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2009/08/07

飛鳥遊訪マガジン Vol. 059

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◇◆◇◆
◆◇◆       飛鳥遊訪マガジン Vol. 059 (2009.8.7.)
◇◆
◆         飛鳥好きの貴方に贈るメールマガジンです。
           両槻会のイベントもご紹介します。

                           両槻会 http://asuka.huuryuu.com/
                               
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  8月に入りましたね!!エルニーニョ現象で梅雨が思った以上に長く続き、
 各地で集中豪雨を降らし、土砂崩れや水害などの災害に遭われた方もいらっ
 しゃるかも知れません。みなさん大丈夫でしたか?心からお見舞い申し上げ
 ます。
  さて、今回のメルマガは、近江先生の「飛鳥のみち 飛鳥へのみち2・下
 ツ道(6)-直線道路は政治的な産物」をお送りいたします。飛鳥話1では風
 人が「大和を掘る 27」―2008年度 発掘調査速報展―観覧記と題し
 まして、縄文時代から近世に及ぶ展示紹介を、飛鳥限定で(笑)詳しくレポ
 ートしています。飛鳥話2ではTOMが、今回でいよいよ最終回となります
 「大津皇子考 その8」をお送りします。どんな結末になるか楽しみにして
 いて下さい。そして、咲読はももが同笵瓦について書いています。難しい漢
 字が沢山出ますが、読みもあわせて思い描いて頂けたら楽しいのではないか
 と思います。今回も盛りだくさん!!どうぞ最後までお見逃しなく読み進ん
 で下さいね。                  (P-saphire)

┏◆━index ━━◆◇◆

 〈1〉寄稿     ・・飛鳥のみち 飛鳥へのみち2 / 近江俊秀先生
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 〈2〉飛鳥話 NO.1 ・・風人の飛鳥ぶらぶら散歩   / 真神原風人
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 〈3〉飛鳥話 NO.2 ・・TOMの飛鳥ほろ酔いがたり / TOM
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 〈4〉飛鳥咲読                   / もも
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 〈5〉飛鳥情報 
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 〈6〉両槻会からのお知らせ 
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 〈7〉編集後記
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 〈1〉飛鳥のみち 飛鳥へのみち 2  / 近江俊秀先生
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 「下ツ道(6)-直線道路は政治的な産物」

  下ツ道に代表されるような方位に合致した直線道路が、自然にできあがる
 筈はない。当然、このような道路は人工的なものであって、何らかの目的を
 持って整備されたものである。

  道路をつくるためには、高度な測量技術も必要だろうし、沢山の人を導入
 するだけの権力も必要であろう。そして、なによりも真っ直ぐであるという
 ことは、地形や地質を無視しているだけでなく、通過する地域の在地勢力の
 枠組みを超越している(平たく言えば、地主の意思に関わらず、強制的に道
 路をとおすことができる)ということでもあり、そこに、敷設の推進者とし
 て国家の姿が垣間見えるのである。つまり、奈良盆地の直線道路網とは、国
 家事業として計画・建設されたと考えられるのである。

  現代でもそうであるように、国が行う事業は、善し悪しは別にしても何ら
 かのねらいがあり、実行するための契機がある。何を言いたいのかというと、
 古代の直線道路敷設についても、単なる思いつきでつくられたとは考えにく
 く、そこにはそのような道路をつくらねばならないような、理由があった筈
 であるということである。前回、述べた和田先生の「歴史的必要性」という
 言葉は、まさにこのことを指しているのだ。

  和田先生のコメントを紹介してから、だいぶ回を重ねてしまったが、ここ
 で先生の大和の古道に関する考え方を紹介しよう。
  先生は、同じ方位に則った道路でも、横大路についてはその成立が6世紀
 代まで遡ると見る。それは、この道路沿線に歴代大王の宮が点在することな
 どの理由からで、何よりも外交窓口である難波と政治の中心地である磯城・
 磐余(しき・いわれ)や飛鳥とを結ぶルートは、早くから存在する必然性が
 あったということである。そして、それらは遺跡の分布や、モノの移動のあ
 り方、地名考証からも裏付けられるとしている。それに対し、下ツ道をはじ
 めとする南北三道は、横大路と同時期に敷設される理由は見あたらず、白村
 江の戦いにはじまる、大津遷宮、水城や朝鮮式山城の建設などの国防政策の
 一環として、敷設されたと理解するのが、最もその意味をとらえやすいとい
 うのである。そして、このことを補強する根拠として、飛鳥においても方位
 に合致した開発が進められるのは、皇極朝以降であり、それ以前は地形に則
 って建物が建てられていることなどをあげている。つまり、首都においてで
 さえ、方位に対する意識が低い段階に、盆地全体におよぶ方位に合致した地
 割りがなされる意味は、見出しがたいとする。

