2009/09/18
飛鳥遊訪マガジン Vol.062
飛鳥好きの貴方に贈る■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ◇ ◇ 飛鳥遊訪マガジン ◇ Vol.062 ◇ ◇ 2009.9.18.◇ 両槻会 http://asuka.huuryuu.com/ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ┏━┓飛鳥時遊録 真神原風人 ┃□┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┗━┛ 飛鳥三昧 http://sanzan.gozaru.jp/ 皆さん、こんにちは♪飛鳥ではイベントもたくさん行われる秋の観光シ ーズンがやってきました。飛鳥光の回廊・彼岸花祭りも週末から始まりま す。どうぞ、飛鳥へ足を運んでください。そうそう!奈良交通のバスダイ ヤも、この週末から30分に一便の観光シーズン用になります♪ 飛鳥光の回廊 http://www.asukanko.or.jp/new/hikarinokairou.html 彼岸花祭り http://www.asukanko.or.jp/new/higanbana.html 両槻会では、12日、橿原考古学研究所 清水昭博・岡田雅彦両先生を お迎えしての第16回定例会を無事終了することが出来ました。雨予報の 中で行ったのですが、講演会前の散策中は降ることも無く、事務局として は、ほっと胸を撫で下ろしました。「瓦は雨を防ぐ物」とは講師の清水先 生の名言です♪事務局としては、スタッフの人徳だと思っているのですが。(笑) 講演・散策解説共に、先生方がとても熱心にお話しくださり、参加の皆 さんと共にとても楽しい一日を過ごすことができたと思っております。 ありがとうございました。 さて、事務局では、すでに次回定例会に向けて準備を開始しています。 次回第17回定例会は、10月8日から12日の両槻会文化祭を挟み、 11月14日実施予定です。「飛鳥の諸宮をめぐる」と題して、橿原考古 学研究所付属博物館主任学芸員 山田隆文先生のご案内によるウォーキン グです。今号から、山田先生の咲読も始まりました。どうぞ、お楽しみに お読みください。時遊録では、歩調を合わせまして、コース概要をお話し たいと思います。 先日、予定していますコースの下見をしてきたのですが、眺望に優れた 高家集落など単にハイキングとしてもお奨めできるコースになっています。 定例会当日には、収穫が終ったハザ掛けのある長閑な棚田風景をご覧頂き ながらのウォーキングになるものと思います。 ウォーキングコースは、桜井市倉橋の崇峻天皇倉梯岡陵から始まります。 この場所は、倉梯柴垣宮の旧地と伝えられてきたそうで、小字名を「天皇 屋敷」というそうです。ウォーキングは、御破裂山の北麓を巻くように進 みます。300年の樹齢を誇る八講桜を仰ぎ見ながら、今井谷の集落を通 過、そこからがこのコース唯一の登りになります。といっても1キロほど の距離です。標高差は60~70mといった感じです。 高家の集落が見えてくる峠の頂上からは、西に貝吹山や葛城の連山が見 えています。集落からは、北に桜井市の町並みが見え、遠くに青垣の山々 が連なります。 高家の風景 http://asuka.huuryuu.com/bunko/jiyu-roku/2/taie-1.jpg http://asuka.huuryuu.com/bunko/jiyu-roku/2/taie-2.jpg 西に下ると、直ぐに明日香村に入り、八釣の畑地が広がります。現在、 コスモス畑が盛りなのですが、定例会の頃には残念ですが花は終わってい るでしょう。しかし、やや下に見える甘樫丘の展望台や畝傍山など、素晴 らしい景色が広がります。 八釣の風景 http://asuka.huuryuu.com/bunko/jiyu-roku/2/yaturi-1.jpg http://asuka.huuryuu.com/bunko/jiyu-roku/2/yaturi-2.jpg 八釣集落を通り、飛鳥への遷都の道でもあった山田道を北に見ながら、 竹田遺跡から石神遺跡・水落遺跡を訪ねる予定です。 ここから、コースは南に振り、飛鳥宮域に入って行きます。 今回は、コースの前半をご紹介しました。次号では、後半のお話をさせ ていただきます。