帰去来亭からの便り  RSSを登録する

文芸、旅行、絵画、画家、歴史、できごと、生活などジャンルを問わずさまざなことが出てきます。読めば元気が出ます。感動があります。興味がわきます。癒されます。人生の深みを実感できます。勉強になります。著者の生きてきた中から紡ぎだす珠玉の物語です。

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2008/12/28

宝   船  その2



江戸時代初期の宝船の図柄は、米俵とお宝が乗った宝船が
描かれたものでした。
中期になり、縁起の良い七福神が乗ったものが描かれるようになったのです。
最近では、地元の公民館でも七福神巡りが開催されます。
この七福神巡りは江戸時代から始まったものです。
七福神がもたらす福を享受したい庶民信仰の表れでしょう。
七福神は日本全国に点在しています。
京都と東京の著名なものを上げますと、都七福神(えびす神社、
松ヶ崎大黒天、毘沙門堂、赤山さん、革堂、天皇殿)、
深川七福神(富岡八幡宮、冬木弁天堂、心行寺、円珠院、
龍光寺、深川稲荷神社、深川神明堂)があります。
散歩がてらに出かけるのもよいでしょう。

七福神は福をもたらすといわれる七人の神様ですが、
全ての神様をご存知でしょうか?
恵比寿(えびす)、大黒天、毘沙門天(びしゃもんてん)、弁財天、
福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)、布袋(ほてい)です。

この中で純然たる日本の神は恵比寿だけです。
他の六柱の神はインドの神、仏教、道教などから神仏習合の
流れの中で日本の神と結びついて、日本の神となったのです。
恵比寿は釣竿を持ち、ふくよかな顔と体のいかにも好人物という感じです。
釣竿を持っているとおり、もともとは漁業の神であり、その後、商業や
農業の神となりました。

皆さんの地域では『えびす講』なんてありませんか?
こちらでは11月20日に昔は行われていたものです。
商店街の売り出しです。いまでは影をひそめてしまいました。
この講は本来の恵比寿とは関係なく、神無月に出雲に出かける神の
留守を守るかまどの神を祀ったものです。
恵比寿を祭神として行われる祭りは、1月10日前後又は15日
前後に行われます。
えびす祭、十日えびす、えべっさんなんて言われ、近畿地方で
行われているそうです。

恵比寿を称する神は何人かいます。
イザナギ(伊邪那岐)とイザナミ(伊邪那美)の子どものヒルノミコト
(子水蛭子命)又は大国主命の子であるコトシロヌシノミコト(事代主命)
と言われます。
少数ですが、スクナヒコナノミコトという方もいます。

イザナギ、イザナミは日本神話の中の最初の項、『天地創成』の神世7代の
最後の神として登場します。
イザナギは男性神。イザナミは初めての女性神。
二人の神は天の浮橋からはるか下界を眺め、矛のしずくからできた
オノコロ島に天下ります。
そこで夫婦になります。

ヒルノミコトは最初の子供です。
水蛭(ひる)のように手足や骨もない水蛭子(ひるこ)でした。
そこで、葦(あし)の舟に入れて、川に流してしまいます。
ヒルコノミコトが流れついたという伝説は日本各地に残っています。
ヒルコノミコトを祀った神社もあります。
中でも西宮神社(兵庫県西宮市)が有名ですね。
水蛭子であったヒルコノミコトが恵比寿になったというのは疑問が残る
ところですが、古今集注解や芸能などで浸透しています。

話は変わりますが、日本の神は日本神話から現れてくる場合が主です。
日本神話とは記紀(古事記、日本書紀)や風土記です。
この他にはたたりを畏れて神として祀られた場合、反対に立派な人物だと
敬われ神として祀られた場合、権力者が神となった場合、庶民信仰の
中から神として祀られた場合などがあります。
七福神の神は、最後に掲げた庶民信仰の中から神として祀られたと
いうことでしょうね。