  この、和田先生の指摘は、論理的にも筋がとおっており、反論の余地がな
 いようにも思える。しかし、私は出てきたモノを最も重視する立場の考古学
 の人間。やはり、下ツ道の側溝から出た件の須恵器のことや、桜井市教育委
 員会の調査で上ツ道の盛土から7世紀前半の土器が出土していることが、ど
 うしても気になる。これらの遺物を混入と考える前に、土器が示す6世紀末
 から7世紀初頭という時期に、南北直線道路をつくる史的要因が本当にない
 のか?そちらの方を、もう一度、見直してみてはどうかと考えるのである。

  かといっても、如何せん検討材料が少なく、どんな結論を出したとしても、
 それは推理の域をでるものではないのだが・・・


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 〈2〉風人の飛鳥ぶらぶら散歩    / 真神原風人
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「大和を掘る 27」-2008年度 発掘調査速報展-観覧記

  7月18日より開催されている、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の
 「大和を掘る27」を見てきました。このイベントは、もうすっかりお馴染
 みとなり、夏恒例の行事として定着しています。発掘現地説明会や報道で見
 聞きした遺跡を、改めて間近に感じられる良い機会なので、風人は、待ちか
 ねたように毎年最初の土曜日に行くことにしています。会期中には、4回の
 土曜講座が開かれ、発掘を担当した先生方による報告会(土曜講座)が楽し
 みの一つになっています。

  今回は、2008年度に奈良県内で発掘された38遺跡の展示紹介があり
 ました。遺跡は、縄文時代から近世に及び、大きく報道されたものや全く気
 づかないで過ぎてしまったものもありました。風人の関心は、やはり飛鳥時
 代であり飛鳥地域ですので、かなり偏っています。(^^ゞ
  石神遺跡・飛鳥京跡・檜隈寺跡・檜隈遺跡群などが、もっとも気になる遺
 跡です。これらは、実際に現地説明会に参加したり、調査中に訪れたりして
 いますので、どのような報告がなされるのか期待を持って見学しました。
  とりわけ、石神遺跡の展示や土曜講座を注目していました。飛鳥遊訪マガ
 ジンでも、ゆきさんの連載で、現地説明会後に分かってきた遺跡の解説をし
 ていただいていますし、来年1月の第18回定例会では、発掘を担当された
 青木敬先生の講演を予定していますので、この機会にしっかり予習復習をし
 ておかなければなりません。(^^ゞ 

  展示では、57号でゆきさんがお書きくださった丸瓦がありました。メル
 マガの丸瓦の製作のお話で、玉縁部(ソケット部分)の作りが、制作年代に
 よって違いがあることを教えていただきました。それは、玉縁部の内面に布
 目があるかどうかで見分けられるとのことです。布目のないものが玉縁だけ
 別に作られ、後でくっ付けられるという、より古い制作方法であるとのこと
 でしたね。今回の展示では、そこを注目して見学をしました。丸瓦は玉縁部
 を手前にして置かれていましたので、下から覗き込むと、瓦の裏には布目が
 あるのですが、玉縁部にはその痕跡がありませんでした。「そうか!こうい
 うことなのか♪」と、実際に見ると分かるものです♪展示場で、しゃがんで
 覗き込んでいると怪しい奴だと思われそうですが、好奇心が勝ります。(笑)
 見学当日は、このことだけで、とっても賢くなったように思いました。(^^ゞ
 メルマガ効果ですね。ゆきさんの次回のご寄稿が待ち遠しく感じます。

  また、25日の土曜講座では青木先生の報告があり、遺構から礎石が検出
 されていたことが、はじめて報告されました。7世紀前半(620~630年)
 頃に、仏教関連施設(仏堂など)があった可能性がより高くなってきたよう
 に思います。それがどの程度の規模の建物なのか、またどのような性格の建
 物であったのかなど、興味はますます強まってきます。

