏みつけ、いかめしい顔つきです。 もともとはインドの神クラーベ。称号はウ“ァイシュラウ“ァナ、「よく話を聞く」 という意味から多聞天とも呼ばれます。 楠木正茂(まさしげ)は幼名を多聞丸といいました。 信貴山の毘沙門天に祈願し生まれたことから、そう名づけられたのです。 信貴山は用明天皇のころ、聖徳太子が物部守屋を倒す祈願を行った ところ、毘沙門天が虎を従え現れ成就したそうです。 それを喜んだ太子は信貴山朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町)を創建し、 自ら毘沙門天を彫り安置したと言い伝えがあります。 上杉謙信の話もよく知られています。 自身を毘沙門天の生まれ変わりとも信じ、旗印に『毘』という 文字を書き、出陣しました。 毘沙門天は持国天、増長天、広目天とともに四天王の一尊。 須弥山(しゅみせん)の北方に住み、北方を守るといわれています。 もともとインドでは財宝神であったことから七福人ではお金がたまること、 また、武神ということから勝負事にご利益があるといわれています。 弁才天をご存知でしょうか? 少し前に江の島に遊びに行ってきました。 江の島には日本三大弁財天と呼ばれる弁才天が祀られているんですよ。 他の二つの弁才天は厳島神社(広島県宮島)、琵琶湖の竹生島(ちくぶじま、 滋賀県)に祀られています。 江ノ電の江ノ島駅で降り、左の道を進みます。 国道134号線を横切り、弁天橋を渡っていきます。 左手には片瀬海岸の海水浴場、両側には青い海が続きます。 江ノ島は欽明天皇(539〜571年)の頃、突然、海中から隆起したと 伝えられます。 周囲2キロ余、面積0.18平方キロ、第三紀凝灰岩の島です。 1182年(寿永元年)、文覚上人が頼朝の依頼により鎌倉安泰祈願のため、 1堂1宇を創建しました。 その時に勧請したのが弁才天で、江ノ島神社と称したのです。 江ノ島神社は辺津宮(へつのみや)、中津宮(なかつのみや)、 奥津宮(おくつのみや)に分かれ、約300段の石段でつながれています。 奉安殿に八臂弁才天(はっぴべんざいてん)、妙音(みょういん)弁才天の 二体安置されています。 八臂弁才天は鎌倉期の作、県の重要文化財に指定されています。 妙音弁才天は琵琶をひく裸身像、裸の弁天さまと呼ばれ信仰されています。 弁才天はヒンドゥー教のサラスウ“ァティーが仏教にとりこまれ、 日本で神仏習合により神道に取り込まれたのです。 経典上は弁才天ですが、才は財に通じるということで、弁財天とも 表記されます。 こうしたことから財宝神として敬われています。 福禄寿(ふくろくじゅ)は異様に長い禿頭(とくとう)の老人です。 ヒゲを生やし杖に経巻を結び、鶴を従えています。 幸福、封禄、長寿の道教で最も求められる三徳を具現化したものと いわれています。 寿老人もやはり道教の神で、その名のとおり長寿に ご利益があるといわれています。 白髪で赤い顔をし、杖を持ち、鹿を従えています。 不死の霊薬を入れたひょうたんを運んでいるとも言われています。 布袋(ほてい)はいつも笑顔で太鼓腹の僧です。 中国の唐末期に実在した人物です。 いつも袋を持っていたところから布袋と呼ばれましたが、本名は 釈契此(しゃくかいし)といいます。 七福神では広い度量、円満な性格、富貴・繁栄を司る神と言われています。 どうですか。これだけご利益がある七福神が乗り込んだ宝船です。 よい初夢を見ないはずはありません。 あなたも正月二日の日には枕の下に敷いて寝てみてください。 ん?夢だけではいやですか。 ならば三十一日に発表される年末ジャンボ宝くじ、それを三十一日は見ないで、 二日の日に宝船と一緒に枕の下に敷いたらいかがですか。 正夢になるかもしれませんよ。


