2009/07/17
飛鳥遊訪マガジン Vol. 057
◆◇◆◇◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇◆◇◆ ◆◇◆ 飛鳥遊訪マガジン Vol. 057 (2009.7.17.) ◇◆ ◆ 飛鳥好きの貴方に贈るメールマガジンです。 両槻会のイベントもご紹介します。 両槻会 http://asuka.huuryuu.com/ ━━━━━◇━━━━━━━━━━◇━━━━━━━━━━◇━━━━━━━ 暑い毎日が続いておりますが、皆さん元気にお過ごしでしょうか。両槻会 では、7月11日に「飛鳥時代の戦いと武器」と題して、奈良文化財研究所 の豊島直博先生をお招きし、「ー大化の改新の時、蘇我氏はどのような武器 で戦ったのかー」と言う題目で講演をしていただきました。29名の参加者 は皆熱心に武器と言った新しい視点から見た飛鳥時代の話に聞き入っていま した。詳しい内容については、事務局のP‐saphireの方から改めてレポート が出ていますのでそちらをご参照下さい。 さて今回は、飛鳥の発掘調査からその時代を見ていく企画に取り組んでい ただいているゆきさんからの寄稿を初め、事務局からは風人が上記の講演会 の概要を、ももが万葉集に因んだ話と瓦の話の「咲読」を、また理系人間の 見た飛鳥を氷月がお届けします。 明日から3連休の方も多いと思います。20日は「海の日」で国民の祝日 です。世界中で「海の日」の休日があるのは日本だけです。飛鳥時代、海を 越えて新しい文化がどんどん入ってきました。正に文明開化の時代だったわ けです。その時代を懐かしみながら今回のメルマガを楽しんでください。 (TOM) ┏◆━index ━━◆◇◆ 〈1〉寄稿 ・・・ ただ今、飛鳥・藤原修行中! / ゆきさん -------------------------------------------------------------------- 〈2〉飛鳥話 NO.1・・・ 風人の飛鳥ぶらぶら散歩 / 真神原風人 -------------------------------------------------------------------- 〈3〉飛鳥話 NO.2・・・ ももと飛鳥と三十一文字と / もも -------------------------------------------------------------------- 〈4〉飛鳥話 NO.3・・・ 飛鳥を氷月の目で見れば / 氷月 -------------------------------------------------------------------- 〈5〉飛鳥咲読 / もも -------------------------------------------------------------------- 〈6〉飛鳥情報 -------------------------------------------------------------------- 〈7〉両槻会からのお知らせ -------------------------------------------------------------------- 〈8〉編集後記 -------------------------------------------------------------------- ┗━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━ ┏◆━━━━━━━━━━ 〈1〉ただ今、飛鳥・藤原修行中! / ゆきさん ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━ 「石神遺跡の瓦葺建物(2) -石神遺跡第21次調査から-」 斉明朝の石神遺跡は、斉明天皇の迎賓館ですから宮殿施設にあたります。 宮殿施設で瓦を葺くのは、日本では藤原宮が最初です。それまでは、瓦葺き といえばお寺だけでした。ただし藤原宮以前にも宮殿を瓦葺きにしようと試 みた例があり、『日本書紀』に斉明天皇が655年に小墾田宮を瓦葺にしよ うとして頓挫したという記載があります。 当初、石神遺跡21次調査から瓦が出土した際に、真っ先に思い浮かんだ のがこの記事でした。