  今年春、石神遺跡と同日に説明会が開催された飛鳥京跡の発掘調査の展示
 も、「砂利敷広場をもつ掘立柱建物が!」というタイトルを付けて展示され
 ていました。飛鳥京跡の北限の施設が検出されるのではないかと予想されて
 いたのですが、南に庇を持つ(北にも付く可能性がある)東西7間以上、南
 北3間の建物が検出されました。掘立柱建物の南には、砂利敷の広場があり
 ました。建物の雨落溝から広場の南端までは15mほどもあり、何らかの儀
 式が行われた広場ではないかと考えられたようです。飛鳥宮内であれば概ね
 石敷となるのですが、この遺構では砂利敷であることなどから、天武・持統
 朝の官衙の一つではないかと判断されたようです。建物の西では、東西の石
 組溝が検出され、前年に検出された東西溝に繋がるようです。
  北限とされてきた遺構の延長線上に、このような建物があることから、飛
 鳥京の北限は、さらに北に延びる可能性が出てきました。飛鳥寺との境はど
 のようになっていたのでしょうか。飛鳥寺の南の石敷遺構まで、もうほんの
 少しの距離です。

  二つの遺跡の紹介で、今回の飛鳥話1は終わってしまいますが、最後に気
 になった遺跡を幾つか上げておきたいと思います。まったく知らなかった
 「釈迦ヶ岳山頂遺跡」「弥山山頂遺跡」からも、採取された遺物が展示され
 ていました。この両山は、大峰奥駈道に位置する山で、近畿の最高峰八経ヶ
 岳(1914m)に近い高山の頂上です。大峰信仰の古さを考古学的に実証
 したのではないかと思い、またこういう場所での調査も行われているのだと、
 改めて認識した次第です。他には、今注目の的である纒向遺跡や箸墓古墳周
 辺の調査、巣山古墳とその北側の調査、中宮寺跡、薩摩遺跡などなど、興味
 が尽きない展示となっています。
  風人は、9月6日までの会期中には、土曜講座を目的に、もう何度か展示
 を見る機会を作りたいと思っています。皆さんも如何ですか。

  ━━━◇『飛鳥三昧』
     http://sanzan.gozaru.jp/


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 〈3〉TOMの飛鳥ほろ酔いがたり  / TOM
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 「大津皇子考 その8」

  大津皇子が生存していては都合が悪い、と考えた人物は誰だったでしょう。
 「私です」と名乗り上げた人物が歴史書には現れませんので、今回は大いな
 る推測による話をしてみたいと思います。根拠も何もありませんので、TOM
 の推測に付き合っておられんと思われる方はパスしてください。

  日本書紀編纂の命が下ったのは天武天皇のときです。正確には「日本書紀
 を編纂せよ」という詔が下った訳ではありません。681年、天武天皇は川
 島皇子や忍壁皇子らに命じて「帝記及び上古諸事」を記し定めよ、とありま
 すが「日本書紀」と言う名はこのとき未だ使われていません。後に「続日本
 紀」という文献が記されますので、今で言う「日本書紀」は、初めは「日本
 紀」と呼ばれたのではないかと思われます。川島皇子、忍壁皇子亡き後、舎
 人親王が跡を継ぎ720年完成、元正天皇に奏上したとあります。一方、推
 古天皇までを記した古事記は、712年太安万侶によって完成を見ます。古
 事記に遅れること8年、この8年間に舒明天皇‐皇極天皇‐孝徳天皇‐斉明
 天皇‐天智天皇‐天武天皇‐持統天皇の項が見直され、時の権力者に都合の
 悪い部分には修正がなされていったと思われます。日本書紀では、弘文天皇
 は即位したことになっていません。

  以前「長屋親王宮鮑大贄十編」とかかれた木簡が発見されて話題を呼んだ
 ことがありました。木簡は日本書紀の内容よりも確実な一級の歴史資料です。
 ここで問題とするのは「親王」の文字です。親王とは天皇の親族のことを指
 す言葉の筈です。すると彼の父親、高市皇子は単なる皇子ではなかったこと
 を意味することになります。しかし、日本書紀では高市皇子は太政大臣まで
 登りますが、それ以上のことは記されていません。大津皇子、草壁皇子が亡
 くなり皇位継承権No.1となった高市皇子ですが、日本書紀では彼の動向には
 触れず持統天皇が即位したことになっています。持統天皇‐文武天皇‐元明
 天皇‐元正天皇‐聖武天皇と続ける必要があった人物が日本書紀を改竄した
 可能性が残ります。長屋親王は必要なかった。曳いては、高市皇子は高市皇
 子のままでなければならなかった。そのような歴史を作った立役者こそ、藤
 原不比等とその一族ではなかったかとTOMは愚考しています。