コトシロヌシノミコトについては大黒天とセットでお話ししましょう。
大黒天はふくよかな耳を備え、右手に打ち出の小槌を持ち、
米俵に乗っています。
頭には帽子を載せ、背中に袋を担いでいます。
農業の神であるとともに商業の神でもあります。
大黒天は、もともとはヒンドゥー教のシウ“ァ神のマハーカーラの
漢訳を意味し、密教の中で仏教を守る守護神の一人。
それが、大国主命と神仏習合により一体となり、七福神の中の一柱の神
となったのです。

大国主命とコトシロヌシノミコトが日本神話に出てくるのが『国譲りの話』。
大国主命とスクナヒコナノミコトが協力して葦原中津国の国づくりを
ある程度した時点で、スクナヒコナノミコトは常世(とこよ)の国に
行ってしまいます。
残された大国主命は一人で残された国づくりを行います。

その頃、高天原では天照大神がたくさんの神々を集め、宣言をします。
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきの
みずほのくに)は、わが御子の治めるべき国である。すぐに天降(あまくだ)り、
治めなさい」
天照大御神の命を受け、何人か天降り大国主命のところへ行きますが、
うまくいきません。
そこで選ばれたのがタケミカズチノミコト(建御雷命)です。
副使はトリノイワスフネノカミ(鳥之石楠船神)です。

タケミカズチノミコトとトリノイワフネノカミは出雲の伊那佐(いなさ)
海岸(現島根県出雲市大社町稲佐海岸)に天降りました。
タケミカズチノミコトは波間に剣を逆さに立て、その上にあぐらをくんで
大国主命と話をしました。
「高天原の天照大御神は、この葦原中津国をわが子が治める国である
と言っている。汝は御子に国を譲るかどうか考えを聞きたい」
大国主命は
「私には答えられません。私に代わって息子のコトシロヌシノミコトが
答えるでしょう。あいにく彼は三保岬に出かけています」
といいます。
タケミカズチノミコトはトリノイワフネノカミを迎えにやります。

コトシロヌシノミコトがやって来て、父である大国主命にいいます。
「天照大御神様がおっしゃるのならこの国は御子に差し上げましょう」
言い終わるとすぐに乗ってきた舟を傾け、呪文を唱えながら逆手を打ちました。
舟は瞬時にして青葉の柴垣に変わり、コトシロヌシノミコトはその中に
隠れてしまいました。

タケミカズチノミコトは大国主命に対して他に異論を唱える者がいるか聴きます。
大国主命は他にタケミナカタノミコト(建御名方命)という息子がいるといいます。
そこにタケミナカタノミコトがやってきました。
高天原からの使者が国譲りのために大国主命のところにやってきたこと
知ったので、追い返してやるつもりで駆けつけたのです。

タケミナカタノミコトはタケミカズチノミコトに力比べを挑みます。
タケミナカタノミコトはタケミカズチノミコトに敗れ、信州諏訪の地まで
逃げます。
タケミカズチは追いかけます。
タケミナカタノミコトは諏訪の地から出ないこと、父・大国主命の命令
には逆らわないこと、葦原中津国は御子に差し上げることを
タケミカズチノミコトに伝え、全面的に降伏したのです。

タケミカズチノミコトは改めて大国主命に尋ねます。
「汝の息子であるコトシロヌシノミコトとタケミナカタノミコトは、天照大御神
の仰せに従って御子に国を譲ると誓ったが、汝の考えはどうなのだ」
大国主命は答えます。
「息子が誓ったと同じように、葦原中津国を差し上げましょう。ただし、
最後に一つだけお願いがあります。私の住む場所を御子の御殿のように、
立派に造ってください」

天つ神は彼の頼みどおり壮大な宮殿を建てたと記紀に書かれています。
大国主命を祀った出雲大社は平安時代に書かれた『口遊(くちずさみ)』
によると、高さは東大寺の大仏殿の15丈を超える16丈に達したそうです。
16丈というと現代のメートル法で言うと約48.5mです。
もちろん、当時は木造建築では日本1の高さだったでしょう。
ちなみにタケミカズチノミコトは鹿島神宮に祀られています。
また、タケミナカタノミコトは諏訪大社に祀られています。
出雲大社の宮司は、天照大御神の御子の1人であるアメノホヒノミコト
(天穂日命)の子孫だそうです。
第83代、千尊祀という方。
神話は様々な角度から検討できます。楽しいですね。
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