小墾田宮については、従来は飛鳥寺左岸の明日香村豊 浦にある古宮土壇周辺とする説が一般的でしたが、現在では発掘調査の成果 によって飛鳥川右岸の雷丘の東側周辺にあったことがほぼ確実視されていま す。また、小墾田の地名に関しても、飛鳥宮跡の北側一帯を指す可能性が高 く、従って石神遺跡も小墾田の範囲内に入ると考えられます。こういった意 味でも、石神遺跡の瓦=小墾田宮の瓦葺き建物はとても魅力的なアイデアで した。 しかし、ここを小墾田宮の瓦葺き建物にするには、出土する瓦の年代がど うしても655年とは合致しません。655年といえば、百済大寺や山田寺 の造営が既に開始しています。これらの寺で使われる丸瓦は、明らかに石神 遺跡から出土する丸瓦より新しい技法を用いて製作しています。 ここで、少し話が逸れるかもしれませんが、古代の丸瓦の話をしたいと思 います。 古代の丸瓦は丸太を芯にして、それに粘土を巻きつけて筒状の粘土円筒を 作り、それを半分に割って作っています。丸瓦には、丸瓦を組ませるための ソケット部があるものとないものとがあって、ソケットがあるものを玉縁式、 ソケット部がなくて筒状のものを行基式と呼んでいます。 玉縁式と行基式 http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/57/gyoukisiki-tamabutisiki.gif 石神遺跡出土の丸瓦はほとんどが玉縁式ですが、この丸瓦はまず丸太に粘 土を巻きつけて筒状の粘土円筒を作った上で、玉縁部(ソケット部分)を貼 り足しています。この技法は、飛鳥寺の創建瓦と共通する古い技法です。し かし、百済大寺に比定される吉備池廃寺や山田寺以降の瓦は、少し極端な表 現ですが、芯となる丸太が芯の折れた鉛筆の様な形をしていて、筒部から玉 縁部まで同時に作れるように工夫されています。玉縁を別に作っているか、 筒部から玉縁まで一緒に作っているかは、玉縁部の内面に布目があるかどう かで見分けられることが多いです。すなわち、布目のないものが玉縁だけ別 作り、あるものが玉縁と筒部同時製作となります。 このように飛鳥の丸瓦の製作技法は、吉備池廃寺以前と以降では大きくこ となっており、そのなかでも石神遺跡の丸瓦は古い技法で作られたといえま す。 このことからも、石神遺跡の瓦は少なくとも、百済大寺(639年造営開 始)や山田寺(641年造営開始)よりも古いと考えることができます。従 って石神遺跡の瓦は、残念ながら655年の小墾田宮の瓦葺き建物ではなさ そうです。 (つづく) ┏◇◆━━━━━━━━━━ 〈2〉風人の飛鳥ぶらぶら散歩 / 真神原風人 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━ 第15回定例会が、7月11日、無事終了しました。講師として興味深い お話をしてくださいました豊島先生、ご参加くださいました皆さん、ありが とうございました。おかげさまで楽しい定例会となりました。 10時10分の集合時間には、散策参加者も全員集合していただけ、予定 通りの時間に出発することが出来ました。週間天気予報では、雨の確立が高 かったのですが、青空も覗く良い天気になりました。初期の両槻会定例会は、 雨(大雨)に悩まされることが多かったのですが、昨秋あたりから、好天が 続いています。きっと、私達の熱意が天にも通じたのかと思っておきましょ う。(^^) 雨は大丈夫でしたが、その分気温が高く、汗だくの散策となりました。途 中リタイアの方もいらっしゃって、ウォーキング設定の難しさを感じました。 事務局も、一層その点を注意しなければならないと思います。 高松塚古墳・甘樫丘東麓遺跡・石神遺跡では、若干のご説明をさせていた だきました。伝えられなかったこともあったと思いますが、そこはアマチュ アですので、寛大にお願いします。 さて、本日のメインイベントである講演会のお話です。講師を引き受けて くださいました、奈文研の豊島直博先生は、落ち着いたゆっくりとした語り 口調で、とても聞き取りやすく、理解の助けとなりました。講演のテーマは 「飛鳥時代の戦いと武器」、主に刀剣と鉄鏃のお話です。 豊島先生がキトラ古墳出土刀装具のレプリカや、銀装黒漆塗大刀や黒作大 刀の復元レプリカ、石神遺跡出土の鉄鏃などをお持ちくださいました。実際 に間近に見ることが出来る機会は、ほとんどありません。定例会は、その貴 重な体験が出来ました。写真では分からない、実際の大きさ、重さ、質感。 参加の皆さんにも間近に見ていただくことが出来て、本当に嬉しく思いまし た。