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飛鳥地域の歴史・文化・景観が好きな皆さん♪「両槻会」は、そんな皆さんと一緒により飛鳥を楽しもうと活動しています。飛鳥遊訪マガジンでは、歴史だけではない飛鳥の魅力もお届け出来ればと思います。皆さん!ご一緒に、もっと飛鳥を楽しみませんか♪

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2009/11/13

飛鳥遊訪マガジン Vol. 066

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 飛鳥好きの貴方に贈る■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
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   飛鳥遊訪マガジン 
 ◇         Vol.066               ◇

 ◇                     2009.11.13.◇
                 両槻会 http://asuka.huuryuu.com/
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┏━┓飛鳥時遊録   真神原風人
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┗━┛              飛鳥三昧 http://sanzan.gozaru.jp/

  皆さん、こんにちは♪ 飛鳥遊訪マガジン66号をお届けします。

  いよいよ紅葉が始まりますね。飛鳥近辺では、11月末から12月初頭
 が見頃となるかもしれませんが、モミジの紅葉だけではなく、蔦紅葉や広
 葉樹の色づきも綺麗ですね♪山が華やぐように感じます。

  こちらで紅葉の名所と言うと、談山神社や高取城址が直ぐに思い浮かび
 ます。談山神社は、マスコミでも取り上げられますので、皆さんも良くご
 存知だと思います。高取城址は、交通の便が悪いのですが、古城の石垣と
 紅葉がとても良い雰囲気を作り出します。ハイキングがてらに、お奨めの
 紅葉ポイントです。高取城址に登られたら、せっかくですから高取の猿石
 をご覧になり、明日香村栢森方面に下山されるのも良いかと思います。た
 だ、少し健脚向きになります。

  紅葉の季節になると、飛鳥は人が少なくなってしまいます。皆さん、紅
 葉の名所を訪ねられるからでしょうね。(^^ゞ明日香村で紅葉の綺麗な所は、
 残念ですがあまりありません。皆さんは、思い浮かぶでしょうか?風人が
 お奨めするのは、中尾山古墳一帯です。中尾山古墳の紅葉の様子は、両槻
 会文化祭で写真展示させていただきました(ぷーままさんの投稿写真)。
 高松塚古墳のすぐ北側の丘の上ですので、一度お立ち寄りください。

 「秋彩」撮影:ぷーままさん
 http://asuka.huuryuu.com/bunko/jiyu-roku/66/momiji.jpg
 
  さて、前号で、稲の干し方の呼び方を教えてくださいと書きましたとこ
 ろ、読者の方から投稿をいただきましたので、ご紹介させていただきます。

 『稲掛けについて、故郷の出雲では「はでば」といい、毎年秋には屋根の
 高さくらいのものを作り、5~6反分くらいを干します。何十段もの竹の
 桟に掛けるのには二人かがりで、稲束を投げあげ、上で受け取ってかけま
 す。現在では刈り取り即脱穀していて、あまり見られない風景のようです
 が。
  なお、「はでば」の語源はわかりませんが、おそらく「弁当忘れても、
 傘忘れるな」というぐらい雨の多い山陰地方。少しでも雨に濡れる部分を
 少なくするよう、重ねて干したものと思います。また脱穀の終わったわら
 束を3~4mぐらい円く積み重ねたものを、「ししし」(出雲弁で、「し」
 と「す」の中間の発音)といいます。』

  ありがとうございました♪

  風人が、少し調べてみたところによると、「はでば」は「はざ場」の訛
 った言葉のようです。「はさ」=「稲架(はさ・はざ)」ですから、「は
 でば」は「稲架場」のことだろうと思います。
  地方色の良く出た投稿でした。o(^-^)o こういうお便りは、本当に嬉
 しく思います。皆さんも、是非お寄せください。お待ちしております。
  ちなみに、飛鳥地域の呼び名では、一部かも知れないのですが、「ダシ」
 「ダシかけ」とも呼んでいるそうです。

  さて、皆さんへの質問シリーズ第2弾です。(笑)
  皆さんのお近くにある「あすか」と読む地名を教えてください。小字や
 前後に文字が付くものでも構いません。例えば「飛鳥山」などでも結構で
 す。もちろん、漢字の表記が違っても構いません(飛鳥・明日香・安宿・
 阿須賀・・・など)。かなりたくさん在るのではないかと思っています。
 よろしくお願いいたします。