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ┏━┓INDEX ┃□┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┗━┛ 1:飛鳥のみち 飛鳥へのみち その2 近江俊秀先生 -----------------------------------------------------------+ 2:特別寄稿 岡田雅彦先生 -----------------------------------------------------------+ 3:両槻会からのお知らせ -----------------------------------------------------------+ 4:飛鳥咲読 山田隆文先生 -----------------------------------------------------------+ 5:TOMの飛鳥ほろ酔い語り TOM -----------------------------------------------------------+ 6:飛鳥情報 -----------------------------------------------------------+ 7:編集後記 -----------------------------------------------------------+ ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ┏━┓飛鳥のみち 飛鳥へのみち その2 近江俊秀先生 ┃1┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┗━┛ 「下ツ道(7)-下ツ道敷設時期を推理する」 推古朝には、南北直線道路をつくる必要性が本当になかったのだろうか? これが、最初の疑問である。しかし、もし何らかの必要性を認めたとして も、その時期に飛鳥でさえ方位に合致した建物等がほとんど見られないこ とを、如何に説明するのか?この点についても、明確に述べなければなら ない。このように、下ツ道の敷設時期を側溝内から出土した土器の時期に 求めようとすると、非常に高いハードルをクリヤしなければならない。 そして、なによりもこの問題に踏み込むためには、推古朝という時代を 詳しく知らなければならない。詳しく知るためには・・そう、私の苦手な 勉強をしなければならないのである。 実は、「道路誕生」を執筆するために、以前から推古朝の問題について は、ぼちぼち調べていた。その結果、推古朝とはあまり一般には知られて いないものの、畿内を中心に大規模開発が行われた時期であり、直線道路 の成立もこの大規模開発の一環としてなされたのではないかという見通し を持っていた。ただ、この時点では妄想に近い考えであって、何ら立証す る手だてを持つものではなかった。そのため、この大規模開発を考古学的 にも、史料からも裏付けることから、始めなければならなかった。 考古学から大規模開発が行われたことを立証するのは、困難である。し かし、大規模開発=土地利用形態の再編というように位置づければ、この 開発を機に既存集落の解体と再編がなされた可能性が考えられる。少し、 難しい言い回しになったが、現在に例えるなら、駅前再開発事業のような もので、土地区画整備を行うために、古い建物をすべて取り壊し、新しい 区画に則って、新たに建物をつくるようなことが行われた可能性が考えら れるのである。もしそうだとすると、奈良盆地には推古朝に廃絶するムラ と、成立するムラが複数あるということになる。そういった視点で、盆地 内の集落を見ていくと、予想どおり推古朝に廃絶するムラ、成立するムラ がいくつか認められることが判明した。このことから、推古朝が、奈良盆 地における集落の画期である可能性が高まったのである。 一方、河内でも奈良盆地と同様、推古朝が集落の画期であることが、以 前から指摘されているのみならず、この時期に古市大溝という巨大な運河 とも言える溝が開削されたり、狭山池がつくられたりするなど、この画期 とは大規模開発に関連するとの見方が示されていた。 これらのことを、積極的に評価すれば、やはり推古朝には大和・河内を 中心に大規模開発が行われた可能性があるということになろう。しかし、 現状では如何せん資料不足。これだけでは、大規模開発が行われたと、断 定するには至らないどころか、その内容は、まったくもってわからないの である。そうなると、考古資料以外からも、アプローチする必要が生じる。 その場合、真っ先に思い浮かぶのが、『日本書紀』などの文献史料である。 もちろん、私のような門外漢が、『日本書紀』を読むだけで新たな発見が あるわけではない。多少、遠回りにはなるが、文献史学の立場から示され た推古朝に関する膨大な研究史に立ち向かい、そこから何らかのヒントを 得るしかない。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ 瓦からわかること ~長屋王と瓦~ ┏━┓ 橿原考古学研究所 岡田雅彦先生 ┃2┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┗━┛ 橿原考古学研究所 http://www.kashikoken.jp/ 瓦には様々な顔(文様)があります。瓦の顔はよく似たものが多いため、 違いがわからないとよく言われることがあります。しかし、瓦の様々な表 情を綿密に観察していくことで、他の遺物では明らかにしにくく、文献資 料では記載されなかった歴史を、読み取ることができる場合があります。 