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2009/06/05

飛鳥遊訪マガジン Vol. 053

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◇◆◇◆
◆◇◆       飛鳥遊訪マガジン Vol. 053 (2009.6.5.)
◇◆
◆         飛鳥好きの貴方に贈るメールマガジンです。
           両槻会のイベントもご紹介します。

                           両槻会 http://asuka.huuryuu.com/
                               
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  6月に入り、梅雨入り間近か?というような不安定な天気が続いています。
  飛鳥の田圃にも水が入り、早いところでは早苗が風に揺れ、晴れ間には水
 面に日の光が眩しかったりしますね。
  今回の飛鳥話1では、古老の(笑)太古が稲作のお話を、飛鳥話2では、
 TOMが「持統天皇」について熱く語っています。
  第15回定例会に向けての飛鳥咲読も3回目に入り、風人の武器・武具談
 義もいよいよ核心に...「矛」に「槍」まではついていけますが、「牟」
 に「胡祿」etc.と平和愛好者のネコにはチンプンカンプンの道具達がゾ
 ロゾロ!!皆さんも、覚悟して風人の知識と一戦交えて下さいませ。(笑)
  寄稿はゆきさんの2回目です。前回はご挨拶でしたが、いよいよ今回から
 は本番のお話。どんなお話が出てくるか、お楽しみに♪
  山の緑が濃くなり、あちこちの草地にはシロツメクサやニワゼキショウの
 群生が見られるこの時期、甘樫丘や祝戸公園からの眺めもなかなかのもので
 す。天気予報が...などとおっしゃらずに、しっかり雨対策をして飛鳥散
 策を楽しんで下さい。             (笑いネコ)

┏◆━index ━━◆◇◆

 〈1〉寄稿    ・・・ ただ今、飛鳥・藤原修行中! / ゆきさん
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 〈2〉飛鳥話 NO.1・・・ 季節で巡る太古の飛鳥     / 河内太古 
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 〈3〉飛鳥話 NO.2・・・ TOMの飛鳥ほろ酔いがたり  / TOM
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 〈4〉飛鳥咲読                          / 真神原風人 
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 〈5〉飛鳥情報 
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 〈6〉両槻会からのお知らせ 
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 〈7〉編集後記
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 〈1〉ただ今、飛鳥・藤原修行中! / ゆきさん 
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「石神遺跡の瓦葺建物(1)  −石神遺跡第21次調査から−」

  奈良文化財研究所では去年の10月から今年の3月にかけて石神遺跡第21
 次調査が行われました。調査では石神遺跡の東限施設、瓦葺建物に伴うとみ
 られるクランクする溝、天武朝から藤原宮にかけての総柱建物などが検出さ
 れました。このメールマガジンを読んでおられる方の中には、2月に実施し
 た現地説明会にいらしてくださった方もたくさんおられると思います。

 現地説明会資料
 http://repository.nabunken.go.jp/modules/xoonips/detail.php?item_id=1214

  その速報展示が奈良文化財研究所の飛鳥・藤原地区の資料展示室で現在行
 われていますが、展示をご覧になった方はあれっと思われたかもしれません。
 そうです。現地説明会後の調査の結果、記者発表当時とは少し見解が変わっ
 ています。斉明朝(7世紀中頃)とされていた瓦葺建物にともなう溝の年代
 が7世紀前半まで古くなりました。これは、溝から出土した瓦の年代が明ら
 かに斉明朝よりも古いことと、溝を壊して石神遺跡の東限施設の柱穴が掘ら
 れていることが確認されたためです。この溝に関しては、斉明朝の迎賓館は
 瓦葺きと大々的に報道されたので、年代がかわってしまったことは我々とし
 ても少し手痛い出来事となってしまいました。また、一般の方々に対しても、
 現説以降の調査で新たに判明したことはなかなかお知らせする機会がないの
 で申し訳なく思っています。その罪滅ぼしにはならないかもしれませんが、
 今回はこの石神遺跡の瓦についてお話したいと思います。