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┏━┓INDEX
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    1:飛鳥のみち 飛鳥へのみち その2   近江俊秀先生
    -----------------------------------------------------------+
    2:飛鳥の渡来人と古代檜隈        あい坊
    -----------------------------------------------------------+
    3:両槻会からのお知らせ  
    -----------------------------------------------------------+
    4:飛鳥咲読               山田隆文先生
    -----------------------------------------------------------+
    5:飛鳥情報
    -----------------------------------------------------------+
    6:編集後記
    -----------------------------------------------------------+

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┏━┓飛鳥のみち 飛鳥へのみち その2   近江俊秀先生
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「下ツ道(8)-推古朝の開発」

  推古朝、この時代は日本古代史上、もっとも華やかな時代といっても過
 言ではない。天皇の宮は、磯城・磐余の地を離れ、飛鳥へと遷り、文字ど
 おり飛鳥時代がはじまる。歴史上のヒーローも数多く輩出された。推古天
 皇、蘇我馬子、聖徳太子、小野妹子など、中学生の社会科の教科書にも、
 その名が見られる人物も多い。そういった時代だからこそ、今まで多くの
 先生方が、様々な視点から研究を進められているのである。

  しかし、悲しいかな古代史の場合、「研究が進んでいること=よくわか
 っている時代」ではなく、むしろ逆であり、踏み込むのがためらわれる時
 代なのである。それというのも、この時代のことを語ってくれる史料は、
 『日本書紀』など数えるほどしかなく、古代史上、大変重要な出来事が多
 々あるにも関わらず、それらの断片しか史料は語ってくれないどころか、
 書かれていることの中にも、後世の脚色や創作が含まれているのである。
 そうなると、考古学など他分野の成果や、ずっと新しい時代に書かれた史
 料など、できるだけ多くの材料を集め、『日本書紀』などの中から真実を
 探しだした上で、それらを如何に合理的に解釈するかという点が重要にな
 ってくる。

  つまり、歴史を復元するためには、史・資料の分析や検証、操作、解釈
 といった複数の工程を経なければならないのであり、当然のことながら、
 全く同じ史料を用いながらも、人によって解釈が異なることが往々にして
 起こりうるのである。
  だからこそ、「研究が進んでいること=よくわかっている時代」ではな
 く、「研究が進んでいること=ひとつの事象に対し複数の解釈が提示され
 ている時代」ということになり、踏み込むのがためらわれるのである。

  話を本題に戻そう。「推古朝に大規模開発が行われたか否か」この問題
 を史料から検証するにあたってのキーワードは、ずばり「ミヤケ」である。
 『日本書紀』には、「屯倉」という文字が、33の記事に見られる。代表
 的なものをいくつかあげよう。

 1)垂仁27年 是歳。興屯倉于来目邑。〈屯倉。此云弥夜気。〉
 2)景行57年 冬十月。令諸国興田部・屯倉。
 3)仁徳13年 秋九月。始立茨田屯倉。因定春米部。
 4)継体22年 十二月。筑紫君葛子恐坐父誅。献糟屋屯倉。求贖死罪。
 5)安閑 2年 九月甲辰朔丙午。詔桜井田部連。県犬養連。難波吉士等。
         主掌屯倉之税。
 6)欽明16年 秋七月己卯朔壬午。遣蘇我大臣稲目宿禰。穂積磐弓臣等。
         使于吉備五郡、置白猪屯倉。
 7)敏達 3年 冬十月戊子朔丙申。
         遣蘇我馬子大臣於吉備国、増益白猪屯倉与田部。
         即以田部名籍、授于白猪史胆津。
 8)推古15年 是歳冬。於倭国作高市池。藤原池。肩岡池。菅原池。
         山背国掘大溝於栗隈。且河内国作戸苅池。依網池。
         亦毎国置屯倉。

  個々の解説は省くが、これらの記事から「ミヤケ」とは、どうやら王権
 と密接に関わること、施設と土地、そして人によって構成されていること
 がわかる。


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┏━┓飛鳥の渡来人と古代檜隈     あい坊
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「-檜前遺跡群の調査成果から-」

  明日香村教育委員会は檜前遺跡群の調査で、渡来人の住居である大壁遺
 構と掘立柱建物群が見つかったと発表しました。遺跡は檜隈寺のある尾根
 と、谷を隔てたひとつ隣の尾根上です。昨年も同じ尾根上で、7世紀後半
 を中心とした掘立柱建物群が見つかっており、少なくとも3時期の変遷が
 みられました。これらの建物は、檜隈寺の金堂や講堂の造営時期と重なる
 ものの、瓦はあまり見つかっておらず、寺からも谷を隔てていることから、
 直接、寺院に付属する施設ではなく、檜隈寺の造営に関わった東漢氏の居
 住地として理解されました。