2004年3月、奈良県北葛城郡河合町で薬井・瀧ノ北遺跡の発掘がお こなわれました。調査の結果、この遺跡は瓦窯の灰原(灰や焼き損ねた瓦 などを捨てた場所)の可能性が高いとされました。また、そこから出土し た軒瓦は、奈良市にある旧そごう(現在イトーヨーカ堂)の下に存在した、 長屋王の邸宅で使用されていた軒瓦と全く同じものでありました。つまり、 長屋王の邸宅で使用された瓦の窯であったということになります。 この長屋王の邸宅で使用されていた軒瓦の名前は、名称がつけられてお りまして、研究者の間では『6272-6644』(前の数字が軒丸瓦で A・Bの2種類、後ろの数字が軒平瓦A・B・Cの3種類がある。わかり にくい名称ですが、慣れれば便利です。)と呼ばれています。この瓦には ある特徴があるようで、長屋王の邸宅以外での出土例を集めてみていくと、 長屋王家に関係のある遺跡で出土する傾向があるとされています。 1つ例をあげますと、桜井市にあります青木廃寺と呼ばれる、当時の名 前がわかっていないお寺があります。この寺から出土した平安時代の軒瓦 には、『壇越高階茂生』と書かれたものがあることから、高階氏が関わっ ていた寺であったと考えられています。この高階氏は、実は長屋王の父親 である高市皇子の末裔であることが、文献資料からわかっています。長屋 王の邸宅と同じ瓦が出土すること、高階氏が関わっていたお寺であること などから、長屋王が父母の菩提をともらうために建立したのではないかと いう説があります。このような事例などから、『6272-6644』が 出土する場所は、長屋王家と関わりがある場所であった可能性が高いと、 考えられているわけです。 では、先に述べました薬井・瀧ノ北遺跡と長屋王家は、どういった関係 があったのでしょうか。それは、長屋王の邸宅から大量に出土した、長屋 王家に関係のある木簡から明らかにされました。それには、片岡(地名) という場所に長屋王家の菜園があり、そこから長屋王家にハスやカブラな どを進上したと書かれています。つまりこの『片岡』という場所には、長 屋王家の所領があったと考えられています。この『片岡』という地名が、 薬井・瀧ノ北遺跡と関係してきます。 薬井・瀧ノ北遺跡の西側の王寺町には『片岡王寺』という古代寺院があ ること、また南西の香芝市には尼寺廃寺という、『片岡尼寺』と考えられ ている寺院があること(これら以外にも片岡地名は多数あり。)など、薬 井・瀧ノ北遺跡周辺には『片岡』という地名が多く、長屋王の邸宅から出 土した木簡に書かれた、『片岡』と呼ばれる地域があったと想定されてい ます。 木簡に所領があると書かれていた地名『片岡』と、薬井・瀧ノ北遺跡周 辺に残された地名『片岡』が一致することは、以前から考えられてきまし た。しかし、長屋王家に関係のある場所で出土する『6272-6644』 が、薬井・瀧ノ北遺跡の調査で生産していたことが明らかになり、この地 域に長屋王家の所領『片岡』があったことが確実に証明されたわけであり ます。 最初にも述べましたが、顔がよく似ていて違いがわかりにくいといわれ る瓦ですが、彼らの顔を丹念に見比べ、分布をみていき、そのつながりを 考えることで、文献資料やその他の遺物ではわからなかった歴史が明らか になってくるわけです。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ┏━┓両槻会からのお知らせ ┃3┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┗━┛ 両槻会サイト http://asuka.huuryuu.com/ ∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ■ 第16回定例会のご報告 +----------------------------------------------------------------+ 9月12日(土)に、第16回定例会「飛鳥瓦の源流―百済、新羅、高 句麗、そして中国南朝―」を無事終了しました。 雨模様の中ご参加下さった皆さん、有難うございました。 定例会当日のレポートと散策時に配布しました資料を、両槻会サイトに UPしました。ご参加くださった皆さんは勿論のこと、ご参加頂けなかっ た皆さんにも充分雰囲気を味わっていただけると思います。今回は、沢山 の画像や貴重な考古資料を手に取る機会にも恵まれ、講演内容の理解をよ り深めることが出来たと思います。 講師の清水先生及び散策などの解説をして下さった岡田先生には、重ね てお礼を申し上げます。m(__)m 第16回定例会レポート http://asuka.huuryuu.com/kiroku/teireikai-16/teireikai16-1.html 第16回定例会 散策資料 http://asuka.huuryuu.com/kiroku/teireikai-16/teireikai16-2.html 関連資料 http://asuka.huuryuu.com/kiroku/teireikai-16/teireikai16-3.html また、当日ご回答いただいたアンケートも集計しています。