  それでは、藤原不比等とはどんな人物だったのか見て行きたいと思います。
 不比等は659年の生まれとされていますから、草壁皇子の二つか三つ年上
 となります。壬申の乱の時にはどちら側に付くと言うことなく、山科の田辺
 家か飛鳥の小原の自宅にじっとしていたと思われます。本来なら父親、鎌足
 が天智天皇に仕えていた身ですから大友側に付くのが自然なんでしょうけど、
 やはり大織冠を賜った人物の息子であるという理由からか匿われていた節が
 あります。従い当然のことながら壬申の乱では何の功績も挙げていません。
 寧ろ、天武天皇からは厚遇されていなかったようです。然るに、母親は鏡女
 王であるという説もあるように皇族の血が入っていた可能性もあります。彼
 の描き実現してきた歴史とは、現在まで脈々と続く藤原氏の基礎となります。
 簡単に言ってしまうと、天皇と姻戚関係を持つことにより、政治を司る形を
 作り上げた訳です。その為には何でもしたと言っても過言ではないように見
 えます。彼は先ず彼と年のさほど違わず、皇位継承者に一番近い草壁皇子に
 接近します。同時に、後宮で持統天皇に最も近くにいた県犬養三千代を自分
 の夫人にしてしまいます。天武天皇が亡くなると夫人であった五百重娘も夫
 人として迎え入れます。草壁皇子の信任を得ることに成功した不比等は草壁
 皇子の息子(文武天皇)に長女宮子を嫁がせ、宮子は聖武天皇を生むことと
 なります。聖武天皇には三女光明子を嫁がせ、光明子は考謙(称徳)天皇を
 生むこととなります。このようにして巧みに張り巡らされた藤原家の網の中
 で、天皇は実権を失い形骸化して行き、逆に実権は藤原家にあるようになっ
 て行く訳です。

  この遠大な計画の第一の犠牲者が、大津皇子ではなかったかと思われます。
 草壁皇子の信任さえ得ていればよく、その為には立太子していなくとも対立
 する存在は、除いておかなければならない必要性があったと考えられます。
 天武天皇が亡くなられて人心を掌握するような立派な誄を、大津皇子が言う
 前に身柄を拘束しておかなければなりません。理由は何でもよかった筈です。
 東国へ出かけたことでも、斎王に会ったことでも、先ずは身柄を拘束して喋
 らせないことが優先したと思われます。それを「謀反」と発表するのは容易
 い事で、あとは拘束期間中に共犯者を作り上げ、形式上逮捕し大津皇子を主
 犯として断罪し賜死させれば事は済みます。事は不比等の思惑通りに進み、
 大津皇子は賜死させられます。余談ですが、舎人親王の書き上げた「日本書
 紀」の大津皇子の部分は、最初は、はっきりと不比等の陰謀であることが分
 かるようになっていて、不比等の検閲の際に造作されたのではないかとTOM
 は思っています。

  草壁皇子に取り入った不比等は、草壁の即位を望んでいたでしょうが、草
 壁は天武天皇の殯の終わった翌年に薨去します。その亡くなる前に不比等は
 草壁皇子から黒作懸佩刀を授かります。この佩刀の意味は大きく女性天皇の
 間は不比等が預かり、男性天皇になれば不比等から返上されるという歴史が
 続きます。即ち、不比等が天皇の後見人的役割を果たすことになっていくこ
 ととなります。

  草壁皇子薨去の時、不比等は有無を言わさず次期天皇に持統天皇を掲げま
 す。息の掛かっていない高市皇子が天皇になっては彼のプログラムは崩れま
 す。飛鳥にある自分の家でウ野讃良皇女を即位させ持統天皇即位の既成事実
 を作っていきます。ひょっとするとその前に高市皇子は既に天皇と呼ばれて
 いたのかもしれません。それを排除しての持統天皇即位だったかもしれませ
 ん。すると「長屋親王」の木簡も分かるような気がします。
  (*ウ=盧偏に鳥)