 檜前遺跡群(明日香村の文化財(12)2008.9)
 http://www.asukamura.jp/chosa_hokoku/bunkazai/imgs/12.pdf
 
  今回の調査は、その尾根のさらに先端部にあたり、同時期の掘立柱建物
 群や、さらに古い時期の大壁遺構が見つかりました。飛鳥時代の掘立柱建
 物は7棟見つかっていますが、この中には、三面に庇をもつ建物もありま
 す。この庇付建物は、残りがよくありませんが、もう一面にも庇が推定さ
 れ、四面庇建物であった可能性があります。地形的に一番広い場所にあり、
 四面庇建物であることから、この地域の中心的な建物と考えられます。

  一方、大壁遺構は一辺7m以上×19mのL字形の溝です。この溝の中
 に25~60cm間隔で柱を立てています。この柱を塗り込めるように壁
 土を塗った、壁立ちの大壁建物と考えられます。今回の調査区の中では、
 残念ながらL字形の溝しか確認されておらず、その規模も大型であること
 から、大壁建物ではなく、大壁構造の塀、あるいは東北の城柵にどにみら
 れる材木塀の可能性もありますが、区画塀の位置が不自然な場所にあるこ
 とや、東北地域との関連性が今のところみられないことから、檜隈という
 地域性も考慮して、渡来人にかかわる大壁建物の可能性が高いと思います。
 このような大壁遺構は奈良県内では、高取町や御所市などでも確認されて
 おり、特に、檜前遺跡群に近いところでは、ホラント遺跡や観覚寺遺跡・
 清水谷遺跡で数多く見つかっています。

 大壁遺構
 http://asuka.huuryuu.com/bunko/s-kikou/aibou/hinokuma-ookabe.jpg

  では、これらの成果はどのような意味をもつのでしょうか。特に、3つ
 の点が指摘できると思います。

 1)大壁遺構の発見
  古代檜隈地域は、史料によると渡来系氏族である東漢氏の居住地とされ
 てきました。その中でも檜隈寺のある地域が古代檜隈の中心地であったこ
 とは間違いありません。これまでこの檜隈中心地では、瓦積基壇をもつ檜
 隈寺しか、渡来系氏族を伺わせる遺跡はありませんでした。これに対して、
 檜隈縁辺部にあたる高取町の観覚寺遺跡や清水谷遺跡などで大壁遺構やオ
 ンドル遺構が確認されており、渡来系氏族との関係が注目されていました。
 この状況を解釈するには2通りの推定が成り立ちます。まずA案としては、
 檜隈中心部の渡来系氏族は中央の朝廷と密接な関係があることから、日本
 的な建築様式をいち早く取り入れていたのに対して、檜隈周縁部では中央
 との関係がまだ薄いことから、故郷での建築様式を固持していたという考
 え方です。B案は、檜隈中心部では古くに渡来していた人々が居住してお
 り、長く日本に住んでいることから、日本的な生活様式に変化したのに対
 して、周縁部ではまだ新しく渡来した人々で、故郷の生活様式を色濃く残
 しているという考え方です。このような中、今回7世紀前半から中頃の大
 壁遺構が確認されました。さらに檜隈寺のすぐ北西部では、奈良文化財研
 究所の調査でL字形カマドをもつ竪穴遺構が見つかっており、いずれも渡
 来系色の強い遺構です。このように考えると、7世紀前半~中頃までは、
 渡来系色の強い遺跡が展開していたことがわかります。

 2)大壁遺構から掘立柱遺構へ
  今回の調査では、大壁遺構の内側にのみ、掘立柱遺構が密集していまし
 た。調査当時、同時期の可能性も考えましたが、両者があまりに接近して
 いることから、時期的に前後があると考えられます。このことは出土土器
 から、大壁遺構は7世紀中頃に廃絶していることがわかり、掘立柱建物は
 7世紀後半と考えられました。つまり7世紀前半に建てられ、中頃に廃絶
 した大壁遺構を、7世紀後半に掘立柱建物に建て替えたと推定できるので
 す。7世紀中頃を境に、異国風の建築様式から日本風建築様式に変化した
 と考えられます。ただし、建て替えの時期が7世紀中頃のいつなのかは、
 まだ検討が必要です。この検討によって、建て替えの契機が何に求められ
 るのかの解釈が変わるからです。今のところ、大壁遺構はひとつしか確認
 されていませんが、周辺は削平が激しいことから、まだ複数の大壁遺構か
 あった可能性は残されています。これらの建て替えの存在が確認されたこ
 とは、先のA案を補強する点でもあります。

