2009/06/25
ブラボー! 銀座ライフ!!
この春、東京に移った柴田家からのごあいさつ状が届いた。 柴田だんなは正月明けの転勤で一足早く単身赴任していたが、春休みに家族が越して東京暮らしが始まった。なんと、住所が銀座7丁目ではないか。東京ど真ん中だ! 主人のポジションは報道部長。各社とも東京支社の報道部長は専らキー局やネットワーク各局との会議とお付き合いに忙殺されるところだ。 それにも拘らず、今年になって東京発の柴田レポートが目立って増えて来た。仕事好きな柴田部長が現場の記者に戻って生き生きとしている様子が垣間見られる…。 柴田さんは10年前にRCC・JNNの上海支局長として3年間勤務した経験がある。 夫人の希奈さんはRCCワイド番組のディレクター経験がある聡明で好奇心旺盛な人だ。 その一家が東京勤務を機に住まいを銀座にしている。メールでやり取りしてみると次々にその理由と考え方が判って興味深い…。 管理職と現場記者を両立させるには職住接近で、東京の通勤地獄から解放し支社の近場で利便性を優先した…という。 これは一家が上海で暮らした経験が活きている。 JNNのネットワーク各社の支社報道部長達は対TBSへのアプローチや各社の情報収集にあの手この手を使う“JNN政治”が横行した時代もあって、 息を抜けない重要なポジションだ。 一方、支社では一人でカメラを廻してレポートする取材。取材準備をはじめ、何から何まで一人でこなさなければならない。 自宅は新橋演舞場の並びで築地市場に歩いて5分、支社までは歩いてせいぜい10分前後、この位置ならいつ何時でも対応可能な職住距離で、 通勤時間や疲労を考えると『銀座ライフ』は見事な選択!!!と感服し、エールを送る。 家族にとっては大都会のビル街で公園や緑には恵まれないが、考え方次第で銀座を楽しく生きられる喜びが生まれるだろう。 息子のカスケ君は創立130年を超える日本一の伝統校の泰明小学校に転入し、親子で銀座ライフを開発中のようだ。 先日の日曜日には1丁目の空きで「銀座でコメづくり」と言うイベントがあった。 茨城県から運んできた田んぼの土で30平米の水田を造って「銀座の田植え」が行われ、カスケ君は銀座で農業体験をした。 広島でも長年賀茂鶴酒造が八丁堀行っていたが今は無い。 希奈さんは銀座にオープンした外資系宝飾店が5千人にダイヤを無料配布したニュースで話題の行列に1770番目に並んでゲットした。 画面に姿は見えないが…ニュースの真只中にいる時の人?だ。 なんと、早くも銀座ライフをフルに楽しんでいるようだ。 私が東京支社勤務したのは昭和48年〜53年(’73〜’78)の30代後半の5年間。世田谷の代沢から銀座の支社に出社する。 大半は当時から相互乗り入れしていた小田急線の下北沢から地下鉄千代田線で国会や官邸に出勤した。 下北沢に近く、渋谷や新宿、吉祥寺にも利便が良く高尾山や箱根にもよく出かけた。 定年までにチャンスがあればもう一度、東京支社勤務を希望して、その時には銀座に住んでみたい…そんな夢を果たせないままだっただけに、 柴田一家の銀座ライフには“ブラボー”とばかりエールを送りたい気分だ。 銀座には銀座の名店が昭和29年から銀座の復興を推進し、信用と奉仕の百点満点を目指す「銀座百店会」を結成し、 30年から小冊子『銀座百点』を出し続け通算650号を超えた。 コートのポケットにも入るB6という変形サイズで百ページ余りの冊子には銀座の匂いが詰まっている。 家内が年に何度かお取り寄せするお店から、荷物と一緒に届く『銀座百点』はお洒落な銀座に気安さと安心感のある銀座がある。 お店だけではない地域の風情や街並みに裏街に露路奥の裏方として銀座を支える職人さんなどが見える。 決して敷居が高くない銀座が見える。 何はともあれ柴田一家には『銀座百点』を手引きに、そんな銀座を沢山見つけて“銀座ライフ”を楽しんでほしいと思う。 仕事と家族の関わりを東京のど真ん中で究極の選択をした柴田家に敬意を表すと共に、 飛びっきりの面白ニュース情報を届けて下さる事に期待を寄せている。 グランパ