こんな素晴らしい経験をさせてくださった豊島先生に、感謝する他はあ りません。 講演会風景 http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/57/15-kouen.jpg -大化改新の時、蘇我氏はどのような武器で戦ったのか-というサブタイ トルに関連してお話いただいた、双竜環頭大刀の種類とその分布。それに重 なる蘇我氏の勢力範囲との関連は、とても興味深いものでした。さらに質疑 応答の中から出た鉄の生産・製鉄地との関連も、一層興味を深めるお話に発 展して行きました。出雲・美作地域は、蘇我氏との関連の深い地域だったの でしょうか。 双竜環頭大刀は、650年ごろに消滅するのだそうです。双竜環頭大刀は、 蘇我氏がその権力を誇示するために、その象徴として生産し、地方豪族に与 えていたのかも知れませんね。先生のお話は、今まで考えもしなかった知識 を与えてくださいました。乙巳の変の時に、入鹿が俳優(わざひと)に預け た大刀は、豪華な装飾を施された「双竜環頭大刀」であったのでしょうか。 想像は膨らむばかりです。 大刀以外にも、鏃のお話から、入鹿や蝦夷が弓を持っていたならという仮 定で、モデルとなりそうな物を紹介してくださいました。それは、牧野古墳 から出土した物で、鏃の付け根の方に「反り(かえり)」のある物でした。 武器だけでなく、防具としては、挂甲という鉄の短冊のようなパーツを綴 り合せたタイプの物を示されました。 今回のテーマ・サブテーマに合わせて、まとめてみます。 蘇我氏は、双竜環頭大刀と特殊な弓矢を武器として、挂甲を着用していた と言うことになります。 一般の兵士は、黒漆塗り方頭大刀、通常の弓矢で武装していたと推測され ます。蘇我邸を守ったとされる東漢氏は、このような武装だったのでしょう か。 第15回定例会では、今まで知らなかった視点の飛鳥を見ることが出来ま した。最後に、このような興味深い講演をしてくださいました、奈良文化財 研究所 主任研究員 豊島直博先生に、心よりの感謝を捧げたいと思います。 ありがとうございました。 なお、定例会の様子や当日配布しました資料は、両槻会サイトにアップし ています。どうぞご覧下さい。 ━━━◇『飛鳥三昧』 http://sanzan.gozaru.jp/ ┏◆◇◆━━━━━━━━━━ 〈3〉ももと飛鳥と三十一文字と / もも ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━ 10日前の七夕の夜、牽牛と織女が無事逢えただろうか・・・と、空を見 上げた方もいらっしゃると思います。お天気は、やっぱりイマイチでしたね。^^; さてこの七夕伝説、川を挟んで住む二人、間に横たわる天の川を一体どうや って渡っていると皆さんは想像なさっています? 百人一首に、大伴家持の次のような歌があります。 かささぎの渡せる橋におく霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける (6) この歌自体は、七夕を詠んだものではありませんが、「増水で川が渡れな くなったことを嘆く織女を見て、かわいそうに思った天のカササギが自ら橋 となった」と言う中国の伝承を踏まえた歌だそうです。(中国では、川を渡 るのは織女) カササギは、背や尾が黒っぽくてお腹が白い為に、その群れを下から見る とまるで橋を掛けたように見えるんだとか。カササギって、ご存知ですか? σ(^^)は、わかりません。(^_^;) このカササギ、中国では馴染みのある鳥 のようですが、日本には一部地域にしか生息していないようです。あらま。 ですが、この「カササギの橋」の話は、当時の貴族には当たり前の知識だっ たのでしょうね。 また、旧暦の7月7日(新暦だと、今年は8月26日)は、お月様が下弦 の月になるので、これを舟に見立て、天の川には渡しが現れるとも考えられ たようです。(実際には、月が牽牛(アルタイル)と織女(ベガ)の間を通 ることはないそうですが。) 万葉集には、130首を超える七夕の歌があります。牽牛と織女が年に一 度だけ逢うための方法は、徒歩、舟、橋など様々に描かれています。今回は この中から「橋」を抜き出してみようと思います。なぜに橋?って? 歌数 が一番少ないんです。^^; 天の川棚橋渡せ織女のい渡らさむに棚橋渡せ(10-2081) ― 天の川に棚橋を渡そう。