ご協力下さ った皆さん、有難うございました。 第16回定例会アンケート集計ページ http://asuka.huuryuu.com/kiroku/teireikai-16/teireikai16a.html ∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ■ 第17回定例会 +----------------------------------------------------------------+ http://asuka.huuryuu.com/yotei/teireikai-17/yotei-17.html 橿原考古学研究所付属博物館主任学芸員 山田隆文先生のご案内による ウォーキングを下記要項で開催予定です。 第17回定例会 「飛鳥の諸宮をめぐる」 開催日 : 11月14日(土) ご案内 : 山田隆文先生 (橿原考古学研究所主任学芸員) 集合場所: 桜井駅南口バス停付近 集合時間: 10時05分 定 員 : 30名 参加費用: 1,000円予定 (資料制作費など) 申込期間: 9月13日~11月7日(定員になり次第終了) 詳細は、決まり次第サイトやブログでご案内します。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ■ 両槻会文化祭 ー 飛鳥を翔けた1000日の軌跡展 ー +----------------------------------------------------------------+ この度「飛鳥を翔けた1000日の軌跡展」と銘打った文化祭を開催す ることにいたしました。 両槻会設立より1,000日が経過しました。これまで定例会毎に作っ てきました資料の展示や飛鳥検定の模擬受検などを通して、両槻会の活動 をご紹介したいと思っております。 また、四季折々の飛鳥の素顔を記録した写真や手作りの品々など、スタ ッフや参加者の作品も合わせて展示(一部販売)致します。 スタッフも交替で詰めています。飛鳥散策の折りに、是非お立ち寄りい ただければと思います。 開催期間: 10月8日から10月12日まで。 開催場所: Shop & Gallery「 輪-Rin 」 明日香村岡385-4 (岡天理教会前) http://web1.kcn.jp/rin 展示時間: 10:00~16:00まで 観 覧 : 無料 お問合せ: 両槻会事務局 asukakaze2@gmail.com 文化祭予定ページ http://asuka.huuryuu.com/yotei/tokubetukai/tokubetukai-3.html ∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ■「飛鳥」の写真大募集♪ +----------------------------------------------------------------+ 両槻会文化祭「飛鳥を翔けた1000日の軌跡展」では、皆さんのお写 真を募集しています。 テーマは、「飛鳥」。飛鳥にちなんだお気に入りのお写真をお寄せ下さ い。(飛鳥地域で撮られた写真を対象にさせていただきます。撮影時期は 問いません。) 【募集要項】 応募資格 : このメルマガをご覧の皆様全員(^^) 応募方法 : 両槻会宛メールに添付 asukakaze2@gmail.com 応募枚数 : おひとり様5枚まで サイズ : 3Mまで 締 切 : 9月30日 展示方法 : デジタルフォトフレームを使ったスライドショー (自動的にリサイズされます。ご了承ください。m(__)m) お写真は、メールに添付して両槻会事務局まで送って頂くだけ♪ 両槻会文化祭に、貴方も是非参加してみませんか。(^^) 文化祭予定ページ http://asuka.huuryuu.com/yotei/tokubetukai/tokubetukai-3.html ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ 飛鳥咲読 ┏━┓ 橿原考古学研究所付属博物館 主任学芸員 山田隆文先生 ┃4┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┗━┛ 橿考研付属博物館 http://www.kashikoken.jp/museum/top.html 「飛鳥の諸宮をめぐる(第1回)」 11月の定例会では、「飛鳥の諸宮をめぐる」という企画をたてさせて いただきました。 読者の皆さん、参加者の皆さんは大の飛鳥好きですから、飛鳥に大変詳 しいとは思うのですが、飛鳥を一日中歩き回って、今はただの田んぼや畦 道にしか見えないところに隠れている飛鳥の宮の痕跡を見つけ出し、飛鳥 の宮を「体感」していただければと願っております。