  石神遺跡から瓦が出土することはこれまでの調査からも知られていました。
 特に南部分(石神3次・4次)では60点以上もの軒丸瓦が出土しています。
 出土する軒丸瓦の多くは「奥山廃寺式軒丸瓦」と呼ばれる、明日香村奥山に
 ある奥山廃寺出土軒丸瓦を標式とする軒丸瓦です。蓮弁は8枚、弁の形は剣
 菱形のシンプルな素弁で、先端に点珠と呼ばれるポッチがついています。
  現在、奥山廃寺式軒丸瓦の年代はおおよそ620〜630年代に位置づけ
 られています。飛鳥寺創建の軒丸瓦と比べて文様構成が少し新しい要素をも
 つ反面、軒丸瓦と丸瓦の製作技法は共通しているからです。
  今回、石神遺跡の調査で出土した瓦の中には軒丸瓦の顔部分はありません
 でしたが、軒丸瓦の丸瓦部分と丸瓦、平瓦が出土しています。その製作技法
 の特徴を検討すると、奥山廃寺式軒丸瓦のそれと合致することが判明しまし
 た。従って、石神遺跡から出土した瓦も620年〜630年代に製作・使用
 されたと考えられます。

  しかし、620年〜630年代といえば推古天皇、もしくは舒明天皇の時
 代にあたります。従って、斉明天皇の饗宴施設とされる石神遺跡の年代より
 も明らかに古く、迎賓館に葺かれた瓦ではありません。では、石神遺跡の瓦
 は何の建物に使用された瓦なのでしょうか。     (つづく)

 参考文献
 花谷浩2004「石神遺跡の瓦」『奈良文化財研究所紀要2004』奈良文化財研究所
 http://repository.nabunken.go.jp/modules/xoonips/detail.php?item_id=734


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 〈2〉季節で巡る太古の飛鳥     / 河内太古 
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「稲作のくらし」

  先日、大和郡山市矢田町にある「奈良県立民族博物館」に出かけてきまし
 た。常設展の「大和のくらし」をもう一度ゆっくりと見学してみたくなった 
 からです。

 奈良県立民族博物館
 http://www.pref.nara.jp/bunkak/minpaku/index.html

  往古から稲作りが人々の暮らしの中心で、稲作りとともに1年があり、稲
 作りとともに一生があった、そんな人々の暮らしの足跡を、展示物を通して
 思い起こしたいという気になりました。

  稲作を中心とする農事に関わる用具や諸行事は、長く人々の暮らしの中に
 組み込まれ、今もあまり姿かたちを変えず使用され、守り伝えられているも
 のもありますが、多くは急速な都市化と省力化の波の中で、伝統的な用具や
 生活様式も大きく変わり、祭事の簡略化、形式化が進んでいます。祭事も担
 い手となる後継者が少なくなり、継続そのものも危ぶまれるものも数多くあ
 ると思われます。

  生まれ育った環境にもよるでしょうが、おそらく昭和30年代までに幼少
 期にあった太古の年代は、まだ、展示物の用具や生活様式がわずかに記憶に
 残っていますし、一部には使用した体験もありますが、次第に記憶にない生
 活文化財としてしか見れない時代が来るのでしょうね。

  両槻会定例会での歓談で太古がよく「昭和30年代まではまだ江戸時代だ
 った」と極端なことを言っては、奇異に感じられた方も多いかと思いますが、
 今振り返っての実感としては、自給自足の循環型社会がまだ少しは身近に機
 能して生きていたような気がするからです。