 3)掘立柱建物群の展開
  7世紀後半には掘立柱建物群が見つかっています。昨年の調査地は尾根
 のやや狭い所でしたが、今回の調査地は広い平坦面がみられます。つまり
 こちらの方が立地的に優れていた地形であるといえます。さらに今回は三
 面庇建物(四面庇建物の可能性が高い)もあることから、遺跡の中心はこ
 ちらの方で、この建物が中心建物といえます。ここでも瓦の出土は少ない
 ことから、寺院に付属する建物ではなく、この地に居住していた人物の居
 宅とみられます。さらに、先の大壁遺構を建て替えていることや、檜隈と
 いう地域を考えると、東漢氏の中でも中心的な氏族の存在が浮かびあがり
 ます。谷を挟んで同時期の檜隈寺の伽藍が隣に建立されている点も、これ
 を補強します。

  この時期、檜隈寺の伽藍及び関連施設の建ち並んだ尾根筋と、これら寺
 院の建立に関わった東漢氏の居宅が建つ尾根が並んでいる景観が復原出来
 ます。このような寺院と居宅のセットは、斑鳩寺と斑鳩宮、百済大寺と百
 済大宮などにもみられる関係で、今後は氏族レベルでも、このような関係
 を考える必要性がでてきました。


 現地見学会で配布された資料
  明日香村の文化財(13) 檜前遺跡群
  http://www.asukamura.jp/chosa_hokoku/bunkazai/imgs/13.pdf
  明日香村の文化財(14) 檜前遺跡群
  http://www.asukamura.jp/chosa_hokoku/bunkazai/imgs/14.pdf


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┏━┓両槻会からのお知らせ
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┗━┛           両槻会サイト http://asuka.huuryuu.com/
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 ■ 第17回定例会
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     http://asuka.huuryuu.com/yotei/teireikai-17/yotei-17.html
  
  いよいよ明日14日、第17回定例会「飛鳥の諸宮をめぐる」を橿原考
 古学研究所付属博物館主任学芸員 山田隆文先生のご案内で開催します。

  参加される皆さんは、今一度詳細案内をご覧のうえ、ご参集ください。
 皆さんと楽しい一日にしたいと思います♪なお、当日の様子は、レポート
 として後日両槻会サイトにUP予定にしています。お楽しみに。
 

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 ■ 第18回定例会
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     http://asuka.huuryuu.com/yotei/teireikai-18/yotei-18.html  

  第18回定例会は、今まで21次に渡って調査されてきた石神遺跡につ
 いて、奈良文化財研究所 都城発掘調査部の青木敬先生にご講演頂く予定
 になっています。
  青木先生は、21次調査を担当されておられました。

 第18回定例会
 「石神遺跡について(仮題)」

  講 師 : 奈良文化財研究所都城発掘調査部 青木 敬 先生
  開催日 : 2010年1月9日(土曜日)  
  会 場 : 飛鳥資料館講堂 
  開 演 : 13:00(予定) 
  定 員 : 40名 
  参加費用: 1,000円 (飛鳥資料館入館料別) 
  事前散策: 未定 
  申込受付: 2009年11月15日~2010年1月4日
        (定員に達し次第締切)

  詳細予定は、順次両槻会サイトやブログでご案内いたします。皆さんの
 ご参加をお待ちしております。 


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   飛鳥咲読
┏━┓     橿原考古学研究所付属博物館 主任学芸員 山田隆文先生
┃4┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┗━┛ 橿考研付属博物館  http://www.kashikoken.jp/museum/top.html

「飛鳥の諸宮をめぐる (第5回 推古天皇の宮-豊浦宮と小墾田宮-)」

  第17回定例会の咲読も最終回、ウォーキングもいよいよ明日となりま
 した。
  今回は、宮が飛鳥に築かれるようになる直前、とはいえ時代としては飛
 鳥時代の開始とされる推古天皇の宮についてみてみたいと思います。