  長々と大津皇子の変を見て来ましたが、一つしかない真実はまだベールの
 中です。そのうち新しい事実が見つかり、真相に近づくことを期待しましょ
 う。長い間、大津皇子の話にお付き合い頂きました皆さん、有難うございま
 した。今回で一応、大津皇子の話は終え次回からは大化の改新に至った乙巳
 の変等を見ていきたいと思います。ご期待下さい。


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 〈4〉 飛鳥咲読  / もも
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  今回は、前号で清水先生がお書き下さった記事の中にも出てきた同笵瓦
 (ドウハンガワラ)のお話をさせてもらおうと思います。

  瓦当は、木製の瓦笵(ガハン)と呼ばれる雌型に粘土を入れて成型されま
 す。渡来の造瓦技術は貴重だったでしょうから、瓦笵も当然貴重品だったと
 思われます。沢山の瓦を作るため、度重なる使用で傷んでしまった瓦笵は、
 彫りなおしなどの修理(これを「改笵:カイハン」と言います。)をして使
 用されました。

  そして、あちらこちらで同じ瓦笵を使った同笵品といわれる瓦が出土して
 います。例えば、飛鳥寺の中門などに使用された「星組」と同じものが、豊
 浦寺の金堂にも使用されています。このときは、文様だけでなく製作時の技
 術や土の成分なども飛鳥寺と同じであることから、これらは製品として飛鳥
 寺(飛鳥寺の瓦を焼いた瓦窯〈ガヨウ〉)から豊浦寺に供給されたことを示
 しています。飛鳥寺と豊浦寺はそれぞれ蘇我氏の僧寺と尼寺の関係にあると
 考えられていますので、別段不思議なことではないかもしれません。

  ですが、飛鳥寺と豊浦寺で使用された「星組」の瓦笵のうち、改笵された
 後に、飛鳥を離れ斑鳩へ移動し、斑鳩寺の創建にも使用されたものがありま
 す。この星組の瓦当が、飛鳥寺→豊浦寺→斑鳩寺と動くのにそんなに時間を
 かけていないことも分っているそうです。

  下は、移動したとされる星組の「素弁九葉蓮華文軒丸瓦」のイラストです。
 改笵時に中房内の蓮子(真ん中の円の中にある小さな丸)が5個(1+4)
 から7個(1+6)に増えています。型崩れを起こした瓦笵を修理する際に、
 文様にも若干手が加えられたようです。

 参考:星組(素弁九葉)の移動
 http://asuka.huuryuu.com/bunko/phot/siryou/asuka-toyoura-ikaruga.gif

  このように、実際に動くのは製品としての瓦であったり瓦笵であったりと
 様々です。同じ瓦笵から作られる瓦当は同じ文様で、当然傷をもつ型で作ら
 れた製品には、同じ場所に傷が残るというわけです。(これを、笵による製
 品の傷=笵傷〔ハンショウ〕と言います。)

  それぞれの遺跡から出土する瓦を詳細に比較していくことで、飛鳥寺・豊
 浦寺・斑鳩寺に見られるような前後関係を抑えていくことができ、これは史
 料などで目にする古代初期寺院の建立順が瓦の文様や製作技術を追うことで
 考古学的に裏づけられることになります。

  前号で清水先生が『同笵瓦の文様の鮮明さを較べ、表面に残る傷の数を比
 較し、瓦が作られた時間の前後関係を判定することができる』というお話を、
 ももが書くとこうなります。いえ・・ここで比較は要らないんですがね(^^ゞ

  ここに出てくる寺や瓦窯などそれぞれの関係をもう少し詳しくお知りにな
 りたい方は、下記ページをご覧いただければと思います。

 参考:豊浦寺跡
 http://gpeach.nobody.jp/tera/toyura/toyura.html

  「星組」は、飛鳥から斑鳩などへ飛びました。では、「花組」はどうなっ
 たのでしょう。
  飛鳥地域では、豊浦寺や和田廃寺などからも出土していますが、極僅かだ
 とされていて、星組のように明らかな移動の痕跡が辿れないのが「花組」な
 んだそうです。突然消えるか?花組(笑)・・・そんなわけはなくて、ちろ
 ちろと他でも出土していたり、製作技法が似通っているものがあったりと、
 細々とした痕跡はあるらしいんですが、ももは専門家ではないのでそこまで
 詳しくお話できません。(^^ゞ
  その代りといってはなんですが、京都・山背の北野廃寺や高麗寺で、飛鳥
 寺との同笵瓦が出土しています。
(下の画像は、高麗寺出土品としての参考です。飛鳥寺と同笵である確証は得
 ていません。m(__)m)