織女が渡ることのできるように。 この「棚橋」は、辞書によると「仮の橋」または「棚板のように岸にのせ ただけの橋」となっています。一夜限りの逢瀬の橋は仮の橋で充分、いや、 仮の橋でないと意味がないのかもしれませんね。で、七夕に関係する橋は、 この「棚橋」以外には、 機物のまね木持ち行きて天の川打橋渡す君が来むため(10-2062) ― 機織の踏み板を持って行って天の川に打橋を渡しましょう。 貴方が来られるように。 織女は、“まね木”(機織り機の踏み板)で橋を架けます。毎日仕事に使 っている機織り機の一部を橋に転用するんですから、これに勝る仮の橋はな いでしょうね。 「打ち」には、「ちょっと・軽く」なんていう意味もあるんだそうですか ら、「打橋」には「ちょっと簡単に渡した橋」という意味もあるのかもしれ ません。とすると、「打橋」も「棚橋」もどちらも似たような「ささっと架 けられる橋」ということになります。 万葉集中で「橋」が詠まれたものは25首を越えるんですが、「棚橋」と 言うのは、七夕関係の歌の中に2首あるだけです。タナバタとタナハシ。こ の音の響き・・何か意味があるのか?と思わず考えてしまいませんか?織女 が棚機津女(タナバタツメ)と呼ばれたことに関係するのかとも思えるので すが。どうでしょう? また、「打橋」の方は、七夕以外の歌にも出てきます。有名なところでは、 柿本人麻呂が明日香皇女の死に際して詠んだ 飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 石橋渡す 下つ瀬に 打橋渡す・・・ (2-196) があります。ここに出てくる「石橋」は、石製の頑丈な橋のことでではなく、 飛鳥・稲淵にある飛び石のように浅瀬に石を並べたものをいいます。 この他、万葉集には「継橋」「舟橋」「浮橋」などの橋も出てきます。が、 これらもみな先の三つの橋と同じような簡易な橋になります。 はて?万葉時代の橋は、こんな簡易な橋ばかりだったのでしょうか。とい うことで、七夕から始まるももの橋探しは、次回につづく・・・か?(^_^;) ━━━◇『ひとしひとひら』 http://gpeach.nobody.jp/index.html ┏◇◆◇◆━━━━━━━━━━ 〈4〉飛鳥を氷月の目で見れば / 氷月 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━ 前回は、2009年7月22日の皆既日食の紹介と、日本最古の日食記事、 推古天皇36年3月2日(西暦628年4月10日)の紹介をしました。今 回は、飛鳥時代の天文学について紹介したいと思います。 <飛鳥時代の天文学の流れ> すべての天文記事の中で日本最古のものは垂仁天皇12年8月の流星の記 録ですが、天文学の知識に基づく記事が書かれるようになったのは飛鳥時代 以降です。以下に、日本天文史上で重要な出来事を並べてみます。 欽明天皇14年(西暦553年):朝廷が百済に対して卜書(うらのふみ)、 暦本(こよみのためし)を送るよう要請。これをうけて暦博士、易博士、医 博士が来日。 推古天皇10年(西暦602年):百済僧の観勒が来日。暦本、天文地理書、 遁甲方術の書が献上され、学生がそれらを学び始めた。 舒明天皇4年(西暦632年):留学していた僧旻が唐より帰る。以降、彼 が天文に関する助言を行った様子が日本書紀中に見られるようになる。 天武天皇4年(西暦676年):占星台を興す。天文観測や暦作成を専門と する組織『陰陽寮』の名が、日本書紀中に見られるようになる。 日本の天文史はまず、天文学と関わりの深い、占いと暦学に関する知識の 輸入から始まります。その後、推古天皇の時代に天文地理書が入り、それを 学ぶ者や、唐の天文知識を持ち帰って助言する留学僧が現れ、日本書紀中の 天文記事の量が増えていきます。そして天武天皇の時代になると、天文の専 門家が国で定められ、天文観測が定期的に行われるようになるのです。 こうやって日本天文学の黎明を見てみると、他の知識や技術と同様、天文 学も百済経由で中国の知識を輸入したのが始まりであることが分かります。 <飛鳥時代の天文学の位置付け> 飛鳥時代に始まりを持つ日本の天文学ですが、当時の天文学の位置付けは どんなものだったのでしょうか。それは天武天皇の時代に明確になります。 彼は国家事業として観測を行う占星台を作り、天文異変を報告させていまし た。これは、当時の中国の天文に対するスタンスを引き継いだものです。 