そこで、これから数 回にわけて、飛鳥の宮について簡単にご紹介したいと思います。 さて、昨年の今頃、私は勤務している奈良県立橿原考古学研究所附属博 物館で『宮都 飛鳥』という特別展を担当して、もがき苦しんでおりまし た。この展覧会では、奈良県立橿原考古学研究所(以下、橿考研。)が中 心に発掘調査を実施してきた「飛鳥京跡」の調査成果を柱として展示をお こないました。 実はこの「飛鳥京跡」名称は文献史料などに見える歴史的な用語ではあ りません。「飛鳥京」の名称を最初に用いたのは喜田貞吉でした。(喜田 貞吉1912「飛鳥の京」『歴史地理』第20巻1~3・5号、日本歴史 地理学会)その範囲は藤原京とは別物であるとしつつも、耳成山や畝傍山 を傍までとする広大なものを想定していました。橿考研が発掘調査をはじ めた頃には、喜田が考えていたほど広範囲とは考えられなくなっていたも のの、藤原宮における藤原京の条坊や、平城宮における平城京の条坊に相 当する、いわゆる京域が飛鳥の宮の周辺にも存在すると想定されていたた め、遺跡の名称として橿考研では「飛鳥京」の名称が使用されたのだと考 えられます。(実は、なぜ「京」なのかは、私自身の学生時代からの謎で したが、この疑問にちゃんと答えてくれた上司もOBも今のところ一人も いません・・・) その後の橿考研をはじめとする飛鳥地域での発掘調査の成果から、飛鳥 盆地内に京域と認識しうる遺跡の存在の可能性はもはや低くなったといえ ますが、現在もそしてこれからも橿考研は調査名としては「飛鳥京跡」の 名を使用していくでしょう。 その飛鳥京跡ですが、これまでの164次におよぶ発掘調査の成果から、 単一の宮跡ではなく、3層4時期の宮跡であることが判明しています。橿 考研ではそれをI期、II期、III-A期、III-B期と称しています。そして、 これらの調査成果をもとに研究・検討が重ねられた結果、I期が舒明天皇 の飛鳥岡本宮、II期が皇極天皇の飛鳥板蓋宮、III-A期が斉明天皇の後飛 鳥岡本宮、III-B期が天武天皇の飛鳥浄御原宮であることがほぼ確実視さ れるようになっています。その具体的な内容については次回以降にお話し したいと思います。 最後に、飛鳥の宮の遷り変わりについてふれておこうと思います。この ことについても飛鳥時代の4つの宮が同一の場所であることが確実になっ たことで、それまでの宮の変遷とはかなり様相が異なることがわかってき ました。 崇峻天皇が倉梯柴垣宮で暗殺されると、敏達天皇の后であった額田部王 女が豊浦宮で即位します。推古天皇です。豊浦宮があったとされる地域は 蘇我氏の本拠地のひとつで、豊浦宮はその邸宅を利用したとの説もありま す。やがて、推古天皇は自らの正宮である小墾田宮を造営し、遷居しまし た。この小墾田宮以降も最初は天皇の代ごとに宮は遷されますが、それま での暦代遷宮とは異なった様相をみせます。変化はふたつあります。 最初の変化は、以前の宮が後の代にも再び利用されるようになることで す。飛鳥時代、宮は幾度か難波や大津などへと遷ったが、その都度また飛 鳥へと還ってきているのです。具体的には、舒明天皇は飛鳥岡本宮から飛 鳥の外へと宮を遷しますが、次の皇極天皇は飛鳥へと戻り、飛鳥板蓋宮を 飛鳥岡本宮があった場所へ造営するまでは小墾田宮を使用しています。孝 徳天皇が難波へ遷った後は、皇極が重祚した斉明天皇が飛鳥板蓋宮へと還 っています。そして、壬申の乱ののち飛鳥へ凱旋した天武天皇は、斉明天 皇が造営した後飛鳥岡本宮へと入り、そこで一部の新たな造営や再整備を して飛鳥浄御原宮としています。 つぎの変化は、天皇の代が変わっても宮が遷らずに引き継がれるように なることです。具体的には、斉明天皇の後飛鳥岡本宮を次の天智天皇は大 津宮への遷宮まで使用し、天武天皇の飛鳥浄御原宮には持統天皇も藤原宮 への遷宮まで住み続けています。 飛鳥時代のみならず、それまでの大王(天皇)が住まいし、政治をおこ なった場所は「宮」でした。飛鳥時代までは大王の代替わりごとに宮を遷 す「歴代遷宮」がおこなわれ、またその在位中にも遷居を繰り返す大王も いました。前々代の宮の再利用や同一場所への新たな宮の造成など飛鳥に こだわる姿勢への変化は、飛鳥に単なる天皇の「宮」を造るのではなく、 飛鳥を日本の「都」として認識していたからにほかならないからと私は考 えています。 1回目は少し長くなってしまいましたが、このくらいにして、次回から は飛鳥京跡の調査成果について、ごく簡単にですが、紹介していきたいと 思います。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ┏━┓TOMの飛鳥ほろ酔い語り TOM ┃5┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┗━┛ 「蘇我一族考 その1」 香具山を南に下りて畑の中の農道を進むと飛鳥小山辺りに「大官大寺跡」 と言う案内が見えます。