  明日香稲渕の棚田周遊路を歩いていると、棚田オーナーの年間活動計画が
 貼り出されています。そこには稲作を中心とする1年の暮らしの一端が書き
 記されていました。

  お正月明けの成人の日(来年は本来の11日)には、その年の五穀豊穣を
 祈願する農耕はじめの綱掛神事が執り行われ、4月のれんげ祭り、畦の草刈
 り、5月に入ると苗代作り、荒田起こしが続き、6月には田植えに向けての
 畦塗り、水が入るとマンガ(馬鍬)かけが行われ、このころには蛍の夕べも
 催され、オーナーの田植え(6月21日)が始まります。7月には中間の草
 刈りと棚田を見守るジャンボ案山子が立てられます(7月26日)。8月に
 は盆踊りで、地元とオーナーのみなさんの交流が深められます。
  8月30日からは、案山子ロードに案山子立てが始まります。今年は両槻
 会もこの案山子立てに参加しようと計画しています。9月に入ると、彼岸花
 祭り、案山子祭り(9月20日)に備えて、一斉の草刈りが行われ、やがて
 整えられた棚田の畦を真っ赤な彼岸花が彩ります。
  そして、10月に入ると、いよいよ棚田は実りの時期を迎え、稲刈り
 (10月18日)、続いて11月には脱穀、籾すり、ススキづくりが行われ、
 1年の感謝の収穫祭で締め括られます。

  各地で行われている伝統の祭事も、ほとんどがこの暮らしを支える稲作り
 に関わる祈願や感謝祭ですね。ままならない自然への畏敬と豊穣への願いを
 神祀りというかたちに現すことで、共同体の繁栄と結束を深め、大いなるも
 のを心の中に共に認めることで、人の奢りと乱れを戒めてきたものだと思わ
 れます。

  博物館の展示を見ながら、稲作りを通して営々として築きあげられて来た
 地域固有の生活文化を伝えてゆくには、有形、無形の民族文化財として指定
 されるものもありますが、地域が育んできたその本来の心を地域の人々によ
 って長く語り継ぐことができる環境をいかに維持していくかが欠かせない要
 素ではないかと思われました。

  ━━━◇『季節を訪ねて〜河内太古の写真館〜』
        http://www2s.biglobe.ne.jp/~kawati/


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 〈3〉TOMの飛鳥ほろ酔いがたり  / TOM
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「大津皇子考 その7」

  前回に引き続き、持統天皇とはどんな人物であったか、今回は万葉集に彼
 女が残した歌を見ていくことにします。彼女の歌が最初に万葉集に見えるの
 は夫、天武天皇の亡くなったときです。

  燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずや面智男雲 (2‐160)

 「面智男雲」の部分は現在のところ意味不詳となっていますから、自由に解
 釈して頂くとしても、前のほうの部分は「燃えている火でも取って包んで袋
 に入れると言うではないか」位の意味です。すると凡そ後の部分は「何故そ
 れが天武天皇の魂にも出来ないんだ」位の意味かと思われます。しかし、問
 題は歌の意味よりこういう歌を歌う人の心情です。普通なら「悲しい」とか
 「涙が出て止まらない」とか歌うと思いますが、彼女は悔しさを前面に押し
 出しているように聞こえます。この一つの歌からでも「彼女は気の強い女で
 あった」ことが伺えます。ところが、万葉集には彼女のこの歌の前にもう一
 つ歌を載せています。

  やすみしし 我が大君の 夕されば 見したまふらし 明け来れば 問ひたまふらし 
  神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし 
  その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに悲しみ 明け来れば うらさび暮らし
  荒栲の 衣の袖は 干る時もなし (2‐159)

  天武天皇が生きておられたなら、神岳の山の紅葉はどうなったかお尋ねに
 なるのでしょうに。私はその山を見ながら夕方になれば悲しみで一杯になり
 朝になればうら寂しくなり衣の袖も涙で乾くときもない位です。

  とまあ、同一人物が歌った歌なのか首を傾げたくなるような殊勝な歌を作
 っています。これをどう考えればいいのでしょう。双方とも彼女が作った歌
 だとすると「気性はきついが、夫をこよなく愛していた妻」のイメージを与
 えてくれます。そして続いて次の歌が載せてあります。

  向南の山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて (2‐161)