当時の中国の天文に関する考え方はこうです――天子や国家の運命には天 の意思が関わっており、その意思は天文現象にあらわれる。もし天子の死、 反逆、兵乱などの政治的な異変があれば、その前触れとして天文異変が起こ る。――天武天皇はこの考えに基づいて天文を公の事業として整備し、個人 の為ではなく、国家の命運を占う目的で天文観測を行ったのです。もともと 彼は天文に興味を持っており、天文異変を元に自ら国の行く末を占った事も あるそうですから、いち早く天文の重要性に気付き、整備したのかもしれま せん。 <当時の日食に対する考え方> 次に、日食が、飛鳥時代の人々にとってどのような意味を持っていたか、 それを探ってみます。直接的に知ることのできる史料は残されていませんが、 推測する手がかりが残されています。 中国で西暦648年に編纂された『晋書』の天文志は、当時の中国や日本 の天文知識の拠り所とされていたものであり、陰陽寮の学生が学ばなければ ならない天文書でした。その中には『日食時に国家行事が行われば君主に咎 めがある』と書かれてあるそうです。 また、時代は少々下りますが、天平宝字元年(西暦757年)に施行され た養老律令では次のように定められています――『日食については、陰陽寮 が予測して前もって報告すること。日食当日は、天皇は政務を行わない。臣 下はそれぞれの本司を守ること。事務を行わずに時を過ごし、日食が終わっ たら退出すること』。 すなわち、日食は国の一大事。息を殺して日食をやり過ごさなければ君主 に災いがふりかかる、というわけです。 <記録の中の日食記事の多さとその原因> 数ある天文現象の中でも、日食は重大な現象だったのでしょう。飛鳥時代 の天文記事の半分以上が日食記事になっています。しかし、その記事のうち の大半で、実際に日食が起こっていないのです。これは一体どういうことで しょう? 古天文学の研究によると、持統天皇4年(西暦690年)以降に日食予報 が始まったとされています。規則通りに当日政務を行わない為には、あらか じめ日食の日を知っておく必要があり、その為に陰陽寮が計算し、予報を行 ったのです。ただし、その予報の仕方は少々大雑把でした。当時の方針とし て、多少外れてもいいから…ということで、日食の可能性のある日を多めに 予測しています。そうすることで、予想外の日に日食が起こる可能性を減ら せるわけです。 そして、記録の中に出てくる日食の多くが実際に起こっていない理由―― 実は、記事に出てくる持統天皇4年(西暦690年)以降の飛鳥時代の日食 記事は、すべて出された予報をそのまま書いただけなのです。 そんな適当な記事でも、細かく見てみると面白いことが分かります。持統 天皇4年(西暦690年)から和銅3年(西暦710年)までに20回もの 日食予報が出されていますが、そのうち飛鳥で実際日食が起こったのはたっ たの4回。しかし、広い目で見て、地球上のどこでもいいから実際に日食が 起こった回数にすると19回(飛鳥での日食も含む)。的中率がぐんと上が るのです。 どうやらこの時代、日食が起きる日にち自体はおおよそ予測できていたら しいです。ただ、日食が起こる場所まではうまく特定できず、結果、飛鳥の 地で予測通りに日食が起きる日が少なかったのです。 天文学の先生方は、この飛鳥時代の日食予測的中率を散々だったと書いて います。が、日食が起きる日自体は精度よく計算できていたわけで、素人の 私から見れば、それだけで当時の天文学の知識の高さをそれなりに感じるの ですが…はてさて、どうでしょうか。 <推古天皇36年の日食> 話はこの辺りにして、最後に、推古天皇36年の日食に戻ってみましょう。 当時の天文学の実情を知った上で想像すると、また違った想像ができそうな 気がしませんか? 推古天皇の死の床に突然現れた日食。5日後に亡くなる天皇。その後にも 続く天変。 あるいは、飛鳥時代の天文学に思いを馳せてみるのはどうでしょう? そうして眺める7月22日の日食は、一味違った思い出になるかもしれま せん。 ┏◆◇◆◇◆━━━━━ 〈5〉 飛鳥咲読 / もも ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━ 大好きな古代瓦の話を書いても良いぞ♪と言うことで、第16回定例会の 咲読担当になったももです。全部で5回、ももなりに瓦のお話を出来たらと 思います。お付き合いよろしくお願いします。