 高麗寺出土の軒丸瓦(2006年12月2日現地説明会にて)
 http://asuka.huuryuu.com/bunko/phot/siryou/koma-hana-6.12.2.jpg

  北野廃寺は、北山背でも初期に造営された寺院で、創建は渡来系の秦氏だ
 とされています。秦氏は、応神14年に百二十県の民を引き連れて百済から
 やってきた弓月君が祖先だとされています。飛鳥時代には、聖徳太子と親交
 もあり、土木や機織などの技術力を基盤に本拠地の北山背では、かなりの力
 を持っていたと考えられます。

  木津川に面した高麗寺もまた、南山背では早い時期に造営が開始され、こ
 ちらも創建は渡来系の狛氏であろうといわれています。狛氏の渡来の経緯は、
 よくわからないようですが、高麗寺跡からは、渡金された塔の部品(擦官)
 が出土しています。古代においての渡金はかなり高度な技術であり、このこ
 とから、狛氏も鋳造や渡金など金属加工に関する高度な技術を持っていたと
 考えられます。

 高麗寺関連記事(飛鳥遊訪文庫・ももと飛鳥と三十一文字と)
 http://asuka.huuryuu.com/bunko/momo.html#9

  渡来技術力を背景に京都・山背の南北で、力を持っていただろう秦氏と狛
 氏に、蘇我氏は技術面などでの協力を求め、その代わり造寺技術の早期提供
 をした。だからこそ、高麗寺や北野廃寺は、早い段階での氏寺建立が可能と
 なった・・・何ていうのは、考えすぎでしょうか?(^^ゞ

  百済から招来された瓦をはじめとする造寺技術を掌握していたのは、確か
 に蘇我氏だったのでしょう。が、百済からやってきた技術者だけでは、寺院
 を建立することは、不可能だとも思えます。瓦の製作にあたっては、在来の
 須恵器の工人が動員されたとも言われます。技術と人を動かすだけの力があ
 って初めての寺院造営に着手できるんじゃないでしょうか。
  
  話が思いっきり逸れましたが。(^^ゞ
  こんな風に、瓦の同笵関係から浮かび上がってくる氏族や寺院の名を見る
 につけ、よく言われる飛鳥時代の「蘇我氏の専横」という言葉に疑問を持つ
 ももなのです。

  氏族はややこしくて難しくて、トンと理解できないのですが、こうやって
 瓦や寺が絡んでくると、なんだか面白そう♪と思えてしまうのです。(^^ゞ

  ━━━◇『ひとしひとひら』
     http://gpeach.nobody.jp/index.html 


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 〈5〉飛鳥情報
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  外歩きには、暑くてつらい時期になりましたね。飛鳥資料館や橿原考古学
 研究所付属博物館、桜井市埋蔵文化財センターなどの各施設では、恒例の夏
 期(夏季)企画展・特別展などが開催・予定されています。関西の極一部地
 域になりますが、一覧でご紹介しておきます。夏季休暇などの一日を企画展
 観覧にあてられるのは如何でしょうか。
  会期などの詳細は、各公式サイトでご確認下さい。


 ◆飛鳥資料館
  「甦るクメール文明」-世界文化遺産 アンコール遺跡群- 」
  http://www.nabunken.go.jp/asuka/topics04.html#topic63

 ◆大阪歴史博物館
  「難波遷都-大化改新がもたらした難波の変化-」
  http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2009/naniwasento.html

 ◆橿原考古学研究所付属博物館
  「大和を掘る 27」
  http://www.kashikoken.jp/museum/tenrankai/tenrankai-kiji/2009/yamato27/index.html

 ◆葛城歴史博物館
  「當麻曼荼羅縁起絵巻の世界」
  http://www.city.katsuragi.nara.jp/museo_history/summerexhibition2009.html

 ◆京都府埋蔵文化財調査センター
  「第25回 小さな展覧会」
  http://www.kyotofu-maibun.or.jp/event/2009/25syouten.html

 ◆桜井市埋蔵文化財センター
  「平成20年度発掘調査速報50cm下の桜井」
  http://www.city.sakurai.nara.jp/event/event02.html#02