  「青雲」とは天武天皇の御霊の事を指し、「星」とは残された皇子皇女達
 の事を指し、「月」を自分のことを指すとするとこの歌は「あなたの魂は息
 子娘達から離れ、私からも離れてしまったのね」と言った諦めのムードが漂
 います。そして藤原宮への遷都となります。

  明日香の 清御原の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし 我が大君 高照らす
  日の御子 いかさまに 思ほしめせか 神風の 伊勢の国は 沖つ藻も 靡みたる波に
  潮気のみ 香れる国に 味凝り あやにともしき 高照らす 日の御子 (2‐162) 

  あなたはもう伊勢の国に行ってしまわれましたが、どう思われていますか。こ
 れから藤原宮に遷都するんですよ。あなたがいないので物足りません。

  まあ意訳すれば上のようになると思いますが、やはり心細かったのかもし
 れません。藤原宮からは天武天皇の御陵は見えなくなってしまいます。寂し
 かったのではないでしょうか。このように彼女の波乱万丈な人生とその歌っ
 てきた内容を見てきました。大津皇子の変は天武天皇の亡くなられた直後の
 ことです。まだ彼女は持統天皇として即位していません。この時代の皇親政
 治は、物事を皆で諮って決めたとされています。彼女が独断で大津皇子を処
 刑するほど彼女には力はなかったと考えられます。天武天皇が病に倒れたこ
 ろから、勿論彼女は看病したでしょうけれど、よき話し相手、相談相手を探
 したのではないかと思われます。大津皇子を死に至らしめたのは、その相談
 相手ではなかったかと思われます。次回は、いよいよその相談相手を考えて
 行きたいと思います。お楽しみに。


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 〈4〉 飛鳥咲読  / 真神原風人
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  飛鳥時代の武器・防具をざっと見てみようと思っていたのですが、大きな
 間違いであったことに気づきました。全くの素人がそのようなことを出来る
 はずも無いことに、やっと気づいたと言う感じです。前回、刀と剣のお話を
 したように、今回は「矛」と「槍」の違いから分からなくなってしまいまし
 た。(^^ゞ 飛鳥咲読の第3回は、そのことからお話を始めようと思います。

  「矛」と「槍」を、明確に区分出来る方はおられるでしょうか。風人は、
 またしても訳が分からなくなってしまいました。(^^ゞ 
  共に、長い柄を持つ中距離接近戦用の武器だと考えて良いと思います。日
 本書紀の壬申の乱の記述には、騎馬隊の存在も書かれていますので、大刀以
 外の長い柄の付いた武器も必要であったのではないかと思います。馬上から
 歩兵を攻撃するには、リーチの長い武器が必要になります。また逆に、騎馬
 兵を攻撃するにも長柄の武器が必要だと思われます。そうすると、「矛」や
 「槍」は有効な武器であったはずです。また、歩兵同士の戦いにも、その長
 いリーチは有利に戦いを展開出来るでしょう。

  「矛」はやや幅広で両刃の剣状の穂先を持つ物(切ることが出来る)、
 「槍」はその先端を鋭くさせ刺突力や打撃に限った物だとする説もあるよう
 ですが、実際には、それぞれの形体にバリエーションが多くあり、その相違
 は曖昧であったのかも知れません。西洋では、「矛」は「槍」の一形体とし
 て扱われるのだそうです。

 参考画像:矛と槍
 http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/53/hoko-yari.png

  少し視点を変えてみましょう。垂仁天皇3年春3月に、新羅王の子「アメ
 ノヒボコ」が神宝である、羽太の玉・足高の玉・赤石・刀・桙(出石の桙一枝)
 ・鏡・熊の神籬の7種を持参し渡来した話が、日本書紀や古事記にあります。
 字は異なりますが、「矛」が入っていますね。「矛」というものが認識され
 ています。ところが、アメノヒボコの名前の表記が記紀によって違うのです。
 「天之日矛(古事記)、天日槍(日本書紀)、(アメノヒボコ)」となって
 います。「矛」も「槍」も「ホコ」に当てています。何故なのでしょうか?
 記紀が成立した時代には、「矛」も「槍」も大きな認識の差は無かったので
 しょうか。
  長柄の武器を「ホコ」として考えていたのかも知れないとも思うのですが・・・。
 また、古代においては、「槍」という表記は、投槍のような短い物を指して
 いたのでしょうか。風人は、この記事を書いている時点で、「矛」「槍」を
 明確に区別する知識を得ることが出来ませんでした。