(^^) さて、今では極当たり前に目にする瓦屋根ですが、瓦が一般にも普及した のは、江戸時代に「桟瓦」という簡易な瓦が開発されてからだそうです。そ れまでは、丸瓦と平瓦で葺き上げる本瓦葺きだったために、建物の荘厳や権 威を現す道具のひとつとして、寺院や城郭などでの利用が殆どだったようで す。 参考画像:丸瓦と平瓦と桟瓦の関係 http://asuka.huuryuu.com/bunko/phot/siryou/image1.gif なんてことを言ったって、所詮土から出てきたただの土くれの古代瓦。色 気も無いし、出土品のサダメで時には欠けていたりもします。「かわら?」 「何それ?」「あんな屋根にのっかってるだけのもんの何が面白いねん!」 と思われる方がたぶん大半を占められるんでしょうね。^^;「瓦と鏡をテ ーマにすると人が来ない」と展覧会などではよく言われたりするそうですが。 むぅ・・・。 でも、これがもし古代瓦ではなく、道端に咲く花だとしたら?(話の展開 が物凄く強引。^^;) 道端に咲いている花を「何かな?」なんて、眺めますよね。遠くてよく分 らないときは、色や形を手掛かりに花の名を思い出そうとしますよね。花に は詳しくないけど、とおっしゃる方でもタンポポやレンゲ、蓮や桜の違いは お分かりになると思いますし、季節から花の名へと思いが巡ることもあると 思うのです。 そうなんですよ!そういう風に瓦にもちょっとだけ目を向けていただけた ら。そうすれば、無粋なただの土くれの瓦も、少しは喜ぶというもんです。 古代日本で最初に瓦が使用されたのは、飛鳥寺。これは、皆さんも良くご 存知だと思いますし、百済から瓦博士がやってきていることも有名な話です。 彼らの指導で、古代日本の造瓦は始まったとされています。 古代の瓦には、花のような文様が施されている箇所があります。軒丸瓦と 呼ばれるものの一部分で、現地説明会などで、出土遺物として机の上に並べ られていたりする円形のアレです。「〇〇式」とか「△△窯産」なんていう 名札があったり、時には「XX時代」なんていうひどく大雑把な扱いを受け ていたりします。(XX時代のいつ頃やねん!と、心の中で叫んだりしてい るのは内緒です。(笑)) ま、かなり語弊はありますが、この円形の部分を「土の造花」だと思って もらうと、いくらか分かりやすいと思います。(え?思えないって?^^; そこを何とか・・(^^ゞ)この「土の造花」の部分を「瓦当(ガトウ)」と 呼びます。瓦当は花のように鮮やかな色を持たないものが殆どですが、それ ぞれの時代に寺院や宮などの軒先を飾りました。そして、その文様は、時代 や地域、場所などによって様々です。軒先に面を揃えて、ずらーーっと並ぶ 花の模様。綺麗♪・・・なんて思うのは、やっぱりσ(^^)ぐらい?^^; 花には、花びらをはじめ、オシベ、メシベ、ガクなんていう部分名があり ますよね。紫陽花の花だと思っている部分が実はガクなんだよ!と教えて貰 っても、この呼び名を知らないと意味は通じません。それと同じで、土の花 (瓦当)にもそれぞれの箇所に当然名前がついています。例えば、花びらに あたるところは「蓮弁(レンベン)」と呼び、「葉(ヨウ)」または「弁 (ベン)」とあらわされ、蓮弁が8枚あれば「八葉(ハチヨウ)・八弁(ハ チベン)」となります。(この咲読中では「葉」で統一させて頂きます。) その他の各部分の名称についてご興味のある方は、参考画像をご覧ください。 参考画像:瓦当の各部名称(現・四天王寺軒丸瓦瓦当) http://asuka.huuryuu.com/bunko/phot/siryou/gatoumei.jpg こんな名称を知らなくても、パッと見の文様だけでも、瓦は楽しいです♪ 次回からは、ぼちぼちそんな話をさせて頂こうかと思います。(^^) さて、末尾になってしまいましたが、第16回定例会の講師をして下さる 橿原考古学研究所の清水先生のご紹介をさせて頂きます。 清水先生は、古代日本の瓦は言うに及ばず大陸や韓半島の瓦やセン仏の研 究もされておられます。以前、講演会に参加させていただいた折りには、私 の素朴な疑問にもとても丁寧にお答えくださいました。定例会では、古代日 本の瓦やその技術がどういう過程で、どのように伝わり広まっていったのか をきっと楽しく聞かせていただけると思います。また、今回の定例会では、 事前散策にもお付き合いくださいます♪ そして、もうお一人、橿原考古学研究所の岡田雅彦先生も全行程ご一緒し てくださいます。