  592年に崇峻天皇が倉梯宮で暗殺されると、推古天皇が日本史上初の
 女帝として即位します。その場所が豊浦宮です。その後、推古11年(603)
 まで宮として存続しました。豊浦宮の遺跡は明日香村大字豊浦にあったと
 考えられています。実際、豊浦宮の跡地に建立されたと伝わる豊浦寺跡の
 発掘調査では、検出された寺跡の遺構の下層から推古天皇の時代に相当す
 る遺構が検出されています。
  具体的には、講堂跡の下層では周囲に石敷をめぐらせた掘立柱建物や礫
 敷が、金堂跡の下層でも礫敷が、回廊跡の下層では石組溝が確認されてい
 ます。これらの遺構からここが豊浦宮であったことを示すものは出ていま
 せんが、石敷をめぐらせるという構造からすると、宮に関連する可能性は
 高いといえるでしょう。しかし、豊浦宮の推定地が位置する範囲は飛鳥川
 西岸の非常に狭い平地であることや、先代天皇の暗殺という非常事態での
 即位という状況などから、本格的に造営した宮ではなく、蘇我氏の本拠地
 の一部を利用した可能性も指摘されています。

  小墾田宮は、推古天皇がその11年(603)に、みずからの正宮とし
 て造営したものです。小墾田宮の位置はまだ判明していませんが、有力な
 候補地があります。以前は、明日香村大字豊浦の集落の北にある「古宮土
 壇」と呼ばれる高まりの周辺が有力な候補地でした。1970年の発掘調
 査で石積みの池や蛇行する石組溝が検出され、出土した土器の型式の検討
 などから、遺跡の年代は推古朝に合致することが明らかとなりました。し
 かし、周辺でおこなわれた発掘調査でも宮を構成する遺構は確認されず、
 小墾田宮の宮殿基壇と目された「古宮土壇」も12世紀の塚であることが
 判明し、本当に小墾田宮であるのか疑問視する向きもでてきました。
  それに替わって有力な候補地に浮上したのが、雷丘東方遺跡です。その
 きっかけは1987年に実施された第3次調査です。この時に検出された
 井戸から「小治田宮」や「小治宮」などと書かれた墨書土器が出土しまし
 た。詳しく紹介する字数の余裕がありませんが、これらは、『続日本紀』
 にみられる淳仁天皇や称徳天皇の「小治田岡本宮」や「小治田宮」に関連
 するものと考えられます。よって、奈良時代の淳仁・称徳朝の小治田宮の
 地に推古朝の小墾田宮が存在したと考えるのは自然な流れだと思います。
 実際、あまり知られてはいませんが、雷丘東方遺跡の第2次調査では、7
 世紀前半の石積み方形池の護岸の一部が検出されています。また、雷丘の
 西麓にあたる雷内畑遺跡でも7世紀前半の方形池とみられる石敷が検出さ
 れており、雷丘の周辺に推古朝の重要な施設があったことは確かなようで
 す。
  さて、小墾田宮の構造については、岸俊男による『日本書紀』の記述の
 研究から、南から「宮門」「朝庭」「庁(朝堂)」「大門(閤門)」「大
 殿」が建ち並ぶ、後の日本の宮室の構造の基本形態がすでに成立していた
 可能性が明らかにされています。

 参考:小墾田宮構造図
 http://asuka.huuryuu.com/bunko/sakiyomi/17/oharida.png

  しかし、これまでの遺構・遺物から推定される雷丘周辺の範囲は広いと
 はとても言えません。淳仁・称徳朝の小治田宮が完全に推古朝の小墾田宮
 の範囲を踏襲したとも考えられないと私は思います。
  では、そもそも小墾田の範囲とはどこまでなのでしょうか。飛鳥川の東
 岸のみなのか、それとも西岸にまで及ぶのでしょうか。『日本書紀』壬申
 の乱の記述にみえる「小墾田兵庫」が石神遺跡ではないかという見解もあ
 りますし、明日香村大字奥山の集落内にある奥山廃寺も「小治田寺」であ
 るとの説もあります。「小墾田」とは、古代に「飛鳥」と呼ばれた地の北
 隣りの飛鳥川から奥山の丘陵までの比較的広い範囲を指していたかもしれ
 ません。
  私個人はどう考えているか?それは明日、現地でお話しさせていただこ
 うと思います。

  では、天気予報は良くないようですが、がんばって参りたいと思います。

  追記  最後に宣伝をひとつ。現在、奈良県立橿原考古学研究所附属博
 物館では11月23日(月)まで秋季特別展『銅鐸-弥生時代の青銅器生
 産-』を開催しております。
  飛鳥とは関係ないって?