  一般的な説明としては、戦術が進歩して集団戦が展開される鎌倉時代にな
 って、「槍」の必要性が増大し、現在の認識に近い「槍」の発展を促したと
 しています。(元寇・文永の役・弘安の役などで集団密集戦闘の必要性が高
 まったから。)
 
  壬申の乱の武装復元では、「矛」は、両刃の矛先に竹を細かく割って束ね
 合せた柄をつけた武器として、正倉院の例から長さ3.3m〜4.5mの物を
 復元しています。律令の規定(軍防令)では、長い物を「牟」、馬上で使う
 短い物を「ホコ〔*〕」と書き分けているようです。〔*=予偏に肖〕

 参考画像:矛の部分名称
 http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/53/hoko-yari-setumei.png

  弓は、最も基本的な武装の一つでした。遠距離から一方的に攻撃出来る武
 器ですから、有効に用いれば効果的な武器ですね。飛鳥時代には、丸木弓が
 使われていたようです。丸木弓と言うのは、一本の木や竹などから作った弓
 のことで、様々な素材を使用した複合弓と区別されます。弓材には、ツキ
 (ケヤキ)、マユミ、ハゼノキなどが使われたそうです。梓弓は、マユミで
 作った弓とされることが多いのですが、別の説もあるようです。長弓と言わ
 れる2mを超える物が主として使われたようです。

 弓矢の部分名称
 http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/53/yumi-ya.png

  中央より下に寄った所に皮などを巻いた握りがあります。弓弦は、麻の繊
 維を拠り合わせた物を使う例が知られているようです。

  矢は、篠竹で作られ、鉄の鏃と鳥の羽が付けられます。長さは、85cm
 程度だとされます。
  さて、弓を実践で用いるには、矢を持ち運ぶ入れ物が必要です。皆さんは、
 「胡祿(←竹冠)やなぐい・ころく」と言うものをご存知でしょうか。

 参考画像:胡祿 正倉院所蔵を参考に描いた物です。
 http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/53/koroku.png

  参考図のようなものですが、古墳を取り巻く埴輪でもお馴染みの「靫(ゆ
 ぎ)」と何が違うのだと思われますか。形状としての違いは、風人には分か
 りませんでした。ただ、靫と胡祿には、装着位置の違いがあります。「靫」
 は背中に負う物、「胡祿」は、右腰に斜めに提げる物であったようです。

 参考画像:装着図
 http://asuka.huuryuu.com/magazine/photo/52/buki-4.png

  また、「胡祿」は、矢の装備全部を指しており、矢の容器だけでは「箙
 (えびら)」と呼ぶとする説もあるようですが、一般的には、「胡祿」は靫か
  ら発達したとされるようです。奈良時代に盛んに用いられたようですが、平
  安時代に箙が出現すると、儀仗に用いる以外は使われなくなったとされます。
  この説では、箙は胡祿の発展した道具ということになります。
  弓矢の装備には、律令の規定(軍防令)があるようで、50本の矢を「胡祿」
 に入れて出陣していたようです。

  さて、弓にまつわるお話として、もう一つ紹介いたします。飛鳥時代に、
 武器として「弩(ど)」が存在していたことを、風人は知りませんでした。
 律令の軍制にも、軍団の中に僅か二名の存在でしかありませんが、正式に配
 属されていたのには驚きました。「弩」というと、皆さんには馴染みが少な
 いかも知れませんが「クロスボーまたはボーガン」のことです。風人は、こ
 れは中世ヨーロッパの物だとばかり思っていました。(^^ゞ まさか、推古天
 皇の頃にも、我国に入ってきていることなど、恥ずかしながら想像だにして
 いませんでした。
 (弥生時代に作られた小型の弩の木製の銃身に相当する臂(ひ)の部分が島
 根県の姫原西遺跡から出土しています。(^^ゞ)