σ(^^)の我儘にお付き合い下さった両先生には、感謝の言 葉もありません。有難うございます。m(__)m 第16回定例会、皆さんもご一緒しませんか? お申し込みお待ちしてお ります。(^^) ━━━◇『ひとしひとひら』 http://gpeach.nobody.jp/index.html ┏◇◆◇◆◇◆━━━━━━━━━━ 〈6〉飛鳥情報 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━ ◇━ 大和を掘る27 橿考研付属博物館恒例の「大和を掘る」の27回目、いよいよ明日から始 まります。2008年度に奈良県内において発掘調査された遺跡の中から選 ばれた38遺跡の出土遺物や調査写真パネルが展示されます。 「大和を掘る27」 会 期:7月18日(土)~ 9月6日(日)(月曜休館) 橿原考古学研究所付属博物館公式サイト http://www.kashikoken.jp/museum/top.html ::::::::::::::::::::::::::::::::::: ◇━ 連続ミニ展示 ・所長トーク 2010年の平城遷都1300年祭の開催にあわせて、平城京などから出 土した奈良時代の遺物展示、それに関連するトークショーが、7回に渡り企 画されています。 今回は、現在行われているミニ展示と明日開催されるトークショーのご案 内です。 「菅谷所長と語る!平城京とその時代」 第1回ミニ展示「まつりといのり」 会 期 : 7月4日(土)~7月26日(日) 入館料 : 無料 会 場 : 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館 講座室 所長トーク 第1回 : 7月18日(土) 「絵馬について語る」 菅谷橿原考古学研究所所長VS清水昭博氏 会 場 : 橿原考古学研究所1階講堂にて、 時 間 : 13:00~14:30(聴講無料) 第一回ミニ展示「まつりといのり」 http://www.kashikoken.jp/museum/top-koushin/tenrankai/images/1300ura.pdf 「菅谷所長と語る!平城京とその時代」 http://www.kashikoken.jp/museum/top-koushin/tenrankai/images/1300omote.pdf 橿原考古学研究所付属博物館公式サイト http://www.kashikoken.jp/museum/top.html :::::::::::::::::::::::::::::::::: ◇━ その他開催中の夏の企画展など ☆「平成21年度 夏季発掘調査速報展-帯解黄金塚古墳の調査-」 奈良市埋蔵文化財センター 会 期 : 前期 7月31日(金)まで 後期 8月10日(月)~8月31日(月) 時 間 : 9:00~17:00 入館料 : 無料 休館日 : 土曜日・日曜日・祝日 会場 : 前期 奈良市埋蔵文化財調査センター 展示室前ロビー 後期 奈良市役所 玄関ホール(南入口展示コーナー) 奈良市埋蔵文化財センター http://www.city.nara.nara.jp/icity/browser?ActionCode=genlist&GenreID=1148016308187 ☆「やがて波知須の花となる」 ふるさとミュージアム山城 会 期 : 8月23日(日)まで 時 間 : 9:00~16:30 入館料 : 一般200円(特別展 250円) 休館日 : 毎週月曜日(月曜日が祝日等の場合は、翌火曜日) ふるさとミュージアム山城 http://www1.kyoto-be.ne.jp/yamasiro-m/ ☆「平成20年度発掘調査速報50cm下の桜井」 桜井市埋蔵文化財展示室 会 期 : 10月4日(日)まで 時 間 : 9:00~16:30(入館は16:00まで) 入館料 : 一般200円、小・中学生100円 休館日 : 毎週月・火曜日および祝日の翌日 平成20年度発掘調査速報50cm下の桜井 http://www.city.sakurai.nara.jp/event/event02.html#02 ☆「當麻曼荼羅縁起絵巻の世界」 葛城歴史博物館 会 期 : 7月18日(土)~8月23日(日) 時 間 : 9:00~17:00(入館は16:30まで) 入館料 : 一般200円 休館日 : 毎週火曜日、第2・4水曜日 葛城市歴史博物館 http://www.city.katsuragi.nara.jp/museo_history/index.html ┏◆◇◆◇◆◇◆━━━━━━━━━━ 〈7〉両槻会からのお知らせ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━ ◇━ 第15回定例会のご報告 7月11日(土)に、第15回定例会「飛鳥時代の戦いと武器」―大化改 新の時、蘇我氏はどのような武器で戦ったのか?