「大官大寺」は、舒明天皇が百済川の畔に建てた 「百済大寺」を後に天武天皇が高市郡に「高市大寺」として移築し、後に 名称が「大官大寺」となったものです。「大官大寺」は九重の塔を持った 高さ90m以上にも及ぶものだったとされています。90mと言われても どれほどのものか簡単には想像できませんが、現存する日本で一番高い塔 は東寺の五重塔で、その高さが約55mですからその約倍とみて良いでし ょう。まさに大寺であったわけです。即ち天皇が権威を持って建てた「官 寺」だったわけです。すると舒明天皇の時代に仏教を公的に取り入れてい ったことが分かります。仏教を進んで取り入れていこうとしたのは、蘇我 馬子であったことはよく知られていることですが、それを舒明天皇は国家 として取り入れていくことが得策であると判断したものと考えられます。 そうした下地を作った蘇我一族とはどんな一族だったのかこれから見てい きたいと思います。 蘇我一族は色々な説がありますが、竹内宿禰を祖とする事が書紀に見え ます。竹内宿禰は仲哀天皇が亡くなられるとき神功皇后と一緒にいたこと や、兄弟の讒言に盟神探湯をしたことなどで有名です。明治のお札にも彼 の肖像が描かれています。しかし五代の天皇、景行、成務、仲哀、応神、 仁徳に仕えたという非常ーに長寿な人であったとされますが、その余りの 長寿ゆえ伝説上の人物ではないかとさえ言われています。すると蘇我氏は 伝説上の人物を祖にもつ何やら得体の知れない一族になってしまいそうで すが、書紀ではこの竹内宿禰を祖とする氏族が七氏族いたことになってい ます。即ち、蘇我氏、羽田氏、巨勢氏、平群氏、紀氏、葛城氏、若子氏等 が竹内宿禰を祖とすることとなっています。それは兎も角として宣化天皇 の時代、蘇我稲目は大臣として抜擢されます。そして引き続き欽明天皇の 代でも大臣として活躍すると共に娘の堅塩媛と小姉君を後宮に入れること に成功します。 堅塩媛は7男6女を産み、小姉君は4男1女を産みます。このようにし て蘇我稲目は天皇の外戚となることで豪族の中で最も天皇に近い存在とし て力を蓄えていきます。 一方この時代、蘇我に対抗する勢力として物部氏がいました。古来物部 氏や大伴氏が朝廷の軍隊として活躍していましたが、大伴氏は物部尾輿に よって韓国内での不手際を指摘され役を降ろされてしまいます。従い正規 軍として力を持っていたのは物部氏だけだったと見ていいと思います。そ こに蘇我氏と言う新興勢力が台頭してきた訳です。物部尾輿にとっては蘇 我稲目の存在は面白くないものだったに違いありません。それも天皇の外 戚となり、渡来系の技術兼武装集団、東漢を配下に置いています。何かと 対立していたと思われます。丁度その頃、百済から欽明天皇に仏像が贈ら れてきます。天皇はその仏像を礼拝して良いものかどうかを家臣に問いま す。稲目は「よその先進国で礼拝しているものを日本だけしないと言うの は可笑しい。礼拝すべきだ。」と言います。一方尾輿は「蕃神を礼拝すれ ば国神の怒りを招く。礼拝すべきでない。」と奏上します。このときから 蘇我と物部は仏教導入の点で対立し、その対立は夫々の子供の馬子、守屋 へと引き継がれていきます。そしてこの馬子のときに蘇我一族は全盛を誇 ることになります。次回はこの馬子の時代を見ていきたいと思います。お 楽しみに。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ┏━┓飛鳥情報 ┃6┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┗━┛ ∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ■ 平城第458次発掘調査(興福寺南大門)発掘調査の現地見学会 +----------------------------------------------------------------+ 奈良文化財研究所 http://www.nabunken.go.jp/ 7月から行われていました平城第458次発掘調査(興福寺南大門)の 発掘調査の現地見学会が開催されます。 日 時 : 9月27日(日) 見学時間: 10:30~15:00 説 明 : 11:00、13:00、14:00 ※小雨決行 場 所 : 発掘調査現場(奈良市登大路町 興福寺境内) 現地までの地図など、詳細は下記アドレスでご確認ください。 奈文研トピックス http://www.nabunken.go.jp/topics/index.html#458kengaku0927 なお、駐車設備がないそうですので、車での来場はご遠慮ください。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ■ 第184回 あすか塾 +----------------------------------------------------------------+ 祝戸荘 http://www.asuka-iwaidoso.com/index.html 先日、無事終了しました第16回定例会では、事前散策と資料館展示室 でのギャラリートークを、また今号には、特別寄稿をお書き下さった橿原 考古学研究所の岡田雅彦先生の講座が「あすか塾」で行われます。 