  日本書紀「推古天皇26年8月の条、高麗が使いを遣わして産物をたてま
 つった・・・中略・・・(使者が言うには)鼓吹、弩、抛石(投石器か)な
 ど十種類のもの、それに国の産物と駱駝一匹とをたてまつります。と言った。」
  また、隋書倭国伝にも、次のような記事があります。「・・・弓、矢、刀、
 ホコ〔*〕、弩、サン〔#〕(さん=杖?)、斧があり、皮を漆で塗って甲
 とし、骨を矢鏑とする。兵はいるが、征服戦はない。・・・」
  そして、さらに757年に施行された養老律令の軍防令にも、「下日(非
 番の日)ごとに、衛士府で弓馬を教習させ、刀を用い、槍(ほこ)を弄(と)
 り、また弩(おおゆみ)を発射し、投石機(条文に「抛石」と書かれていた
 かどうかは確認できませんんでした。)を操作させること。・・・中略・・・
 こうして本府は試練して、その技術の向上をたしかめること。」とあります。
 大宝律令も、同様の条文を掲げていたことが推測されます。
  〔*=予偏に肖・#=木偏に賛〕

  弩どころか、投石器まで我国に入っていたようです。いやはや、今回は風
 人の知らなかったことばかりです。もう知ったかぶりも出来ませんね。(^^ゞ
 飛鳥は奥が深いです。
 
  これらの武器は、我国では発展せず、主要な武器にならなかったようです
 ね。それを探るのも面白いテーマかもしれません。日本独特の精神性と関わ
 っているようにも思いました。

  次回からは、これまで紹介してきた武器を使った、飛鳥時代の戦いに注目
 してみたいと思います。

  ━━━◇『飛鳥三昧』
        http://sanzan.gozaru.jp/

┏◆◇◆◇◆━━━━━━━━━━
 〈5〉飛鳥情報
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━

 ◇━ 平成20年度発掘調査速報50cm下の桜井

  桜井市埋蔵文化財センターにおいて、平成20年度に行なわれた発掘調査
 の速報展示が行われます。メデイアでも話題になった纒向遺跡の建物群、弥
 生時代の木製短甲が出土した大福遺跡、渡来系集団との関係がみられる風呂
 坊古墳群などの遺跡が紹介されるようです。

  会 期 : 6月10日(水)〜10月4日(日)
  時 間 : 9:00〜16:00(入館は16:00まで)
  入館料 : 一般200円、小・中学生100円
  休館日 : 毎週月・火曜日および祝日の翌日

  また、関連で調査報告会も行われます。

  日 時 : 7月5日(日)13:30〜
  場 所 : 桜井市立埋蔵文化財センター
  内 容 : 大福遺跡第28次調査   丹羽恵二氏
        纒向遺跡第162次調査  福家恭氏
        風呂坊古墳群第4次調査  福辻淳氏

  平成20年度発掘調査速報50cm下の桜井
  http://www.city.sakurai.nara.jp/event/event02.html#02

 桜井市公式ホームページ
 http://www.city.sakurai.nara.jp/


:::::::::::::::::::::::::::::::::::

 ◇━ 大和を掘る27

  橿原考古学研究所付属博物館で、毎年恒例の「大和を掘る」の今年度の予
 定が決定されています。展示は、おもに2008年度に奈良県内において発
 掘調査された遺跡の中から約35遺跡が選ばれて出土遺物や調査写真パネル
 が展示されるようです。

  会 期:7月18日(土)〜 9月6日(日)(月曜休館)