― を無事終了しました。 暑い中ご参加下さった皆さん、有難うございました。 定例会当日のレポートと散策時に配布しました資料を、両槻会サイトにU Pしました。ご参加くださった皆さんは勿論のこと、ご参加頂けなかった皆 さんにも充分雰囲気を味わっていただけると思います。 今回は、貴重な考古資料を間近に拝見する機会にも恵まれました。 講師の豊島先生には、重ねてお礼を申し上げます。m(__)m 第15回定例会レポート http://asuka.huuryuu.com/kiroku/teireikai-15/teireikai15-3.html 第15回定例会 散策資料 http://asuka.huuryuu.com/kiroku/teireikai-15/teireikai15-1.html 資料集 飛鳥時代の戦いと武器の記録(年表) http://asuka.huuryuu.com/kiroku/teireikai-15/teireikai15-2.html また、当日ご回答いただいたアンケートも集計しています。ご協力下さっ た皆さん、有難うございました。 第15回定例会アンケート集計ページ http://asuka.huuryuu.com/kiroku/teireikai-15/teireikai15a.html ::::::::::::::::::::::::::::::::::: ━◆ 第16回定例会のご案内 橿原考古学研究所の清水昭博先生・岡田雅彦先生をお招きして、第16回 定例会を下記日程で開催します。 開催日 :9月12日(土) 演 題 :飛鳥瓦の源流 ‐百済、新羅、高句麗、そして南朝‐ 講 師 :橿原考古学研究所 主任研究員 清水昭博先生 橿原考古学研究所 岡田雅彦先生 会 場 :飛鳥資料館講堂 開 演 :午後1時予定 定 員 :40名 参加費用:1,000円 (飛鳥資料館入館料別) 定例会当日の午前中に、恒例となりました関連遺跡を事前散策として巡る 予定をしています。今回の事前散策には、講師の清水先生と、同じく橿原考 古学研究所の岡田雅彦先生が同行して下さいます。この機会、是非ご参加下 さい。お申し込みをお待ちしております。 第16回定例会案内ページ http://asuka.huuryuu.com/yotei/teireikai-16/yotei-16.html ┏◇◆◇◆◇◆◇◆━━━━━━━━━━ 〈8〉編集後記 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━ 頂いたアンケートの集計にレポートのUPにと、皆さんへのご報告を終え て、これで無事、事務局の第15回定例会が終わりです。ふぅー。(って、 私がしたわけではありませんが。(笑)) と言うことで、事務局は次の定例会の準備に入ります。今号の咲読にも登 場させて頂いたこのσ(^^)が担当ということになってます。・・・ので、こ んな所でも宣伝を。(笑) 次回は、講師にお二人の先生がおいで下さる、 とっても贅沢な定例会になっています。両槻会初のダブルキャストです♪(^^) お申し込みをお待ちしています♪ (もも) ┏━━◆◇◆━━━ ━━━ ━━━ ━━━ ━━━ ━━━┓ 発行 :両槻会 http://asuka.huuryuu.com/ 飛鳥遊訪マガジンへのご意見ご感想は、 http://form.mag2.com/viuounelio または asukakaze2@gmail.com 両槻会事務局まで 登録/解除は http://www.mag2.com/m/0000259444.html 発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ ┗━━━ ━━━ ━━━ ━━━ ━━━ ━━━◇◆◇━━┛ …─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


