2009/10/28
お地蔵さん
広島市内を歩いていると、あちこちで小さなお地蔵さんを見かける。 ビルの片隅に、ちょこんとあるから気づかずに通り過ぎてしまうことが多い。 エーッ、こんなところにあったのという感じである。 この仲良し地蔵さんは、広島市役所の前の古いビルの脇にある。 お人形さんみたいに可愛らしい小さな2人のお地蔵さんが小さな社の中に置かれている。 40~50CM程の大きさだ。 脇に掲げられた木札には 「仲良し地蔵縁起 この仲良し地蔵は石彫家国広秀峰氏の作で、九州篠原四国総本寺別格本山南蔵院住職林覚乗氏から縁あって理研産業株式会社取締役社長久保田勝之に贈られた。 このあどけない童心の石彫「仲良し地蔵菩薩にご参拝者の良縁と幸福を祈願し、昭和63年9月24日当地にて開眼供養された。 昭和63年9月吉日」 その下には、 御真言 「おん」「かか」「かび」「さんま」「えい」「そわ」「か」 三唱くださいませ。 と書かれている。 意味は全く解らないが、 鈴をならし、三唱した。 ついでにお賽銭をあげてきた。 これでなにかいいことあるかな? お地蔵さんについて、 ネットで調べてみると、これがなかなか面白い。 「お地蔵さんはサンスクリット語ではKsitigarbhaと呼びます。前半のksitiは大地という意味で、 後半のgarbhaは胎・子宮という意味から包蔵という意味で捉えられ、「地蔵」と訳されました。 もともと地蔵は『地蔵十論経』のなかに「よく善根を生ずることは、大地の徳の如し」とあるように大地の徳そのものを呼ぶ語だった ようです。 それが、バラモン教の大地の神(または豊作の女神)プリティヴィーの信仰とあいまって擬人化し「地蔵菩薩」という 仏教の修行者として誕生したというのが通説のようです。 ですから、現在日本でも土地の守り神のような立場におかれたりするのも、大地の神プリティヴィーの影響を今でも色濃く残しているといえるでしょう。 また地蔵菩薩は菩薩信仰の中でも成立年代が古い菩薩に入ります。その地蔵を説いた教典は、先に述べた『地蔵十論経』、『地蔵本願経』、 『占察善悪業報経』の三つで地蔵三経と呼ばれています。その中でも特に『地蔵十論経』と『地蔵本願経』の二つには地蔵信仰の特色がうかがえます。 おおきな目的としては、お釈迦様の滅後から五十六億七千万年後に現れるという弥勒菩薩(弥勒如来)が、 この世に出現するまでも無仏(仏様がいない)時代の救済をゆだねられています。 その地蔵の性格は「信者に代わって苦を受ける」というものであったために、転じて信者の願いを代わってかなえたり、 危険に合ったときは身代わりになってくれる「身代わり地蔵」の信仰が盛んになりました。 それから「泥付地蔵」「勝軍地蔵」「矢取地蔵」「縄目地蔵」「片目地蔵」多くの地蔵信仰が生まれ、なかでも「笠地蔵」なんてのが有名です。 それもどれもが、「信者に代わって苦を受ける」という地蔵の性格から生まれた信仰といえるでしょう。 また、地蔵菩薩の姿が若い僧の姿で現れるというのが通念から、その姿より小さい子供たちを守る守護神的な面の強くなり、 「一つ積んでは父の為、二つ積んでは母のため・・・」という文句で有名な『賽の河原和讃(賽の河原地蔵和讃)』が作られたり、 旧暦七月二十四日を子供たちが地蔵を祭る「地蔵盆」の風習が生まれていったようです。」 と書かれていた。 要するに、お地蔵さんは、身近にいて、願いをかなえてくれたり、身代りになってくれたりしてくれるということのようだ。 なんとも有難い存在だ。 街のあちこちに置かれているこうしたお地蔵さんは、街の大きな魅力の一つでもある。 ソレイユやアルパークにはない。 お地蔵さんには古い歴史と、人々の思い入れがある。 そういえば、私の曾祖母もお地蔵さんの掃除をしたり、お参りをしていた。 私も、これからはお地蔵さんの脇を通る時は、そっと手を合わせよう。 「いいことがありますようにって」 元安川



