K2 慧能さまの生涯 ウィキを利用して 08・3・30
K2 慧能さまの生涯 ウィキを利用して 08・3・30
読者登録が 20名を超えていますね^^
うれしいです^^
しかし この 六祖・慧能さまのはなしでも
案外と長くなるので
よろしくおねがいします
********
六祖・慧能 および さとりのことなど
まずは ウィキペディアより 引用します
それにコメントをつけていきます
簡単な方法^^;;
削除している部分もあります
それから (( ))のダブルカッコは ぼくがつけ加えた文章です
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慧能
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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慧能
638年 - 713年
諡号 大鑑禅師 ((だいかんぜんじ))
尊称 禅宗(南宗)第六祖
生地 范陽
宗派 禅宗
師 弘忍 ((曹洞宗では こうにん 臨済宗では ぐにん と 読みます)
著作 曹渓宝林寺
((そうけいほうりんじ 曹洞宗は この そう と
洞山の とう を くっつけてつくられた宗派の名前です))
ウィキポータル 仏教
慧能(えのう、諡((おくりな))は大鑑禅師、638年(貞観12年)-713年(先天2年)は
范陽(北京市)の盧氏出身の禅僧で、中国禅宗(南宗)の第六祖である。
[編集] 生い立ち
本貫((生まれた地 あるいは本籍地))は范陽だが、父親が嶺南の新州(広東省新興県)に流されたので、その地で育つ。
父が早くに亡くなり、薪を売って母親を養っていた。
ある日、町で『金剛般若波羅蜜経』の読誦を聞いて出家を思い立ち
、東山の五祖弘忍の下に参じたが、
文字が読めないため、行者(あんじゃ)として寺の米つきに従事した。
((漢字が読めなかったというのは伝記ではそうだが、凡そ^^信じられない
五祖のところへ来るまでに他のお寺で「涅槃経」の講義をしたといわれているので
おそらくは弟子のために漢字を読めないことにしたと思う。
深慮遠謀か??
あるいは又、奇跡的な話ですが、聞くたびにそれを記憶できたという能力があった の かも
虚空蔵菩薩求聞持法という 摩訶不思議な呪法があって それをきわめると
読むものは全て 記憶して出来たといわれています
しかし これを 極めたのは 空海さんと 日蓮さんだけのようです
道元禅師も おそらく 読めば覚えたような性質だったようです
虚空蔵菩薩の呪法はつかっていません
また 明恵上人は 筆写のおりに 20分間程度の筆写する分を
見るだけで 覚えていたそうです
ぼくらでは 10字づつていど 限度です そして それでも間違うのに
明恵上人は まったく 間違わなかったとか))
((行者としては8ヶ月も米つきの小屋にいたといわれている。
この時点では正式な僧侶になってはいない
正式な僧侶になるのは数年後 六祖・慧能として
あるお寺に来てからです そこの和尚さんに得度してもらいます
そして、そこの和尚さんになり、前の和尚さんは弟子になります^^))
その後、弘忍の法を受け継いで広州に帰り、兄弟子の印宗より具足戒を受けて正式な僧侶となり、
曹渓宝林寺に移って布教を続け、
兄弟子の神秀より朝廷に推挙されるも病と称して断り、以後713年に亡くなるまで布教を続けた。
((五祖より印可を受けて3年から5年、山の中で暮らしていたとか、漁師の間で生活し たとか、言われている))
[編集] 伝説
[編集] 壁に書かれた詩について
慧能が弘忍((こうにん ぐにん)のあと継ぎとして認められた時、次のような伝説がある
弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めようといい、
当初、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書いたが、弘忍は認めず、
それを聞いた慧能が神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたので六祖となったという。
神秀の詩
身是菩提樹 心如明鏡臺 (身はこれ菩提樹 心は明鏡台の如し)