岡田先生の分かり易くて優しい語り口をお聞きに貴方もお出掛けになら れませんか? ・第184回 あすか塾 『飛鳥とその周辺地域の古代寺院と瓦』 講 師 : 岡田 雅彦氏 (橿原考古学研究所 埋蔵文化財部) 開催日 : 10月3日(土) 開始時間: 11:30 会 場 : 飛鳥の宿『祝戸荘』 会 費 : 1800円(昼食付き) *事前申込要 お申込などの詳細には、下記アドレスをご覧ください。 あすか塾セミナーのページ http://www.asuka-iwaidoso.com/event-list.html#lecture ∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ■ 橿原考古学研究所付属博物館 +----------------------------------------------------------------+ http://www.kashikoken.jp/museum/top.html 平成21年度秋季特別展 『銅鐸―弥生時代の青銅器生産―』 会 期: 10月3日(土)~11月23日(月・祝) 場 所: 博物館特別展示室 時 間: 9:00~17:00(入館は16:30まで) また、関連で研究講座が開催されます。 10月11日(日) 「銅鐸―弥生時代の青銅器生産―」 北井利幸氏(橿考研博物館) 「大福遺跡の青銅器鋳造遺物について」 丹羽恵二氏(桜井市教委) 10月25日(日) 「唐子・鍵遺跡の青銅器鋳造遺物について」 藤田三郎氏(田原本町教委) 「銅鐸の鋳造」 難波洋三氏(奈文研) 11月15日(日) 「近畿地方における青銅器生産の諸問題」 三好孝一氏(大阪府文化財センター) 「社会変動期における青銅器」 森岡秀人氏(芦屋教委) 特別展・研究講座などに関する詳細は、橿考研付属博物館サイトでご確 認ください。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ■ 飛鳥資料館 +----------------------------------------------------------------+ http://www.nabunken.go.jp/asuka/index.html 平成21年度秋期特別展 『北方騎馬民族のかがやき 三燕文化の考古新発見』 会 期: 10月16日(金)~11月29日(日)(期間中無休) 場 所: 飛鳥資料館 特別展示室 時 間: 9:00~16:30(入館は16:00まで) 展示品: 遼寧省出土三燕文化考古資料84点 4世紀初頭から5世紀中葉まで、中国遼寧省西部を中心に勢力を誇った 騎馬民族国家の3つ「燕」の文化について、日中共同研究の成果が紹介さ れます。また、三燕文化の考古資料や、その影響を受けた日本の出土品も あわせて展示されるようです。 また、関連で「日中考古学記念講演会」が開催されます。 『日中考古学記念講演会』 「北方騎馬民族のかがやき 三燕文化の考古新発見」 日 時: 10月17日(土)13:00~15:30(開場12:30) 場 所: 飛鳥資料館講堂 講 師: 町田章氏(奈良文化財研究所 前所長) 「三燕文化が朝鮮半島、日本に与えた影響」 田立坤氏(遼寧省文物考古研究所長) 「三燕文化研究の現状と課題」 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ┏━┓編集後記 もも ┃7┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┗━┛ 先日、無事第16回定例会を終了することが出来ました。有難うござい ました。m(__)m ・・・と、担当として、一言お礼を。 ということで、今回の飛鳥遊訪マガジンは、終った定例会の〆のご報告 と、次回定例会のご案内が交差する号となり・・・超豪華な執筆陣となっ ています♪ごゆっくりお楽しみいただければと思います。(^^) ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ご意見ご感想は、http://form.mag2.com/viuounelio または、両槻会事務局まで (asukakaze2@gmail.com) 登録/解除は http://www.mag2.com/m/0000259444.html 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ 発行:両槻会 http://asuka.huuryuu.com/ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ …─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…