  いや、実は明日香村桧前から出土したと伝わる銅戈があるのです。しか
 も中広形銅戈といってほぼ北部九州でしか発見されていないものです。謎
 の多いこの遺物、ぜひご覧ください。
            

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┏━┓飛鳥情報
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 ■ 纒向遺跡 現地説明会のご案内
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  奈良県桜井市の纒向遺跡から、3世紀前半のものと思われる大型建物跡
 が見つかりました。
  建物規模は、南北19.2m、東西12.4mとなる同時期の建物では、
 国内最大になります。

  現地説明会は14日(土)・15日(日)の10:00~15:00。
  雨天は中止となります。
 

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 ■  藤原京跡出土木簡の展示
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            奈良文化財研究所 http://www.nabunken.go.jp/

  奈良文化財研究所藤原宮資料室で、衛門府と推定されている地点から出
 土した木簡20点が展示されます。現地説明会以外では、滅多とお目に掛
 かれない保存処理前の水に浸かった状態の木簡が展示されるようです。平
 日のみの開館になりますが、足を運ばれては如何でしょう。

 期 間 : 11月24日(火)~12月 日(月)
        *平日のみ開館

 場 所 : 奈良文化財研究所藤原宮跡資料室 
        (橿原市木之本町94-1
 展示内容: 藤原京跡左京七条一坊西南坪(衛門府推定地)出土木簡 20点


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 ■ 明日香村発掘調査報告会 2009
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                 明日香村 http://www.asukamura.jp/

  毎年恒例の「明日香村発掘調査報告会」の日程が決まりました。
  今回は檜前や阿部山地域の調査の実施しに伴う東漢氏にかかわる住居や
 平安時代の墳墓などの成果についての報告がされるようです。

「明日香村発掘調査報告会2009」
  日 時 : 11月21日(土) 13:00~16:00
          (受付12:30より) 
  場 所 :  明日香村中央公民館
  定 員 : 300名(参加費無料・先着順)
  内 容 :調査報告 
        ・檜前遺跡群の調査 -大壁遺構を中心に-   
                明日香村教育委員会 長谷川透氏
        ・檜前遺跡群の調査 -掘立柱建物群を中心に-       
                明日香村教育委員会 高橋幸治氏
        ・阿部山遺跡群の調査                      
                明日香村教育委員会 西光慎治氏 

 明日香村発掘調査報告会2009の開催について
  http://www.asukamura.jp/hakkutsujoho/hakutsjoho_index.html


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 ■ 木簡学会 奈良公開シンポジウム「木簡から 古代がみえる」
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  創立30年を迎える木簡学会主催の公開シンポジウムが行われます。木
 簡学会のこれまでの研究成果や一級の歴史資料といわれる木簡の価値など
 について知る良い機会だと思います。 

 公開シンポジウム
 「木簡から 古代がみえる」

 日 時 : 12月6日(日)13:00~16:50まで 
 場 所 : 奈良県新公会堂1階能楽ホール(12:00受付開始)
       (奈良市春日野町101) 
 主 催 : 木簡学会 
 後 援  : 奈良県教育委員会・奈良市教育委員会・奈良文化財研究所 
 内 容 : 
    木簡研究の歩み        (元京都教育大学 和田萃氏)
    宮都の木簡からみた奈良時代  (奈良女子大学 舘野和己氏)
    地方の木簡から古代史を読み直す(国立歴史民俗博物館 平川南氏)
    東アジアにおける木簡文化の伝播(早稲田大学 李成市氏)
    木簡の出土から保存まで    (奈良文化財研究所 渡辺晃宏氏)
    ディスカッション       (司会 奈良文化財研究所 田辺征夫氏)
    総合司会:吉川真司氏(京都大学) 
 参加費 : 無料(資料代実費徴収) 

 事前申込: 不要。先着順。
 定 員 : 500名

 ご注意 : 新公会堂内のレストランは休業中です。
       当日は周辺で大仏マラソンのための混雑が予想されます。

 問合せ先: TEL 0742-30-6837
         FAX 0742-30-6830


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┏━┓編集後記  もも
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  やはり、秋は現説ラッシュですね。茶臼山古墳に檜前に、巻向。
  そして今号にと、あい坊さんが急遽臨時で檜前遺跡群の記事を書いて下
 さいました。見学会に参加出来なかった方は勿論、出向かれた方にも興味
 深い記事です。是非是非お読みください。(^^)

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