時時勤佛拭 莫使有塵埃 (時時に勤めて佛拭し 塵埃を有らしめること莫れ)
慧能の詩
菩提本無樹 明鏡亦無臺 (菩提に本から樹など無い 明鏡にもまた台など無い)
佛性常清淨 何處有塵埃 (仏性は常に清浄だ 何処に塵埃が有るのか)
心是菩提樹 身為明鏡臺 (心が菩提樹であり 身を明鏡台というのだ)
明鏡本清淨 何處染塵埃 (明鏡は本から清浄だ 何処が塵埃に染まるというの か)
((この上の慧能の2つの詩は 同一のものの伝承の差で あって 2つ書いたわけで はない
この詩のことに関しても くわしく あとで 説明します))
慧能が弘忍の命令で達磨から受け継がれた袈裟を持って大臾嶺((だいゆれい))まで逃げたところ、
500人の僧が追ってきたが、法論して負けて逆に弟子になった者もいるという。
客観的にみて、当時の状況から察するに、禅宗の六祖は神秀がなるのが妥当であり、
慧能が六祖となったのはひとえに弟子の荷沢神会の運動と、後の五家七宗の発展により
直系の先祖たる慧能を正当後継者たらしめる必要があった事による所が大きく、達磨の
袈裟の伝説も禅の正統を主張したい神会らによって創られたものとされている。
((歴史的にはそういえる。
ただ年齢的には弘忍と神秀との年齢の差は数歳
弘忍と慧能との年齢差は 親子ほど
この年齢差が 後継者としての地位を確立したのではないかと推察する))
((荷沢神会ーかたくじんねーのはなしなどは ややこしくなるので 除外します^^))
[編集] 死去後の話
死去後、彼の遺体は即身仏(ミイラ)として塔に安置されたが、
ある時叫び声がするので、寺の僧たちが見にいった所、慧能の首を持ち去った男がいたので、
捕まえた所、新羅僧に頼まれたと言い、地元政府は極刑にしようとしたが、
寺が信仰心からの犯行との事で許したため、無罪にしたという。
大韓民国には、この時に盗まれた慧能の首と言われるものが現存するという。
現在、慧能のものとされるミイラは広東省韶関市郊外の南華寺に祀られている。
科学的な調査によって唐代中期に作成されたものと推定され、
中国に現存するミイラとしては最古のものと言われる。
衣服を含めて漆で塗り固められているため、外見からミイラの状態を確かめることはできない。
文化大革命時代、紅衛兵に一部を破壊された。
後に修復する際、頭骨を含めた骨格と補強の鉄材を確認することができたという。
((こういうはなしはどうでもいいと思います
じっさいに からだをミイラ化して保存するなどは 人権侵害もはなはだしい^^
ほんとうに尊敬しているなら、ちゃんと火葬するとか土葬するとかして
安楽にこの世から去ってもらうのが一番です
釈尊は火葬されましたのですから 同じようにすべきです
ミイラ化して 残すだなんて 人間の我意ーー仏教のまったく好まないところで す))
[編集] 思想
神秀の漸修禅(北宗)に対して
頓悟禅(南宗)を説き、それが新興士大夫階級に受け入れられて爆発的に教線が拡大し、
青原行思(石頭宗)、南嶽懐譲(洪州宗)、南陽慧忠などの優れた弟子を持ち、後の五家七宗全てがその一門から出た。
((せいげんぎょうし なんがくえじょう なんようえちゅう)
((漸修禅ーーだんだんと知識を増して、さとりに近づく禅の方法
頓悟禅ーー知識とか修養とかを無視して、とつぜんにさとるという禅の方法
両方のミックスが理想的と申せましょう
とはいえ 難解なことが横たわってはいるんですが))
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ウィッキペディアをやや 改ざんして のせました
ウィッキペディアさん いつもありがとうございます
ぼくも たまに 書き込みで協力させていただいています^^
ちゃんとした 正確な知識を入れているつもりです!!
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今回は ウィキさんを つかって おおよその
六祖慧能さまの 生涯を ちょっと見しました
次回は ぼくが勝手に書く(正法眼蔵の考え方から見た)
慧能さまの 思想 禅思想 仏教思想を 書いてみます
おそらく すぐか 2週間後か??
どうなるでしょうね??


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