 ◆近つ飛鳥博物館
  「発掘された日本列島2009」
  http://chikatsu.mediajoy.com/2009_summer2/index.html

 ◆奈良市埋蔵文化財センター
  「夏季発掘調査速報展-帯解黄金塚古墳の調査-」(後期)
  http://www.city.nara.nara.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1210123900575&SiteID=0&ParentGenre=1148016308187

 ◆ふるさとミュージアム山城
  「やがて波知須の花となる」
  http://www1.kyoto-be.ne.jp/yamasiro-m/kikakuten/contents.html


┏◇◆◇◆◇◆━━━━━━━━━━
 〈6〉両槻会からのお知らせ
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 ━◆ 事務局からのお知らせ

  事務局から、皆さんへお知らせです。

【飛鳥遊訪マガジンリニューアル】
  60号を期して、飛鳥遊訪マガジンをリニューアルいたします。記事構成
 が若干変わるだけですが、さらに良い物を目指して行きたいと思っています。
 ご期待ください。
  今号までは、第1・第3・第5金曜日に発行していましたが、以後、完全
 隔週の発行とさせていただきます。
  構成は、飛鳥の今をお伝えする巻頭記事「飛鳥時遊録」、4人の先生方に
 よるご寄稿のコーナー、両槻会からのお知らせ、事務局スタッフの飛鳥をキ
 ーワードとしたコラム(1話ないし2話)、飛鳥情報、編集後記になります。
 リニューアルなった飛鳥遊訪マガジンも、どうぞよろしくお願いいたします。

【案山子プロジェクト中止】
  予定していました案山子プロジェクトは、諸事情により中止にさせていた
 だきました。ご期待くださっていた皆さん、申し訳ありません。

【事務局スタッフの変更】
  このたび、スタッフとして活躍していました河内太古・笑いネコの両名が、
 それぞれの事情により、スタッフを外れることになりました。今までの協力
 に、「ご苦労様でした。」の言葉を贈りたいと思います。
  以後は、9名のスタッフとお手伝いをしていただく当日スタッフ4名が力
 を合わせて、ますます良い会にして行きたいと思っています。どうぞ、一層
 のご支援をくださいますようにお願いいたします。

  スタッフ構成
   風人     事務局長
   もも     飛鳥遊訪マガジン担当
   若葉     会計担当
   アジク    アドバイザリースタッフ
   P‐saphire  スタッフ
   TOM    スタッフ
   YUMI   スタッフ
   伏見     スタッフ
   氷月     スタッフ
   せいぶん   当日スタッフ
   ぷーまま   当日スタッフ
   sachi     当日スタッフ
   yuka     当日スタッフ

:::::::::::::::::::::::::::::::::::

 ━◆ 第16回定例会のご案内

  橿原考古学研究所の清水昭博先生・岡田雅彦先生をお招きして、第16回
 定例会を下記日程で開催します。

  開催日  :9月12日(土)  
  演 題 :飛鳥瓦の源流
        ‐百済、新羅、高句麗、そして中国南朝‐
  講 師 :橿原考古学研究所 主任研究員 清水昭博先生
              橿原考古学研究所 岡田雅彦先生
  会 場 :飛鳥資料館講堂 
  開 演 :午後1時30分予定 
  定 員  :40名 
  参加費用:1,000円 (飛鳥資料館入館料別) 

  定例会当日の午前中に、恒例となりました関連遺跡を事前散策として巡る
 予定をしています。今回の事前散策には、講師の清水先生と、同じく橿原考
 古学研究所の岡田雅彦先生が同行して下さいます。貴重なこの機会に、是非
 ご参加下さい。お申し込みをお待ちしております。

 第16回定例会案内ページ
 http://asuka.huuryuu.com/yotei/teireikai-16/yotei-16.html


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 〈7〉編集後記
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  蝉が鳴いてます・・・夏ですね。良い汗をかかなきゃなぁ~と思いながら、
 クーラーの手軽な快適さから逃れられずにいます。ダメですね・・。

  さて、上のお知らせの欄にもありましたが、飛鳥遊訪マガジンが次号から
 リニューアルします♪発行は隔週金曜日、記事も少し整理整頓してみました。
 見やすくなっているとは思うのですが・・・はてさてどうでしょう?(^^ゞ
                              (もも) 

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       発行 :両槻会 http://asuka.huuryuu.com/  
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