  また、関連で行われる土曜講座は、7月25日、8月8日、8月29日、
 9月5日となっています。各回とも13:30分から橿原考古学研究所1階
 講堂で行われます。

  橿原考古学研究所付属博物館公式サイト
   http://www.kashikoken.jp/museum/top.html
 
   
┏◇◆◇◆◇◆━━━━━━━━━━
 〈6〉両槻会からのお知らせ
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━

 ━◆ 第15回定例会のご案内

  奈良文化財研究所の豊島直博先生を講師にお招きして、第15回定例会を
 下記日程で開催します。定員を設けていますので、参加をご検討下さってい
 る方は、お早めにお申し込み下さるようお願いいたします。

  開催日  :7月11日(土)  
  演 題 :飛鳥時代の戦いと武器
        ‐大化改新の時、蘇我氏はどのような武器で戦ったのか?‐
  講 師 :奈良文化財研究所都城発掘調査部 豊島 直博 先生
  会 場 :飛鳥資料館講堂 
  開 演 :午後1時予定 
  定 員  :40名 (定員に達し次第締切)
  参加費用:1,000円 (飛鳥資料館入館料別) 

  また、講演会関連の遺跡を、事前散策として、講演会当日午前中に訪ねる
 予定です。詳細は下記アドレスをご参照下さい。

 第15回定例会予定ページ
 http://asuka.huuryuu.com/yotei/teireikai-15/yotei-15.html

:::::::::::::::::::::::::::::::::::

 ━◆ 両槻会文化祭開催のお知らせ

  両槻会スタッフが撮影した写真や手作りの作品を展示します。また、過去
 に行いました定例会当日の配布資料なども展示したいと思っております。
  ゆっくりご覧いただける展示会にしたいと思いますので、開催日に是非足
 を運んでください。スタッフが交代で詰めておりますので、お声をお掛けく
 ださい。

  開催期間 : 10月8日から10月12日まで。
  開催場所 : Shop & Gallery「 輪-Rin 」
         明日香村岡385−4 (岡天理教会前)
           http://web1.kcn.jp/rin
  展示時間 : 午前10時〜午後4時まで

  今まで定例会にご参加くださった皆さんの中で、10月7日(水)もしく
 はその直前の土日に作品を搬入、12日夕方に搬出が可能な方は、一緒に作
 品を展示させていただきます。その場合は、必ず事前に事務局までご連絡く
 ださいますようにお願いいたします。作品数は、お一人様一点とさせていた
 だきます。
  参加お申し込みのご連絡は、9月30日までにお願いします。

  お問い合わせ:両槻会事務局 asukakaze2@gmail.com


┏◆◇◆◇◆◇◆━━━━━━━━━━
 〈7〉編集後記
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇━━━━

  前号の飛鳥遊訪マガジン52号には、沢山のご感想を頂きました。有難う
 ございます。m(__)m え?感想ってどうやって書くの?出すの?と仰る方も
 いらっしゃると思います。「まぐまぐ」の場合は、このメールに返信で、メ
 ルマの場合は、これより下に「今回の記事はいかがでしたか?」と書いてあ
 る下のアドレスからコメント欄に飛んで頂けます。また、飛鳥遊訪マガジン
 感想フォーム(http://form.mag2.com/viuounelio)等というものもご用意
 させて頂いてます♪これは、毎号↓にアドレスが書いてあります。(^^)
  ご感想を頂けると、物凄く励みになります。何か一言頂けると嬉しいです♪
                              (もも)
 
  ┏━━◆◇◆━━━ ━━━ ━━━ ━━━ ━━━ ━━━┓
        
       発行 :両槻会 http://asuka.huuryuu.com/  
         飛鳥遊訪マガジンへのご意見ご感想は、
         http://form.mag2.com/viuounelio
               または
        asukakaze2@gmail.com 両槻会事務局まで

     登録/解除は http://www.mag2.com/m/0000259444.html          
          発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/  
  ┗━━━ ━━━ ━━━ ━━━ ━━━ ━━━◇◆◇━━┛


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