公案の話 碧巌録 無門関 真字正法眼蔵 RSSを登録する

人間とくに青年にとっては「さとり」というものには逆らいがたい魅力があります。そしてその実態はというとむずかしい^^公案集として有名な「碧巌録」「無門関」などを簡単??に紹介します。公案についても。簡単ですが「従容録」についても。

  • 周期 月刊
  • 最新号 2008/09/27
  • 発行部数 36
  • マガジンID 0000261282
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2008/07/12

8  自証三昧1 ほら吹き・大慧宗杲 7・12 夕方

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ナンバーの打ち方を 変えまして

今回は 8回目にしておきます


公案に関係のある 正法眼蔵より 一巻を 抄訳します


碧眼録を 訳す予定ですが

準備は出来ているのですが

まあ まっつぐに すすまないのが ぼくの性格です^^


***************

大慧宗杲(だいえそうこう)

だいえ は だいえ そうこうは そうごう しゅうこう しゅうごう

などと 読まれて 確定していないようです

1089年から 1163年まで 生きた人でし^^


ウィキペディアより

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看話禅

看話禅(かんなぜん、かんわぜん)は、禅宗における坐禅流儀の一つ。
公案を重視し、研究し理解することで大悟(悟り)に至ろうとする禅のこと。

南宋代に形成された、座禅による定力の深まりを公案より軽視する、臨済宗の修行法。
元は、臨済禅の陥りやすい誤りであるとして、曹洞禅(曹洞宗)から言われた言葉。

**********

黙照禅

黙照禅(もくしょうぜん)は、禅宗における坐禅の流儀の一つを示す言葉。
対立する言葉に看話禅がある。

宋代の禅僧、大慧宗杲が対立する宏智派の禅風を非難して「黙照邪師」と呼んだことに始まる。
宏智派の禅風は始祖、宏智正覚が『黙照銘』で示した説による。(わんし しょうがく)
これによれば、坐禅の要諦は一切の思慮分別を断絶してただ黙々と坐することによって人が持つ仏としての心性があらわれ、
仏徳がそなわるところにあるという。
 公案の工夫参究を重視した大慧は、ただ坐るとする宏智の坐禅を空虚なものとして「黙照邪禅」と呼び非難した。
後には公案によらない坐禅の流儀一般をさす言葉となった。

日本においては道元が始めた曹洞宗の坐禅を臨済宗の禅僧が揶揄的に呼んだのが始まりとされる。
日本では否定的な意味で用いられた期間はそれほど長くなく、後には曹洞宗自身が自らの禅風を示すものとして用いた。

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この2つの禅に対する態度がどうのこうのではないのです。


大慧宗杲はきわめて緻密な学者タイプの人で、多くのおぼうさまに

師事しますが、相手にされない期間が続いたようです。


そのうちに、ひょんなことから(というよりは 大慧宗杲を知るおぼうさまが死んでしまったので)
大きな寺の住持(おしょうさん)になれるのですが

大慧宗杲風という禅風を おおいに ふきまくります

やや おおぼら吹きの 傾向があります



口説(くぜつ)の徒というべきひとで、つかえた師匠には、ぼろくそに

言われたようですが、じぶんがひとかどの大きな寺の和尚になってからは

弟子をきりきりまいさせたようです。


ただ、そんな態度だったので、ひとかどのお坊様になった弟子はいなかった。


例外として、ひとかどのものとなったのは

朱子でして、仏教の分析方法をみっちりと勉強して

その時代からの仏教の衰退に力を貸すほどの

朱子学全盛の時代を到来させました。


まあ、わけのわからん時代であり、人々でありました。


もっとも過去、現代、未来、

わけのわかる時代というのはありえませんけどね^^^^


2008年7月の洞爺湖サミットなどを見ていれば、

日本の福田首相というのは

いったい、オトコなのだろうか??などと 妄想しますです〜〜


この大慧宗杲は正法眼蔵という書物ほかを書きますが、

多くは、大慧書(だいえしょ)として 残っているそうです

読んでません

もちろん すこしは 読んでいますが

わからなかった^^;;


この正法眼蔵のでたらめぶりに はらをたてた

道元さまが

正法眼蔵の大著を つくりあげたというのが

後代の 諸師 の 妄想です^^(妄想=ことば)


「じしょうざんまい」  「自証三昧」という岩波文庫で

20ページほどの巻のことを書くのに 

まあいろいろと書くわけです。


そして  ふつうの巻では

道元さまが最初の部分に結論めいたことを書くのが

ふつうの状態です

だから その結論といか 序章というか

その部分を よけて



わたしとしては

大慧宗杲がいかに いろんな老師さまがたに

「おまえは 宗教の那一点が わからない人間なんだよ」

と何度も言われている エピソードから 書いていこうと!!


この大慧宗杲は

宗教というのを まるで 分類学のように解釈するような

ことをして

まったく 仏教の衰退を 招き寄せるようになります


おそらく 自分にわからないことは 仏教では無いと

信じ込んでいたのでしょうね


ぼくも 仏教では わからないことが まだまだ たくさんありますが

そのまだまだ わからんことが たくさんあるほど

楽しい気分になってしまいます


わからないことと わかることとが わかるのが

ただしい人間の考え方であり、生き方なんです。


大慧宗杲はじぶんのわからんものは どんどん

排除していきました


碧巌録(碧巌集)というのが  僧侶の成長のさまたげになるといって

集めまくって 焚書してしまったという 暴挙をやりとげたのも

この 大慧宗杲という  妄想漢です


だから 碧巌録は その後 再結集して もとへもどそうとしましたが

正しく 元通りにはならなかったと言われています

今存在している碧巌録は ほぼ 完全版といわれています

長い年月がかかって 完全な回復版を つくりあげたのでしょうね



道元さまは 大慧宗杲が いちばん きらいだったようで

その宗教音痴ぶりを きわめて 詳細に

めちゃくちゃ 書いています


その部分 (内容から言えば ちょうど真ん中あたりの部分)

から 抄訳していきます


この部分を読むだけでも 値打ちがありますよ!!

             08・7・12  夕方

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