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2008/08/23

Herbert P. Bix 氏の文章概略

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メールマガジン「世界平和への一歩は知ることから」カナダからの手紙
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 欧米諸国の元首と同様に、昭和天皇にとって国家の防衛およびその繁栄は常に最優先課題であった。
生来の典型的な帝国主義・国家主義者であり、世界中で植民地支配に対する批判が高まる中でさえ、海外における日本の既得権益を守ることに力を注いだ。
しかし同時に、国内の政治における力のバランスや、君主としての自身の地位を維持するために細心の注意を払うことも怠らなかった。


 昭和天皇はまた、日本の植民支配に伴う権益は自身の祖先より系統的に受け継ぐものという独特な考えを持っていた。
幼少のころより、自身に与えられた権限は現世における国民ではなくむしろ祖先によるものであり、
またその責任も国民ではなく祖先に対するものであるという教育を受けていたのである。
さらに国家の元首として、また同時に最高司令官として常に合理的な判断を下すことができるよう訓練もされていた。

 戦時中、日本の軍部によって行われた数多くの戦争犯罪においては、昭和天皇が最高司令官として
政治や司法、また倫理的な側面においても大きな影響を及ぼしていた。
国際法に背く形で行われた満州の支配についても事後承認を与えるなど、中国支配における策略に関してもより積極的に関与するようになっていった。
事実、中国各地に対する爆撃に加え、毒ガスの使用や、北部・中部における紛争地域の壊滅作戦などの指揮も行っている。
こうして日本における神聖という位置づけのもと、国家のアイデンティティのシンボルとして、中国における一連の紛争を「聖戦」とし、
軍部との緊密な関係を保ちながら、その崇高とされる力を頂点にまで高めるようになっていったのである。


日本の歴史家たちの研究により、1930年代から40年代における戦時中および戦後の天皇の役割が明らかになるにつれ、
昭和天皇が軍部の将官や司令官の行動に対し常に指示を与えていたことや、
自身の皇位を少しでも長く維持するために勝てる見込みのない戦争を継続したことなどが知られている。
実際に側近の証言によると、昭和天皇は1944年の夏の時点で最終的に日本が降伏に踏みきらざるを得ないということを把握していた。
それにもかかわらず、降伏に伴う条件を少しでも有利なものにできるよう、連合国に一矢報いるべく戦争の継続を主張したのである。
昭和天皇はまた、連合国側により日本の戦犯が裁かれるということや、軍部を解体するという考えに対しても強く反対していた。
しかし1年後の1945年、昭和天皇はこのような条件の放棄を余儀なくされる。
沖縄での戦いにも破れ、もはや日本の勝利への望みは残っていなかった。
この時点で直ちに降伏するという考えは持っていなかったものの、
連合国による日本の戦犯の処罰や、軍部の解体については覚悟を決めるようになっていった。


 このようにアジア・太平洋戦争においては最高司令官として中心的な役割を担っていたにも関わらず、
昭和天皇は戦後、裁判においてその責任を追及されることがなかった。
これにおいては当時の支配層の影響が大きい。日本全体におよぶ戦後の疲弊や占領軍の政策などにより、
社会において自らの権力が及ばなくなることを恐れた支配層は互いに結束し、戦争において昭和天皇が直接的に関与した証拠を隠滅し、
その責任を天皇ではなく軍の上層部に押し付けようとしたのである。
こうして虐殺や慰安婦、戦争捕虜の扱いに関する証拠なども破棄しながら、支配層は天皇や一般市民が軍部に利用されたかのように取り繕った。
また、「聖断」と言われる敗戦の詔勅による影響も見落とすことはできない。
これにおいては「敗北」という言葉を1度も使わず、戦争の目的をあくまでも自己防衛とし、今後の復興を目指すことを強調することにより、
戦争におけるアカウンタビリティ(説明責任)を免れたのである。


 さらにその後も続いた戦争責任に関する議論も、米国による占領政策の変更に伴ってより影を潜めることになった。
米国が日本の戦犯を追及する代わりに、日本を冷戦における自らの同盟国と位置づけたため、
未知数であった昭和天皇の戦争責任における関心も失われていったのである。

 しかしながら昭和天皇の存在、そして日本および日本人にとってのその意味合いは計り知れない。
戦争における真実について考えるとき、昭和天皇は必ずそこに含まれるべきものとなる。
帝国軍による戦争犯罪の事実に関心が及び、戦争責任やそのリーダーシップについての議論が沸き起こる限り、
昭和天皇の亡霊はそこに留まり、いつまでも日本の政治に影響を及ぼし続けるように思える。


以下Herbert P. Bix氏原文へのリンク:

http://japanfocus.org/products/details/2741

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